19:陰口
ライラの次の侍女は、グレイスの補佐をしているというミアになった。
彼女はこの屋敷のメイドの中ではグレイスの次に偉い立場にいる人で、アンリエッタは少し期待していた。
だが、期待はすぐに裏切られた。
ミアもまた、ライラと同じような粗相をするのだ。
食事を提供する時に音を立てて置いたり、食後の紅茶がぬるかったり、髪を梳かす時に強く引っ張ったり。
ミアも、そんなくだらない嫌がらせをしてくる。
そしてその都度、注意をし、グレイスにもどうにかするよう進言しているが、またしても改善する気配はない。
結局、嫌がらせに耐えかねたアンリエッタはグレイスを侍女に選ぶしかなかった。
「これからは私が奥様のお世話をしますね」
グレイスは湯浴みを終えたアンリエッタの髪をタオルで優しく包み込むと、丁寧に乾かし始めた。
鏡台の前、鏡越しに見るグレイスは慈愛に満ちは微笑みを浮かべており、少し気味が悪い。
「ニコルが戻ってくるまで、よろしくね」
「あら。奥様はまだニコルさんのことを信じているんですか?」
「もちろんでしょ?」
「でも、ニコルさんは奥様の大事なものを盗んだのに……」
「ニコルは盗んでないわ。嵌められたのよ」
アンリエッタはハッキリと言い切った。
グレイスはそんな彼女を、どこか残念なものを見るような目で見下ろし、ため息をついた。
「奥様がそんなだから、皆んなも奥様に不信感を抱いてるんだと思いますよ?」
「……どういう意味?」
「奥様がそうやってみんなの事を受け入れようとせず、拒絶して、疑うから、皆んなも奥様のことを警戒するのです」
「まるで私が悪いみたいな言い方ね?」
「別に、そんなつもりじゃ……」
鏡越しに凄むアンリエッタ。グレイスは瞳を潤ませ、悲しげに顔を伏せた。
その、悲劇のヒロインぶった顔に苛立ちを覚えたアンリエッタは、語気を強めた。
「ねえ、そもそもの話なのだけれど、相手に不信感を抱いていたら嫌がらせをしてもいいの?」
「…….え?」
「だったら、私もあなたに嫌がらせをしても良いってことになるわね?だって、私は今、あなたに不信感を抱いているもの」
「や、やだぁ。そんなこと言ってないじゃないですか。私はただ、奥様の態度が頑なだからみんなが緊張しちゃって、いつも通りの仕事ができていないと言いたいだけで……」
グレイスは慌てて弁明した。だが結局、アンリエッタの方に原因があるというスタンスは変わっておらず、アンリエッタは呆れるしかない。
「そっか。そっかそっか。つまり、私は期待しすぎていたわけね」
「……期待、ですか?」
「ええ。だって、クロードからは高度な教育を受けたメイドたちだと聞いていたから……。それがまさか、不信感とか緊張とか、そんなくだらない理由でまともな仕事ができなくなるなんて思いもしなかったの。もし知っていたら、はじめから身の回りのお世話なんて頼まなかったのに」
アンリエッタはわざと煽るような口調で言った。
暗に、お前たちの仕事に対する姿勢はレベルが低いと言われたグレイスは不自然に上がった口角をピクリと動かした。
どうやらアンリエッタが思っているよりも、仕事に対してのプライドは持っているらしい。
「……それは、その……、申し訳ありません」
「いいのよ。私は気にしていないから。……あー、でも、この事をクロードが知ったらどう思うかしら」
「………それは、どういう意味でしょうか」
「あなたたちは彼が自信を持って紹介してきたメイドでしょう?自分の商会の人間がこんな仕事をしているなんて知ったら、きっとガッカリするんじゃない?」
「そう、ですね……」
クロードの名前を出すのは、流石にズルかったかもしれない。
アンリエッタの言葉に、鏡越しに見えるグレイスの顔が歪んだ。髪を乾かす手にも僅かに力が入る。
後頭部を引っ張られるような感覚を覚えたアンリエッタはくるりと後ろを振り返った。
「グレイス。私も告げ口なんて真似をしたくないの。だから部下の指導をよろしく頼むわね?仕事に私情を持ち込むのは三流のすることよ」
「はい……」
「わかってくれればいいの。じゃあ。もう下がって良いわよ。髪もだいぶ乾いたでしょ?あとは自分でするわ」
「かしこまりました」
グレイスは言われるがまま、素直に片付けを始めた。
そして、ベッド脇のサイドテーブルの上にある水差しの中身を確認し、それを持ち上げた。
「水が少ないので、あとで新しいのをお持ちしますね」
「え?そんなに減っていたかしら?」
「今日は暑いですから、無意識にたくさん飲んだのかもしれませんね」
「そう。あ、でも今日はもういいわ。喉は乾いていないし、明日の朝にまた持って来てくれる?」
「はい、では明日の朝にご用意しますね」
グレイスは「では、おやすみなさい」と言ってニコッと笑い、アンリエッタに軽く頭を下げて部屋を出た。
*
翌朝。食堂に向かっていたアンリエッタは、廊下の片隅で雑談をしているメイドたちに出会した。
「本当、最低よね!アンリエッタ・ペリゴール!」
会話の中に自分の名前が出てきたことに驚いたアンリエッタは、咄嗟に足を止める。
そしてそのまま、回れ右をして物陰に隠れた。
「ちょっと、ライラ。声が大きいよ」
「だって、ミアさんも見たでしょう?昨夜のグレイス様の姿。水をかけられて、びしょ濡れだったじゃないですか!」
「ああ。確か、奥様が水をかけたのでしょう?」
「うそぉ。グレイス様、可哀想」
「耳飾りだってグレイス様が見つけてくれたって言うのに、感謝の言葉なんて一切ないし」
「それどころか、グレイス様があの侍女を嵌めたとか言ってるそうじゃないですか。グレイス様だって被害者なのに。本当に最低!」
「なんかこの前は鞭を持ち出して脅したんでしょ?あり得ないわ。人の心はないのかしら」
「……でも、本当に大丈夫なんですか?」
「何がよ」
「奥様への嫌がらせですよぅ。私たち、解雇されちゃうんじゃ……」
「平気よ。だって奥様にはそんな権限ないもの」
「それ、どういう意味?」
「この屋敷の女主人は奥様ではないってことよ」
「じゃあ誰なんです?」
「誰って、グレイス様よ。この屋敷はもともと、グレイス様のために用意されたものなの。それなのに、奥様が急にここに住みたいとか言い出したそうよ」
「じゃあ、旦那様の本命がグレイス様っていうのは本当だったんだぁ」
「そうよ。当たり前じゃない。だってグレイス様は旦那様の運命の人だもの」
「旦那様は商会のために仕方なく奥様と結婚したの。じゃなきゃ、あんな血筋しか取り柄のない貧乏人を選ぶわけないじゃない」
「なるほど……」
「きっと、旦那様が侯爵になれば、奥様なんてすぐに捨てられるわ」
「そうなれば次期侯爵夫人はグレイス様ですね!」
「奥様と旦那様の結婚は所詮形だけのもの。……二人の間に愛なんてないのよッ!!!」
シンとした廊下に、無礼なメイドの声が響いた。
こだまする自分の声にメイドたちはハッとして、口元を押さえる。そして辺りに誰もいないことを確認すると、慌ててその場から逃げた。
アンリエッタは遠くなる足音を聞きながら、足元に視線を落とす。
彼女たちの話していたことは全てが出鱈目で、事実など一つもない。
最後の言葉だけを除いて。
「……胸が痛むのはストレスせいよ」
アンリエッタは壁に背を預け、胸を刺すった。
政略結婚であることも、愛がないことも初めから知っている。
だから事実を言われたからと傷つく必要なんてない。
アンリエッタは大きく深呼吸をして、顔を上げた。
すると、いつの間にか目の前には人が立っていた。




