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2−1執事喫茶

ツクヨミは静かに過ごすのが好きだ。普段は自分を祀っている神社の、特に小さな社殿を転々としながらのんびりと過ごしている。だが年に数日は姉神のの指示で働く日がある。姉神の指示に従わなかった場合の事は考えるだけで恐ろしいので、従わないという選択肢はない。


元旦は各々の祀られている場所で良い。どこでも人が押し寄せるから。だが、大きな神社の大きな祭り、その神社に祀られている神は強制参加だ。


年明け間もない一月十日。関西地方では何箇所か同時に同じ祭りが実施される。えびす祭りという商売繁盛を祈願する祭りである。事代主や大国主は西宮、大阪、京都の全てに祀られていて忙しそうだが、ツクヨミは大阪の今宮戎神社にしか配されていないので、三日間そこで仕事をしている。


仕事というのは祭りに押し寄せる人々に加護を与える事。真面目にしようが、手抜きをしようが、姉神は飛び回っていて気づかないだろう。故に真面目な顔をして座りながら、大体の祈りを聞き流していた。


参拝者の殆どは事代主に呼びかけているのだから、自分が出しゃばる必要もないと考えている。そして名乗りもせずにお願いだけを言っていく様な無礼者に加護を与えるつもりもなかった。そういう者は祭りの雰囲気に流されているだけだろうから。


「商売繁盛、商売繁盛、商売繁盛、事業成功、家内安全、商売繁盛……んっ?」


押し寄せてくる人波を眺め人々の欲を聞き流していると、自分を名指しした上にきちんと名乗る声が聞こえた。


声の主を探せば、熱心に祈る髪の短い女性だった。手を合わせて下げている頭はココア色で、グレーのコートに白っぽい小さなバッグを持っている。願い事が終わって頭を上げると肩口で髪が揺れた。美人とも言えないが、気を使って整えている事は判る顔立ちだ。


名指しをされた上に、礼儀も持ち合わせている。私が真面目に仕事をする条件は揃ったが、願い事はどうしたものかと悩ましくなる様な内容だった。

だが、あまりに切羽詰まった様子で、放ってはおけず、仕方ないと首を振りながらシャリンと鈴を鳴らし、三日月印を描いて立ち上がった。


西宮から飛んできた姉神には睨まれたが、「どうせ皆は事代主にしか用事はないだろう」と言い訳をした。その向こうで弟神が笑って手を振っているので、後のことは任せることにしてココア色の髪の毛を追いかけた。


さて、彼女はどの様な趣向の店で話をしようか。先日の話をしたら龍神が様々な食器をくれたから、それらを使ってみたいと考える。そう言えば、この辺りにはコンセプトカフェなる、会話を楽しむ喫茶店が多いと弟神達が話していたか。


ココア色の頭は術をかけた鳥居を通って出て、似て非なる世界の路地を歩きはじめた。少し幻術世界の通行人を増やしてゆっくりと歩いてもらおう。


女性を追い越して飛びながら現実そっくりな幻術世界の景色を眺めていると、件のコンセプトカフェなる喫茶店を見つけた。中に入れば少々想像していたのと違う。鮮やかな色使いの落ち着かない空間だった。店の一辺は何に使うのか五十センチほど高くなったスペースがある。


「こんなところで会話を楽しむとは最近の人間は随分と変わったものだ」


独り言ちたツクヨミは隣にもコンセプトカフェが連なっている事に気付きそちらに入った。そちらは岩を模した壁に酒樽を模したテーブルが並び椅子すらない。


一軒目はアイドル系メイド喫茶、二軒目はRPGをコンセプトにした店だ。ツクヨミは何件か見てまわり、細い路地にある店を使う事にした。


ツクヨミが落ち着ける事と、龍神から貰った不思議な食器が似合いそうだと決めた。窓は無いが吊り下げられたお洒落なランプシェイドで十分に明るい。板張りの床と少しレトロな壁紙。縁と脚に細工が施されたテーブルと大きめの白いソファ、テーブルとソファのセットは十分な間隔を空けて六組が置かれている。


「ふむ。可愛らしさが足りぬか」


シャラリと鈴を鳴らしてソファに大きなウサギのぬいぐるみを置いた。テーブルに置かれていたメニュー表を筆で一撫でして書き換えた。


最後に表に出て看板を書き換え、そしてドアにベルを取り付ければ準備完了である。歩かせ過ぎたかなと心配しつつ、己の姿を店に似合うように変えてお客が来るのを待つ事にした。


神社から二十分ほど歩いた女性は裏路地で唐突に足を止めると、右側にある扉の横に立てかけられた看板に視線を向けて首を傾げた。


【執事喫茶ツクヨミ】


精神的に参っている中、人ごみに出てヘロヘロになっていたせいか、普段なら絶対入らない様な店に吸い寄せられた。レンガ調の外壁の左側に付いている扉を押し開ければ、カランコロンと軽やかなドアベルが鳴る。


「おかえりなさいませ、お嬢様」


入口すぐに立っていた青年が優しげな微笑みを見せた。スラリと細身で背の高い青年が燕尾服を着て如何にも執事といった雰囲気で佇んでいる。優雅で高貴そうな雰囲気で整った顔立ちの男性に微笑まれて、冷静でいられる女性はこの世にどれくらい居るだろうか。失恋したての女性であっても思わず恥じらってしまったとて、仕方のない事だろう。


「お疲れでしょう?どうぞこちらへ」


微笑む美形の執事に案内されて、何も言えないうちにソファに座っていた。案内されたソファは二人がけでもゆとりのあるサイズだが、大きな白いウサギの縫いぐるみが座っていて、それが一人用のスペースとして用意されていると示されていた。


執事風の店員が水を用意しに離れた事で、少し落ち着いて辺りを確認する余裕ができた。自分以外にお客が居ないのが心細くて、思わずウサギの手を握ると想像以上に手触りが良い。大きさ的にも質的にも自分では絶対に買えない縫いぐるみだ。触りたい、なんなら抱きしめたいと思うのも普通の事だろう。縫いぐるみに気が行った事ですっかり落ち着きを取り戻した。


執事風の店員が銀のお盆に水の入ったグラスとオシボリを乗せて戻ってきた。


「ご注文がお決まりになりましたら、テーブルのベルでお呼びください」


水とおしぼりを置く所作や柔らかな微笑み、丁寧で優しい声。思わず自分が特別な存在になった様に錯覚してしまう。なるほど、これは散財する人も出る訳だと納得する光景だった。


「あの、この子抱っこしても良いですか?」


店員が微笑みながら頷いた瞬間に、大きなウサギは客の膝の上で抱きしめられていた。客はウサギの頭越しにメニューを眺めている。眺めだして一分も経たないうちに、客は頭を上げて店員を見上げた。テーブルの上にあるアンティークなベルの出番はなかった。


「アフタヌーンティセットをお願いします。紅茶はダージリンで」


神社で祈っていた時、この店に入って来た時とは別人の様な明るい雰囲気になった事にツクヨミは驚いたが、微笑んで注文を受けた。


客はSNSで見たお洒落なディッシュスタンドを想像して、少し気持ちが明るくなっていた。ツクヨミの方も龍神からもらった綺麗な食器を使える事を喜んでいた。ツクヨミは白い陶器の皿に槌を振るってはディッシュスタンドにセットしていく。ただ、お茶は人と同じように淹れようと湯を沸かして準備をしている間、客は存分に縫いぐるみを抱きしめていた。


縫いぐるみセラピーという言葉もある通り、柔らかな毛並みを撫でているうちにすっかりとリラックスしていた。


さすがに、ディッシュスタンドが運ばれてくると、ウサギのだっこは終わりになった。ツクヨミは食べにくいからと思ったが、客は汚したら弁償できないと思っていた。


そうして客の目の前には三段のディッシュスタンド、その手前に一枚のお皿とカップが、ディッシュスタンドの横にはクロテッドクリームとジャムが盛られたお皿、それからティーポットが置かれている。このセットに対して五千円という価格が高いのか安いのか、実はツクヨミも客も判っていない。


ディッシュスタンドはオーソドックスなスタイルで、下の段にはサンドイッチ、中段にスコーン、上段にはケーキが乗っている。どれも一口サイズだが、一人で食べ切るには少し多いようにも見える。


「お嬢様、何から召し上がりますか?」


豪華なテーブル上に見とれていたら、横から声を掛けられて、えっ?と横に立つ店員を見上げた。


「お好みの物を仰って頂ければ、私が給仕いたします。執事ですから」


またニコリと微笑みかけられたが、客は配膳された時の楽しそうな表情を一転させた。


「これって、お作法、食べる順番とか決まっているのですよね?」


「正式な作法はあるかもしれませんが、ここでは、お好きなものをお好きなだけ選んでください。作法に拘る必要はありません。雰囲気を楽しむのがコンセプトカフェというものでしょう?」


話しながらも、ポットからカップにお茶を注いでいる。某刑事ドラマの様に高くポットを持ち上げて紅茶を三十センチくらい落下させながら。その注ぎ方が正しい作法なのか、雰囲気づくりなのかは判らなかったけど、客は雰囲気を楽しむことにした。


「じゃあ、ハムとトマトのサンドイッチをください。あとはスコーンと、ケーキは全部食べます」


「おや?サンドウィッチはお嫌いでしたか?」


ツナサンド、たまごサンド、サラダサンドを選ばなかった客に向かってツクヨミは不思議そうな顔を向けた。キョトンという表現ぴったりの表情だ。


「キュウリが嫌いなんです」


「お嬢様、キュウリはビタミンÇが豊富なので、美容に良いのですよ。と好き嫌いを諌めるのも執事なのでしょうが、私はお嬢様に甘い執事なので、お嫌いなサンドウィッチの代わりに、後ほどマカロンでも持ってきましょう」


少し目線を下げて恥ずかしそうに答えた客にツクヨミはニコリと笑顔を向けた。戯けた様な口ぶりは、執事という役割を楽しむ冗談である。そんなツクヨミの冗談に笑う様子と、神社で聞いた『自分を振った男が不幸になりますように』なんて願い事は結びつかなかった。


ケーキを食べ始めた頃、ツクヨミはお茶の種類を変えないかと提案した。甘いケーキなので少し渋めのお茶が合うのではないかと言われて、客はその勧めに従った。


確かに少し渋みのあるヌワラエリヤはケーキの甘みを上手く引き立てた。


その後も最初に言った通り、マカロンを出してきて更に何種類かの紅茶を楽しんだ。そうして五種類目の甘いミルクティーを飲んだ所で客が泣き出した。ツクヨミはマカロンに感情を引き出す術を掛けていたのだが、それがようやく効いた状況だ。


泣き出した客の膝にウサギの縫いぐるみを乗せて、ツクヨミは隣に座る。決して近すぎない距離、拳二つ分空けた所だ。


「明日、頑張る為にここで吐き出してはいかがですか?」


ツクヨミは客の顔を見ずにハンカチを差し出しながら言った。隣に座ったのも泣き顔を見られたくないだろうという配慮だったが、客にその気持が伝わっているかは不明である。


「七年……七年付き合ってた彼氏に振られたの。しかも、浮気されて。もしかしたら私の方が浮気だったのかな」


顔にハンカチを当ててからウサギの後頭部に突っ伏しながら客は答えた。両手はウサギの両手を強く握りしめている。ツクヨミは何も言わないし、何もしない。


「七年はひどいと思わない?普通に結婚して、普通に家庭を持ちたいってずっと言ってたの。結婚するつもりがないなら別れようって何回も言った。その度に考えてるって言われて、その言葉を信じてたのに。昨夜他の女との間に子供ができたから別れようっていきなり言われてさ。ほんっと腹が立つ。……私、人生で初めて、人の不幸を心底願ってるの」


ウサギの後頭部に吸収された声はくぐもって聞こえるが、そこに込められた怒りの感情は確かな物だとツクヨミは感じた。それと同時に人の不幸を願う自分に対する嫌悪感もあるように聞こえた。


善良で優しい人なのだろう。この客が後悔しないしないようにするには、失恋のプロとも言える神に助言を求めるべきだ。


「お嬢様。私の個人的な意見としましては、過去に囚われて復讐をするのは愚か者のすることです。ですが、お気持ちは分かりますので、一つおまじないを教えて差し上げましょう」


そう言ってポケットから薄黄色の小さな石を取り出した。縫いぐるみのウサギの手を握りしめている左手を掴んで、手のひらに乗せる。手のひらにヒンヤリした微かな重みを感じて客は顔を上げた。


「お嬢様の気持ちをよく分かって下さる神様がいる神社が宇治にあります。そこへ行ってこれを賽銭箱に入れてください。きっと力になってくれますから」

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