第9話 コロシアム
闘技場の中に入ると、まず最初に感じたのはグラウンド照明の眩しさと、砂ぼこりの乾いた臭い、そして異常なまでの観客の熱狂した歓声だった。彼らはみな「死ネー!!」だの「ぶっ殺せ!!」だのと、酒とクスリが入っていることもあってか、凄まじい怒号と歓声をあげている。
俺たちは白い砂の敷き詰められた闘技場の中央へと足を進めていく。円形の闘技場をぐるりと囲った階段状の観客席は満員らしく、彼らは現在進行形でこちらにゴミや空き缶を投げつけてきていたからだ。
よく見ると、向かいに俺たちの出てきたゲートの他にも別のゲートが二つ。そちらの鉄格子の門はまだ上がっていないらしく、中世のようなソレの奥からときおり、何かを叩くような炸裂音と呻き声が聞こえてくる。
肝心の天井は爆撃にでもあったのか吹き飛んでおり、隣接した廃墟ホテルのベランダからこちらを見下ろす観客が、飲料や屋台飯を片手に縁から両足を投げ出している。ほとんどの落下防止柵は半壊しており、あれではすこし強い風でも吹けば落下死するだろう。
そのとき、闘技場の客席の下にサッカースタジアムの広告パネルのようなものが付いていることに気がついた。こんな小規模な集落にも出資する企業はいるのか、主に建設系の企業、輸送業者等のロゴがのんきに画面の中で回転しながら流れていく。
その上には、報道陣らしき者たちが仰々しくカメラをこちらに向けており、ストロボのフラッシュが閃光のように瞬いている。正式な放映権を持った企業の放送局かとも思ったが、チャチな装備からして民間の海賊放送らしい。と、次の瞬間――
『それではァ~~、これよりィ、今回のメインイベントォォ!!』
キィ――ンという甲高いマイクの音と同時に、闘技場いっぱいに鳴り響く進行役の声。それに感化された観客たちが雄叫びの声をぶちまけ、闘技場のナイター塔の照明が暗転する。映画の上映前の消灯のような暗闇がコロシアム全体を包み込んでいく。
まるで今から闘牛とでも戦わせられるような雰囲気に、俺は再度、両手のナイフとリボルバーを握り締めた。直後、中央に出てきた参加者たちに眩いスポットライトが当てられ、俺はたまらず目をじっと細めた。
『今回の勇気あるバカどもはァ! な、なんと、例年よりもごっそりと減って68人だけらしいゼェ~~! オッズも人間側が負ける方に集中してやがる! 薄情なオマエラ、大好きだゼェ~~!!』
そこで俺は闘技場の隅に、ぐずぐずに腐った肉片が落ちていることに気がついた。
人間のものではない。緑色の粘液に、枯れた触手。何かに絡みつく肋骨と内臓はドス黒く変色し、白煙をじわじわとあげながら蒸発していく。
エイドフェイカーとオペラキャットの死骸。
状況から察するに、俺たちの出番の前に戦っていたやつららしい。
普段はチルドレン同士を殺し合わせて、どの個体が勝つかの賭けをしているのだろう。だが、やはりレベル1単体のチルドレン同士を戦わせても盛り上がりに欠けていたのか、泥仕合の結末として両方とも息絶えてしまい、そのときの観客たちの鬱憤がいま俺たちに降り注いできているのだ。
『ルールゥは簡単ンンン!! 制限時間いっぱいまで一人でも生き残れたら人間側の勝ち、相手のチルドレンを全滅させても勝ちぃ!! 至って簡単ン、ガキでもわかる競技だぜェ!!』
真っ赤な蝶ネクタイとスーツを着こなした進行役がいるのは、隣接したホテルの最上階の展望フロアで、そこにも早くしろとばかりに観客席からゴミが投げ込まれている。が、防弾ガラスがあるおかげで被害を受けている様子はない。傍には【BAR】の文字看板と、カクテルグラスを模したネオンが煌々と明かりを灯している。
(あれは、誰だ――?)
そのとき、司会進行役の隣に誰かが座っていることに気がついた。
逆光で誰かまでは分からなかったが、その人物はなぜかじっとこちらを見つめてきているような気がしていた。直後、生ゴミがべちゃりと防弾ガラスにこびりついたところで、進行役はやや投げやりな態度で喋っていく。
『ハイハイハイハイ、オマエラも待てないようだからさっさと始めちまうぜぇ~~!! 第三百四回、入団テストォ!! これよりィ、開幕ゥ~~~~!!』
ワァ、と観客の熱狂度が膨張するのと同時に、パァンと特殊演出の赤い花火が噴出していく。プロジェクションマッピングで、ホテルの外壁に巨大なデジタル時計が出現する。その数字が『15:00』、『14:59』と下がっていくのを見て、このテストには時間制限があり、その時間いっぱいまで生き延びろという趣旨らしい。
会場を周回するように順々に筒から放出されていき、やがてそれが二つの鉄格子に差し掛かったとき、ゲートが重苦しい音を立てながら上がっていく。一方の門からは、おなじみの紫色の眼球が横並びに四つか六つ。三匹ものオペラキャットが勢いよく飛び出てくる。やつらは涎をまき散らしながら、獰猛な目つきでこちらを睨みはじめる。
しかし、人肉食獣の凶悪な顎にはステンレス製のセーフティマスクがかけられており、肝心の捕食行動がとれないようになっている。
だが、もう一つの門からはいくら待てども現れる気配がない。すでに、たった三匹しかいないレベル1程度ならばと距離を詰め始める参加者たちをよそに、俺はもう一つの門にじっと目を凝らす。瞬間――
「あっ、――ぶなッ」
ゲート奥の暗闇で音もなく、ちらりと赤い光線が点滅した。
即座に首を捻って躱すと、直後、後方の壁の広告パネルがどろりと音もなく溶けていく。すぐに溶けた回路から電流が漏れ、回路から大量の火花が吐きだされる。じりじりと側頭部が焼けるような熱さに、俺はようやくその正体に思い至る。
(光線銃……いや、液体弾放出系じゃない。まさか――)
もみあげに火が付いている。
それを焦げた臭いごと右手で鎮火させると、俺はさらにその場から跳躍して飛び退いていく。
「光線投射系……!?」
投射、即着弾。
それは俺が今まで使っていた光線銃の完全上位互換だった。液体弾を沸騰させて一発、一発を捻出して撃つのとは違い、Q粒子を圧縮させて光弾として撃ちだす本物の光線銃。光速の三分の一程度で撃ちだされたさっきの光弾も、勘頼りの回避行動をとっていなければ、今ごろ俺の頭はふきとんでいただろう。
だが、あれは運用にはかなりのコストとバッテリーが必要になるはずで、諸々を含めても人間が持ち運べるほど軽くなかったはず。しばらくして――じゃり、じゃりと砂を踏む音を鼓膜が捉える。ようやく暗闇から姿を現し、ブラスターを照射した個体が姿を現す。だが――
「……なんだ、こいつ……」
音の発生源には何もいなかった。
いや、正確には違う。そこには確かに何かがいる。だが、いると分かっているのに見つけることができない。唯一の明かりがスポットライトなだけあって、薄暗いコロシアム場内で視認しづらいだけか。
(ガラス細工のチルドレン……いや、違う。まさか、光学迷彩を使う特殊個体――!?)
俺は咄嗟に左手でナイフを投げようとして、肘から先がないことを思い出す。だらんと垂れ下がった袖は肘の軟骨を覆う皮膚をなでるだけだ。仕方なく、右手で経年劣化したリボルバーを構えると、いつでも射撃できるようにトリガーに指をかける。
直後、大型トラックほどのそれはゆらりと幻影のように姿を現した。
それは四足歩行かつ半透明のトカゲのような見た目をしていた。背中からSFじみた砲塔を生やし、寒天のような体には光学迷彩装置が至る所に埋め込まれており、捻じ込まれた傷口からじるじると緑色の沸騰した血液が垂らしている。
なにより気味が悪かったのが、グミのような脚や腕、胴体の至る所で蠢く眼球だった。バスケットボールサイズとはいえ、いくつかは上位者に捕食されないよう目に似せた模様『眼状紋』なのだろうが、すべてがギョロギョロと別々の方向を睨んでいるように見える。
集合体恐怖症患者が卒倒必至の醜悪さ。
だが、自然発生したチルドレンではない。明らかに人の手の加えられた人造個体だった。
どうやら、あの砲塔はトカゲもどきの胸中にある『Q粒子崩壊炉』から電力を直結補給しているらしく、半透明の体内でケーブルが丸い球体に刺さっているのが分かる。誰がやったのかは知らないが、倫理や道徳に痰を吐くかけるような存在に、俺は顔を引き攣らせずにはいられなかった。
(あの体に纏わりつく粘液が光を歪曲させているのか。それとも――)
闘牛ほどの大きさのトカゲは、体皮から透明な粘液をさらに分泌させ、じるじるとそいつが踏んだ砂を溶解させている。無機物を溶かすほどその粘液が熱いのか、それとも何らかの化学反応が起こっているのかは分からない。だが、そいつが闘技場へと進むたび、そいつの足から溢れる蒸気はさらに量を増していく。
参加者たちがオペラキャットよりもまず、その半透明のトカゲを警戒していたとき、それは起こった――。
トカゲモドキは全身から大量の蒸気を噴出させながら、一瞬で背景へと溶け込んだのだ。
『き、きえた――!?』
あちこちで動揺する声があがる中、俺は目を凝らしながら、他の景色と比べてうっすらとトカゲ型に緑色の濃い箇所があることに気がついた。だが、ヤツの出す蒸気のせいでその境界線がぼやけてきている。このままではトカゲもどきを見失うのも時間の問題だろう。
そんな状況にも関わらず、観客たちはのんきに好奇の目を向けているだけだった。ブラスターの砲口がすこし上を向くだけで数十人が命を落とすことになる。そのことを予想できないわけではあるまい。それでも観客席に梃子でも動かないとばかりにしがみつくのは、彼らがよほど娯楽に飢えているのか、薬物ですでに脳が穴だらけになって正常な判断ができなくなっているのか。
どちらにせよ、半透明のトカゲもどきが今回の大目玉というわけらしい。そいつが予想外の動きをするたびに、観客席から興奮するような声があがった。
そうこうしている間にも、闘技場に立ち込める濃霧はさらに密度を増していく。
今は敵の位置を補助してくれる外部端末もないため、チルドレンの頭上に名称とレートが表示されることもない。だが、やがてその霧が俺たちの全身をうっすらと包みこんだとき、背後から何かが唐突に鳴り響いたことに気がついた。
風切り音。
空気を裂いて、何かが飛来してくる――。
「っ――」
俺はダッキングの要領で頭を振り下ろして腰を屈めると、直後、頭上を鞭のようなもの通過するのが分かった。空間を抉り取るようなそれは、近くにいた別の参加者の横腹へと直撃する。
骨が折れるような音が聞こえた。
威力も精度も、俺がレベル5にやられたものよりも格段に下だが、喰らった男にとっては致命傷になり得る衝撃だったらしい。闘技場の地面を転がった後、男は呻き痙攣しながら気絶した。
男に飛びかかったのはオペラキャットだった。
牙の生えた口を封じられている分、やつらは爪の抜かれた拳で殴り殺そうとしてきている。そう形容すれば聞こえはいいが、あんな数百キロの怪物が突進してきたとなれば、軽自動車に轢かれるくらいの威力はあるだろう。そして、何より――
『トカゲ野郎――!!』
別の方向から、参加者の怒号と銃声が聞こえる。
直後、光線投射系特有の発射音が濃霧の中で反響し、何人かが倒れる音がした。相模湾から流れてくる潮風が闘技場内部にも入り込み、その影響で徐々にだが濃霧が晴れていく。
オペラキャットに襲撃され、倒されたのがすでに6人もいる。どうやら、光線投射系を喰らった者はいないらしいが、もし直撃でもすれば胴体にでかい風穴が空く。半透明のトカゲモドキは、濃霧を生む前とはすこし離れた場所でじっと全身の眼球を動かしているだけだった。俺はもう一度、じっとりと湿った手でリボルバーのグリップを握り込む。
(討伐難易度はレベル2……いや、レベル3はある。それなりに弱体化してあるらしいが、それでも――)
「レベル3を、ほぼ素手で殺せってことか……」
そう自分で呟きながら、俺はバランス調整をミスした主催者側を恨みたくなった。
ジ、ジジ――。
スポットライトに集まる羽虫たちが熱せられた保護ガラスに接触するたび、焦げた音を立てながら墜落していく。数瞬の後、観客は自分たちの賭けたほうに軍配があがったことで、再度、熱狂的な歓声をあげている。
夜はまだ、始まったばかりだった――。
***
「よォ、クナイ」
闘技場に隣接した管制塔の最上階フロアに一人の男がやってくる。司会進行役のDJが喚きたてる横では、黒紋付の羽織袴を着た男が座っていた。宮内。人体には劇毒であるはずのメタノールを嗜みながら、クナイは声をかけてきた男へと顔をあげる。
「珍しいな、黒鉄。お前がここに来るとは……」
そこにいたのは、シガーソケットのような真っ赤な単眼を首の上に乗せた義体者だった。剣つるぎのように細い脚部をフロアタイルに突き刺しながら、男はすこし浮遊するようにして眼下の闘技場に視線を向ける。
「すこし気になったもんでな」
「ほぅ、気になるやつでもいるのか? 残念だが、今年も例年通りレベルは低いぞ。家事手伝い用のアンドロイドを魔改造した方がまだ使える。今回も、みんな爆弾用かな」
「……だが、うちはアンドロイド兵を作りすぎた。ほとんどが廃棄されたものを繋ぎ合わせたキメラだ。警備させるにしても、燃費が悪いったらありゃしない。……だろ?」
宮内と黒鉄はしばらく無言のまま互いの顔を見やったあと、誰かに指示されたわけでもなく同じタイミングで笑った。
長い付き合いらしく、気の知れた仲らしい。
「オレの目当ては、あの、青いやつだ。たしか月庵から脱出してきたのを保護したというのは聞いた。だが、調教師の何でも屋に聞くと、途中で脱走されたんだと。この集落からは逃げてないだろうが、どこにいるのかまでは分からな――」
そこで、クロガネは何かに気がついたようにして、じっと闘技場内に目を向けた。視線の先ではひとりだけ、よほど顔を隠したいのかパーカーを目深にかぶった者いた。
「いや、待て。あいつ、もしかして……」
クナイはそれをせせら笑いながら肯定する。
「気づいたか」
「……ンで、あんなとこに?」
「さぁ? きっと暴れたくなったんだろう」
そのパーカーの男は他の参加者たちと比べてサンダルという軽装にも関わらず、戦闘経験者なのか明らかに動きが違っていた。一部器官を摘出することで調教した、光学迷彩のイモリのブラスターも寸前で避けてきたように見える。
この濃霧で観客の九割以上がうっすらとしか現状を把握できていないだろうが、赤外線カメラが内蔵された義体者にとってはその限りではない。そのとき、クナイはその青年の左目から淡い光が漏れていることに気がついた。
「む、まさか、接続しつつあるのか……」
「アレにか? まさか、報告書に記載はしたが」
「違う。もっと深部にだ。あれは、ちとマズいかもな」
宮内の言葉に、黒鉄は腕を組みながら腰の機械刀に手をやる。
「取り敢えずは様子見か。……まぁいい、いざとなればオレがでる」
「頼む。ま、他にも面白そうな参加者がいるから、心配は無用だろうがな」
黒鉄は何を言ってるんだとカマキリのように首を傾げた。
宮内はさすがに気配の消し方が巧いなと、壁際で佇むもうひとりの青年へと目を向ける。首都三大企業のうちの一社【S.S】が生みだしてしまった外れ値のようなもの。クナイは再度せせら笑うと、黙ってみていろとばかりに頬杖をついた。
***
二度目の濃霧顕現。
三度目の攻防ですでに、こちらの半分がやられた。近くには手足がもげた参加者たちが寝そべっており、すでに戦意喪失しているように見える。となれば、あと何回かあの濃霧が発生すれば、今度こそ俺たちは全滅することになる。
「くそっ――」
ここの運営は人間側が全滅したとて、どうせ死体処理が面倒程度の認識しか持ち合わせていないだろう。やらなければ死ぬ。俺は観客の熱気が雪崩れ込む場内でひとり、オペラキャットの一体を追いかけていた。
(あのトカゲもどきが地味に厄介だな。やつはおそらく蒸気が充満した状況でしか自らの姿を眩ませることができない。だが、濃霧が晴れるのを待っていると、やつの生みだす蒸気に乗じて三体のオペラキャットがこちらを削っていく)
トカゲモドキの全身の粘液も強酸性なのか、迂闊に近づくことだってできやしない。濃霧が晴れたときの出現位置も不明で、後ろからの奇襲を警戒しているのかは分からないが、毎回、場内の壁際で現れる。
それに、すでに戦意が削がれた者たちは観客に野次と生ゴミを投げつけられながらも、岩のように壁際でじっと潜んでいる。時間制限いっぱいまで気配を消して逃げきる算段なのだろう。
(霧が晴れたら晴れたで、やつのブラスターによる後方援護と、オペラキャット三体が固まって一人ずつ削ってくる。このペースじゃ、どのみち時間制限まで生き延びられない。また濃霧が出れば、視界不良の中で弱いやつから順々に狩られていく)
ジリ貧。
そんな単語が脳裏でちらつく。
だが、そんな中でも、俺はグミトカゲの特性を掴みつつあった。
やつは攻撃をする際、必ず光学迷彩を解かなければならない。つまり攻防一体ではないということ。蒸気と光学迷彩で姿を眩ませている間は、ブラスター砲の威力が落ちるからなのか撃ってくることはない。
あの濃霧の発生原理も気になる。
無論、ゲームではないのだから明確な条件があるとは限らないだろう。
だが、収斂進化のように、最適化されすぎた生物は最も効率の良いメカニズムに沿った行動をする。突然変異であろうと、環境に適応しようとすればするほど、その生態や動きは機械のプログラムと変わらなくなっていく。
それが侵蝕された時点で肉体を最適化させられ、人間への敵愾心を植えつけられたチルドレンならば、より――
「…………」
人造のチルドレン。
観客の投げたゴミ、漏電した広告パネル、ポケット中の二発の9mm銃弾、グミトカゲの援護と三体のオペラキャットの連携。隙を突ければやりようはある。
「――――ッ」
俺は銃弾の飛び交う戦場で、一匹のオペラキャットを追いかける速度のギアを数段あげた。
チルドレンには同種族内で役割分担をする群れも多い。三体のうち、明らかに戦闘に参加していない個体が一匹――指示役だろう――他の二匹はそいつの指示に従って弱いやつから狙っているように見える。俺は狩りにくい獲物だと思われてか、追いかけても逃げられるだけだった。
チャンスはトカゲモドキが次に濃霧を噴射したとき――
一方的に追いかけていた俺の手がついにオペラキャットの尻尾に手が届きそうになったとき、突然、他の二体が俺の前に立ちはだかってきた。想定はしていた。だが、この展開までは分かるまい。
刹那、俺は反対側の壁際で悠長にブラスターを撃っていたグミトカゲに、リボルバーの照準を向けた。走りながら、かつ、片手でろくに力も入らない状況。トリガーが引かれる。錆びついた銃弾は幸運なことに、俺が狙った通りの場所へと吐きだされていく。
直後、三十メートルは離れていただろうトカゲ野郎の眼球に、俺の銃弾が風穴をあける。おかしいとは思っていた。参加者の誰もが廃棄品で弾も少ないとはいえ、何人かは銃弾を乱射していたのだ。それなのにやつはぴんぴんとしている。
つまり、やつの全身の粘液が銃弾の威力を殺しているということ。だが、その粘液にも覆えない箇所があるはず。現にやつの本物の眼球――正面以外にも360度見るために配置してあるソレ――は、視界を確保するためか粘液が薄いか完全に乾いている。
近距離からのマズルフラッシュに反応して、保護膜を開閉する知能もあるらしい。だが、いくらチルドレンが再生可能とはいえ、遠距離からそこに銃弾がぶち込まれれば――
「――っ」
瞬間、俺の勘は当たった。
グミトカゲの眼球がぶちっと怪音を立てながら潰れ、凄まじい叫び声をあげたのだ。ゾウの鳴き声を連想させるそれがしばらく闘技場全域に響きわたった後、やつは今までとは桁違いの蒸気を吐きだしはじめた。
爆発的に発生した濃霧が津波のように膨れ上がり、遠くにいた俺の体とオペラキャットたちを吞み込んでいく。一瞬でスポットライトの光がぼやけ、観客席で飲み食いしていた観客の手からコップやら何やらがふきとばされる。
俺はリボルバーを投げ捨て、姿勢を低くすると地面を蹴り抜いた。
狙うは司令塔のオペラキャットだけ。
鼻から雑魚に興味はない。
頭を潰してしまえばどうとでもなる。
オペラキャットたちも突然の濃霧発生に驚いていたが、すぐに体勢を立て直したのか、壁際まで後退をはじめる。だが――
「逃がすかッ――!!」
一匹だけ、他の二匹より僅かに体格のでかいやつがいる。
ナイフを取りだす。俺はそいつに向かって、地面が抉れるほどの威力で蹴り抜いた。
直後、視界不良の中でぼんやりとした影が横から迫ってくる。
俺がさっきまで追いかけ回していた個体だった。四つの横並びの紫色の眼光に、今にも俺を喰い殺さんばかりに調教用マスクを涎で汚している。そいつは俺に向けて右脚を振りかぶっていた。
猫パンチ。
そう言えば聞こえはいいが、いざ目の前にすると巨大な丸太を槍のように刺突されているような感覚だった。飛びかかり、馬乗りを狙っているのだろう。ボッ、と空気が脇に押しやられる音がし、ソレはついに眼前にまで迫ってくる。
「――――ッ!!」
俺は即座に体を前傾姿勢にし、地面に右手をついて倒れ込むと、やつの股の下に向けて地面を蹴り抜いた。不発に終わった猫パンチがヴン――と背後で空を切り、俺はじっとその個体の腹を見上げながら股の下を通過していく。
レベル5の薙ぎ払いに比べたら、この程度の飛びかかりで怯むわけにはいかない。
もう一匹のオペラキャットも気づいたのか、反転して反撃に出ようとしているが、他の参加者の援護射撃もあってか間に合わない。完全にリーダー格のオペラキャットと一対一の状況。だが――
(やはり、反撃してくるか――)
弱肉強食の極み。
チルドレンはいくら自己再生能力が高くとも、弱すぎる個体は群れから追放される。そのため、群れの中での上下関係は常に実力によって決められる。この三体のうち指令役のこいつは、筋力、技量、知能、すべてが他より高い個体なのだろう。
他の二体と比べ、僅かにキレのある猫パンチ。
この状況下においても、他の参加者たちへの警戒もしている。他の二体とは違い、自らの治癒能力も過信していない。だが――
「――っ」
俺はオペラキャットたちの攻撃方法が、左右どちらかの猫パンチに絞られていることを見抜いていた。それもそのはず、彼らには本来『噛みつき』という専売特許があるのだ。それが主要武器と言ってもいい。さらに言えば、彼らの両手・両足の爪を引き抜かれているように見える。そのせいで鋭利な爪で頸動脈を抉るような『ひっかき』はできず、殺傷力の低い『殴り』だけに絞られているのだ。
(軽装備の人間側に対するハンデ。趣味は悪いが、喰らっても肋骨の数本しか折れないと分かっていれば――)
リーダー格の右腕が地面から跳ねあがる。
そのまま振り上げ、猫パンチの予備動作へと移行する。
フェイントはない。俺はそう確信した瞬間、自分の足の裏にズンと力を込め、右手で握っていたナイフをやつの右手首に向けて突き出していく。
瞬間、双方向の力が合わさり――こちらは隻腕だというのに――刃がやつの手首を貫通した。
霧のように噴出する緑色の液体、威力の削がれたやつの殴りはよろよろと減速し、やがて体重でのしかかろうとしてくる。俺は上体を後ろに倒すと、右足の踵をやつの顎めがけて跳ねあげた。
鉄骨を蹴りあげたような鈍痛が右足に走る。
ステンレス製の調教用マスクに罅が入り、重々しい音を立てながら破損していく。脳を揺らされたのか、そいつはギョロギョロと四つ並びの眼を別々の方向に動かしている。俺はナイフを引き抜くと、その四つの眼球に刃を順々に突き刺していく。
ぶどうの果実のようなそれを潰していくと、そいつは堪らず両手・両足を使って暴れはじめた。再生する時間稼ぎのつもりなのか、何度も腹を見せながら転がりまわっている。調教用マスクが取れたことに気づいていないのか噛みつきだけはしてこなかったが、これではまともに近づけない。
そう思っていると、そいつの腹の上部、胸のあたりにぼんやりと赤や青、紫といった光の螺旋を描く球体が透けているのが見えた。
気づけば俺は、言葉で考えるよりも先にそこに飛びかかり、ナイフを振り下ろしていた。
チルドレンの皮膚は硬い。
だが、どの部位もガチガチに硬いと、今度は動きづらいせいで敏捷性が下がっていく。本来の生物の特性でもそうだが、哺乳類系はそこまで戦闘力が高いわけではない。群れをつくり、尚且つ、戦闘力が高いのは昆虫型『インセクトシリーズ』と海洋類全般。今でも海洋封鎖されたまま航路が使えないのはやつらが邪魔をしているからだ。
と、気づけば、濃霧が潮風に乗って晴れていく。
観客たちは自席から転げ落ちている者がほとんどで、自分たちの投票券を失くさないようにするので精一杯だったらしい。だが、薄くなる濃霧に対し、足元ではじゅうと漏れる蒸気が勢いを増していく。
俺は緑色の酸性の血で汚れた手をズボンで拭うと、ナイフを付着した血液ごと振り落とし、どろどろと黒く溶け始める死骸から降りて、ひと息つくのだった。
「まずは、一匹」




