第21章 ― 追跡する第七師団
時は西暦1540年、D.E.。フロストガルドの白き大地は、視界の果てまで果てしなく広がっていた。灰色に染まる夜明けの空の下、第七師団の足元で雪がきしむ。彼らは白銀の森を進み、凍てつく朝の空気には、雪を蹴る素早い足音だけが響いていた。
前方では、盗賊の影が木々と立ちこめる霧の中へ溶け込むように揺らめいている。昇り始めた陽光が霧をわずかに払い、その姿をかすかに照らしていた。
リアムは隊の先頭を走り、視線を逃走する盗賊へと鋭く向けている。全身の筋肉は即座に反応できるよう緊張し、その表情には獲物を逃さぬという強い決意が刻まれていた。
「もっと速度を上げろ!」
振り返りもせず、肩越しに叫ぶ。厚く積もった雪が走りを阻むが、脚を襲う凍えるような冷気を無視し、彼は前へと進み続けた。
リアム:
年齢: 21歳
元第10部隊キャプテン
現第7部隊副キャプテン
ベテラン剣士
リアムの隣で、エレナも同じ速度を保っていた。背中に掛けた剣が揺れるたびに軽く打ちつけられ、彼女は手綱を強く握りしめている。瞳にはどこか無邪気さすら感じさせる自信が宿り、盗賊との距離が縮まっているのを見て、勝利を確信する笑みが浮かんだ。
(もう逃がさない…!)
決意とともに、すでに最後の一撃を思い描いている。
ためらうことなく、エレナは荒々しく手綱を引いた。馬は嘶きとともに加速し、ほかの隊員たちを追い越して前へと飛び出す。
「任せて!今すぐ仕留める!」
彼女は勢いのまま叫び、全力で突進した。
エレナ:
年齢: 20歳
元第10師団副隊長
現第7師団将校
フェンサー専門家
勢いをつけ、エレナは馬を大きく跳躍させた。両手で剣を高く掲げ、空中で盗賊を斬り伏せる構えを取る。
その瞬間、盗賊は荒々しく手を突き出し、聞き取れぬ言葉を呟いた。掌から緑がかった光が弾け、エレナが反応する間もなく、凶暴な突風が炸裂する。空気を切り裂く衝撃が彼女を直撃し、激しく吹き飛ばした。
体は宙へ放り出され、雪嵐の中の枯れ葉のように回転する。白い雪片が渦を巻き、混沌の中へ彼女を包み込んだ。
すぐ後方を走っていたリアムは、その光景を一瞬で目にし、胸に恐怖が走る。
「エレナ!」
叫び声が凍てつく風を突き抜ける。彼は迷わず手綱を強く引き、進路を急転換させて追跡を断念した。訓練された戦士の正確さで馬を加速させ、彼女が落下しようとする地点へ全速で向かう。
一瞬の判断だった。大胆に鞍から跳び上がり、全身の筋肉を連動させる。空中でリアムは手を伸ばし、地面に叩きつけられる前に彼女を掴もうとする。
二人の身体は力強く衝突したが、計算された受け身だった。雪の上を転がりながらも、リアムは衝撃を殺し、彼女を守り切る。
やがて動きは止まり、二人は雪に覆われたまま絡み合って横たわった。息は荒く、鼓動は激しい。
エレナは小さくうめき声を上げるが、どこか困ったような笑みを浮かべ、彼を見つめる。
「私…もう少しだったのに」
悔しさを滲ませながらも、どこか意地を張るような響きだった。
リアムは緊張の残る顔で叫ぶ。
「馬鹿か!無茶しすぎだ!どれだけ危険だったか分かってるのか?!」
怒りと安堵が入り混じり、声が震える。その目には、彼女が直面しかけた危険の大きさがはっきりと映っていた。
エレナはため息をつき、視線を落とす。息を整えてから、ゆっくりと顔を上げた。
「…ごめん、リアム。」
ほとんど囁きのような声。後悔が滲んでいる。
「そんなに危ないなんて思わなかった。ただ…早く終わらせたくて…」
言葉は途中で途切れた。
リアムの険しい表情が和らぐ。彼女の本心を理解し、抱えている重みを感じ取った。何も言わずに近づき、怒りを捨てて強く抱きしめる。
その手は確かめるように優しく、彼女の体温を感じ取る。
「もう二度とするな、いいな?」
髪に顔を寄せ、低い声で囁く。
「君に何かあったら、俺はどうしていいか分からない。」
エレナはその腕の中で力を抜き、強く抱き返した。
「また助けられちゃったね、リアム…」
かすかな笑みを浮かべる。
「いつもみたいに。」
リアムは小さく息を吐き、安堵を含んだ笑みをこぼす。
「いつか、自分から危ない場所に飛び込まなくなるといいけどな。」
柔らかな声に、わずかな冗談が混じる。
そのひとときの後――
突然、激しい蹄の音が現実へ引き戻した。雪道に緊張が走る。追跡はまだ続いている。
やがてニラが先頭へ躍り出た。弓を手に、鋭い視線を逃走者へ向け、猛然と駆けていく。
ナイラ:
年齢: 19歳
元第8部隊のキャプテン
現第7部隊のキャプテン
エリートアーチャー
弓兵はすでに標的の軌道を計算し終えていた。滑らかな動作で矢筒から一本を抜き取り、弓につがえる。正確かつ力強く弦を引き絞った。
ニラは深く息を吸い込み、周囲の音を意識の外へと追いやる。木々の間を蛇のように駆け抜ける影だけに集中した。
「あなたは…逃がさない。」
低く、確固たる決意を込めて呟く。
鋭い音とともに矢が放たれた。刃のごとく空気を裂き、逃亡者の胸元へ一直線に飛ぶ。
しかし盗賊は、まるで背後にも目があるかのように、俊敏に跳躍した。空中で身体をひねり、わずか数センチの差で回避する。矢は前方の木の幹に突き刺さり、衝撃で震えた。
「何…?」
ニラは低く唸り、即座に次の矢をつがえる。迷いなく再び放つ。
だが逃亡者は再び驚異的な動きを見せた。身体を回転させ、脚の反動を利用して別方向へ跳び、ほとんど超人的な身のこなしで回避する。
「どうしてあんな速さで走れるんだ?!ありえないだろ!」
すぐ後方を駆けるカズキが叫ぶ。信じられないものを見るように、彼はその異様な敏捷さに目を見張っていた。
和樹:
年齢: 16歳
元第13師団の兵士
現第7師団の将校
ベテラン剣士
「不可能じゃないわ、カズキ。あれはソウルマナを使っているだけ。」
ニラは視線を標的から外さぬまま、次の矢を矢筒から引き抜いた。声は落ち着いているが、その奥には抑えきれない苛立ちが滲んでいる。かつて“常識外れ”と戦った者特有の響きだった。
カズキは眉をひそめ、腰の剣の柄を強く握る。
「ソウルマナで矢を避けて、あんな走り方ができるのか?」
信じられないといった様子で首を振る。
「それでもまるで背中に目があるみたいじゃないか!」
「敵を侮らないこと。」
そう言いながら、ニラは再び矢を放つ。今度は逃亡者の足元を狙った。しかしまたしても、盗賊は正確無比な跳躍で回避する。
ニラは歯を食いしばった。
「集中して、カズキ。これは競争じゃない。任務よ。」
カズキは苛立ち混じりに息を吐いたが、素直に頷き、周囲へと素早く視線を巡らせる。彼女の言葉が正しいことは分かっている。それでも納得できない部分が残っていた。
「分かったよ。でも…どうしてあんな速さで動けるんだ?矢も見ずに避けるなんて…」
手綱を強く握りしめながら呟く。
そのとき――
背後から、雪を踏む軽やかな足音と、枝葉の揺れる音が二人の注意を引いた。
森の奥から、灰色の馬に乗ったフード姿の人物が姿を現す。その佇まいはどこか穏やかで、激しい追跡劇とは対照的だった。
第七師団の癒し手、アユミがようやく合流したのだ。
あゆみ:
年齢:18歳
元第10師団の士官
現第7師団の士官
専門治癒師
アユミは片手で目をこすりながら、もう一方の手で手綱を握っていた。その動きはどこか無意識的で、半分眠ったままのようだった。
「ちょっと…うるさすぎるよ…」
寝起きのように間延びした声で呟く。
カズキは眉を上げ、信じられないという表情で彼女を見る。
「アユミ?どこにいたんだよ?本隊のルートにいるはずだろ?」
アユミは肩をすくめ、眠たげな表情のまま答える。
「近道したの…先に追いつけると思って。」
遠くの逃亡者へ視線を向け、小さくため息をつく。
「でも、思ったより速いみたい。」
ニラは標的から目を離さず、低く言う。
「見ていたなら、どうやってあの動きをしているのか説明して。」
アユミはもう一度あくびをした。緊迫感とは無縁の様子だが、口を開くとその声は正確だった。
「ソウルマナを全身に巡らせてる。特に脚に集中させてるね。筋力と速度を極端に高めて、馬を超えるくらいにしてる。」
フードを直しながら、顎で逃亡者を指す。
「それに、そのエネルギーで動きを滑らかにしてる。無駄がない。」
カズキは感心と困惑が入り混じった表情を浮かべる。
「速さは分かった。でも、どうやってニラの矢を避けてるんだ?見てもいないのに!」
アユミは当然だと言わんばかりに息を吐く。
「感知領域。高度な技術だよ。ソウルマナで体の周囲に“網”みたいなものを張ってる。攻撃がどこから来ても、当たる前に振動で分かる。」
カズキは瞬きをし、説明を頭の中で整理する。
「つまり…起こる前に全部予測してるってことか。そんなの…反則だろ。」
ニラは唇を引き結ぶ。
「反則じゃない。戦術よ。私たちが、もっと賢くなる必要があるだけ。」
アユミは首を少し傾け、今にも眠りそうな様子で続ける。
「それか、疲れさせる。あの技術は消耗が激しいから。無理に追い詰めなければ、そのうち鈍るよ。」
ニラは小さく息を吐くが、緊張は解けない。
「待っている時間はない。」
そして鋭い視線をアユミへ向ける。
「リャは?一緒じゃなかったの?」
アユミは再び目をこすりながら答える。
「ああ…そうだった。別ルートに行ったよ。近道して…」
少し間を置き、思い出すように続ける。
「新しい“おもちゃ”で捕まえるって、すごく自信ありげだった。」
「おもちゃ!?」
カズキとニラが同時に声を上げ、顔を見合わせる。
その瞬間――
森の奥から激しい蹄の音が響き渡った。
雪と霧を切り裂き、前方に一つの影が躍り出る。
馬上にはリャ。すでに勝利を確信しているかのような堂々とした姿。短い栗色の髪が風になびき、満面の笑みが浮かんでいる。
「捕まえた!あははは!」
弾む声が、張り詰めた空気を一気に打ち破った。
リャ:
年齢:15歳
元第10師団の下士官
現第7師団の将校
天才エンジニア
リャは、相変わらず予測不能で活力に満ちていた。両手には奇妙な手製の装置を構えている。金属と木材で組まれ、むき出しの歯車が噛み合うそれは即席のようでありながら、妙に完成度が高かった。単純な引き金はバネとワイヤーに繋がり、今にも作動しようとしている。
引き金が引かれた瞬間――
鋭い唸りを上げて、両端に金属の重りが付いた太いナイロンロープが射出された。高速回転しながら空気を裂き、瞬時に罠を形成する。仕組みは原始的だが、驚くほど実用的だった。
逃亡者はその異音に気づき、一瞬だけ自信に満ちた表情を崩す。しかし反応は異常なまでに速い。横に避けるのではなく、地面へ身を投げ出した。見事な低姿勢で滑り込み、回転するロープの下をすり抜ける。
「はぁ!?下を通った!?」
リャは目を見開き、叫んだ。
標的を失ったロープは、そのまま軌道を変えず――
カズキの馬へと直進する。
脚に絡みつく衝撃。馬は鋭く嘶き、体勢を崩した。勢いのまま雪上へと転倒し、重い体が地面を転がる。
慣性で前方へ放り出されたカズキは、鞍にしがみつくことができず、激しく投げ出された。
そのまま正面から木へ激突する。腹部を強打し、衝撃が全身を貫いた。肋骨が内側へ押し込まれる感覚とともに、息が詰まる。
「ぐっ…!」
雪の上でうめき声を漏らす。
「カズキ!」
アユミが叫び、馬を急停止させる。
その間にも逃亡者は立ち上がり、迷いなくリャの馬へ駆け寄った。彼女が反応する前に鞍を掴み、強引に押し落とす。
「ちょっ――!」
リャの声を背に、盗賊は馬を奪い、そのまま再び疾走した。
アユミはカズキの傍らに駆け寄り、素早く下馬する。先ほどまでの眠たげな雰囲気は消え、表情は鋭い。
「カズキ、聞こえる?大丈夫?」
肩に手を置く。
カズキは苦しげに息を吐く。腹部の圧迫感が強く、呼吸が浅い。
「…平気だ…少しだけ…」
言葉は途切れ途切れだった。
アユミは即座に状態を見極める。動こうとする腕を押さえた。
「動かないで。悪化する。」
内部損傷の可能性を感じ取る。腹部打撲、肋骨の亀裂――呼吸困難の原因は明らかだ。
彼女は膝をつき、集中する。指先から淡い緑の光が滲み出し、周囲の空気を温める。
「落ち着いて。すぐ楽になる。」
その声は穏やかだが、揺るぎない。
やがて金色の光が腹部を包み込む。圧迫感が徐々に和らぎ、鋭い痛みが引いていく。歪んでいた筋肉が整い、ひび割れた骨がゆっくりと修復される感覚。内側から温かな波が広がった。
アユミの額には汗が滲む。それでも魔力を途切れさせない。
やがて光は静かに消えた。
「…どう?」
息を切らしながら尋ねる。
カズキは腹部に触れ、呼吸を試す。
「…だいぶ楽だ。ありがとう、アユミ。本当にすごいな。」
アユミは小さく微笑むが、疲労は隠せない。
「仕事をしただけ。」
額の汗を拭いながら言う。
「でも完全じゃない。ちゃんと休んで。」
カズキはゆっくり頷く。
「任務が終わったらな。……本当に助かった。君がいなかったら――」
その言葉に、アユミの頬がわずかに赤くなる。視線を逸らした。
「大げさ。」
肩をすくめる。
「もう二度と助けさせないで。」
短く言い残し、立ち上がる。
遠くで蹄の音が響く。逃亡者はまだ近い。
「急ごう。まだ終わってない。」
再び馬に跨る。
カズキも慎重に立ち上がった。痛みは残るが、動ける。
追跡は続く。
そして彼らは理解していた。
本当の試練は、まだこれからだと。




