3話 存在密度
存在密度という言葉を作った。
これは僕が勝手に定義した軸である。難しい話ではない。
「どれだけはっきり、そこにあると言えるか」という話だ。
まずわかりやすい例から始めよう。
目の前にリンゴがある。見える、触れる、食べられる、匂いもする。
誰に聞いても「ある」と答えるだろう。存在密度は高い。
では影はどうか。光があれば現れ、光がなければ消える。実体はないが、確かにそこにある。
存在密度は少し下がる。
昨日見た夢はどうか。起きた瞬間は覚えていたのに、もう思い出せない。
あったはずだが、確かめる方法がない。存在密度はさらに下がる。
では「まだ生まれていない僕」はどうか。
言葉にはできた。しかし実体はない。会うことも、触れることも、確かめることもできない。
定義はあるが中身がない。
存在密度は、かなり薄い。
ここまではまだわかる話だと思う。
問題はここからだ。
その「まだ生まれていない僕」を、指そうとした瞬間に何が起きるか。
「まだ生まれていない僕」と書いた時点で、それは言葉になっている。
言葉になったということは、言語という存在の領域に入ったということだ。
つまり指した瞬間、本来の「僕」ではなく、言葉になった「僕」が現れる。
本来の「僕」は言葉になる前にいたはずのものだ。しかし言葉にした瞬間、もうそこにいない。
言葉にする前の「僕」は、永遠に言葉にできない。
言葉にできないということは、定義できないということだ。
定義できないということは、存在しないものと同じだ。
存在密度は、底をついた。 そう思っていた。




