特別章 — マリアの日記
和樹は、前の夜に泊まった小さな小屋の中に座っていた。 朝の冷たい空気がまだ室内に残っている。 彼はリュックからマリアの日記を取り出し、あの家でそれを見つけたときのことを思い出す。 そのノートに記された言葉の重みを感じながら、擦り切れたページを静かにめくった。
1月1日。
「今日は新しい年の始まり。 いつものように、家族とこの家に感謝して一日を始めました。 ママが手作りのパンと果物で特別な朝ごはんを用意してくれました。 ミコとユイは台所を手伝い、私はパパと一緒に薪を集めて、小屋を暖かく保ちました」
和樹は胸が締めつけられるのを感じる。 渡辺家の、幸せだった頃の姿が目に浮かぶ。 会ったことのない家族なのに、ページを追うごとに不思議と近く感じられた。
2月15日。
「ミコは最近、村のズーゴとますます仲良くなっています。 彼は新鮮な牛乳を売りに来るたびにミコと会っています。 配達の仕事をしているみたい。 今日、私は納屋の裏に隠れて、二人が笑いながら話しているのを見ました。 お姉ちゃんがあんなに幸せそうで嬉しい。 パパには内緒。 とても心配性だから」
あのとき涙を流していた青年の顔が脳裏に浮かぶ。 和樹は、ようやくその絆の深さを理解した。
3月3日。
「雪が溶け始めました。 いよいよ畑の準備ができます。 みんなで手伝います。 ユイも泥遊びを楽しみながら。 大変な作業だけど、年末の収穫を思えば頑張れます。 パパはいつも言います。 『こんな美しくて肥えた土地で暮らせるのは幸せだ』と」
3月21日。
「春が近づいて、小屋の周りに花が咲き始めました。 今日はミコとズーゴが森へ出かけました。 戻ってきたミコは顔を輝かせていました。 彼がプロポーズしたそうです。 もちろんミコは受け入れました。 みんな本当に幸せです。 ママはもう結婚式の準備を始めています」
和樹は悲しげに微笑む。 その日の小屋に満ちていたであろう笑い声を想像しながら。
4月5日。
「今日は料理をしながらたくさん話しました。 パパは昔話をしてくれて、ママは新しい毛布を織っていました。 ミコとユイは来週のパパの誕生日のためにサプライズを準備しています。 こういう瞬間に気づきます。 私たちの暮らしは質素だけど、愛と絆に満ちています」
和樹の目に涙が浮かぶ。 彼は一度目を閉じ、その穏やかで温かな日常を思い描いた。
4月15日。
「山での暮らしは少し孤立しています。 でも、それがいい。 外の世界の危険や複雑さから遠く離れているから。 毎日が自然と家族を大切にできる時間です。 ミコとズーゴは夏に結婚する予定です。 花が一番きれいな季節に。 お姉ちゃんの花嫁姿を見るのが待ちきれません」
和樹は深く息を吸う。 この家族との奇妙なほど強い繋がりを感じながら。
4月28日。
「ミコがユイに花冠の作り方を教えています。 二人が笑い合う姿は本当に可愛い。 私はそれを見ながら、この日記に書き留めています。 小屋は笑い声と愛で満ちています。 ここより幸せな場所は想像できません」
和樹は静かに日記を閉じ、それを強く握りしめた。 痛みと罪悪感が胸にのしかかる。 しかし同時に、心の奥で何かが固まり始めていた。
「俺がもっと早ければ…… 救えたかもしれない。 あと数時間早く着いていれば…… どうして…… どうして、あんな幸せな家族が怪物に殺されなければならなかったんだ……」
彼は低く呟く。
「マリア…… 会ったことはない。 でも、君の家族の物語は忘れない。 俺は戦い続ける。 ほかの家族が、君たちのような平和を守れるように…… どうか、今はもっと幸せな場所にいてくれ」
彼は日記を丁寧にリュックへ戻し、ゆっくりと立ち上がった。 マリアの日記は、和樹に新しい視点と確かな理由を与えた。 エルドリウムを脅かす魔物と戦う理由を。 空にはすでに高い太陽が昇っている。 和樹は前を向き、これまで以上に強くなろうと心に誓いながら歩き出した。




