セルジュ・オランド
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景色が雨からカウンターの木目へと流れ着いて幾分過ぎた頃、ドアベルが「お客さんだよ」と声をあげた。相変わらず拍子外れの声。ドアの前では919年物の【パロットベル】の声に、傘を持った白髪の老人が耳を傾けている。
「ようこそ、ルリエーブル魔道具雑貨店へ。そのパロットベルがお気に召しましたか?」
「ああ、いや。ずっと昔、幼い頃に家で聞いていた声に似ていたのでね」
「ここには年代物の魔道具も置いていますので。ゆくっりとご覧ください」
「ありがとう。では、そうさせて貰うとしよう」
サラは側へと寄り、傘と濡れたコートを預かる。年季の入ったモーターサイクルコート、不自然に濡れた所が乾いていく。それを見たサラはこのコートが魔道具であると同時に大切にされてきたのだとわかる。
大切にしていた物が、いつしか魔道具なっていたという話はよく聞く話で、童話や英雄譚にも登場するぐらいだ。
「良いコートだろ?」
「ええ、素敵ですね」
カウンター横の傘立てに傘を差し、衣紋掛けにモーターサイクルコートを掛ける。木製の床の軋む音がして、店の中が空気が少しだけ張りつめる。サラは帳簿を手に取り、自身の存在を希薄にした。
穏やかな時間が流れて、雨の音が小さくなりはじめる。視線を感じ、サラが顔をあげると、白髪の老人と目が合う。
「お嬢さんはここの店主なのかい?」
「はい、そうですが」
「お若いのに。いや、すまない。軽んじているわけではないのだよ」
「お気になさらいで下さい。誉め言葉として受け取っておきます」
白髪の老人は胸を撫で下ろすように息をつくと、姿勢を正す。
「ありがとう。私はセルジュ・オランド。つかぬことを聞くがお嬢さんは、一の年の7月8日が何の日か知っているかな?」
「グロンダン王国との戦争が終わった日だ」
サラが考えを巡らす暇もなく、インテリジェンスインテリアのアインが答えた。オランドは声のした方向を見て不思議そうな顔をしている。
「驚かせてごめんなさい。この一輪挿しはインテリジェンスインテリアなのです。ご存知ですか?」
「あ、ああ。話には聞いたことがあったが、実際に見たのは初めてだ」
「はじめまして、私はアイン。見ての通り一輪挿しの花瓶だ」
オランドは嫌な顔をせず興味深そうにアインを見つめており、サラはその様子に安堵した。インテリジェンスインテリアを毛嫌いする者がいる為、初めてのお客には毎回気を揉む。
「...それでグロンダン王国との終戦日に何か?」
アインからサラへと視線を移すとオランドは相好を崩したが、やがて沈痛な面持ちとなる。
「嬉しいものだね。覚えてくれている人がいるというのは...いや、忘れていてくれた方が良かったのか」
49年前。とある村を舞台に行われた戦争は、起きた事すら知らない者が多くいる小規模なものだった。
今は良好な関係を築いているルブラン王国とグロンダン王国。当時の事について語る者は少ない。多くの国民にとってはどうでも良い出来事なのであろう。事実、終戦を記念する式典も開催されず、歴史の隅に追いやられている。
サラ達が終戦した日を知っているのは、戦争と関わりのある魔道具を取り扱った事があるからだ。アインもその時に聞いた話を覚えていたのだろう。
「オランドさんは戦場に?」
衣紋掛けのモーターサイクルコートが、軍人であった事を物語っている。オランドは柔らかな目をして頷く。
「少しいいかね?私が魔道具店に来た理由にもなるのだが、聞いてくれるかい?」
「ええ、そうですね…少しなら構いませんよ。どうぞ、そちらのテーブルへ」
オランドが商談用に備え付けたテーブルセットに座り、サラが店の看板をしまう。パロットベルが「店じまい、店じまい」と拍子外れの声をあげる。
「お店はいいのかい?」
「お昼まで。もうしばらくすれば、雨は止みそうですし」
「損はさせないつもりだよ」
「それはありがたい話です。ご一緒にいいですか?」
「ああ、もちろん。綺麗なミモザだね」
アインを手に取ったサラは、テーブルへと移す。黄色い花がオランドの白い髪に映える。
「ありがとう」
「アイスティーはいかがですか?」
「気を遣わせて、すまないね」
「いえいえ。儲けさせてくれるのでしょ?」
オランドは微かに笑うと、店の扉の方を向く。今一度、パロットベルを見ているようだ。映画の始まり前に似た一瞬の静けさが雨の音を際立たせる。
「私の生まれ育ったフエフトはグロンダン王国との国境沿いにある長閑な所でね。干拓用の風車がいくつも回っているような田舎だった。よく風車の屋根に上がっては、そこからチューリップの花畑を眺めたものだ」
懐かしむ表情の中に寂しさが見てとれるのは、もう二度とその景色は見る事が叶わないから。
「戦争が起きた当時、私は首都ルブランの大学に通っていてね。家族からの手紙でフエフトが戦禍にさらされている事を知った」
「ニュースにならなかったのか?」
「一応なってはいたよ、でも話題にはならなかった。都会に住む者にとっては無関係な話だったのだろう。政府も不安を煽るような真似は禁じていたしね。私も家族からの手紙を受け取るまで、ちょっとした揉め事が起きた。その程度の認識だった」
「サラ、そんなものなのか?」
「まぁ、多くの場合はね」
無線放送や新聞によって世界の情勢は伝えられているが、そこに誰の意思も介在しない事などない。誰かにとって都合の悪い話は、世間に広まらない事もある。それは人の意思を超えて、見えない大きな力が働いているようかの様に。
「それで手紙を読んでからというもの、私は心ここに在らずといった有り様でね。大学を休学して兵士になることにしたんだ。そうして志願兵になった私は補給部隊に回された。前線に物資を届ける比較的安全な部隊に配置されたんだが、血気盛んだった私はそれを不満に思い何とか前線に出れないものかと日々を過ごしていた」
まだサラが生まれてもいない頃の話で、戦争について考える事もそれほど無い世代にとっては遠い出来事の話。
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