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20:辛辣な男


「いいんですか?アレを放っておいて」

「……ミ、ミゲル!?」


 油断していたアンリエッタは、突然のミゲルの登場に驚き、大きな声を出してしまった。


「ご機嫌よう、奥様」

「あなた、どうしてここに……?お仕事は?」

「会長の忘れ物を取りに戻ってきたのです。すぐに戻りますよ」

「そ、そう」

「あ、会長は商会事務所ですよ。僕だけです」

「別に何も言ってないでしょう」

「すみません、期待させてしまったかと思いまして」

「どういう意味よ」

「……さあ?」


 ミゲルはアンリエッタをジッと見下ろすと、小馬鹿にしたようにフッと目を細めた。

 彼の不遜な態度に、アンリエッタは眉を身顰める。


「何か言いたいことでも?」

「どうです?調査は順調ですか?フランツから何の報告も上がってこないと、会長がぼやいてましたよ」

「フランツには結論が出るまでクロードには何も言わないでって言ってるの」

「会長の仕事の邪魔をしたくないからですか?」

「……別に、そんなのじゃないわ」

「それで?結論は出たんですか?」

「ニコルの無実を証明できる証拠は見つかってない。でも……、多分メイドの何人かは解雇する事になると思うわ」

「それは態度が悪いからですか?」

「まともに仕事ができないからよ」

「ちなみにその解雇する者の中にグレイスは入ってますか?」

「……グレイスは仕事はちゃんとしてるから」


 グレイスは嫌がらせはしてこない。だから解雇は出来ない。

 アンリエッタは「彼女は優秀だから」と小さくつぶやいた。


「なんか、随分と気が弱くなっちゃいましたね?あなた、本当にアンリエッタ・ペリゴール様ですか?」


 ミゲルは弱々しく俯くアンリエッタの顔を覗き込んだ。

 若干楽しそうにも見える表情の彼に、アンリエッタはイラっとする。

 

「何が言いたいのよ」

「メイドから嫌がらせを受けているそうですね?フランツさんがこっそり教えてくれました」

「……クロードには言わないでよ」

「言いませんよ。だってそんなこと言ったら、仕事を放ったらかして屋敷に戻ってしまうじゃないですか。会長には仕事をしてもらわないと」

「あなたは本当に商会のことが最優先なのね」

「当たり前でしょう。僕は商会の人間なのだから」

「ええ、そうね。当たり前だわ」

「ところで、奥様。実は僕、気づいてしまったことがあるのですが、聞いていただけます?」

「何よ、急に」

「なんか今のお屋敷の状況って、一昨年くらいに社交界を騒がせたバーネット男爵家の話に似てません?」

「バーネットって、あの?」

「ええ、あのバーネットです。愛人のせいで家庭崩壊した男爵家です」


 バーネット男爵家は不名誉なスキャンダルで有名になった家だ。


 その昔、バーネット夫妻はよくある政略結婚をした。

 彼らは互いに恋愛感情こそ持っていなかったものの、相手を尊重し合い、穏やかな日々を過ごしていた。

 だが、その平穏はひとりの女によって壊された。

 その女は夫人が新しく雇い入れたメイドだったのだが、大層美しい容姿をしていたため、あっさりと夫のお手つきとなったのだ。

 夫はすぐ愛人に別邸を与え、二重の結婚生活を送り始めた。

 正直、ここまでならよくある話だが、問題はその後だった。


 女は愛人の立場で満足できなかったのだ。


 分不相応にも正妻の立場を欲しがった女は、いつの間にか本邸に転がり込んできた。そして悲劇のヒロインのふりをして使用人を巻き込み、正妻を追い出そうと企んだ。

 裏では夫人の悪い噂を流しながら、表では日陰者として振る舞う愛人。当主を愛しているのに立場を弁えて一歩引いている姿や、正妻に嫌がらせをされても笑顔で耐え抜く姿には同情の声が集まり……、やがて使用人たちは彼女の味方をするようになっていった。

 そして気がつくと、仕えるべきはずの正妻を攻撃するようになっていた。


「結局、愛人は平民の身分であったためバーネット男爵とは結婚できず、結局は男爵の元から去っていってしまった。一方で政略により結ばれたバーネット夫妻はもちろん離婚できず。心身ともにボロボロにされたバーネット夫人は屋敷に火を放ち自害………って噂でしたよね?」


 ミゲルは「合ってますか?」と尋ね、ニヤリと口角を上げた。

 これはもう、完全に楽しんでいる。そして馬鹿にしている。

 アンリエッタはムッと口を尖らせた。

 

「使用人にいじめられて精神を病み、自害。惨めですよね……。まるで、今の奥様のようです」

「……」

「ではここで問題です。奥様が今、一番警戒すべき人物は誰でしょう?」

「………」

「あれ?わかりませんか?ではもっと具体的に言いましょうか?ニコルさんを排除し、メイドたちがあなたに刃向かうようにし向け、あなたを孤立させて屋敷を乗っ取ろうとしている人物は誰でしょうか?」

「…………グレイス」

「なんだ、わかってるんじゃないですか!」


 良かった良かったと、ミゲルはわざとらしく拍手した。


「心配しましたよー。もしかしたら奥様が実はただの阿呆だったのではないかと」

「……さっきから何なの?喧嘩売ってるの?」

「まさか!そんなことないですよー。あ、ちなみに、どうしてグレイスだと?」

「……庭師も料理人もキチンと自分の立場を弁えて仕事をしている。私に嫌がらせをしてくる使用人はメイドだけ。そして、メイドは全員グレイスが選んだとクロードは言っていた。……それに彼女、クロードのことが好きでしょう?だからよ」


 グレイスの、クロードに向ける視線とアンリエッタに向ける視線の違い。クロードとの仲をアピールするように語られた彼との過去。

 よく考えてみると、いや、よく考えなくとも初めから違和感はあった。

 自分の中の何かが、あの女は危ないと警鐘を鳴らしていた。

 それなのにクロードが信頼しているからと、その違和感に気づかないふりをした。彼が信頼しているなら大丈夫なはずだと、無理に思い込もうとしていた。

 

「きっと無意識に、グレイスと仲良くしなければ彼に何と思われるか分からないと不安になっていたのよ……」


 金目当てで結婚した女が、初恋の女に敵うわけがない。

 ()()捨てられたらどうしようと、勝手に不安に思っていた。

  

「ほんと、馬鹿みたいよね」


 散々クロードなんて好きじゃないと言いながら、彼に嫌われるのが怖いだなんて。

 アンリエッタは自嘲するようにつぶやいた。


「そうですね。普通に馬鹿だとは思います」

「……………え」

「馬鹿というか、滑稽ですね。ニコルさんがそばにいないだけで、みるみるうちにどうでもいい他人からの悪意に飲まれてしまうなんて」


 アンリエッタの独白なんてまるで興味がなさそうに、ミゲルは鼻で笑った。

 こういう時は普通、慰めるものではないのか。アンリエッタは呆気に取られ、ポカンと口を開けたまま彼を見つめた。

 ここまでくるともう、いっそ気持ちが良いほどに冷たい。


「さすがミゲルね。ブレないわ」

「奥様はブレブレですけどね。いつも会長が奥様のことを『芯のある強い女性だ』と言うものだから、勝手に大丈夫だと思い込んでましたけど、意外と打たれ弱いですよね。正直めんどくさいです」

「ひっど。メガネをかち割ってやろうかしら」

「でもまあ、とりあえず何とかカタがつきそうですね!良かった良かった!実はもう直ぐで仕事がひと段落しそうだから、心配だったんですよ。だって、もし会長が帰ってきても問題が解決してないようなら、あの人はあなたを甘やかして自分が動くでしょ?今後のことを考えると、屋敷の管理一つできない女主人はちょーっと迷惑かなと思っていたので。あ、これはあくまで僕個人の意見ですけどね」

「……よく喋るわね。でもそれ、別に本人に言わなくても良いんじゃないかしら」

「それは確かに。そうかもしれないです」

「あと、問題は解決してないわ。ニコルの問題がまだ残ってる」


 メイドの嫌がらせとニコルの窃盗容疑は、また別の問題だ。

 グレイスがニコルを陥れたと証明できる証拠がない状態では、嫌がらせを理由にグレイスとその部下を解雇出来ても、ニコルの冤罪は晴らせない。

 アンリエッタがそう言うとミゲルは、やれやれと肩をすくめた。


「真面目というか、頭が堅いというか」

「な、何よ」

「証拠なんて適当にでっち上げれば済む話じゃないですか。実行役が別にいる可能性は捨てきれませんが、状況的にはグレイスが主犯なのはほぼ間違いないんですから」

「でも……それは正しくないわ」

「正しいか正しくないかなんて関係あります?言っておきますけどね、やっていない事の証明ってめちゃくちゃ難しいんですよ?だってやってないんですから。証拠も何もあるわけないでしょ?」

「わ、わかっているわよ」

「もしかして、ここ数日間を証拠探しなんて無駄なことに費やしていたのですか?」

「無駄って……。あなたが調査しろと……」

「本当にクソ真面目ですね。調査しろというのは証拠を探せという意味ではなく、皆がニコルさんの復帰に納得できるだけの状況を用意しろという意味ですよ」


 ゴールはニコルの冤罪を晴らすことではなく、ニコルを侍女の仕事に復帰させること。

 そのために必要なのは正しさではない。ミゲルはそう言った。


「大体、奥様は警察ではないのですから、あなたが出来る証拠集めなど、自白を促すことくらいじゃないですか?」

「……そ、そんなに畳み掛けないでよ」

「というか、そもそも奥様にあのグレイスを自白に追い込むだけの尋問が出来るんですか?相手が奥様だけなら本性を表すかもしれませんが、ほかに立会人がいたら絶対に本性を表すことはないです。あの手のタイプの女は狡猾で演技派ですからね?……()()()()()()


 淑女の皮はかぶれても、計算高く立ち回ることはできない。

 去勢は張れても、相手を貶めるような嘘はつけない。


 ーーー好きじゃないとは言えても、嫌いとは言えない


 アンリエッタ・ペリゴールはそういう人だ。


「はあ……。まったく、世話が焼ける」


 ミゲルは先ほどまでとは違い、どこか愛おしそうにアンリエッタの頬に手を伸ばし、そして何故か彼女の柔らかな頬を指で突いた。

 アンリエッタは意味がわからず呆然とする。


「え……?な、何……?」

「疑わしきは罰せず、ですよ。無実の証明はできなくても、誰にでも犯行は可能だったと証明するのは簡単かと」

「いや、何故頬を突かれたのかを聞いてるのだけれど」

「奥様。アクセサリーをひとつお借りすることは可能ですか?」

「無視ですか。まあ、もういいけど。……この指輪でもいい?」

 

 アンリエッタは人差し指にはめていたピンクダイヤの指輪をミゲルに渡した。

 

「それ、どうするの?」

「僕に良い考えがあるんです。ちょいと耳を貸していただけます?」

「え、うん……」


 ミゲルはアンリエッタの耳元に顔を寄せ、小さな声でとある提案をした。

 彼の提案を聞いたアンリエッタの顔はみるみるうちに険しくなる。


「…………それ、いいの?」

「いいの」

「本当に?」

「いいからやってください。今こそ役者になる時ですよ」

「でもそんな事をして、クロードを怒らせないかしら」

「どうしてです?」

「だってあの子はクロードの初こ……、幼馴染だし」

「何か、ものすごくくだらない勘違いをしてらっしゃる気がしますが、めんどくさいのでスルーしますね」

「ねえ、一々めんどくさいって言うのやめなさいよ」

「奥様。もし仮に会長があちらの味方をするのなら、そのときは素直に負けを認めれば良いだけですよ」


 もしクロードがアンリエッタの言葉よりもグレイスの言葉を信じるようなら、その時は大人しく身を引けばいい。

 ミゲルはそう言って、またしても意地が悪そうな顔をして笑った。


「振られたら、そのときは僕がもらってあげましょうか?」 

「結構よ。意地悪な男は好みじゃないの」


 誰があなたみたいな人と。

 悪戯っぽく舌を出して戯けてみせるミゲルに、アンリエッタは足先を踏みつけてやった。


「絶対にいつかメガネをかち割ってやるわ」


 

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