13:無くしもの(2)
「……様、奥様」
陽だまりに包まれて、いつの間にかウトウトとしていたアンリエッタはグレイスの声で飛び起きた。
壁掛けの鳩時計を見る。どうやら十五分くらいは眠っていたようだ。
「こんなところにいらしたのですね。ニコルさんが探していましたよ?」
「ごめんなさい。いつの間にか眠ってしまっていたようだわ」
「何だかお疲れのようですね。眠れていないのですか?」
「環境が変わったからね。でも大丈夫よ。気にしないで。すぐに慣れるから」
アンリエッタはソファの前にしゃがみ込み、心配そうにこちらを見つめるグレイスに心配はいらないと笑った。
その微笑みはニコル相手に見せるものとはまた違った、ペリゴール家の一人娘らしい淑女然としたもので、グレイスは表情を曇らせた。
もしかすると、まだニコルのように心を開いてくれていないアンリエッタに対して、思うところがあるのかもしれない。
2人の間には何とも言えない気まずい空気が流れた。
「グ、グレイスはどうしてここに?」
「実は大事なものを無くしてしまいまして……」
「あら、あなたも?」
「はい。銀製のイリスの髪飾りなんですけど、人から貰った大切なもので……って、あなたも?」
グレイスは顔を顰める。アンリエッタはしまったと口を両手で塞いだ。
だがもう遅い。
「あなたも、って……」
「あ、いや……、その……」
「奥様。もしかして、何か無くされたのですか?」
「ううぅ……」
誤魔化せそうもない。どうしたものか。
(どうせ、これ以上見つからなければ誰かに助けてもらわねばならないわけだし。仕方がないか)
アンリエッタは言いづらそうにしながらも、渋々事情を話した。
「なるほど。そうでしたか」
グレイスはふむふむと真剣にアンリエッタの話を聞いた。
その反応にアンリエッタはホッと胸を撫で下ろす。どうやら軽蔑はされていないらしい。
「私も一緒に探します!」
「ありがとう、グレイス。私もあなたの髪飾りを探すわ」
「本当ですか?ありがとうございます!」
「そ、それでね?もうしばらくは私とニコルとあなただけで探したくて……」
クロードには人から貰ったモノを簡単に無くすような女だと思われたくない。アンリエッタはモジモジと手元をいじりながら、反応を伺うようにグレイスを見た。
するとグレイスは大丈夫ですよ、と優しく微笑んだ。
「内緒ってことですね?」
「ど、どうしても見つからなかったら、その時は私から言うから」
「わかりました。お任せください。秘密は守ります」
「秘密ってほどでもないけれどね」
「でも……、ふふっ」
「……な、何?何かおかしい?」
「いえ、お揃いだなと思って」
「お揃い?」
「実は私の無くしものもクロード……、じゃなかった。旦那様からいただいたモノなんです」
「………………え?」
アンリエッタは一瞬、心臓が大きく跳ね上がったような気がした。これは動揺しているのだろうか。
グレイスはそんな彼女に対し、どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべ、許可も取らずにソファの隣に腰掛けた。
「私とクロードって、昔からの友人なんです」
「……へぇ、そうなの」
「私、クロードと同じくスラム街出身でして……、彼と出会ったのは12歳の時でした」
グレイスはまるで恋する乙女のような瞳をして、遠くを眺めながら語り出した。
スラム街で荒んだ生活をしていたグレイスに、クロードが優しく手を差し伸べれくれたこと。
盗みではなく、商売で生計を立てる彼はスラム出身者では珍しい男であること。
グレイスはそんな彼をずっとそばで支え、彼の商会を大きくする手伝いをしてきたこと。
彼の容姿と財産に惹かれて寄ってくる女はたくさんいるけれど、グレイスはそんな女たちとは違い、彼の優しい性格や聡明なところを尊敬していること。
聞いてもいないのに始まった思い出話はアンリエッタにとってはどうでも良い話のはずなのに、なぜが不快でたまらなかった。
「そう……。貴女も苦労したのね」
「そうですね、多分奥様が想像できないくらいにはそこそこ苦労してきたと思います」
「……」
「あの頃の私はとても荒んでいしました。でも、クロードのおかげでこうして真っ当な人生を歩むことができたのです」
「そっか。じゃあ、彼にとても感謝しているのね」
「はい!」
「もしかして、彼とは特別な関係なの?」
「……え?」
「だって、髪飾りなんてよほど親密な相手でないと渡さないでしょう?まして銀製のものなんて……」
一介のメイドには過ぎた代物だ。どう考えても特別な意味を持って贈ったとしか思えない。
アンリエッタは目を伏せ、心を落ち着かせるように大きく深呼吸をした。そしてできるだけ嫌味な言い方にならないように気をつけ、グレイスの反応を見る。
「それ、最近もらったとなると色々と問題だと思うのだけれど……」
「あ、違います!誤解しないでください!貰ったのは奥様と婚約する前の話ですし、私とクロードの間には何もありません!」
「……そう。ならいいわ」
「信じてくださいね!」
自分の発言の危うさに気付いたのか、グレイスは大きな身振りで慌てて否定した。
初対面の頃の印象とはだいぶ違う、どこか放っていおけない雰囲気を感じるあざとい仕草だ。
アンリエッタは自分とは正反対の彼女を少し苦手だと思ってしまった。
「……大丈夫よ、信じるわ」
「ありがとうございます!……あ、でも……」
「ん?何?」
「実は髪飾りをくれる時、クロードは言ったんです。心はずっと昔のまま変わらないからって」
「昔のまま……?」
「私たちは親友であり家族であり、そしてお互いを尊敬しあえるパートナーです。だから、そういった特別な関係はこれからもずっと変わらないよって意味だとは思うんですけど」
グレイスは頬を赤らめ、恥ずかしそうにモジモジと体を揺らしながら言った。
誤解だと言っておきながら、あえてこの話をする意図はなんなのだろう。アンリエッタは眉を顰めた。
別にクロードが過去にどんな女と付き合っていようが知ったとこではないけれど、こうやってマウントを取るように話されるのは不愉快だ。まして、メイドの分際で夫との親密な関係をアピールするなんて。流石に無礼がすぎる。
アンリエッタはわざとらしく、大きなため息をこぼした。
「パートナー、ね。……ねえ、グレイス。それ気をつけた方がいいわよ」
「え?」
「他所でそんなことを言ったら、あなたはクロードの愛人なんだって思われるわ」
「え!?そんな、愛人だなんて!私は……」
「わかっているわ。でも気をつけて。あなたとクロードがそういう関係だって思われたら、困るのはクロードよ」
「クロードが?」
「ええ。だってそうでしょう?彼は貴族相手に商売をしているのよ?確かに貴婦人の中には不倫こそ真実の愛だと捉える人もいるけど、その反面、不倫を心の底から軽蔑する人だって大勢いる。むしろ後者の方が多いくらいよ。そんな人たちを相手に商売をしている彼にとって、自身の不倫話は死活問題よ」
「……は、はい」
「だから、彼のことを支えたいと思うのなら今後は気をつけてね」
本当は愛人の1人や2人いるくらいで信用が落ちることなどないだろうけれど。アンリエッタはもっともらしいことを言って、グレイスに釘を指した。
グレイスは不服そうにしながらも「気をつけます」と返事をした。
「では、私はもう行くわ。ニコルが探していたんでしょう?」
「はい。先にお部屋に戻られているようです」
「わかったわ。ありがとう」
アンリエッタはできるだけ精一杯の笑顔を作って、コンサバトリーを出た。