10:幼馴染の女(2)
夕方、アンリエッタは屋敷の庭園を散歩することにした。
当初はクロードが案内してくれる予定だったが、急にグレイスに相談があると言われたらしく、散歩は無しになった。
妻よりも使用人の相談を優先する彼の姿に、アンリエッタは内心では面白くないと感じていたが、そんな幼稚な嫉妬を見せるわけにもいかず、結局クロードには『あなたより庭師に案内してもらう方がいいから問題ない』と言ってしまった。
(きっと、こういうところが可愛くないのね)
せめて、『気にしないで』くらい言えたらよかったのに。素直にありがとうが言えたり、困った時に素直に助けてが言えたりする女の子の方が可愛いに決まっているのに。素直になれない自分に嫌気がさす。
アンリエッタは案内してくれる庭師の説明を聞きながら、クロードの執務室の方を見上げた。
すると、ふと窓際に人影が見えた。よく見ると、それはクロードとグレイスだった。
二人は互いに向かい合い、仲良さそうに談笑している。
(密室で二人きりなんて、浮気じゃない)
アンリエッタは顔を伏せ、キュッと唇を噛んだ。
「どうかしましたか?奥様」
初老の庭師は心配そうにアンリエッタの顔を覗き込む。
アンリエッタはすぐに顔を上げて笑みを貼り付けた。
「私の部屋からもよく見えたけど、彼の執務室からもこの庭園はよく見えるのね」
「そうですね。きっと庭園を散歩する奥様を眺められるようにと考えて、あそこに執務室を設けたのでしょう」
「ふふっ。面白い冗談ね。でも、そんなわけないじゃない」
「え、そんなことわけしかないと思いますけど……」
何せ、3日前に急遽あそこを執務室に変更したのだから。アンリエッタが実は花が好きなのかも知れないと知ったクロードは、突然連絡してきて執務室の位置を変えろと言ってきた。
「あの時は流石に少しイラッとしましたよ。こっちはお二人をお迎えする準備終わったところだったのに」
初老の庭師は、その長い白髭を触りながら正直に語る。
あまりにも正直にいうのでアンリエッタは笑ってしまった。
「随分と正直者なのね」
「ええ。そのせいで旦那様しか雇ってくれないのです」
「そりゃそうでしょう。……でも、私は嫌いじゃないわ。仲良くなれそうね」
「それは良かった。自分も奥様とは仲良くなれそうです」
アンリエッタはよろしくね、と庭師と握手を交わした。
*
「クロード、何を見ているの?」
執務室の出窓に腰掛け、窓の下を眺めるクロードにグレイスは首を傾げた。
そして彼女も同じように、窓の下を覗き込む。
するとそこには、庭園を散歩するアンリエッタの姿があった。
「ごめんね。奥様との時間を邪魔しちゃって。奥様にお庭を案内する予定だったんでしょ?大丈夫?奥様、怒っていないかしら」
「問題ないさ。俺よりも庭師に案内してもらう方が良いみたいだから」
「……そういえばそんな事を言っていたわね」
案内できなくてごめんと謝るクロードに、アンリエッタはきつい口調でそう言っていた。
グレイスはあの時の彼女を思い出し、頬を膨らませた。
「ねえ、奥様って結構キツイ性格なの?夫であるクロードにあんな態度取るなんて。私、ちょっとびっくりしちゃった」
「……」
「……もし私が奥様の立場なら、絶対にあんな風に言わないのになぁ」
グレイスは少し甘えるような口調で呟き、そっとクロードの手に自分の手を重ねようとした。実にあざとい仕草である。
だがクロードは彼女の手に気づかず、急にバンッと窓に両手をついた。
意図せず手を振り払われたような形になり、グレイスは戸惑った。
「な、何!?びっくりしたぁ!」
「今、アンリエッタがこっちを見ていたような気がする」
「…………はい?」
「手を振ったら気づいてくれるかな」
クロードは庭の方に向かって思い切り手を振った。
しかしアンリエッタがそれに気づく様子はなく。クロードは「残念だ」と落胆のため息をこぼした。
「……ク、クロード?」
これはどういう事だろう。妻を目で追い、自分の視線に気づいて欲しくて必死だなんて。こんなのまるでアンリエッタのことが好きみたいだ。
(二人は政略結婚じゃなかったの!?)
グレイスは困惑した表情を浮かべ、部屋の奥で書類の整理をしていたミゲルの方を見た。
するとミゲルはニコッと微笑み、グレイスに近づくと彼女の耳元で囁いた。
「心配しなくても、政略結婚ですよ」
「そ、そう……。そうよね」
ミゲルの言葉にグレイスはホッと胸を撫で下ろした。まったく、何を期待しているのか。
ミゲルはそんな彼女の反応を見て不敵に笑った。
(政略結婚ですよ。…………表向きは、ね)