ベソン兄妹
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□■
ベソン兄妹と初めて会ったのは、ルリエーブル魔道具雑貨店の店主になって一年が経った頃だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
店の中を顎に手を添えながら歩くサラ。経営にも慣れてきたので、レイアウトを変えてみようかと練り歩く。ああでもないこうでもないと考えていると突然人の話し声が聞こえてきた。
「誰もいないのだけど?」
「いや確か、ここには年老いた店主がいたはずだよ」
「店と同様に古いのね」
「ああ。ロートルはさっさと引退して欲しいよ」
レイアウトに集中するあまりお客の存在に今まで気づかなかったとはいえ、話された内容に体が固まる。会話は大きな声では無い。近い所、戸棚の裏にでもに居なければ聞こえなかった会話。だが、彼らの言う年老いた店主とは前の店主の事を指しているのだと解る。
「あなた達はお客ですか?」
アインの声が聞こえ、サラは忘れていた呼吸を思い出す。
「え?何か言った?カミーユ」
「あれだよ、ミレーユ」
「あの花瓶、インテリジェンスインテリアなの?」
「そうみたい。趣味が悪いね」
お客なのだろうか。入店早々、店の事を悪く言う人は初めてだ。サラは木製の床を足音がしないように歩き、二つの声の正面へと回る。
「いらしゃいませ。何かご入り用ですか?」
サラの登場に目を大きくし、顔を見合わせる二人。似た面差しで、肩を寄せて話し合う。
「いや、私達は客ではないのですよ」
「店主に用があるのだけれど、呼んでくれますか?」
声色を作り、取り繕われた微笑み。さっきの会話を聞いていなければ、違った印象を受けただろう。
「あの、店主は私です」
弧を描いていた目が開き、値踏みをするように動く。こんな視線を受けるのはいつ以来だろう。二人は大きな手振りをして、笑顔を深める。
「これは失礼いたしました。私達はフィル商会のカミーユ・ベソンと」
「ミレーユ・ベソンと申します」
差し出された名刺にも、同様の事が書かれている。フィル商会は魔道具の他にも色々な事業を手掛けていると聞く。返す名刺もないので、そのまま一歩、二歩と下がりカウンターの中に戻る。
「はい、それでどういったご用件でしょうか?」
「そんなに警戒しないで下さい。素晴らしい提案をさせて頂きたいと思っているのですよ」
「ええ、きっとあなたも喜ぶわ」
帰って欲しい。けど、二人の会話を聞いていた事を告げるのも気が引けてしまう。サラはアインを手前に引き寄せる。
「お店の経営って大変でしょう?」
「そこで私達フィル商会がサポートさせて頂きたいのです」
「フィル商会が長年培った経営ノウハウを基にお店をプロデュースさせて欲しいのです。そうすればお店の売り上げが上がる事は間違いありません。今の10倍も夢ではありませんよ」
「そうです、そうです。こちらの資料をご覧ください。過去、私達がプロデュースしたお店の売り上げ票なのですが、どの店も2か月後には右肩上がりのグラフを示しています」
「その為には、フィル商会に加盟してもらう必要があり、店の名前を変更しなくてはなりませんが些細なことです。今よりも楽に稼げて、良い暮らしが待っているのですから」
一枚の紙をサラの前に出し、ペンを用意する。何もかもが当然のように振る舞う二人。サポート、プロデュース、普段聞かない言葉が思考を乱す。サラの困惑が表情に出ていたのだろう、カミーユが手を打つ。
「何も難しく考える必要はございません。私達ベソン兄妹に任せて頂ければ万事上手く行きます」
「そうです、そうです。さぁこちらにサインを」
「上手い話には裏があるというのは有名な言葉ではなかったか?」
アインの声が二人の口をふさぐ。沈黙に思考が正常に戻され、サラは店の経営を代われと言われている事に気付く。
「結構です。どうぞお引き取りください」
手を前に突きだし、出された紙を返す。不快に感じたのか携えられていた微笑みがミレーユから消えた。
「...何か誤解されているようですね」
再び紙をサラの前に戻そうとするが、カミーユがそれを止める。
「今日はこれで失礼いたします。またいずれ」
そう言い残して、その日は去っていた。それからベソン兄妹は度々、サラにフィル商会への加盟を勧めてきた。その度に断るのだが、全く引く気はなかった。やり取りを見ていたアインは言う。
「誤解ではない、互いに理解出来ない」
間違った解釈なら正す事が出来る。だが、理解が及ばないものはどうしようも出来ない。1+1=2の世界に1+1=3の世界は存在しないのだからと。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「サラ、どこに行くのかしら?」
アンリの声に立ち止まり、後ろに振り返る。ベソン兄妹の事に囚われて、いつの間にか宿を過ぎていたようだ。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□■