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1:望まぬ結婚


 自然光をふんだんに取り入れるために設置された大きな窓。そこから差し込む太陽の光で目を覚ます。

 重たい体を起こし、続き部屋にいる侍女(ニコル)を呼ぶ。

 そして一杯の白湯を飲んでから、軽く顔を洗った。


(……ダメね)


 いつもなら、どんなに寝不足でも顔さえ洗えば頭がスッキリするのに、今朝のアンリエッタはすこぶる調子が悪い。


「はは、ひどい顔だわ」


 はっきりとした目鼻立ちと、はちみつ色の長く真っ直ぐな髪と群青の瞳。そこそこに整った容姿をしているはずなのに、鏡に映る今の彼女はとても晴れの日を迎える新婦とは思えぬ顔をしていた。


「お嬢様……。大丈夫ですか?」

「……大丈夫よ、ニコル。この部屋の雰囲気が慣れないだけだから」

「ま、まあ確かに、お嬢様のお部屋とは似ても似つかないですものね」


 ニコルは辺りを見渡して苦笑した。

 アンリエッタの生家ペリゴール家は王都にタウンハウスを持たない。そのため、アンリエッタの婚約者クロード・ウェルズリーがホテルを用意してくれたのだが、まさか王都で一番高いホテルの最上階のスイートルームに案内されるとは思わなかった。


「わざわざスイートを用意しなくても良かったのに……」


 アンリエッタは小さく呟いた。

 確かに、ただ派手というだけではなく、所々に王国の古き良き伝統を踏襲している部分がある内装は彼のセンスが光っていて決して悪くない。

 だが残念なことに、質素倹約がモットーのアンリエッタの肌には全くと言っていいほど合わない。


「それにしてもこのホテル、内装費にいくらかけたんでしょうか?」

「きっと、私たちが想像もできないくらいの金額よ」

「想像もできないほど……、ですか。何だか怖いです」

「ほんと……、彼に足りないのは身分だけだったようね」


 一代で莫大な富を築き上げた商会プティアンジュの商会長、クロード・ウェルズリー。

 高身長で顔が良く、頭も良く、金もある。確かに生まれは卑しいかもしれないが、そんなものはアンリエッタのような身分の女と結婚すれば関係なくなる。

 きっと、今日から彼は正真正銘、怖いもの無しの無敵の男になるのだろう。


「そんな男の妻になれるなんて、光栄なことよね」

「お嬢様、本当に大丈夫ですか……?顔色があまりよろしくないようですが……」

「問題ないわ。少し寝不足なだけよ。ほら、昨夜は緊張で眠れなかったから」

  

 心配そうにこちらを見つめるニコルの顔を見てハッとしたアンリエッタは、誤魔化すように微笑んだ。

 

 ーーー淑女たるもの、いつ、いかなる時も微笑みを絶やしてはいけない


 今は亡き祖母の教えだ。


(何を失っても、せめて貴族としての矜持だけは持ち続けないと)


 それを失ってしまっては、自分を保てない。

 アンリエッタは淑女の笑みを貼り付け、強い眼差しでニコルを見据えた。


「さあ、支度を始めましょう?」

「……はい」

 

 ニコルは納得していないような表情をしていたが、結局何も言わずに小さく頷き、すぐに用意を始めた。



 まずは軽く湯浴みをし、全身をマッサージしてもらい、体と髪に香油を塗る。

 下地ができたら、化粧はいつもより少し濃いめに施して、髪はシンプルにまとめる。

 そこまで用意ができたら、後はドレスに袖を通すだけだ。


「はぁ……」


 ニコルが持ってきたドレスを見て、アンリエッタは思わずため息をこぼした。

 貰ったドレスを前にため息をつくなど良くないとわかっているのに、それでも無意識に出てしまうのはクロードの用意したドレスが彼女の好みとは正反対だからだ。


「何度見ても派手ね……」


 確かに、このドレスは全体に小さな宝石が散りばめられていてとても煌びやかで、晴れの日に相応しいドレスだ。合わせて用意されたアクセサリーも、宝石の一つ一つが大きくて、誰が見ても高価であることがわかる一級品。

 だが、まるで財力を見せつけるかのようなそれらは、アンリエッタの目にはとても下品に映った。


(こんなの、まるでお前は金で買われただけの女だ、とでも言いたいみたいじゃない)


 こういうのは普通、自分の瞳の色とか髪の色とか、花嫁が自分のものであることを誇示するような装飾をつけるもの。なのにこのドレスには一切それが無い。

 好きでもない相手に自分の色をつけて欲しくない気持ちはわからなくもないが、今日くらいは大人になればいいのにと、アンリエッタは思う。


「どう?ニコル。衣装に着られていない?」


 ドレスに袖を通したアンリエッタは、鏡の前でくるりと回った。

 こうして着て見ると、意外と悪くないのがまた腹立たしい。サイズ感もぴったりだ。

 

「やっぱり私の顔には似合わないかしら」

「いいえ、お嬢様。本当によくお似合いです。まるでお嬢様のために作られたようです……」


 ニコルはそう言うと、アンリエッタの首元に派手なネックレスを当てた。

 大きなペリドットのネックレスが陽の光に反射してキラリと光る。

 ニコルは鏡に映るアンリエッタを険しい顔で見つめ、消え入りそうな声でポツリと呟いた。


「お嬢様……」

「なぁに?」

「……お嬢様は本当に良いのですか?」

「良いって、何が?アクセサリーのこと?」

「違います。この結婚のことです」

「ふふっ。何を言っているの?ニコル。もう数時間後には挙式なのよ?良いも悪いもないわ」

「わ、私は……!私はやっぱり納得できません!」


 ニコルはその大きな胡桃色の瞳から大粒の涙を流し、とても悔しそうに叫んだ。

 7つも年上なのに、子どもっぽい泣き方をする人だ。アンリエッタはそっと手を伸ばし、指先でニコルの涙を拭った。


「私のために泣いてくれて、ありがとう」

「私はお嬢様には幸せになっていただきたいのです」

「うん……」

「お嬢様は、アンリエッタ・ペリゴール様は、こんな風にお金で買われるような結婚をして良いお方ではないのです。あなた様はこの国、いえ、この世で最も尊い女性なのです。身も心も気高く美しい。本当に女神様のようなお方なのです」

「……あはは。褒めすぎよ」

「それなのにっ……!いくらお家のためとはいえ、あんまりです!私は、お嬢様には誰よりも幸せな結婚をして欲しかったのに!愛し愛される幸せな結婚をして欲しかったのにっ!!……それなのに、どうして……。ううっ……!」


 ニコルはアンリエッタを抱き寄せた。

 耳元で鼻を啜る音がする。もうどうしたって、感情が抑えられないようだ。

 アンリエッタは少し背伸びをして、ニコルの頭を優しく撫でた。ついでに、取り乱した際にシニヨンキャップからはみ出た、彼女の癖のあるオレンジ寄りの茶色い髪を中に戻してやる。

 

「ニコル、ありがとう」

「ううっ……」

「家が傾いて使用人が皆、ペリゴールの屋敷を去っていく中、あなたは大したお給金も出ないのに忠義だけで残ってくれたよね。私、とても嬉しかったわ」

「そんなの当然です!私はペリゴールのお屋敷に来た時からずっとお嬢様だけの侍女なのですから!」

「本当にありがとう、ニコル。ずっとニコルが守ってきてくれたから、私は今日という日を泣かずに迎えられたのよ」


 時には母として叱り、時には姉として優しく抱きしめ、時には友として一緒に笑ってくれたニコル。

 どんなに辛いことがあっても、彼女がいたからアンリエッタは頑張ってこられた。


「ニコル、どうかもう泣くのはやめて?……私は決して不幸なんかじゃないわ。だってこれから先もあなたは側にいてくれるのでしょう?」

「もちろんです!」

「だったら私は平気よ。たとえどんなに馬鹿にされても、愛のない結婚生活が待っているとしても、あなたが側にいてくれるのなら私は幸せよ」


 アンリエッタはニコルの顔を見上げ、歯を見せて笑った。それは作り物ではない、本心からの笑顔だった。

 

「それに物は考えようだと思わない?私が彼と結婚をするだけで、我がペリゴール家は没落せずに済むのよ?」


 元々、伝統あるペリゴール侯爵家の娘として生まれた以上、恋愛結婚ができるなんて思っていなかった。

 あのまま没落することなく生活していても、いずれは家のために好きでもない相手と結婚しなければならなかった。

 だからクロードとの結婚も、たまたま相手が元スラム街出身の成金で、女癖が悪いと噂の男だというだけで、本質的には貴族同士の政略結婚と何ら変わりない。


 ただ少し、周りから馬鹿にされるだけ。ただそれだけだ。


「……結婚するだけで建国時から続く伝統あるペリゴール家と領民を守れるのなら、安いものだわ」


 そう言ってアンリエッタは虚勢を張った。

ふと、窓の外を見ると彼女を嘲笑うかのように、番い鳥がじっとこちらを見ていた。


 

 *



 麗らかな春光を浴びて歩くバージンロード。

 かすかに聞こえる嘲りの声。憐憫の眼差し。

 アンリエッタはそれらに気づかないフリをして、心配そうにこちらを見つめる父、シャルル・ペリゴールの手をギュッと握った。


「お父様、今日の私は綺麗かしら」

「ああ、世界一だよ」

「そう、よかった」

「……エッタ」

「何?」

「周りの目を気にする必要なんてないよ。言いたい奴には言わせておけばいいんだ」

「大丈夫よ。わかっているわ、お父様。私は平気」


 本当は大丈夫なんかじゃないけれど、また平気なふりをして笑う。

 シャルルは「愛しているよ、エッタ」と呟き、アンリエッタの手を離した。


「クロード君。娘を、よろしく頼む」

「もちろんです」


 シャルルの言葉に、クロードは柔らかく微笑み、頷いた。

 そして、アンリエッタに手を差し出した。


「さあ、アンリエッタ。手を」

「……」

「……おい」

「わかっているわよ」


 アンリエッタは心底嫌そうに、クロードの手を取る。

 すると、彼はまるで逃すまいとでも言うかのように、彼女の手を強く握った。よほどこの結婚に賭けているらしい。

 

「ちょっと、痛いわよ。引っ張らないで」

「君が遅いからだ。ったく、今日くらい素直になれよ」

「私はいつでも素直よ」

「はあ?どこがだよ!」


 クロードはやや声を荒げ、アンリエッタの手に指を絡めた。アンリエッタはその指の感触が気持ち悪くて解こうとする。だが彼の力は強く、解けない。

 壇上の神父は小声で喧嘩する二人を見やり、呆れたようにため息をこぼした。


「よろしいか?」


 神父のひと声で、二人はハッとして背筋を正した。


「は、はい」

「大丈夫です。すみません」

「うむ。では。……クロード・ウェルズリー。汝、病める時も。健やかなる時も。富める時も貧しき時も。妻アンリエッタを愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」

「はい。誓います」

「アンリエッタ・ペリゴール。汝、病める時も。健やかなる時も。富める時も貧しき時も。夫クロードを愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?

「……はい、誓います」

「それでは、誓いの口づけを」


 神父の言葉で、クロードはアンリエッタのヴェールをあげる。

 そしてグッと眉間に皺を寄せた。それはとても不快そうに。

 

(失礼なやつ)


 好きでもない相手と口づけを交わさねばならないのはアンリエッタとて同じなのに、なぜそんな顔ができるのか。

 腹立たしく思った彼女は、彼と同じように顔を顰めた。


 そして二人は互いに顰めっ面のまま、誓いのキスをした。

 その様子を間近で見ていた神父は、だめだこりゃ、と肩をすくめた。


 


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