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「きゃっ!?」


 殴られる。咄嗟にそう思ったアンリエッタは頭を守るようにしてしゃがみ込んだ。

 けれど、痛みはなく。代わりに花瓶が割れる大きな音が室内に響いた。

 

「な、何……?」


 アンリエッタは恐る恐る、目を開ける。

 すると、床には粉々に割れた花瓶の破片が散らばっていた。

 グレイスはその破片を一つ広い上げると、自分の手首に近づけた。


「何を……しているの……?」


 困惑するアンリエッタ。嫌な予感がする。

 グレイスはそんな彼女を見下ろして、不敵に笑った。

 そして大きな叫び声を上げ、破片で腕を切った。


「いやああああ!!やめて!やめてください、奥様!だ、誰か!誰か助けてっ!!」


 手首からタラリ血を流したグレイスは傷口を抑えようともせず、部屋を飛び出して廊下に倒れ込んだ。

 するとすぐに、彼女の叫び声を聞いたメイドたちが次々に駆けつけた。


「グレイス様!!大丈夫ですか!?」

「まさか、奥様……!」

 

 メイドたちはグレイスを抱きしめ、キッとアンリエッタを睨みつける。

 この状況はまるでメイドを虐める悪女の図だ。

 アンリエッタは額を抑え、大きなため息をついた。

 まさかここまでやるとは思わなかった。


「グレイス。とりあえず止血をしなさい。傷口から雑菌が入ると大変だわ。誰か、消毒液と……」

「い、いやっ!」


 傷口を見ようと手を伸ばすアンリエッタ。だが、グレイスはその手を強く振り払った。

 そして近くにいたメイドにしがみつくようにして怯えて見せた。

 しがみつかれたメイドは小さく震えるグレイスを優しい抱きしめ、宥める。


「大丈夫ですよ、グレイス様。私たちがついています」

「じゃあ、貴女でいいから止血を……」

「近寄らないでください!奥様がこんなぬ暴力的な人だとは思いませんでしたわ!」

「ああ!可哀想なグレイス様!」

「……はあ。あのねぇ、騒ぐ前にまず止血しなさいってば。あと、言っておくけれど私は何もしていないわよ。グレイスが勝手に花瓶を割って、勝手に怪我したのよ」

「なっ!?そんなわけないでしょ!?私たちは騙されませんよ!」

「別にあなたたちに信じて欲しいなんて思ってないけど」

「はあ!?信じられない!何よ、その態度!」

「やめて、みんな!私は……、大丈夫だから……」

「でも……!」

「いいの。私のせいでみんなが怒られるのは嫌だもの……」


ロマンス小説でよくある、悪女に虐げられているヒロインのように、グレイスはポロリと涙を流して首を横に振った。

 いっそ感心するほどの演技力だ。アンリエッタは悲劇のヒロインぶる彼女を、冷めた目で見下ろした。


「……これは一体、何の騒ぎだ?」


 ミゲルと一緒に少し遅れてやって来たクロードは、このカオスな状況に怪訝な顔をした。

 グレイスは、これはチャンスだとばかりにクロードの足元に縋りつき、潤んだ瞳で彼を見上げる。


「クロード……!奥様が私に花瓶を投げつけて……!」

「……え?アンリエッタが?」


 クロードは視線をアンリエッタの方へ向けた。

 眉を顰める彼の表情が、アンリエッタの心を締め付ける。


「わ、私は何もしていな……」

「奥様は、私が奥様のピンクダイヤの指輪を盗んだと言って、急に私を責めたてたの。私、そんなことしていないのに……!きっとニコルさんのことで私を逆恨みしているんだわ!!」


 まるでヒステリックな女主人に怯える哀れな使用人のように、体を震わせるグレイス。瞬時にポロリと涙を流せるのは流石だ。最早メイドではなく舞台女優を目指すべきなのではないかと思えてくる。


「アンリエッタ、グレイスの言うことは本当なのか?」

「ち、ちが……。いや、疑いをかけたのは事実だけど……」

「旦那様!私たちはずっと見て来たので知っています。奥様はずっとグレイス様に嫌がらせをしていました!」

「嫌がらせ?」

「はい!昨日だって、奥様のお世話を終えたグレイス様はびしょ濡れになって、更衣室に来ていましたもの!」

「奥様に水をかけられたのです!」

「……そうなのか?グレイス」

「そ、それは言えないわ」

「何故?」

「だって、正直に言ったらきっと、奥様はまた私をいじめるもの」


 水をかけられたかどうかの明言は避けつつも、それが事実であったかのように匂わせる返答だ。

 実に計算高い。アンリエッタはここまで来るともう、逆にすごい才能だなと思った。


「はあ……。まあいい。とりあえず止血をしろ、グレイス。早めに手当しておかないと跡が残るぞ」


 クロードは前髪をかきあげ、小さくため息をこぼすと、ポケットから取り出した白いハンカチを彼女に渡した。

 そして近くにいたフランツに箒とちりとりを持ってくるように伝え、部屋の中に足を踏み入れた。

 

「アンリエッタ。君は怪我をしていないか?」


 クロードはすぐにアンリエッタに手を伸ばし、指先から頬まで、傷がないかを確認する。

 グレイスはその様子に唖然とした。

 どうやら、怪我をしている自分よりもアンリエッタを優先するクロードが信じられないようだ。

 これはまずい。焦ったグレイスは声を荒げた。


「クロード!!奥様は私のことが気に入らないみたいで……!!だから私……、実はずっといじめられてて……。あなたの大切な奥様だってわかってるけど、私もう耐えられそうにないわ……!」


 グレイスは大粒の涙を流し、必死に訴え始めた。涙を拭う手には血がついていた。

 腕を伝い、ポタポタと床に落ちる血液を見て、他のメイドたちは「グレイス様、かわいそう」「奥様はひどい」と叫ぶ。

 だが、クロードはそんな彼女らをうるさいと一括し、グレイスにさっさと止血するよう促した。

 そして見たこともないほど醜悪に顔を歪ませるグレイスを気にも留めず、アンリエッタに向き直ると彼女に尋ねた。

 

「アンリエッタ、君はグレイスが気に入らないのか?」


 随分と直球な聞き方だ。アンリエッタはどう答えるべきか迷った。

 彼のことを思うのなら、嘘でも『そんなことない』と言うべきなのだろう。

 だが、ここで嘘をついても仕方がない。

 だって、すでに悪者のアンリエッタがそうと言ったところで、一体誰がそれを信じるというのか。


(そもそも、気に入らないのは本当だしね)


 もしクロードが彼女の味方をするのなら、それはそれで仕方がないし、どうでもいい。その時は何も反論せず、ニコルと一緒にこの屋敷を出よう。

 アンリエッタは覚悟を決めて、クロードを見据えた。


「そうね、気に入らないわ」

「そうか……」


 言い訳をしないアンリエッタに、メイドたちはまた最低だと騒ぎ立てた。

 けれどクロードはどこか冷静だった。


「それは悪かったな。すぐにメイドを入れ替えよう」


 クロードはアンリエッタの髪をそっと撫でて、あっさりと使用人の入れ替えを提案した。

 その言葉にはグレイスだけでなく、アンリエッタも驚いた。


「…………え?」

「クロード?何を言って……」

「仕方ないだろう、グレイス。だって、アンリエッタはお前のことが気に食わないのだから」

「え……?」

「何だよ。別にここを辞めても、お前には商会の仕事があるし、何も困らないだろう?」

「ち、ちょっと待ってよ。私、怪我してるのよ?」

「は?だから?」

「えっと……、わたし、奥様のせいでこんな怪我をしたのよ?だったら普通、追い出すべきは私じゃなくて奥様の方でしょう?」

「……お前、何を言ってるんだ?ここはアンリエッタの屋敷なのだから、彼女を追い出すわけがないだろう?」

「で、でも、奥様は私に暴力を……」

「アンリエッタはやっていないと言ってる。出鱈目を言うな」

「嘘でしょ?まさか、本気でその女の言うことを信じるの……?」

「は?()()()……?」


 クロードはピクリと眉を動かした。声色も心なしが低くなったような気がする。

 

「ク、クロード?」

「おい。主人を“その女”呼ばわりとは、良い度胸だな?グレイス」

「……え?え?クロード?」

「まさか、お前が立場を弁えることもできない奴だとは思わなかった。信頼していたのに、ガッカリだよ」

「な、何?どうしてそんな怖い顔をしているの?」

「お前こそ、どういうつもりだよ。他のメイドまで巻き込んでアンリエッタを悪者にするなんて」


 クロードは冷めた目でグレイスを見下ろす。握りしめた拳はわなわなと震えていた。

 まさかクロードが全面的に自分の味方をしてくれるなんて思ってもいなかったアンリエッタは、自分を守ろうとする彼の背中をただ呆然と眺めるしかできない。


「ど、どうして?どうしてなの、クロード」

「何がだよ」

「どうしてそんな事を言うの?どうしてその女の味方をするの?あなたは私の味方をするべきじゃないの?」

「どうして俺がお前の味方をするんだよ。俺はアンリエッタの夫なのだから、アンリエッタの味方をするに決まっているだろう」


 クロードは嘲るようにグレイスを鼻で笑う。

 見たこともないくらいに冷たい態度の彼に、グレイスはついに発狂した。


「……り得ない。あり得ないあり得ないあり得ないっ!!」


 グレイスはそう叫びながら、アンリエッタに殴りかかろうとする。

 クロードは彼女を自分の背に隠した。

 また、それまで静観していたミゲルはサッとクロードと彼女の間に入り、彼女を止めた。


「グレイス!ちょっと落ち着いてください!」

「どうして!?どうしてなのよ、クロード!!私の方があなたの役に立ってるのに!!私はあなたに富をもたらすことができるのに!!それなのにどうしてその女を選ぶのよ!?その女はただあなたの金を使うことしか脳のない穀潰しなのよ!何の役にも立っていない!!なのにどうして!!」

「グレイス。もうやめなさいってば」

「そんな女……、そんな女、次期侯爵のあなたには相応しくないわ!!」

 

 グレイスはハッキリとそう言い切った。彼女の金切り声のせいか、室内は一瞬、時が止まったかのように静かになった。


「………………次期侯爵?」

 

 

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