17:嫌がらせ(1)
翌日の目覚めは最悪だった。
ニコルの代わりに侍女の仕事を任されたメイドのライラがノックもせずに乱暴にドアを開け、ズカズカと入って来たのだ。
彼女は高度な教育を受けて来たとは思えぬほど乱暴にカーテンを開け、乱暴に洗面用の水をサイドテーブルに置き、こぼれた水も拭かずにアンリエッタを叩き起こした。
アンリエッタはその騒がしさに頭痛を覚え、頭を抑えながらライラを睨みつけた。
「悪いけど、もう少し落ち着いて仕事をしてくれないかしら」
アンリエッタがそう苦言を呈すると、ライラはフッと冷たく笑い、「次から気をつけます」と言って部屋から出て行った。
「……何なの、あの態度。もしかして、昨日の騒動のことを怒っているのかしら」
窃盗を疑われた挙句、犯人は自分たちとは関係のないアンリエッタの侍女だったとなれば怒るのは当然だろう。
だがその怒りを表に出すのはどうなのだ。プティアンジュのメイドサービスは質が高い、という評判は嘘だったのだろうか。そう疑わざるを得ない。
「はあ。今日から調査しなきゃなのに。最悪の気分だわ」
主人にあんな態度を取る人にも話を聞いて回らなければならないのかと思うと、気が重い。
アンリエッタは顔を洗って気持ちを切り替えようと、水桶を覗き込んだ。
だが、すぐに桶から顔を離した。
「何よ、これ……」
いつもニコルが汲んでくる水とは明らかに違う、掃除に使ったかのような濁った水がたっぷりと桶に入っていた。
「……どういうこと?」
アンリエッタはすぐにライラの上司であるグレイスを呼んだ。
*
「ねえ、グレイス。これ、どういうことかわかる?」
アンリエッタはグレイスに水桶の中身を見せた。
するとグレイスはサーッと顔を青くして、深々と頭を下げた。
「も、申し訳ございません!すぐに取り替えて参ります!」
「いや、そういうことではなくてね?ライラはどうしてこんな水を持って来たのかと聞いているのよ。侍女の仕事内容はちゃんと確認したのよね?」
「確認しました。でも多分慣れていないのだと思います。彼女は侍女の仕事をしたことがないので……」
「だからって普通、こんな汚い水を洗面用として持ってくるかしら?もしかして、あの子は井戸の場所をしらないの?」
「すみません。もしかしたら緊張して、汲み取り場所を勘違いしたのかもしれません」
「勘違いって、どう勘違いしたらこんな事になるのよ。仮に場所を間違えたとしても、普通はこんな汚い水で顔を洗うわけないってわかるわよね?」
「すみません……」
「ひょっとして、皆んなはいつもこんな水で顔を洗っているの?だとしたらすぐに改善して……」
「すみません!すみません!あの子には私から注意しておきますので……!」
「いや、責めているわけじゃなくて……」
「すみません。すみません。すみません!……」
説明を求めているに、へこへこと頭を下げて謝るだけのグレイス。
彼女は最終的に、「どうか今回ばかりは許して欲しい。部下の非礼は自分の責任だから、罰するなら自分を罰して欲しい」と言って、あらかじめ用意していたであろう懲罰用の鞭をアンリエッタに差し出した。
「ちょ……!?え?何?」
「お叱りはどうか私一人に」
「や、やめてよ。私は別に体罰を与えるつもりなんてないから!」
ただ、どうしてこうなったのかを聞きたいだけなのに。その上で部下を注意してくれればそれで良いのに。
アンリエッタは「こんなものを持ち出すな」とグレイスに鞭を突き返した。
(……何なの?何がしたいの?)
他の家ではこんな懲罰が当たり前なのだろうか。
使用人に鞭など使ったことがないアンリエッタはただただ困惑するばかりだった。
「もういいから。顔を上げなさい、グレイス。私があなたを呼んだのは、ライラは私の注意なんて聞いてくれないと思ったからであって、あなたを罰するためではないわ」
「しかし、部下の失態は私の失態です」
「そういうの、本当いいから。明日から気をつけてくれればいいから」
「はい。申し訳ございません」
「じゃあ、とりあえず新しい水だけ持ってきてくれるかしら」
「はい。すぐにお持ち致します」
グレイスは申し訳なさそうな顔をして、水桶を抱えると、すぐに新しいものを用意しに向かった。
何故かサイドテーブルに鞭を置いたまま。
「いや、どうして鞭を置いていくのよ」
何故だろう。すごく嫌な予感がする。これは多分、女の勘というやつだ。
アンリエッタはサイドテーブルに置かれたままの鞭には触れず、そのままにした。
そして水を汲み直し、再度部屋を訪れたグレイスにすぐ鞭を回収させた。
「グレイス。ライラにはちゃんと言っておいてね?あなたの言葉なら聞くと思うから」
「はい」
「本当に、頼んだわよ?」
「はい。大丈夫です。お任せください!」
グレイスは自信満々に胸を叩き、ぺこりと頭を下げた。
「大丈夫……よね?グレイスは優秀らしいし、何よりも部下から慕われているとクロードも言っていたし……」
グレイスが退室した後、彼女が閉めたドアを眺めながらアンリエッタはポツリと呟いた。
本当は先ほどからずっと妙な胸騒ぎがしているのだが、それには気づかないふりをしてアンリエッタは顔を洗った。
今やるべきことは、ニコルの無実を証明することだ。だから、他のことにはかまっていられない。
「よし!頑張らなきゃ」
頼れるのは自分だけ。アンリエッタは自分の頬を両手で挟むように叩き、気合いをいれた。