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いつまでも咲く花をきみに  作者: 塩味うすめ
手紙の降る夜
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オランドのあれから


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 終戦宣言がなされた後、志願兵は解散する事になった。セルジュ・オランドは実家に帰る事はなく、ルブランに戻り大学に復学する事もなかった。

 セルジュは勝手に代謝をし続ける体に辟易していた。道端に生えた名も知らぬ草花は自分の知らない所で、芽吹いては枯れていく。世間から見れば今の自分はそれと変わりない、どうでもいい存在。


 ひとりモーターサイクルコートを脇に抱えて見た事のない道を歩く。初めて訪れた街なのだから当たり前の事実だが、セルジュに重くのし掛かる。この街に来てからクロスワードのマスを丁寧に埋めていくように街の通りをその足で踏みしめた。新たな道を通る度、悔恨が刻まれる。ヴァレリーが生まれた子と共に歩む筈だった道。

 もし罪滅ぼしが出来るなら、蓄積したこの意識も消える。全てのはじまり、小さな石が水面に波紋を起こすように自分の意識が原罪なのだと思うセルジュ。それが神がごとき傲慢な思考だとは気付かない。

 張り続けた虚勢は欺瞞に満ちている。復讐心が為に戦意を抱いて、いざ戦いになると醜態をさらした、認めたくなくて自棄になった、何一つ達成できない自分を否定する。


 誰かに否定されるのは怖いから。 


 ヴァレリーの家族が住む街に来て、もう何日にもなる。あの時、ヴァレリーに手紙を託された事を伝える為、軍にヴァレリーの家を聞いてまで街へとやって来た。

 それなのに素直に足が聞いた場所へと向かわない。セルジュはそれを自分への戒めだという、悔恨を刻んでそこから身動きができないようにする為に、それが償いにもなるのだという。  

 

 愚かな臆病者。 


 クロスワードのマスが一つの通りを残して埋まり、セルジュはとうとうヴァレリーの家の前に立つ事になった。数メートル先の呼び鈴を押せば良いのに、腕が上がらない。脳からの指令が伝わらないのか、指令が出ていないのか定かではないが、まるで命令違反をする兵士、替え玉を送ったモリス・クーザンのように裏腹な態度を示してしまう。地面が足元から崩れ去る感覚がしてセルジュはやっと理解する、自分が子どもである事を。

 「情けなくない」とヴァレリーが復讐の出来ない自分に言ったが、それは勘違いだ。自分は情けがある、ないの段階ではなかった。その場その場の感情で周りを振り回す、何の責任も取れない子どもだったのだ。


 稚拙な卑怯者。


 ドニ・ミッテランの死を知り、銃を手に取ったのも、止められる事が分かっていた。出来もしない事をやろうとして、体裁だけを取り繕う。

 モリス・クーザンを罵ったのも、自分より弱い者を作り、優越を感じたかったから。ヴァレリー・フォールの最期を伝えに来たのは、自分を否定されたくなかった。最期の言葉を伝えないと、オレリアンやリオネルに薄情な奴と思われるから。

 すべて自分の事ばかりを考えている。そして今は、ヴァレリーの家族に会うのが怖くて動けない。


「あの、ヴァレリーの知り合いですか?」


 急な声に振り向くと、そこには乳母車を押した女性が立っていた。やさしい声音にやさしい顔つき、本能がこの者が母親なのだと告げる。


「っ!」


 逃げ出しそうになる足を、くい止める。ここで逃げてしまえば終わってしまう、何か魂とか心といった大切なものが、それは死ぬ事よりも恐ろしい。  

  

「あの~」

「...そうです」 

「やっぱり、随分と長旅をしてこられたんですね。どうぞお上がりください、何もありませんが、この子も父親の友達と会えて喜ぶと思いますから」


 母親にほっぺをつつかれた小さな生き物は無邪気に笑う。目の前にいる人がどんな人間でどのような思いを抱えているのか関係なく。


「と、友達というわけでは」

「あら、ごめんなさい。てっきり私ったら」

「いえ、そのヴァレリーさんの事でお話したいことがあって...」


 立ち話もなんだからとセルジュは勧められるままにヴァレリーの家族の住む家に入る「おかえりなさい、外はどうだった?」中から出迎える声が聞こえてきて、驚くセルジュ。ヴァレリーの残された家族が2人だけな筈もない、本当に自分の事ばかりだなと呆れる。  

  

「良かったよ、この子も喜んだみたい。それで今お客さんが見えてらして」

「あら?友達?」

「ヴァレリーの知り合い。せっかくだから寄ってもらった、えっと」

「セ、セルジュ・オランドです」

「オランドさん」

「初めて聞く名ね」

「その...私はヴァレリーさんとはフエフトの戦場で知り合ったのです」

 

 見知らぬ人間を家に上げるなんて、警戒心のない人達だと困惑しつつセルジュはどう話を切り出そうかと考えあぐねていると、ヴァレリーの家族がこちらが聞きもしない話をしてきた。

 今はヴァレリーの母と3人で暮らしているとか、ヴァレリーとは幼馴染みだったのとか、ヴァレリーの寝癖のひどさの話も。ずっとヴァレリーの話、セルジュは居たたまれなくなって、声を上げる


「待ってください!」


 思ったよりも大きな声、驚いた赤子が泣き始めてしまう。慌ててベビーベットへと駆け寄る母親と苦笑いを浮かべるヴァレリーの母。


「ごめんなさいね、あの子も立ち直ったばかりで、こうしてヴァレリーの話が出来るのが嬉しかったのね」

「それは...」


 セルジュはまだ立ち直っておらず、彼女達の事を慮る余裕など持ち合わせていない。言葉に窮して黙り込んでいると母親の赤子を宥める声に泣いているような音が聞こえる。 


「...あなたをこうして家に上げたのも少し前の自分と重ねたんじゃないかしら」

「自分と重ねるですか?」

「ええ、あなたは気付いてないかも知れないけど、生きようとしていない、そんな顔をしているわ」

「.....」

 

 投げ掛けられた言葉に反論できるわけもなく、また黙る事しか出来ない。時間が進んでいく感覚だけが肌を通して伝わってくる。重い空気の中、泣く声だけが響いていた。


「すいませんでした」


 母親が赤子を寝かしつけたようで、落ち着いた様子で戻ってきた。ヴァレリーの母の隣に座り、セルジュへと水を向ける。


「いえ、こちらこそ。それで私の話なのですが」


 セルジュは話す、出来るだけ誇張の無いように期待をさせないように、それは終戦後に初めて見せた気遣い。 

 

「手紙をですか?」

「はい。残念ながら手紙は失われてしまいましたが、ヴァレリーさんは最期まであなた方の事を想っていました、それを伝えたかったのです」

「そうだったんですね...ありがとうございます」


 話を終えたセルジュは突っ掛かりが取れたような心持ちになって、一息つくと窓の外を見る、昼下がりの空がやけに眩しく見えた。 


「セルジュさん、その手紙を届けてくれない?」


 ヴァレリーの母から出てきた言葉に現実に戻されるセルジュ。一体何を言っているのか。話を聞いていなかったのかと顔を見る。そこには見透かしたような微笑み。


「エーギルとリラの手紙のお話を知っているかしら、アルク共和国に伝わる話なんだけど、49年後に届かなかった手紙が降ってくるのよ」

「魔道具ですか?」

「へ~そんなのあるんだ、知らなかった」

「それまで生きて、その手紙を届けて欲しいの。お願いできる?」 



************************************


 あれから49年、色々あった。生きていれば辛いことや悲しいことがある。それは時が経てば記憶から薄れてしまう場合もあれば、ずっと残り続ける場合もある。だが残り続けてもずっと同じではない、少しずつ受け止め方が変わっていったり、異なる捉え方をしたりするようになる。そして、嬉しい事や楽しい事にも出会える。辛く悲しい思いをしても、それは必ずどこかで訪れる。


 生きていれば。

 

 モーターサイクルコートを脇に抱えて、振り返る。あの時の自分がそこにいる。


「ドニ、間違っていなかったよ」


 少しは見れる様になったと思う。何か立派な事を成し遂げたという訳ではないがここまで生きてきた。セルジュは胸の手紙を取り出す。


「ありがとう、ございます」

 

 呼び鈴が鳴る。


◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️



 手紙の降る夜 fin


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