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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夜に咲く花が朝を迎えれば。

作者: 夕藤さわな

 朝に咲く花、昼に咲く花、夜に咲く花。

 私は夜に咲く花として育てられた。


 約一年の机上訓練の後、半年の実地訓練を経て独り立ちをする。その実地訓練が始まってからというもの先生と共に約一年暮らした部屋から目的の場所近くまで先生の車で送ってもらっていた。

 私が根を張るべき場所。摩天楼の足元ですがるように、しがみつくように広がる路地裏の闇夜。目的の場所とはそんな場所。


「お前は強い」


 車の音。窓の外を流れて行く街の灯り。人々の声。信号の点滅。先生の隣。車の助手席で嗅いで、聞いて、見たもの全て。


「お前は美しい」


 好きな色。好きな音。好きな匂い。


「お前は私の一番優秀な教え子だ」


 好きな言葉。

 そして――。


「大切な存在だ」


 好きな人。

 大きくて骨張った手に撫でられてぎゅっと目をつむってはにかむ。左手の薬指に光るものは見ない振り。

 車を降りたら決して振り返らないように、早足にその場を立ち去り目的の場所に向かうように、と何度も先生に言われた。私と先生が一緒にいるところを見られてはいけない、記憶されてはいけないから、と。

 だけど、私はこっそりその言い付けを破っていた。


 夜の匂い。車の音。街の灯り。人々の声。信号の点滅。先生の車が走り出す音。耳を澄ましてその音を確認して――。


 参、弐、壱。


 心の中で唱えて先生を見送るために振り返って――。


「なんてざまだ。こうなってはもう廃棄するしかないじゃないか」


 冷ややかな声と銃口の感触に凍り付く。


 ***


「~~~っ!」


 声にならない悲鳴をあげて飛び起きた。

 聞きたくなかった言葉。火薬の匂い。遅れて認識した発砲音と視界を染める赤色。

 次に意識を取り戻した時に感じた土の匂い。息苦しさ。浅い呼吸音と心臓音。視界を塞ぐ黒色。

 いまだにそんなものを夢に見て毎日のように飛び起きる。爽やかな寝覚めなんてこの十年間、一度として経験したことがない。


『帝国崩壊から十年。帝国時代の軍幹部ら十一名の死刑が執行されて明日で一か月が経とうとしています。現在も逃走中の帝国派の動向に政府や警察は警戒を強めており――……』


 消し忘れたまま眠ってしまったのだろう。夕方のニュースの内容にため息をついてテレビの電源を切った。

 窓から見える空は夜へと落ちて行く途中の黄昏色。悪夢のせいでぐっしょりといた汗を洗い流して、そろそろ出掛ける準備をしないといけない。


彼女たち(・・・・)にも目を醒ましてもらわないとですからね、っと!」


 そんなことを呟きながら私は勢いをつけてベッドから起き上がった。


 ***


「ねえ、おにーさん。隣いい?」


 ざわついたホールの隅でアルコールのビンを傾けていた私の隣に一人の少女が滑り込んできた。


「……〝おにーさん〟ではないけど」


 〝隣いい?〟という質問に対しては〝構わない〟と首を縦に振る。


「ありがとー。はじめて見る顔だから話してみたいなって思ってさ」


 少女の左耳で揺れるのは純金製のピアス。可愛らしい色で塗られた爪にはラメが散りばめられている。上品な香水を選んでいるけれど少女と呼んで差し支えないだろう目の前の女の子がまとうと途端に危うく背徳的な香りに変わる。


 雑踏を彷徨って行き着いた路地裏の闇の中、息衝くように明滅するネオン。それがこのナイトクラブの入り口。きらびやかな照明と流行りの音楽。シルエットとなった人たちが音楽に合わせて揺れ、上っ面だけの出会いと交流を楽しむ非現実的な空間。

 十代後半、よくて二十代前半だろう少女はこの空間に実によく馴染んでいた。少女の体に大人に見せるためのアイテムをまとうアンバランスさがとてもよく。

 そして、私はと言えば――。


「この傷、怖くないの?」


「傷よりもビジネススーツでこんなところにいることの方が気になっちゃうよ」


「……そっか」


 この空間に全く馴染んでいないようだ。ケラケラと笑う少女に苦笑いしてみせる。


「せめてネクタイを緩めたらどう?」


 そう言いながらもう少女は私のネクタイに指を掛けている。これが少女の〝距離の詰め方〟なのだろう。媚びるような笑みを浮かべて私を上目遣いに見つめている。その笑みをじっと見つめ返していると少女は瞬きを一つ、二つ。


「その傷のこと、そんなに気になる?」


 私の視線をどう解釈したのか、そう尋ねた。

 右目を手のひらで覆う。顔の四分の一を占める赤紫色にただれた火傷の痕。長めの前髪で隠しても陽の光の下ではどうしても目立ってしまう。人の記憶に残ってしまう。

 でも――。


「ここにいる人たちみんな、そんな傷なんて怖がりもしないし気にもしないよ」


 夜の闇の中(ここ)では大したことではないらしい。

 耳を澄まし、目を凝らせばあちらこちらで小競り合いや痴話喧嘩が起きている。だけど、気付いた様子も気にした様子もなく踊り続けるシルエットたちを見て、なるほどと右目を覆っていた手を下ろした。


「傷ができた理由によっては怖くて逃げだしちゃうかもしれないけどね。だから、そこんところは内緒にしておきなよ、おにーさん」


 ケラケラと明るい声で笑いながら少女は冗談めかして言った。みんながシルエットになるこの場所で自分を語るのも相手に深入りするのもタブーだという忠告だ。

 その忠告に気付いた上で――。


「キミの名前は?」


「アイリって呼んで」


「イチカ、ではなく?」


 気付かない振りをして尋ねる。途端に少女の目が鋭くなった。


「は?」


「イチカ。ニシノ、イチカさんではなく?」


「……誰、アンタ」


 野良猫のように身構える少女に警戒しないでほしいと両手をあげて降参のポーズをしてみせる。


「家賃回収代行業者だよ」


 ネクタイを締め直して名刺を差し出す。受け取った少女は〝家賃回収……?〟と口の中で呟いて再び私の顔を見た。睨みつけるような視線から値踏みするような視線に変わっている。ほんの少しだけど警戒が解けたようだ。今すぐに逃げ出そうという気配もない。ほっと息をついてカバンからタブレット端末を取り出した。


「この通り、今日時点で滞納している家賃が半年分」


「アタシを探してこの店まで来たの?」


 タブレット画面を見もしないで少女は尋ねた。結構な額を滞納しているという事実を受け止めて慌てるなりバツの悪そうな顔をするなりしてほしいところだけど少女にそんな様子は少しもない。


「大家さんとか不動産屋さんとかから電話や督促状も来てたと思うんだけど」


「あー、電話番号変わってるかも。とくそくじょー? は……どうだったかなー」


「ここ一か月、私もほぼ毎日のように部屋に行ってたんだけど」


「あー、しばらく部屋に帰ってなかったかも」


 悪びれた様子もなく言う少女に私は引きつった笑みを浮かべた。


「……えっと。そういうわけなのであちこち聞いてまわってキミが現れそうな店を探して、ようやく今日会えたっていうわけ」


「すごーい。おにーさん、探偵みたいじゃん!」


「……えっと。そういうわけなので家賃を」


「アタシに払えると思う? 無理無理!」


 ひらひらと手を振ってあっけらかんと笑う少女に私は引きつった笑顔のまま天井を仰ぎ見た。

 目の前の少女の見た目は十代後半、よくて二十代前半。入居した二年前に提出された書類にも当時十九才でサービス業でアルバイトをしていると書いてあった。そのアルバイトも入居直後に辞めたようで現在、働いている様子はない。

 予想していた答えではあるけれど、ここまで悪びれることなく言われると反応に困ってしまう。


「借りるときもその後もぜーんぶヒトが払ってくれてたからアタシ、その辺、よく知らなくて」


「……えっと。それじゃあ、その人の連絡先を教えてもらえるかな?」


 家賃回収代行業者うちとしては金の出どころに辿り着くことが最重要事項だ。

 でも――。


「最近、メッセージ送っても既読にならないんだよねー」


 少女はまたもやあっけらかんとした様子で言った。


「あ、もちろん家も職場も知らないから聞かないでよね。……わかるでしょ?」


 そう言って少女は左手の薬指を右手の薬指で撫でた。何もつけていない左手の薬指を、真新しい指輪が光る右手の薬指で。

 相手には大切なものがあって、少女は決して一番ではなくて、でも、それをわかった上で、自分の立場もわきまえた上で関係を続けているということだろう。ヘラついた表情に反して静かに伏せられた少女の目は寂し気に曇っている。

 右手の薬指を左手の薬指で撫でながら私は少女の横顔を見つめた。私の視線の意味に気が付いたのだろう。少女は慌てて笑顔を浮かべ直すと照れ隠しに揺れるピアスを撫でた。


「家賃を払ってくれてないってことはクレジットカードも止められちゃってるかな。それはちょい困るかも」


「もう止まってるよ」


「……あれ?」


「困ってなかったの?」


「んー……。ほら、ご飯もホテルも向こうが出してくれるからさ」


 〝向こう〟というのは毎晩変わる〝おにーさん〟のことだろう。困り顔で黙る私に少女はやっぱりあっけらかんと笑う。


「あの人が行きそうなところを探してみるからさ。ちょっとだけ待ってくれない?」


「手伝うよ」


「いい、いらない。私を探し回ったときみたいにあちこち聞いてまわる気でしょ? それはダメ。困る。そんなことしたらあの人に迷惑が掛かっちゃうから」


 だから絶対に余計なことはしないでと念を押して少女はやってきたとき同様、私の隣からするりと離れていく。


「探しに行かないの?」


 音楽に合わせて揺れるシルエットの群れに戻ろうとする少女を慌てて追いかけようとして――。


「もうベッドの中だよ、あの人は! こんな時間に探しても見つからない!」


 音楽に掻き消されないようにと大声で答える少女に足を止めた。

 家賃の当が付いたら連絡するからと言い残して少女は人の波に消えていく。少女の背中を見送って私は伸ばした手をネクタイに持っていくと緩めて呟いた。


「なるほど」


 ***


 人でごった返すナイトクラブを出た私は電柱の影に隠れようとして隠れ切れていないゴリラみたいな図体の男を見るなり額を押さえた。深々とため息をついた後、大股で年上の同僚である高山の元まで歩み寄るとじろりと睨み上げた。


「目立つから来なくていい。ていうか来るなと何度も言った気がするんだが」


「だから、店の中にはついていかなかっただろ」


「ここに立ってるだけでも十分目立つし、印象に残るし、作戦の邪魔」


「じゃ、邪魔って……目立たないようにお前と同じビジネススーツ姿で来たんだぞ!」


 額を押さえて先程よりも深く深くため息をつく。

 私がビジネススーツを着たのはむしろ目立つためだ。縄張りに見知らぬ人間が、それも場にそぐわない格好をした人間が現れれば彼女・・は必ず声を掛けて来る。男装したのも彼女が狙うのが〝おにーさん〟だからだ。薄暗い店内で遠目なら気付かれない自信はあったが、まさか面と向かって話しても女だと気付かれないとは。

 ちょっとショックだったけど、それはさておき――。


「私と同じスーツを着て似合うわけないだろ、ゴリラ」


「ちゃ、ちゃんとサイズは自分サイズを選んだぞ!」


「そういう問題じゃない。中性的美青年風の私とゴリラ風のゴリラじゃ似合う服が違うって話」


「……ゴリラ風のゴリラ」


 ガックリと肩を落とす高山を小突いて大股でその場を離れる。高山も小走りについてきた。


「それで? 大丈夫だったか?」


「もちろん。ちゃんと接触できた」


「じゃなくて。ヨーキャなヤローにナンパされたりとか絡まれたりとか」


 大真面目に心配しているのだろう。暑苦しい顔を見上げて鼻で笑う。


「ないよ。彼女にすら〝おにーさん〟扱いされたよ」


「そう、なのか?」


 困り顔で尋ねる高山をもう一度、鼻で笑ってひらりと手を振る。その話はおしまい、という意味だ。


「彼女は明日……もう今日か……の、昼頃にでも動き出すだろう。私が張り付く」


 家賃の当てがついたら連絡すると少女には言われたけど大人しく待っているつもりはない。


「よし、俺も一緒に行くぞ!」


「いや、いい。来なくていい」


「そんな食い気味に言うなよ!」


「女性客メインのカフェなんかに入るのに高山みたいなゴリラと一緒じゃ目立つ」


 そうかぁ、と呟いて項垂れた高山だったが、いやいやいや! と勢い良く首を横に振った。


「お前は彼女にめんが割れてるだろ。尾行なんてすぐに……!」


「バレないよ。そのための男装とコレ(・・)


 長めの前髪を掻き上げて火傷痕を露わにする。顔の四分の一を占めるこの傷は嫌でも人の目を引く。その分、それ以外の印象が薄くなる、記憶に残らないという利点があるのだ。


「私の特殊メイク張りの腕前は知ってるだろ。この火傷痕だって綺麗さっぱり消して、陽の光の下でも目立たず人の記憶に残らない姿に変身してみせるよ」


 やっぱり心配そうな顔をしている高山の肩を拳で小突いて私はニヤリと笑ってみせた。


「イメージは二十代後半、キャリア層の綺麗めなおねーさんってとこかな」


 ***


 夜景を見ながら食後の散歩でもするつもりなのだろう。品の良さそうな老夫婦が出て来るのに合わせて開いた自動ドアを少女はするりとすり抜ける。少女の笑顔に老夫婦も穏やかな微笑みとともに会釈を返すとそのまま出掛けて行ってしまった。デニムのショートパンツにTシャツという露出の多い格好を気にしている様子も、少女の人懐っこい笑顔に警戒心を覚えた様子もない。

 そんなわけで堂々と高級マンションのオートロックを突破した少女がエレベーターで向かったのは二十五階にある角部屋だ。


 コン、ココン……コン、ココン……。


 特徴的なノックをして少女はじっと玄関ドアが開くのを待っている。耳を澄まして室内の気配を探っているが返事も足音も聞こえないようだ。


「……」


 ドアノブを見つめ、考え込み、手を伸ばしかけ、結局、後退あとずさった少女の後ろから――。


「開け方くらい先生から教わっただろ」


 私は腕を伸ばすと玄関ドアの鍵穴にヘアピンを一挿し。

 カチャ、カチャ……カチャン。


「ほら、開いた」


 玄関ドアを開いて少女に笑顔を向けた。きょとんとした顔で振り返った少女だったが私の火傷痕を見るなり目をつりあげた。


「なんでここにいんの、おにーさん」


「一週間待っても連絡がなかったから」


 なんてテキトーなことを言って少女の怒気を受け流し、私は部屋の中へと入った。

 この一週間、明るい時間帯はキャリア女性風の服装に化粧で張り付いていたのだけど少女は少しも気が付かなかったようだ。高級マンションの向かい――と言っても三百メートル程、離れた高層ビルのカフェや屋上からこの部屋を見つめる少女をずっと観察していた。

 少女の視線を追えば辿り着きたい〝お金の出処〟がいる部屋もすぐに特定できる。それでも少女自ら部屋に向かうまで待ったのは少女の覚悟が決まるのを待っていたから。玄関を入った先で待ち受ける光景は十中八九、ろくでもない光景だからだ。


「ちょっと……!」


 土足のまま上がり込む私を追いかけて怒鳴りながら入ってきた少女は息を呑んだ。玄関からでも室内の空気が異様なことがわかる。

 一般的には馴染みのない、しかし、私や少女にとっては経験がないわけではないニオイに少女は靴を蹴飛ばすように脱ぎ、私を突き飛ばして中へ、奥へと駆け込んだ。

 少女もそのろくでもない光景を可能性の一つとして考えてはいたのだろう。


「……っ」


 書斎だろう部屋のドアを躊躇いなく開けたところで凍り付く。ゆっくりと追いかけた私は少女の肩越しにそのろくでもない光景を眺めて肩をすくめた。


 書斎にはしっかりとした造りの机と革張りの椅子。壁には空っぽの本棚がずらりと並んでいた。革張りの椅子に深く腰掛けているのは艶やかな白髪を撫で付けた老紳士だ。帝国時代の軍服に身を包み、机の上には整然と勲章や写真立てが並べられている。

 死後ずいぶんと経っているのだろう。ただれた肉の隙間から骨が見えていた。椅子の背に頭を預けて仰け反り、口を大きく開けている様子はパリッとアイロン掛けされた軍服とも品の良さそうな調度品とも似つかわしくない。

 まぁ、少女が纏う香水すらも掻き消すほどの腐敗臭にはお似合いかもしれないけれど。


「先生……?」


 大きく見開いた目の中の瞳孔を小刻みに揺らし、書斎の惨状を必死に把握しようとしていた少女がようやく声をあげた。震えた声で呼んだ〝先生〟とは老紳士のこと。

 そして――。


「……」


 少女が浅い呼吸のまま目を向けたのは先生の正面の壁に寄り掛かって死んでいる二人。少女と同年代だろう少女たちだ。

 先生の状況も死んでいる二人の少女の事情も、飲み込めたかどうかはさておき理解できたのだろう。


「……!」


 少女が弾かれたように手を伸ばしたのは壁に寄り掛かって死んでいる一人。正確にはその一人の手に握られた拳銃だ。

 書斎に入った時から先生の状況も死んでいる二人の少女の事情も察しがついていた私は少女が何をしようとしているのかも察して腕を伸ばした。


「まず先生が自殺。空調が効いていることと腐敗具合から見て死後一か月程度。二週間以上、間を置いてあの二人。手前の子の方が先かな。んで……」


 銃口を自身のこみかめに押し当てようとする少女の手から拳銃を取り上げてため息を一つ。


「キミもこの子たちと同じように後を追って死ぬつもり? やめときなよ」


 すぐには使えないようにと拳銃を分解して放り投げた私は少女に噛み付かんばかりの勢いで睨まれて肩をすくめた。


「キミも彼女たちも〝帝国の花〟なんだろう? 先生の教え子。金の流れが途切れたことにか連絡がないことにか。キミと同じように異変に気が付いてやってきたんだろうけど……後追い自殺なんて馬鹿な真似をする」


「おにーさん、なんなの?」


 〝帝国の花〟という言葉を聞くなり少女の表情はますます険しくなる。ナイトクラブに入り浸り、〝おにーさん〟たちにしな垂れかかる、可愛いけれどあまり賢くはない少女の顔は跡形もなくなっていた。警戒心を露わにする少女にまぁ、当然かと苦笑いする。

 目立つ火傷痕があるだけの家賃回収代行業者、ただの一般人だと思っていた〝おにーさん〟が銃を躊躇なく掴み、手慣れた様子で取り上げ、手品のように分解してみせたのだ。平和ボケしたこの国でそんなことができる人間は多くない。いたとしてもそういうことが好きそうで、出来そうな雰囲気というものをまとっている。ニコニコ、ヘラヘラと笑っている隙だらけの〝おにーさん〟にそんなことができるとは思ってもみなかったはずだ。


「前に会ったときも言ったけど私は〝おにーさん〟じゃないよ。男物のビジネススーツを着てはいるけど、ね!」


「……っ」


 〝帝国の花〟としてそれなりの訓練を受けているであろう少女を抵抗する隙も与えずに床に転がし拘束して私はにっこりと微笑んだ。美しく訓練された、火傷痕さえなければ完璧な微笑みに少女はようやく私の過去に思い当たったらしい。


「まさか、お前……」


 ***


 先の大戦で戦勝国となって以降、この国は軍事国家としての道を突き進んだ。

 しかし、武力を用いた強引な統治では組織に亀裂が生じるのもまた必至。海外統治領の劣悪な状況をしとする者たちと軍部主導をしとする者たちにより反体制派の動きが活発になっていく。

 反体制派や〝帝国臣民〟の動きを監視するために軍は様々な手段を取る。その一つが未成年を含む若い女性ばかりで構成された〝帝国の花〟だ。

 芍薬しゃくやくのような愛らしさや百合のような美しさ、あるいは蒲公英たんぽぽのような素朴さやすみれのような密やかさを武器に人々を監視する帝国の耳であり目だ。ときには帝国の口として風に揺れる花のように囁いて都合の良い噂を流すことも、帝国の手足として食虫植物が虫を溶かして食らうように帝国の敵を消すこともあった。

 しかし、大戦景気、高度経済成長期を経て圧政を嫌い自由を求める風潮が強まると一気に情勢は反体制派へと傾き、ついに十年前、帝国は崩壊。砂の城が崩れるが如く、ほとんど残っていなかった海外統治領も全てが国として独立。現在の民主主義国家の姿に落ち着いたというわけだ。

 だが、帝国の亡霊たちは帝国の復興を信じ、帝国の崩壊を信じないまま。いまだにこの国をゾンビのように徘徊し続けている。帝国が崩壊して十年が経っても。帝国時代の軍幹部らの死刑が執行されても。ゾンビのように死に体の集まりに成り果てても徘徊し続けている。

 そして――。


 ***


「お前……毒花か!」


 組み敷いた少女も、壁に寄り掛かって死んでいる二人もゾンビだ。帝国崩壊後、それでも過去の栄光を捨てられない感傷的な大人たちによって〝帝国の花〟に仕立て上げられたゾンビたち。

 火傷痕が残る顔で美しく微笑んでみせる私を少女は憎悪に満ちた目で睨み付けた。


「この、裏切者が……!」


 帝国を裏切り、現体制側に寝返った元〝帝国の花〟は元同志たちから毒花と呼ばれ忌み嫌われる。少女の憎悪を鼻先に噛み付かれかねない距離で受け止めて私は困り顔で微笑んだ。


「家賃回収代行業者ってのもアタシに近付くための嘘だったんだね」


「嘘ではないよ。特殊少年事件課(うち)の暗語。警察の中でも帝国絡み、その中でもキミたちみたいに若い子が絡む事件の捜査を専門に行っている部署だ」


 〝帝国の花〟である少女たちの生活費は家賃を含めて帝国派の大人たちから流れている場合が多い。しかし、十年前の帝国崩壊とその後、続々と関係者が逮捕されたことにより活動資金は目減りし、〝帝国の花〟の生活の維持も困難になってきている。

 それを見越して特殊少年事件課(うち)が取っている捜査方法の一つがこれ。家賃を滞納している少女の情報を集め、目ぼしい少女を張り、〝先生〟の――帝国派の拠点に辿り着くというやり方だ。

 長期間、家賃を滞納している時点でろくでもない状況になっている場合も、拠点に保管されていた情報全てが処分されている場合も多いのだけど。今回がまさにそのパターンだ。


「お前にも〝先生〟がいたんでしょ?」


 高山を含めた家賃回収代行業者(うち)の連中が入ってきたのだろう。騒がしい玄関へと顔を向けていた私はその言葉に再び少女へと向き直った。


「指輪。してたじゃない」


 どのタイミングでだかはわからない。でも、少女は気が付いていたらしい。私の右手薬指にはまっている指輪に。外せないままの古くも新しくもない指輪に。


「どうして帝国を裏切ったの」


 美しい花には棘があると言うけれど少女が向ける殺気は棘と言うには痛々しい。錆びて赤い粉をふく釘を刺されているようだ。少女の殺気染みた目に見つめられて破傷風にでもなったかのように|火傷痕がジクリと痛む。


「どうして……先生を裏切ったの? あなたの、先生を」


 少女の目から大粒の涙が落ちた。泣きながら責めるように言う少女に苦い笑みを浮かべて少し迷ったあと――答える。


「裏切られたからだよ。その、先生に」


 ***


「十年前の話だ。反体制派の重要人物の息子がやらかした不祥事の証拠を掴んで来いって言われてガラのよろしくないグループに近付いて。ミスして帝国派の人間だってバレちゃって……そのときに出来たのがこの傷」


 同僚たちに引きずられるようにして書斎を出ていく少女の細い背中を見送って私は火傷痕を手のひらで押さえた。摩天楼の足元で夜な夜な、あんなにも上手に笑っていた少女は今はもう幽霊のように生気のない顔をしている。


「命からがら先生のところまで逃げたんだけど……私の顔にできた傷を見てね、言ったんだ。

なんてざまだ、こうなってはもう廃棄するしかないじゃないか、って」


 そのときのことは今も一語一句間違うことなく、先生の唇の動きまではっきりと覚えている。寝れば必ず夢に見るほどにはっきりと。

 ヘラ……と笑って見上げると高山の方がよっぽど泣き出しそうな顔をしていた。暑苦しい顔に苦笑いする。


「盲目的に先生を信じてきたけど撃たれて、土の下に埋められて……ゾンビみたいに這い出てきた時にはさすがに目が醒めていたよ。だけど――」


 ため息を一つ。壁に寄り掛かって死んでいる二人の少女に目を向ける。


「彼女たちは目を醒ませないまま、そんな機会も与えられないまま。盲目的に後を追いかけて逝ってしまった。……間に合わなかった」


「どうして、そこまで……」


 言葉を詰まらせ、ボリボリと襟首を掻く高山に私はゆるゆると首を横に振った。


「〝帝国の花〟は帝国派と関わりのある孤児院から選ばれた女児で構成されている。親に捨てられた価値のない存在だと教えられた子供たちは愛に飢えてる」


 そんな価値のない存在に価値を与え、必要とし、愛してくれるのが先生で――だからこそ、〝帝国の花〟たちは盲目的に先生を愛するのだ。


「実際のところは親の病気や事故で止む無く手放した場合もある。誘拐されたり、殺した反体制派の遺児の場合すらある。でも、〝帝国の花〟として縛り付けておくには捨てられた価値のない存在だと思わせておく方が都合がいいんだよ」


 〝帝国の花〟にとって先生という存在は師であり、兄であり、父であり、愛する人。

 〝帝国の花〟は帝国の――先生の指示で多くの人間に毎晩のように体を許す。帝国の耳や目、口や手足として朝に昼に夜に咲く。好きでもない人間に抱かれるのも、殺したいほどに憎んでいるわけでもない人間を殺すのも覚悟していた以上に傷付く。身体も心も静かに傷付いていく。

 それでも――。


「帝国がすでに崩壊していても、軍幹部が処刑されたとニュースで報じられても、〝帝国の花〟は先生あなたの教えに従い、先生あなたの指示に従い、身体も心もボロボロになっても〝帝国の花〟として咲き続けるんです」


 革張りの立派な椅子に歩み寄り、大口を開けて死んでいる先生を見下ろした。


「どうしてだと思いますか?」


 バターのように溶けて骨が見えている師であり、兄であり、父であり、かつて愛した人を見下ろして私はため息混じりに尋ねた。


 ――お前にも〝先生〟がいたんでしょ?


 少女は私にそう尋ねた。確かにいた。目の前で死んでいるこの老紳士が――少女にとっての先生がまさに私の先生だ。

 いくら待っても答えは返ってこない。だから、返事を待たずに正解を教える。


「あなたに愛して欲しかったから。彼女が、〝帝国の花〟たちが……私が、先生あなたに縛られ続けた理由はそれだけ。あなたに愛して欲しかっただけ」


 机の上に並べられた写真立てを指で撫で、収まっている写真をのぞきこんでいるうちに苦い笑みが漏れた。


〝帝国の花〟(私たち)たち先生あなたが一番良くわかっているでしょう? なら、せめて、縛った心を解いて、彼女たちの目を醒まさせてから死ぬことは出来なかったんですか」


 先生の左手薬指には指輪が鈍く光っている。帝国にすべてを捧げたのだと言って先生はその指輪を撫でていた。そして私の右手薬指に真新しい指輪をはめた。少女や壁に寄り掛かって死んでいる二人にも、恐らく他の〝帝国の花〟にも同じようにはめたはずだ。

 何よりも大切なのは帝国だ。だが、その次に大切なのはキミだと平然と大嘘をいて。


「目が醒めて冷静に考えればそんなの嘘だって簡単にわかるのに」


 写真立ての中に収まっていたのは幸せそうな家族写真。耳や目や口が少しずつ先生に似ている子供や孫だろう人たちに囲まれた笑顔の写真だ。

 真ん中に立つ先生の隣には同年代の老婦人が穏やかに微笑んでいる。先生と同じ、鈍く光る指輪を左手薬指にはめた老婦人が幸せそうに微笑んでいる。


先生あなたに埋められた時にこんな感情、土の中に置いてきたと思ったんですけどね」


 自嘲気味に笑って先生の唇にキスをした。そして、右手薬指の指輪を外すと仰け反って開いた先生の口の中に放り込んだ。

 顔をあげて、ふと見ると高山が顔を背けて険しい顔をしている。


「まぁ、腐った死体(ゾンビ)にキスはどん引くわな」


「いや、そこは別に。自分でも意外なほど気にしていない」


 真顔で言う私をチラッと見て高山も真顔で言う。否定の言葉に私は目を丸くした。


「どちらかと言うとイラッとするというかモヤッとするというか好きな女が他の男とというのがショックというか……いや、忘れろ! 今、言ったこともこんなクズのことも全部忘れろ! とっとと忘れろ! 今日は俺が奢ってやる! だから、好きなだけ飲め!」


 顔を真っ赤にして鼻息荒く言う高山に瞬きを一つ、二つ。


「こういうときに飲みに誘うって……古い」


「古い!?」


「感覚がオッサン」


「オッサン!?」


 冷ややかな反応に半泣きになる高山を見てケラケラと笑う。

 ゆっくりと目を閉じ、深く息を吐き出して。俯いたまま高山の肩を拳で小突いた。


「ありがと。もう大丈夫」


 あんなに愛した先生の笑顔も声も全部、十年前に土の中に置いて逝き損ねたもの全部、今度こそこの部屋に置いて逝けるはずだ。


「いつまでも過去の恋を引きずってるような年でもないしね」


 先生に背中を向けて書斎を出ると高山も小走りについてくる。玄関を開けた瞬間に差し込んだ眩しい朝陽に私は目を細めた。いつの間にか夜は明けていたらしい。新鮮な空気を思い切り吸い込むと私はニヤリと笑って高山を見上げた。


「飲みには行く時間じゃないから朝飯、奢ってよ」


「いいぞ、何がいい? 好きな物を食え!」


牛家うしやのハムエッグ牛丼朝定食大盛り、鉄板牛焼き追加で」


「……この現場の後でか?」


「この現場の後でも」


 入れ替わりに入っていく家賃回収代行業者(うち)の連中に手をあげて挨拶して、呆れ顔の高山にケラケラと声をあげて笑いながらその〝現場〟を後にする。


「高山は食べられないかー。ゴリラは繊細な性格だって言うもんね」


「そうだぞ、ゴリラは繊細なんだ。だから、俺のこともゴリラを扱うようにもう少し優しく扱ってくれ」


「ゴリラを扱うようにって……」


「ただ、食べられるか食べられないかで言えば食べられる。牛家うしやのハムエッグ牛丼朝定食超特盛り、鉄板牛焼きに生姜焼き追加くらいなら食べられる」


「物凄い食べるじゃん」


 呆れ顔の私にケラケラと声をあげて高山が笑う。その笑顔につられるようにして私はクスリと微笑んだ。

 多分、きっと。今日からは悪夢で飛び起きることもない。そんな予感に、私はクスリと微笑んだ。

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