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26:本当の初対面(2)

 夕食を終え、湯浴みを済ませる頃にはもうすっかり夜になっていた。


「裏切られた気分です」


 ニコルは頬を膨らませながら、アンリエッタに就寝前のハーブティーを淹れた。

 

「謹慎が解けたなら、真っ先に私の元へ来てくださると思ってたのに」

「それはごめんって」

「私が一人寂しく謹慎しているときに、奥様は旦那様とイチャイチャと」

「してない」

「私、本当に一人で寂しかったんですよ?」

「嘘つき。悠々自適な謹慎生活を送っていたくせに」


 アンリエッタはティーカップを手に取ると、フンッとそっぽを向いた。

 後から聞いた話だが、実はニコルの謹慎生活が快適になるようにと、ミゲルが色々と差し入れをしていたらしい。

 高級なお菓子や最近流行りの大衆小説を差し入れてもらったニコルは、結果的に若干太って仕事に復帰した。

 

「ミゲルさん、本当は全部知ってたそうです。盗難事件の犯人はグレイスさんだって。でも、彼女がもっと取り返しがつかないような、決定的な悪事を犯すのを期待してあえて泳がせていたそうですよ?差し入れは、あの時わざと無実を証明しなかったから、そのお詫びだとか」


 ニコルは呑気に「律儀ですよねー」なんて言いながら、ちゃっかり自分の分のハーブティーも淹れて飲む。

 アンリエッタは、そんな大事な事を軽く話す彼女に呆れるしかない。


「もっと怒りなさいよ」

「えー、でもお菓子美味しかったし。正直言って、私もグレイスさんのこと信用してなかったしぃ……」

「ミゲルも十分信用できない男よ」

「でも結果的には丸く収まったわけですし、悪い人ではないと思いますよ?」


 もらった小説もセンスあったし、とニコルは楽しそうに語る。

 自分の大切な侍女があのペテン師に懐柔されている姿を見るのは、少し気に食わない。

 アンリエッタはムッと口を尖らせた。


「すっかり懐柔されちゃって。ニコルの馬鹿」

「はいはい、馬鹿ですよー……。あ、そうだ!忘れてた」


 何かを思い出したニコルはティーカップを置くと、不貞腐れる主人を適当にあしらいながら、新しく用意していた花瓶に花を生けはじめた。

 それは先ほどグレイスが割った花瓶とよく似たデザインのものだった。

 

「あれ?それ、新しい花瓶?」

「はい。割れたと聞いたので余っていた物をもらって来ました。何でも、奥様が好きな色はどちらの青かわからなかったから、二つとも購入していたそうです」

「へえ……」

「ちなみに花は旦那様が自ら摘んで来てくださったものですよ」

「…………そう」


 ニコルは「愛されてますね」と、クスッと笑った。

 いつもならここで「別に愛されてるとかじゃないから」と反論するところだが、今のアンリエッタにはそれができない。

 そう反論できるほど、頭は悪くない。

 彼女は今日の一連の出来事を思い返し、深くため息をこぼした。


 もう流石に、分からないふりはできそうにない。


「.………………ク、クロードって、私のこと好きよね」


 ギリギリ聞こえるくらいの小声でポツリと呟くアンリエッタ。顔を見られないように俯く彼女に、ニコルはニマァッと口角を上げた。


「ようやく認める気になりました?」

「う、うるさい!」

「そりゃあ、認めるしかないですよねぇ?誰がどう見ても奥様に非があるようにしか思えない状況で、迷う事なく味方をしてくれる人ですよ?認めるしかないですよぉ」

「……ニコル。うるさい」

「知ってます?夫が妻の嫉妬を喜ぶのは、妻のことが好きだからなんですよ?」

「……………え?」

「あ、ちなみにぃ、ライラックの花言葉は『初恋』ですよっ!」

「…………………」

「ライラックに意味があるのだとしたら、『俺の初恋は君だよ、アンリエッタ』って感じですかね?」


 ニコルはわざとらしく、キャーッと顔を両手で覆い、恥ずかしがるフリをした。

 アンリエッタはそんな彼女をものすごい表情で睨みつける。


「……あ、やば」


 指の隙間からその形相を見てしまったニコルはすぐに、ピンと背筋を伸ばして姿勢を正した。

 少し揶揄いすぎたかもしれない。


「お、お顔怖いですよー?」

「……」

「やだ、そんなに怒らないでくださいよ。少しからかっただけじゃないですか。はは……」

「…………………………ねえ」

「はい!」

「どうしてライラックの意味のことを知ってるの?」


 ーーーイリスに意味はないよ。でもライラックにはちゃんと意味がある。


 クロードは確かにそう言った。

 だが、その時まだニコルは部屋に来ていなかったはずだ。

 アンリエッタは口角をピクリと動かした。


「ニコル、あなた盗み聞きしていたわね?」

「な、何のことでしょう……?」

「目が泳いでいるわよ。正直に答えなさい」

「……………あっ!!そういえば私、フランツさんに呼ばれてたんだった!それでは奥様、お休みなさいませ!」


 ニコルは光の速さでティーセットを片付けると、わかりやすすぎる嘘をついて部屋を出て行った。

 

「まったくもう。ニコルったら!」


 アンリエッタは無礼な侍女にプリプリと怒りながら、ランタンの火を消してベッドに潜り込んだ。

 そして頭まで布団をかぶり、膝を曲げて体を丸めた。

 心が疲れるようなことがあると、いつもこうして自分を守るように小さくなって眠る。彼女の昔からの癖だ。


「……クロードと私、どこで出会ったんだろう」


 もし彼の初恋が自分なのだとしたら、どこで出会ったのだろう。彼が13歳の時の話だとすると、アンリエッタが10歳の頃という計算になるが……。


「あの頃の自分、すごく嫌いなんだけどなぁ……」


 当時はまだ何も理解していなかった。現実を知らなかった。

 家族や友人からの惜しみない愛情を受け、自分は世界一幸せな女の子だと信じていた。

 だからだろうか。あの頃のアンリエッタは自分に絶対的な自信があった。

 そして肥大化した自意識をどう拗らせたのか、当時の彼女は傲慢にも、自分には恵まれない子どもたちを救ってやれるだけの力があると思い込んでいた。


「ああああ……」


 あの頃に出会っていたのなら、当時の自分を知られていたのなら、恥ずかしすぎる。

 アンリエッタは膝を抱えたまま、一晩中悶々と過ごした。



 *



 一方その頃。アンリエッタが過去の自分を思い出し、悶え苦しんでいるなど思いもしないクロードはテラスに出て、一人晩酌をしていた。

 少しキツめの酒を一気に呷るのは、やりきれない思いがあるからだ。


「信用していたのに。グレイス……」


 まさか、こんな形で裏切られるなど思いもしなかった。

 クロードはテラスの手すりにもたれ掛かり、満天の星々を見上げて大きなため息をこぼした。


「アンリエッタがいなければ、俺は今も路地裏暮らしだった……、という話は何度もしたはずなんだがなぁ」


 アンリエッタがいたから、クロードは商会を立ち上げることが出来て、グレイスを雇うことが出来た。

 グレイスの所属するメイドサービスの事業だって、元を正せば全てアンリエッタの案だ。クロードはそれを形にしただけ。

 つまりグレイスはアンリエッタに救われたと言っても過言ではない。

 それなのに、何が『その女はクロードには相応しくない』だ。何も知らないくせに、勝手なことばかり言いやがって。

 

「相応しくないのは、昔も今も変わらず俺の方だっての」


 

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