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3 : 過呼吸

 あたしが口をきけないでいるのをアスクは誤解したらしい。


「そっか・・・・・・。まあ、甲斐性ありそうだしな。お似合いだよ」


 姿勢良く座り直すと彼は一気にゴブレットを傾け、げっぷをした。何だかおかしな話になってきた気がして、あたしは慌てて訂正した。


「違うの!あの人はただの居候よ。借金の形代わりにあたしのところで働いているだけなの」


 そう言っても尚、アスクがあたしに向ける視線には疑わしさが残ったままだ。


「だってあいつ、男のオレから見ても結構いい男だったぜ。

 ずっと一緒にいるんだろ、惚れちまっても不思議じゃ」


「やめて!」


 アスクの語尾に被せるようにしてあたしは叫んだ。

わざわざ呼び出しておきながら、この人は何故こんなことを言ってくるのだろう。

何故みんなそういう目で見たがるのだろう。さっきの管理塔での視線がよみがえる。


「あたしは誰かを好きになったりなんて、そんな馬鹿げたことにうつつを抜かしたりしないわ。勝手に決めつけないで」


「ハァ?ちょっと待てよ。好きになんのが馬鹿げてるって考え方、おかしいだろ。なんでそんな結論になんだよ。

 大体お前女だろ。女ならフツー、甲斐性ある男捕まえようとするもんじゃねぇのかよ。それこそ恋だの愛だのいっつも考えてるもんだろうが」


 いかにも知った風な言い方をするアスクに、あたしは声を抑えて言った。


「恋だの愛だの、そんな夢物語、あたしには関係ない。

 独りでいることって、そんなにいけないことなの?あたしはただ、誰にも頼らずにひっそりと生きていきたいだけ」


「気持ちは分からねぇこともねぇけどよ、誰にも頼らないってのは無理だろ。結局誰かに何かしら関わってっから、俺達生きていけてんだ。

 いいじゃんか、恋愛したって別に。男に頼って何が悪ぃんだ、女は守ってもらうもんだろ」


 アスクの身体があたしに近づき、怒ったようなその顔は前を向いたまま、そっとあたしの肩を後ろから囲むように触れてきた。肩を抱こうとしているのだと気付き、あたしはうろたえながら手を払おうかと迷ったが、それ以上アスクが手を伸ばしてくることはなかった。


「あのな」


 前を向いたまま、ぶっきらぼうにアスクが語り始めた。


「オレもさ、ずっと一人だったんだ。

 おふくろは俺を産んで死んじまったらしいし、それでオレが憎くなったおやじに労働教院にぶち込まれたらしくてさ。

物心ついた時から、オレの周りには楽しいもんなんてひとつもなかった。生きるってこたぁ、ごりごり働いて不味い飯食って、そんでクソして寝るってだけのもんだってずっと思ってたんだ。

 んで、教院出てからはろくな働き口もねぇもんだから、オレも腐ったような生き方しててさ。

 そんな時だったんだ。オレが一人の男に出会ったのは」


 身体を硬くしたままちらりと見やると、アスクは遠くを見るような目をしていた。


「一緒に行こう、ってそいつはオレを誘ったんだ。

 お前は俺を補ってくれ、俺はお前を補うから、って。

 オレがどんだけ頑張っても追い付けねぇようなスゲェ奴なのにさ。

 そいつ、お前のおかげだって、いつも言うんだ。

 俺のできないことをやってくれる、支えてくれる、お前がいてくれて良かったって、んな痒くなるような台詞がポンポンと飛んでくるわけ。

 初めのうちは気色悪くってよ。けど、だんだんとそれに慣れてくるとさ、なんかちょっとは悪い気しねぇもんなのな。

 初めてさ、オレ、人から頼られたんだ」


 アスクは溜め息をついた。


「そうやって今まできたからさ、なんか分かる気がすんだ。

 男の俺ですら『一人で生きる』ってのはしんどかったから、女のそれがどんだけかってことくらいは。

 それと、気ぃ張って強く見せてなきゃやってけねぇってことも」


 そこで口籠ると、アスクはしばらく黙っていた。

 やがて、意を決したかのように彼はあたしの方を向くと、控えめに触れていた手で今度はしっかりとあたしの肩を抱くと、ぐっと顔を傍に寄せてささやいた。


「チュリカ。

 お前を見てると、以前のオレみたいで放っておけないんだ。

 オレが、お前のことを支えてやりたい。

 オレのこと、見ていて欲しい」


 頭の中が真っ白になった。


 顔が熱い、鼓動が早すぎて苦しい。息ってどうやってするものだっけ。

 いくらこういう分野に疎いあたしでも、これが告白というものらしきことは分かった。

 けれどまさか、こうして知り合って間もない相手からいきなり受けるなんて思ってもみなかった。

 一体あたしはどうしたらいいの。

 そもそもあたしはアスクのこと、どう思っているの。


「あああ、あたしぃ」


 あたふたしたあまり、声を裏返らせてしまったのでアスクは苦笑いした。


「あぁ、いや、いいんだ。返事は急がねぇ。

 何度か会ってオレを知ってもらって、それから考えてくれたらいいさ」


 そんなこと言ってる割には何か近いんですけど!

 アスクの手がそっとあたしのおさげに伸びる。撫でてくれるつもりだろうか。あたしはそれを受け入れるべきか迷った。

 支えてやりたい、って言われた。

 でも、あたしが彼を頼ってもいいのだろうか。

 あの日誓った事を、忘れていいのだろうか。




 ――誰か!誰か、お願いします!

 

 ――父さんを助けて!助けてよォォォォッ!!


 

 突如、三年前の光景が頭をよぎった。

 声が潰れるまで叫んでは走り、ドアを血塗れの拳で叩きつけながら懇願した。

 恐ろしい光景を前に、声にならない悲鳴を上げ続けた。


 絶対に忘れない、許さないと、誓ったあの日。



「・・・・・・戻らなきゃ」


 突如立ち上がってよろよろと歩き出したあたしに、


「お、おい」


 取り残された手を気まずそうにしながらも「送ってくよ」とアスクは追いかけてきた。


「付いて来ないで」


 冷たい言い方だと分かってはいたが、今のあたしにはそれを言うのが精一杯だった。



 寒い。


 夏だというのに、震えが止まらない。



 ふらふらと歩き続けるあたしの後を、アスクはもう追ってはこなかった。





 バザールに戻ると、店では既に検分中の客が数人いて、ジェイスが相手をしているところだった。

 彼は実に楽しげだった。身振り手ぶりでやり取りを交わし、通りすがりの人々にも惜しみなくチーズやジャムの試食をさせている。が、決して売りを強要しているというわけでもなさそうだった。

 買い物を終えた客には破顔してお礼を言い、さも嬉しそうにぶんぶんと手を振りながらその後姿をずっと見送っている。客もつられてにこにこしながら手を振り返す。

 店からは確実にチーズの数が減っていた。


「おうっ。チュリカ、おっかえりぃ」


 遠目からしばらく眺めた後で店に戻ってきたあたしに、陽気にジェイスが声をかけてきた。返事をする気も起きずあたしは黙って店に入り、ひな壇裏の敷布の上に膝を抱えて座り込んだ。

 なんだか、さっきからずっと息苦しかった。

 アスクとのやり取り。あの日の光景。ジェイスの商い。

 

 ・・・・・・はあ・・・はあ・・・はあっ・・・・・・


 胸を押さえているうちに、少しずつ息が荒くなってくる。

 口で呼吸を繰り返すために唇はかさかさに乾き、喉からはひゅうひゅうと音が漏れる。


 ・・・・・・はあっ、はあっ、はあっ、はあっ、はあっ・・・・・・


 始めよりもあきらかに呼吸が速くなり、自分で制御できなくなってきた。ぐらぐらと世界が暗転しかける。

 いやだ、どうして今頃になってまた。

 痛む胸を庇いながら横になろうとしたが、手足がじんじんと痺れて思うように動かない。


 ・・・・・・はっ、はっ、はっ、はっ、はっ・・・・・・


 ・・・・・・はっはっはっはっはっはっはっ・・・・・・


 苦しい、怖い、もしかして死んじゃうの?

 いやっ・・・・・・たすけて!

 

 バスッと大きな音と共に、突如視界が真っ暗になった。

 ごしゃごしゃしたものが頬に当たる感覚で頭に何か被されたのだと分かる。

 何、何なの!?

 恐怖でパニックになりつつ、うーうーと声を出してもがきながらそれを剥ぎ取ろうとすると、


「動くんじゃない」


 ごしゃごしゃを隔てた向こうから声が聞こえ、突如あたしは両手ごと誰かに抱き締められた。


「大丈夫、発作を治める方法だ。お前が被っているのは紙袋だ。何も考えるな。楽にしろ」


 ・・・・・・はっはっはっはっはっ、はっ、はっ、はっ、はっ・・・・・・


「いい子だ。そのままじっとしてろ。じきに楽になる」


 ・・・・・・はあっ、はあっ、はあっ、はあっ・・・・・・


「・・・・・・キュウ。すまんが少しの間店番しててくれ」


 ああ、紙袋越しからでもかすかに届く香煙草の香り。

 幼子をあやすかのように優しくとんとんと背中を叩きながら


「大丈夫。大丈夫」


 と歌うように言葉をかける低いその声。

 あたしは目を閉じた。泣くまいと必死だった。

 どのくらいそうしていただろうか。気付けばもう随分と呼吸が楽になっていた。胸の痛みも消えかけている。


「・・・・・・落ち着いたか」


 問いかけに、あたしはこくんと頷いた。

 視界が開け、覆われていたものが無くなったことで、あたしは突き刺さるその日差しに顔をしかめた。

 見上げると日差しで透けたぼさぼさの金髪が見えて、なんだか金のたてがみみたいだ、とあたしは思った。


 ぼさぼさ頭は、優しく笑っていた。



≪補足≫


※労働教院


いわゆる孤児院のようなものだが、目的は孤児を保護するためではなく、底辺の仕事に就かせるための施設。

孤児達の労働賃金によって施設は運営されており、悪評は絶えない。

過酷であったり危険であったりする労働に就き、そのまま命を落とす子どもも少なくない。

最長13歳まで保護という名目で子ども達は縛り付けられているが、施設を出ても身元不明に加え、教院出身という偏見により、ほとんどの者はまっとうな職に就けないのが現状である。


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