休日ショッピングモール・サバイバル ~妻の買い物という名のデスマーチ~
「水…水をくれ…」
乾いた唇から、掠れた声が漏れる。
俺の体力は既にレッドゾーンだ。
感覚のない足を引きずりながら、俺は前を行く隊長の背中を必死で追いかけた。
ここは地獄のジャングルだ。
空調という名の人工的な風が吹き荒れ、極彩色の光が視界を奪う。
四方八方から聞こえる「イラッシャイマセー」という現地の呪文が、俺の精神をじわじわと削り取っていく。
大型ショッピングモール。 休日。 妻の買い物。
これ以上のサバイバルが現代社会に存在するだろうか。
「ねえちょっと、遅い」
隊長――妻が、鋭い眼光で振り返った。
彼女の装備は軽装だが、その機動力は驚異的だ。
対する俺は両手に無数の紙袋という重りを装備させられている。
中身は彼女の服、靴、そして何に使うか分からない北欧雑貨だ。
「すまない…少し、休憩を挟まないか? そこのカフェで」
「何言ってるの。まだ東館を制圧してないのよ」
妻はフロアマップを広げ、無慈悲に宣言した。
「次は三階、生活雑貨エリアよ。セール終了まであと三十分。走るわよ」
彼女は鬼軍曹か。俺は絶望的な顔で天を仰いだ。
ここに来て既に四時間経過している。
途中、最大の難所である試着室の迷宮では、「どっちが似合うと思う?」という即死トラップの二択を三度もくぐり抜けてきたのだ。
「ほら、行くわよ!」
妻がエスカレーターへ駆け出す。
俺は最後の力を振り絞り、その後を追った。
そして三十分後。
全てのミッションを完遂した俺たちは、駐車場の車へと帰還した。
俺は運転席に雪崩れ込みシートに身を沈めた。
生きて帰れた。その事実だけで涙が出そうだった。
「お疲れ様。はい、これ」
助手席の妻が缶コーヒーを差し出してきた。
そして、照れくさそうに一つの小さな紙袋を俺の膝に置いた。
「え?」
「あんたの靴下。穴空いてたでしょ。…あとずっと欲しがってた銘柄のビール。安かったから」
俺は目を見開いた。
今日一日、自分のものばかり買っていると思っていた妻は俺の装備品の劣化にも気づいていたのだ。 この過酷なサバイバルは俺たち家族の生活を維持するための、彼女なりの戦いだったのか。
「……ありがとう」
俺は缶コーヒーを飲む。生きている味がした。
俺はエンジンをかけた。家に着くまでがサバイバルだ。安全運転で帰ろう。
その時、妻がスマホを見て呟いた。
「あ、大変。卵買い忘れたわ」
手が震える。
「……それで?」
「帰りにスーパー寄って。ついでに夕飯の材料も見るから」
戦場は、まだ続くらしい。




