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或る詐欺師の回顧録

或る詐欺師の酔狂

作者: 村谷 直

「お願い、わたしたちの村を助けて!」

 出し抜けの懇願に、レネは大いに顔を歪ませた。

 見れば一人の娘が外套の裾を掴み、必死の形相でレネを見上げている。

 歳は十四、五程か。およそ領主の館には似つかわしくない、酷く見窄らしい身なりの娘だった。

 この辺りの村娘だろうが、奉公人という感じではない。村の窮状を訴えるためにここまでやって来たといったところだろう。何にせよ、また面倒な手合いに捕まったものだとレネは辟易した。

 だがそんなレネの内心を知ってか知らずか、娘は構うことなくレネに訴えかける。

「村で病が流行ってるの! 早く何とかしないと、このままじゃみんなが死んじゃうわ!」

「そうか、そいつは大変だな。じゃ、俺はこれで」

 レネは娘の手を振り解くとそのまま脇をすり抜け、去ろうとした。

 だがそうはさせじと娘が追い縋るようにレネの外套を再び掴む。ぐいと引っ張られ、危うく首が締まりかけた。蛙の潰れたような声が喉から漏れる。

「おま、危ねえだろうが!」

「人が必死にお願いしてるのにさっさと立ち去る方もどうかと思うわ! 薄情者!」

「薄情だあ? そりゃあ結構! 何の縁も所縁もない村の窮状なんぞ俺の知ったことか。そういうのは然るべきところに訴え出るんだな」

「あなた預言者でしょう? だったら助けてよ! 民が困っているのよ!?」

 レネは欠片も隠すことなくうんざりした顔を浮かべた。偶にいるのだ。こういう勘違いしている手合いが。

 はあ、と特大の溜め息を吐き出すと、レネは半眼で娘を睨みながら言った。

「いいか小娘、確かに俺は預言者だ。だが預言者は為政者でも聖職者でもない。そんなことを頼まれたってお門違いもいいところだ。大工に野菜を売ってくれと言うようなもんだ」

「でも預言者は神の使者なのでしょう? 神は民を助けよとおっしゃるのではないの?」

「生憎とそんな御丁寧でお優しい主はあられないし、預言者は神の使いではない。声が聞けると謳うだけでお前達と同じ只人だ」

「じゃあ神は何とおっしゃっているの!? 病に喘ぎ苦しむ民を見捨てよと!?」

 憤慨を露わにする娘を、レネは鼻で笑った。

「俺に預言させたきゃ出すもん出しな。まあ? もっとも、お前みたいな小汚い子供がほいと出せるような額じゃとてもないがな」

 そう言ってやれば、返ってくるのは大概が同じ文句である。

「おっ、お金を取るっていうの!? 相手が困っているっていうのに!」

「相手が困っていようがいまいがそんなことは関係無い。俺にとっては死活問題だ。自分の商売道具をそうそう安売りは出来ないんでね」

「ひ……酷い! なんて人でなしなの!」

 ああ、本当に。感心するくらい皆一様の反応である。

 レネは溜め息を一つ吐き出すと――このまま立ち去っても良いのだが、これ以上付き纏われないようここできっちり線を引いておく必要がある――笑みを収め、剣呑な雰囲気で娘に告げた。

「だったら他人を無償で働かせようとするお前は何なんだ? 困っている奴ってのはそんなに偉いのか? 困っていたら食い物を盗んだって赦されるのかい?」

「そ、それとこれとじゃ話が全然……!」

「同じことさ。仮に今ここでお前に預言を与えたとしよう。では他の奴らはどうなる? きっちり金銭支払って声を聞こうとしてきた連中は、馬鹿らしくならないか? あいつは何の対価も支払っていないのに、どうして自分は同じ目を見れないんだと、そう思うだろう。そうなったら俺達の商売はお仕舞いだ、まともに金を払う奴なんていなくなる。商売が出来なきゃ食い扶持も稼げない。金がなくなりゃ飢えて死ぬ。今お前は、それを俺に強要しているって解っているか?」

「それは……で、でも……」

 何か言い返そうと口を僅かに開いたまま、しかし娘は二の句が告げないでいるようだった。

 娘の目尻に涙が浮かぶ。泣き出すのかと思ったが、意外にも娘は唇を引き結んでそれを堪えた。

 娘は目元を紅潮させながらも毅然と視線を上げ、淀むことなく言い放った。

「だったら対価を払うわ。すぐには無理だけど、何年かかったって必ず払う。だからお願い、村を助けて」

 レネは探るような目つきで娘を見返した。

「何故俺なんだ? そもそもそういう訴えは領主にするものだろう」

「行ったわよ。でもほとんど門前払いで、領主様に会うどころか家番の人にさえ話を聞いてもらえなかった」

「では教会は? 慈悲を乞うならそれこそ神の出番だろう」

「寄付が足りていない村に寄越す人間はいないそうよ。実際そう言われたわけじゃないけど、同じだわ」

 想像は容易についた。このご時世、真剣に神とやらの愛を説く真面目な聖職者などそれこそ絶滅危惧種だ。……いや、教会の腐敗など今に始まったことでもないが。

「だからと言って俺を頼ろうとするのもおかしいだろう。俺はただの預言者だ。声が聞けるだけで特別な力がある訳じゃないんだぞ?」

「やっと捕まったのがあなただけなんだもの。だったらあなたに訴えるしかないわ」

 レネは思わず額を押さえた。嗚呼、目眩がする。

 いくらお上への陳情が上手くいかなかったからといって、手当たり次第人を捕まえて訴えを起こすというのは如何なものか。ましてレネはただの“預言者”だ。何の権威も権力も無い、流れ者だ。そんな奴に訴えたところで時間と労力の無駄である。

 だが娘にとっては必死のことで、最早そうするほかないと思ったのだろう。今なお真剣な眼差しでレネを見上げている。

 レネは一つ息を吐き出すと、改めて尋ねた。

「金を払うと言ってもな……どうせお前、手持ちなんて殆ど無いんだろう?」

「だから何年かかったって必ず払うって……!」

「一体何年掛けるつもりだ? そんな長い間悠長に待ってやる程俺は慈善家じゃないし、そもそもどれだけ金がかかるか分かっているのか?」

「負けてよ!」

「アホ。負かるか」

「じゃあ身体で払うわ!」

「あのなあ、意味分かって言ってんのか? 大体、お前がもう少し年嵩で見目が良けりゃそれも悪かねえだろうが、お前みたいなちんちくりんをわざわざ買うなんざよっぽどの好き者くらいだぞ。そういうことはせめて張れる胸が育ってから言」

 ばしん! とレネの頬が甲高い音を立てる。

 唸りを上げたのはもちろん娘の平手である。

「ッ()えなオイ!!?」

「女の子に失礼なこと言うからでしょう!!? 信じられない!」

「信じらんねえのはこっちだクソガキ! あークソ、折角話を聞いてやったってのに。えらい時間の無駄をした」

「もういいわよ、他を当たるわ! あなたみたいな胡散臭い人を頼ろうとしたのが間違いだった!」

「おーおー、何処へなりと行っちまえ。精々いいパトロンを見つけるこったな」

 しっしっ、と犬猫でも追い払うように裏手を振ってやれば、少女は更に頰の紅潮を強めてレネに噛み付こうとした。

 だがその時である。

「おねえちゃん!」

 出し抜けに飛んで来たのは幼い声。覚束ない足取りで駆けてくる少年――と呼ぶには早いような幼子である――を、少女は驚いた顔で抱き留め、その小さな肩を掴んで向き合った。

「ロニ! 門のところで待ってなさいって言ったでしょう!?」

「だって、おねえちゃんかえってくるのがおそいから……」

 どうやら少女の弟らしい。見れば姉と同じく酷く見窄らしい格好をしている。殆どぼろ切れ同然の胴着から伸びる手足は幼子にしてもあまりに細い。

 村で病がどうとか騒いでいたが、どうも件の村の窮状はそれ以前の問題のようだ。

「りょうしゅさま、おはなしきいてくれた?」

「ううん……でもねロニ、もうちょっとだけ待ってなさい。お姉ちゃんが絶対何とかするから。ね?」

「うん! でも、はやくかえろ?」

「そうね、おじいちゃん達も心配してるものね……ごめんね、ロニ」

「……じゃ、そういうことで俺はこれで」

 幼い姉弟のやり取りに背を向け、立ち去ろうとするレネの背に、少女の鋭い視線が突き刺さる。

 弟の前で強い口調は出したくないのだろう。だが、その視線には強い批判と軽蔑が込められているのは眼を見ずとも知れた。

 やがて姉弟の気配が遠退き完全に消えると、レネは立ち止まって振り返った。

 そして心底うんざりした表情で髪を掻き毟ると、大きく深い溜息を吐き出した。





 結局、健闘虚しく誰の助力も得ることも出来ないまま幼い姉弟は遠い道のりを越え、やっとのことで重苦しい空気の漂う村へと戻った。

 村で姉弟の帰りを待っていた老爺は少女の暗い表情に全てを悟り、力なく項垂れた。

 少女は、明日こそは領主様が助けてくれるからと必死に言い募ったが、老爺は諦めた眼差しで姉弟の労を労うだけだった。

 夜床(よどこ)の内で少女は何もできない己の無力に打ち震え、冷酷な館の者達の仕業に憤り、そして恐怖がやって来た。

 それは奮起することで抑えつけていた不安であった。

 解決の糸口すらないまま、この先一体どうなってしまうのか。

 恐ろしさで少女がまんじりともせず迎えた、その朝のことである。

 病魔が齎した村の静寂を破るような人の話し声と足音が、寝不足でぼんやりとした少女の頭に異変を告げた。

 慌てて家の外に飛び出ると、村の入り口の方でたくさんの人々がぞろぞろとやって来て、何やら忙しなく動き回っていた。

 村人ではない。それは役人と医師の一団であった。

 役人と医師の一団は到着するやすぐさま村の状況を調べ上げ、村人の協力のもとまずは罹病者を隔離した、同時に健常者についても健康状態を確認し、必要な処置を受けさせた。

 目まぐるしいまでの状況の変化に、少女は喜びよりも混乱した。

 これまでどれだけ窮状を訴えても役人達は動いてなどくれなかったのだ。もうこのまま滅びを待つほかないとさえ思う者すらいたのだ。少女もまた、そう思いかけていた程である。

 真実、一人として話を聞いてくれた者はいなかったのだ。だというのに、今のこの状況は一体どうしたことか。少女にはまるで訳が分からなかった。

 役人達はあちらこちらと走り回っていて聞けるような雰囲気ではなかったので、少女は医師に問診を受ける時に思い切って尋ねてみた。

 すると返ってきたのはこんな言葉だった。

「神のお告げがあったそうだよ」




 曰く、この領地に災厄が訪れようとしている。

 曰く、災厄は滅びを連れてやって来る。

 曰く、これを回避するには、先ず北東の災いを鎮めよ。

 然すれば災厄は道を失い、この地の安泰は護られるであろう――




 南西に伸びる街道をのろのろと歩きながら、レネは宙に向かって大きく溜め息を吐き、独り言ちた。

「金にもならんことやるとか、我ながら酔狂だわ」

 常の己ならば決してそんなことはしない。金にならぬのならば、言葉の一音すら零したくない。

 拝金主義だなんだと非難されようが、それが己の主義なのだ。

 ──だが今回ばかりは、少し事情が違った。

 それは偶然と言うにはあまりにも出来すぎていたし、気紛れと言うにはさすがに思い当たる節があり過ぎる。

 こんな己にも、まだ一片の情が残っていたらしい。疾うに全て捨てたものと思ったのだが。

「……元気にやってるのかねえ、うちの弟くん(ロニ)は」

 レネは懐かしい顔を脳裏に思い描き、そして、吐き捨てるようにそれを振り払った。




 了

前作が7年半前と知って大変ビビりました。光陰矢の如し過ぎじゃない???

今作も書き始めて多分7年くらい経っているんじゃないでしょうか。寝かせるにも程があるわ。

果たしてこの詐欺師は一体どこへ向かい、何のために放浪しているのか…

次作、また7年後にお会いしましょう(そもそも次作はあるのか?)

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