21:試してみる?(1)
ーーー今夜。夕食時にでも、会長を連れて屋敷に帰ります。奥様はグレイスに『宝石がない』と話して、騒ぎを起し、人を集めてください。
と言って、ミゲルはピンクダイヤの指輪を持って商会事務所に帰っていった。
(騒ぎ、か……)
去り際、彼は『もしグレイスが窃盗の容疑をかけられても、軽く受け流すようなら挑発すればいい』とアドバイスもくれたが、果たして自分に上手くソレができるだろうか。
アンリエッタは不安を抱えたまま、宝石箱を眺めた。
そして夕方。自室で寛いでいたところにグレイスがやって来た。夕食の用意ができたことを知らせるためだ。
アンリエッタはそんな彼女を「話がある」と言って引き留めた。
グレイスはいつもと変わらぬ笑みを浮かべて、「何でしょうか?」と振り返る。
ふわりと揺れる彼女のブルーブラックの髪には、イリスの髪飾りが光っていた。
アンリエッタは思わず、その髪飾りから目を逸らした。
「ピンクダイヤの指輪がないのだけれど、知らない?」
アンリエッタはシレッとした態度で尋ねた。
ポーカーフェイスを作れているか、不安になる。
グレイスは表情を変えず、「知りませんけど」と返した。
「……本当に、知らない?」
「知りませんよ」
「でも、あなたが侍女になってから失くなったのだけれど」
「奥様。まさか、私を疑っておられるのですか?」
グレイスは困ったように笑い、肩をすくめた。
「それは流石に酷いですよぉ。私がそんな事をするはずないじゃありませんか。ニコルさんのことがあったから、疑いたくなる気持ちはわかりますが……」
「ニコルは盗んでない!」
「はあ……、奥様。ニコルさんを信じたいからといって、いつまでも私たちを疑うのはやめてくださいっ!」
プンプン、とあざとく頬を膨らませて怒るグレイス。アンリエッタは彼女の仕草に若干の苛立ちを覚えた。
(やっぱり、苦手だわ)
生理的に受け付けないというのは多分、こういう事なのだろう。アンリエッタは小さくため息をこぼした。
「……ねえ、でも疑うのも仕方がないと思わない?」
「どうしてですか?」
「だってあなた、この屋敷を乗っ取ろうとしているじゃない」
「ひどいわ、奥様。どうしてそんな風に思うのですか?」
「今朝ね、あなたの部下が言っていたの。『この屋敷はグレイス様のものだ』って。誰が通るかわからない廊下で、周囲を警戒することもなく大きな声で、まるでこの屋敷の女主人はあなたであるかのように語っていたけれど……、アレはあなたの指導の賜物ではないの?」
アンリエッタは嫌味たっぷりに言ってみた。
するとグレイスは一瞬だけ頬を引き攣らせた。
しかし、すぐにまた困ったような表情を作って誤魔化した。
「誤解ですよ。私は何も言っていません」
「あら。ではどうして皆、この屋敷の女主人は貴女だと思っているのかしら?」
「それは……、私とクロードは昔から仲が良くて、奥様と婚約する前までは、皆んな私たちは結婚するものだと思っていたから……だからそんな事を言うのかもしれないです」
「へえ、そうだったの。ということは貴女とクロードは恋人だったの?」
「そういうわけじゃないですけど……、でも想い合っていたとは思います」
グレイスは言うべきか言わないべきかを迷っているかのように視線を彷徨わせるも、最終的にはしっかりとアンリエッタの方を見据えて言い切った。
正妻を前にこれを言える度胸は褒めてやるべきか。いっそ清々しいほどの宣戦布告である。
「グレイス。あなた、クロードのことが好きなの?」
「いいえ?確かに昔は好きだったかもしれませんが、彼はもう既婚者ですし、私なんかが想いを寄せるなんて恐れ多いことです。……あ、でも彼がどう思っているかはわかりませんけど」
「それはクロードの方が貴女を好きだという事?」
「それは、私の口からは言えません」
グレイスはポッと頬を赤らめて、顔を伏せる。どう考えても、肯定としか捉えられない反応だ。
本当に、言動や仕草がいちいち気に触る。
アンリエッタは静かにグレイスとの間合いをつめると、ジッと彼女の瞳の奥を見据え、フッと笑った。
「なるほどね。あなたのその態度が、他のメイドを勘違いさせているようだわ」
「それはすみません。私はそんなつもりなかったんですけど……」
「でもひとつ、良い事を教えてあげる」
「良い事?」
「過去のことは知らないけれど………、今のクロードは別に、あなたのことなんて好きじゃないわよ」
「なっ!?そ、そんなわけ……!?」
「そんなわけないって?そうかしら?だって、考えてもみなさいな。どこの世界に正妻と愛人を同じ屋敷に住まわせるような馬鹿な男がいると言うのよ」
政略結婚の場合、そう簡単には離婚できない。だから世の男性は愛人を作る時、必ず別邸を構えてそこに愛人を住まわせる。
同じ屋敷に愛人と正妻を置いておくなど、よほど金のない男か、もしくは何も考えていない頭の悪い男かの二択だ。
そして、クロードはその二択のどちらにも当てはまらない。
もし仮に、グレイスの言うようにクロードが本当に彼女を愛しているのなら、わざわざアンリエッタが住む新居のメイドとして雇ったりはしないだろう。
彼ならきっと、ここよりも立地の良い場所に別邸を構えて、そこに愛する女を住まわせるに違いない。
だって、彼にはそれができるだけの財力が十分にあるのだから。
アンリエッタはその事を懇切丁寧に説明してやった。
「残念ね、グレイス」
クスクスと馬鹿にしたように笑うアンリエッタ。グレイスは悔しさと恥ずかしさでカッと顔を赤くした。
「……調子に乗ってんじゃないわよ。貧乏人が」
「あら、それが本性?随分と口が悪いのね」
「所詮は金目当てのくせに!」
「だから何?」
「私はあんたとは違うわ!私はアンタみたいに、お金があるからクロードが好きなんじゃない。彼の性格とか人柄が好きになったの。私の方が彼を愛しているわ!」
「へえ?それで?」
アンリエッタはだからどうしたと鼻で笑う。まるで悪びれる様子のない彼女にグレイスはギリッと奥歯を鳴らした。
一触即発の雰囲気。煽ったのはこちらだが、アンリエッタは思わず身構える。
(これで正解なのかしら)
挑発はしてみたが、騒ぎになってはいない。
アンリエッタは次はどうしようかと頭を悩ませた。
しかしその時だった。エントランスの方から「おかえりなさいませ」という声が聞こえた。おそらく、クロードが帰宅したのだろう。
グレイスは急に大人しくなり、フッと乾いた笑みを浮かべた。
「ああ、そういうこと?」
「……な、何が?」
「急に宝石が無くなったと言い出して、おかしいなと思ってたのよ。ねえ、もしかしてクロードの帰宅に合わせて私を糾弾し、陥れようとした?」
「……え?」
「今朝、ミゲルに頼んで私の部屋に宝石を仕込んだのかしら?」
「どうして……」
どうしてそこで、ミゲルの名が出てくるのか。
アンリエッタの額には汗が滲む。
すると、グレイスは勝ち誇ったようにフンと鼻を鳴らした。
「今朝、偶然見かけたのよ。あんたとミゲルが話しているところ」
「……っ!?」
「見られていたのか、って顔ね。何やら親密そうに話していたじゃない?デキてんの?」
「そんなわけないでしょ」
「でも、私が二人は不倫関係だと騒げばソレが真実になるわ」
「また嘘を言い回るつもり?」
「初めはソレもありかなと思っていたわ。でもどうせなら……」
グレイスはそこまで言うと、キョロキョロと辺りを見渡し、近くにあった花瓶を手に取った。
そしてアンリエッタの方に向き直り、ニコッと笑った。
「ねえ、アンリエッタ・ペリゴール。試してみる?」
「……何を?」
「私とあんた。クロードがどちらを信じるか」
「何を言って……」
「まあ、あんたに勝ち目はないでしょうけどね。だって、私とクロードはもう10年近いの付き合いなのよ?あんたとは歴史が違うのよッ!!」
そう言うと、グレイスは花瓶を頭の上まで持ち上げ、力一杯振り下ろした。




