23:試してみる?(3)
「次期侯爵……?」
クロードは、はて?と首を傾げた。
ミゲルも、アンリエッタも同じように首を傾げる。
「次期侯爵って、…………誰が?」
ミゲルが尋ねた。するとグレイスは指先をピンと伸ばし、クロードを指差した。
「誰って、クロードよ!当たり前でしょ!?」
「……当たり前」
「そしてクロードの隣で彼を支えるに相応しいのはそこの貧乏人じゃなく、私!私が次期侯爵夫人に相応しいの!!」
グレイスは自分の胸をトンッと拳で叩き、胸を張った。彼女の信者であるメイドたちは、何故かうんうんと同意するように頷く。
クロードはもう呆れ果てて、笑うしかない。
「ははっ。何から説明すれば良いのやら……」
「な、何よ。何がおかしいのよ」
「グレイス。どうしてそんな勘違いをしているのか知らないが、たとえ俺がアンリエッタと離婚してお前と再婚しようとも、お前は侯爵夫人にはなれないぞ」
「………………え?」
「次期侯爵はアンリエッタだからな」
「どういう、こと?」
「どういうことって言われても……、ペリゴール家は例外的に女でも爵位の継承が認められていてるんだよ」
基本的に爵位の継承は男子にしか認められていない。
つまり本来ならば、男子のいないペリゴール家の爵位は必然的に、シャルルの弟の家に移るのだが、ペリゴール家は建国時から続く伝統ある家柄であるため、例外として女子の爵位の継承が認められているのだ。
「つまり、次期侯爵はアンリエッタ。その次の侯爵はアンリエッタが生んだ子どもだ。俺はただの婿養子だし、ペリゴールを名乗ることはできても、ペリゴール侯爵を名乗ることは許されない」
「そんな……。クロードは侯爵になれるんじゃないの?貴族になれるんじゃないの?」
「は?そんなわけないだろ」
貴賤の区別をハッキリとつけているこの国では、何かしらの大きな功績を上げない限り、平民が貴族になれることはほぼない。また、爵位の売買も容易ではなく、いくら金があっても生粋の平民が爵位を買うことはほぼ不可能とされている。
「……まあ、家系図を遡り、どこかで貴族の血が混ざっていれば爵位を買える可能性はあるけどな」
スラム出身で辿れる家系図もない自分には関係のない話だ。クロードは自嘲するように呟いた。
「うそ……じゃあ、どうして結婚したの?」
「そ、それは……!」
「どうしてって、クロードは平民だから、貴族の仲間入りをしたければ貴族の配偶者をもらうしかないからでしょ?ねえ、クロード?」
「………………それだけじゃないけどな」
「え、何か言った?」
「いや、別に」
クロードは不貞腐れたように口を尖らせるもの、アンリエッタは彼のその表情の意味がわからず、首を傾げた。
「そ、そんな……」
ガクッと膝をつき、グレイスは項垂れた。
その様子を見て、アンリエッタは「なるほど」納得した。
「……あなた、別にクロードが好きなわけじゃないのね」
「は?」
「だって、ペリゴール侯爵ではないクロードには興味がないのでしょう?」
「……そんなことないわ!私はちゃんとクロードのことが好きだもの!」
「じゃあ、どうしてそんなにショックを受けているの?」
「そ、それは……!」
「ねえ、グレイス。私はすごく安心したわ。もっと純愛なのかと思っていたけれど、違ったのね」
もしグレイスの恋が純愛ならば、アンリエッタは横から彼女の想い人を掻っ攫ってしまった最低な女になる。
だがこれが純愛でないのなら、アンリエッタはもう彼女に悪いと思う必要はない。
「貴族の仲間入りをしたければ、あなたも貴族の男を捕まえることね」
アンリエッタは彼女を見下ろし、そう助言した。
その言葉が気に障ったのか、グレイスはキッと彼女を睨みつけ、再び襲い掛かろうとした。
だが、振り上げたその手は呆気なくミゲルに押さえつけられる。
「離しなさいよ!裏切り者!」
「裏切るも何も貴女の味方だった事なんて一度もありませんけどね」
「私たち、商会の仲間でしょう!?」
「僕と貴女はただの同僚です。いや、違うな。商会の不利益になる今の貴女は同僚ですらありませんね」
「なっ……!?」
「ところで、グレイス。ちょーっと聞きたいことがあるんですけど…………、これは何ですか?」
ミゲルはニコッと微笑み、彼女の左手の薬指を摘んだ。
皆の視線が彼女の薬指に集まる。
そこにはピンクダイヤの指輪がハマっていた。
「………………え?」
床に座り込んだグレイスは自分の左手を見つめ、大きく目を見開いた。
覚えのない指輪がそこにあることに困惑しているようだ。
「さっき、盗んでないって言ってましたけど……、それならどうして指輪がそこにあるのですか?」
「グレイス……、お前……」
「……え、ち、ちが。ちがう。ちがう。知らない。私、知らない」
「知らないって、そんなわけないでしょ?自分でつけなきゃ誰がつけるんですか」
「違う。違うの!本当に知らないの!!信じてよ!!」
「信じられるわけないでしょう。ほら、君の自慢の部下たちだって君を疑っていますよ?」
「え?そんなこと……。みんな……、みんなはわかってくれるよね……?」
グレイスは縋るように他のメイドたちの方を振り返る。
けれど彼女たちは一歩引いて、軽蔑の眼差しをグレイスに向けた。
「…….え?な、なんで?どうして?どうして信じてくれないの?私、盗んでない。やってない!」
先ほどまでつけていなかったはずの指輪がそこにあるという不可思議な状況にも関わらず、誰も信じてくれない。耐えきれなくなったグレイスはポロポロと涙を流し始めた。
その涙は今まで見せていた嘘の涙などではなく、アンリエッタは泣いて無実を訴えていたあの時のニコルを思い出してしまった。
「ミゲル。もういい。…………やっぱりいい。これは正しくないわ」
アンリエッタは静かに首を横に振る。
ミゲルは小さくため息をこぼして、いつの間にかグレイスの手から回収していた指輪を、アンリエッタに渡した。
「甘すぎ」
「……ごめん」
呆れるミゲルにアンリエッタは謝るしかできない。
「アンリエッタ?ミゲル?どういうことだ?」
「……クロード。グレイスは指輪を盗んでいないわ。私がミゲルに頼んで、彼女に窃盗の罪を着せてもらったの」
困惑するクロードにアンリエッタは正直に話した。
すると、それまで泣いていたグレイスはみるみるうちに顔を真っ赤にして声を荒げた。
「……何よ、それ。サイッテー!あり得ない!!」
厳しい視線をアンリエッタに向けるグレイス。
アンリエッタは彼女の膝をついて目線を合わせると、ジッとその青緑色の瞳を見据えた。
「ええ、そうね。あなたの言う通りよ。私のした事は最低なことだったわ。……でもこれ、あなたがニコルにやったことでしょう?」
「は、はあ?」
「ミゲルに聞いたのよ。刑事さんは事件が起きた時、真っ先に第一発見者を疑うんですって」
「そ、それが何よ」
「確かブラックオパールの耳飾りも、あなたのイリスの髪飾りも、見つけたのはあなただったはずよね?」
「だったら何よ」
「別に、何もないわ。ただ……、こういうことが行われていた可能性は十分にあるなと思って」
そう言うと、アンリエッタはミゲルから受け取ったピンクダイヤの指輪を袖の中に隠し、グレイスに自分の手のひらを見せた。
そして次に、腕を下におろして袖から手のひらに指輪を滑らせると、拳をぎゅっと握り、グレイスの前に突き出した。
「な、何がしたいの?」
グレイスは彼女が何をしているのかわからず、困惑するばかりだ。
アンリエッタはそんな彼女に再び手のひらを見せた。
すると当たり前だが、ピンクダイヤの指輪がそこにはあった。
「こんなふうに捜索するふりをして引き出しを開け、あらかじめ服の袖に隠していた耳飾りを手のひらに滑らせ、あたかも今さっき見つけたかのように見せることは可能だと思わない?」
ブラックオパールの耳飾りもイリスの髪飾りも、手のひらの収まるくらいに小さいものだ。
あらかじめ袖に仕込ませていても、誰も気づかない。
その状態でニコルの部屋に行って本人に鍵を開けさせれば、事前に部屋に忍び込んで証拠となる宝石を隠しておく必要もない。
「私やクロードの立ち会いを待たずに捜索を始めたのは、この方法を勘付かれないようにするためね?あなたに先導された他の子たちは初めからニコルが犯人だと決めつけているから、捜索の時にあなたが多少怪しい動きをしていても気がつかないでしょうけど、私やクロードが見ていたらすぐに怪しいと気づくもの」
「で、出鱈目よ!証拠はあるの!?」
「ないわよ。でもこの方法を使えば、誰でもニコルに罪を着せることが可能だわ。そして、あなたにはそれをしてもおかしくないと思えるだけの動機がある。……違う?」
証拠はなくとも、状況を鑑みれば分が悪いのはグレイスの方だろう。アンリエッタはそう告げた。
グレイスは何も言い返せないのか、静かに俯く。表情は見えないが、彼女がグッと下唇を噛んでいるのはすぐにわかった。




