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第9話 カモフラージュ


 そのとき、地下空間内の天井付近に淡い光弾が飛んだ。

 それは緩やかなカーブを描いて空間内の中央へと到達すると、すぐにパッと周囲に白く眩い光をまき散らし始める。


 携帯型照明弾。


 百万カンデラ、……とまではいかずとも、それなりに明るい光弾が一時的に空間内の暗闇を払いのける。天井付近でふわふわと浮遊するそれは、無反動砲や迫撃砲によって空高くに打ち上げられる照明弾とは違ってかなり小さめのものだった。


「――――ッ」


 だが、俺はナノマシンで強制的に瞳孔を広げていたせいもあってか、突然発生した明るさに視界がホワイトアウトしてしまう。これでは順応するまで時間がかかるだろう。それに対して後ろのハイエナは、動物型のメットにフラッシュ対策の機能でもしてあるのか、さして動揺しているそぶりはなかった。

 突如、狼の遠吠えのようなものが空間内に響きわたる。

 すべての視線がそちらへと集中し、やがて生じた硝煙と銃声でハイエナの凶行はかき消される。これではスカベンジャーが俺の首を絞めているのに誰かが気づいてくれることはないだろう。


「いいのか、停電したってことは、お前らが開けた外部水脈との弁も自動では閉まらないってことを意味するんだぞ。何かあったとき、都市に睨まれるのはお前らのはずだ」


 バチバチと爆竹のように生じる銃声のなかで、俺は銃口を突き付けられたまま時間稼ぎでもしようとハイエナに話しかけた。ステラかスカルフェイスが気づいてくれないかと目を向けるも、彼らはスタンピードの処理に追われているようだった。


「都市は介入してこないぜェ? やつらはチルドレンとの生態データと、弾薬や兵器が消費されることだけを望んでるからなァ! ニューホンコンへの実戦データと最新鋭の戦略兵器取引がこの都市の生命線な以上ゥ、俺たちがどうなろうと知ったこっちゃないのさァ」


 それに、とハイエナは意気揚々と話を続ける。


「それにィ、オレには馬鹿なキリンとは違って爆弾は仕込まれてない。あいつの口で傭兵で獲物を釣ってェ、オレがそれを狩るってなわけよ。分かるかァ?」

「…………、……何が目的だ? 言っておくが、このスタンピードのせいで大金なんて持ってないぞ。強盗でもしたいのなら、下層に降りてきた企業役員でも狙うんだな」


「悪いがァ、企業に手を出すのはオレたちの間ではご法度でなァ。リスクとリターンが割に合わねェシ、そもそもお前を襲ったのはそれだけが原因じゃなァ~い」


 そこで、俺はここに来る前に遭遇した男の雰囲気と、後ろにいるハイエナの奇天烈な雰囲気が重なるのを感じた。


「お前、まさか、さっきの強盗集団のひとりか……」

「ビ――ッンゴォ! ダイダイ大正解だァァ!」


 ひょこひょこと音楽にでも乗るようにして俺とステラの背後から近づいてきた男と、いま俺の首を絞めているハイエナの気配とが完全にリンクする。となれば、考えられるのはひとつ。


「恨みでも買ったか?」

「んー、まァ、そんなとこだなァ! けど、オレが狙ってるのはお前の身ぐるみすべて剥ぐことだからなァ。とりあえず、持ってる武器をぜんぶ床に置けやァ!」


 ギリギリとこめかみに銃口が押し付けられる。

 俺は突き付けられた短機関銃のトリガーに指がかけられているのを見て、しぶしぶ持っていた自動式拳銃を床に落とした。金網の足場に銃が落ち、何度か跳ねたのちにハイエナの足がそれを踏みつける。


 あとで売って金にしようとでも思っているのだろうか。俺はそれをちらりと確認しながら、ゆっくりと両手を上げた。肩にかけられた突撃銃は、この状態では降ろせないと示すようにして。


「やめとけよ。今回ばかりは傭兵を雇うために、NMM都市傭兵課のサービスを使ったんだろ。ここで俺たちに何かあれば、都市政府から睨まれるのはお前らのはずだ。あいつらは自分の顔に泥を塗られるのを病的なまでに毛嫌いしてるからな。……お前、殺されるぞ」


 脅し文句のつもりだったのだが、当のハイエナはすでに後ろをとって銃口を向けた相手からは、無条件に金品や武器を奪い取れると確信したようにして吠えはじめる。


「オレは脳内インプラントで無理くり脳を拡張してるからなァ。アイキュー140になったオレの計算システムはサイキョーだからァ、お前を襲うことで得られるリスクとリターンを鑑みてェ、プラスになると判断したんだよなァ!」


(どんなデタラメな計算機システムを入れれば、そんな頭のおかしな思考回路になるんだよ……)


 さっきから妙に学のある言葉で支離滅裂なことを言っていると思ったら、どうやら付け焼刃の知能指数ブースターでも使用しているらしい。安物の知能強化系統のブースターは脳に負荷がかかりすぎることから、人格に問題バグが出てしまっているのだろう。


 俺はまるで会話の通じない宇宙人と話している気になりながらも、何とか事を荒立てないようにと俺はできるだけ無抵抗な人質を演じ続ける。


 そのとき、どこからか「ポン!」という間抜けな音が空間内に響き渡った。

 直後、水面下で青白い光が走ったと同時に、凄まじい轟音と巨大な水柱が上がる。


 沈殿池の底にたまっていた汚物がかき混ぜられ、一瞬で透明だった池が茶色く濁っていく。大量の水しぶきに目をつぶりながらもその方向に目を向けると、キミの悪い魚もどきが水面にぷかぷかと浮いている状態だった。


「水棲型新生物用の特化榴弾か……」


 『W型特化榴弾』

 それは通常の榴弾とは違い、水中で動き回るチルドレンを討伐するための榴弾だ。コアを破壊しなければ即死させることができない――特に地中や水中、動きのやたらと早い敵などの――チルドレンを相手にするとき、まずは不可能なほどの致命傷を与えて行動不能にさせるのが定石となる。


 方法はいくらでもある。


 スタングレネード、音響戦略兵器、デコイ型簡易地雷、そして何かに特化した榴弾など。

 今回は水中の敵に対して、爆発によって誘爆する感電兵器から一万ボルトの電撃が周囲へと放たれるタイプの『W型特化榴弾』が使われたらしい。


 発射点を逆算してそちらに視線を向けると、そこにはスカルフェイスが銃を構えたまま立っていた。アンダーバレル式グレネードランチャーから榴弾を発射したのか、銃身の下に付けた筒からは硝煙が漂っている。

 だが、スカルフェイスが金網の足場で銃を構えながら、いかにも苦い顔をしているだろう雰囲気をにじませていることから、一発、一発がかなり高価なことが分かる。これでは、このウェーブを乗り切るだけの絨毯爆撃など到底できるはずもないだろう。


 そのときだった。


 瓦礫の岸際でひとりの少年が、下から這いずり上がってきたオペラキャットに足を掴まれ、思いっきり下半身にひっかき傷を負ったのだ。かなり傷は深いらしく、少年は腱でも切ったのかドサリとその場で倒れてしまう。


「――ぁ、……っ、あ……、あぁッ……!」


 狂ったように少年はそのオペラキャットに銃をぶっ放すも、チルドレン特有の皮下装甲を対人用の弾では貫通させることはできなかったらしい。オペラキャットが少年の右腕に噛みつくと、そのまま沈殿池へと引きずり込んでいく。

 地下空間内には、鼓膜が破けんばかりの銃声とマズルフラッシュが点滅しており、そのたびに凄まじい量の銃弾が光の軌跡を描きながら飛び交っている。


「おーお――! 死ぬぞォ、ガキが死ぬぞォ!!」


 ハイエナにも少年を視認できたのか、しきりに興奮した様子でそれをせせら笑いながら眺めている。他の少年たちも自分の身を守るので精一杯なのか、水辺へと引きずり込まれていく少年に気づいている様子はなかった。


「はははァ、ありゃあ死ぬなァ! 間違いなく死ぬなァ!!」

「…………」


 ステラに連絡をしようにも、殻にチェッカーを取り付けられている以上、下手に回線を誰かに繋げることはできない。だからだろうか、後ろにいるハイエナは勝ちを確信しているのか、すでに俺のことよりも喰われかけの少年を見て愉悦に浸っているようだった。


 ハイエナといい、キリンといい。どうしてスカベンジャーはこうも自分よりも弱い存在を嬲るような行為をするのか。この下層において比較的無害な彼らに恨みでもあるのか、それとも自らの過去の自分を彼らに投影しているのか、はたまた……。


 どちらにせよ、俺はハイエナの踏んでいる自分の拳銃を目だけで見下ろすと、手をやる気なさげに上げたまま口を開いた。硝煙のような白い息が、口から筋となって吐きだされる。


「お前にひとつ聞きたい」

「ん、んァ、……なんだァ?」

「人が死ぬのは、そんなに楽しいか?」


 単純な疑問だった。

 価値観の違い。文化圏の違い。生まれ育った環境や言語の違い。

 単なる私怨によって俺を襲ったのだとしても、最後にひとつそれだけは確認しておきたかった。


「そりゃァ、オマエ、ヒトが死ぬのは面白いに決まってるだろう。この世で最っ高のエンターテインメントだぜェ!」


 それを聞いて、俺は自分の中で何かが吹っ切れたのを感じた。

 脳みそに清涼剤でも入れられたようにして、スゥと思考が冴えていく。視界が際限なく広がっていくのを感じる。


 こめかみに付けられた銃口と悪意、足で踏まれた拳銃、冬の最終沈殿池、0℃に達しない程度の水温、体温調節機能のある強化服。溺れかけの少年、それに喰らいつくオペラキャット。ネズミに噛まれて漏電したケーブル、アンダーバレル式グレネードランチャー、W型特化榴弾。



【■■■■■■、□□□□――】



 ああ、ノイズが聞こえる。

 体が勝手に動きだす。


「助ける方法ならある」

「……んァ、なに言ってんだおめェ? 言っておくがァ、すこしでも動けばテメエの頭には風穴がァ――」

「やりようなら、ある――』


 とうとう少年が水中へと片足が引きずり込まれていき、やがて下半身まで水中に浸かったころ、俺はゆっくりと上げていた両手を降ろした。直後、俺は肺が破裂しかける寸前まで息を吸うと、首をすこしだけ横へと曲げてハイエナの方をちらりと見て、笑った。


「こういう、ことだよッ――!!」


 次の瞬間、俺は思いきりのけぞりながら()()()()に密着していた短機関銃のバレルを突き上げると――反動でトリガーが引かれたのだろう――何発かの銃弾がひたいを掠めて天井へと飛んでいった。俺はのけぞった勢いのまま後ろのハイエナの顔面に頭突きを食らわせると、そのままやつのメットごと鼻の骨を粉砕する。


 本来であれば銃口を突き付けるような使い方をしない短機関銃は、トリガーが引かれ続けているせいか銃口が反動で上へと向きっぱなしになり、やがて軽い音とともに弾切れになる。足元にある自分の銃を上へと蹴り上げるようにして沈殿池に落とすと、俺は体勢を崩したハイエナの顔面を鷲づかみにして、握力と腕力にものを言わせて背負い投げの要領でぶん投げる。


【強化服、瞬間出力、最大――】


「せァァアアッッ――――!!」


 対人戦における柔術は習ったことも、達人級のテックを入れているわけでもない。すべて強化服の馬鹿力まかせだ。それでも、それは大人の男ふたりをそのまま落下防止柵の向こうに投げるには、十分すぎるほどの勢いだった。


「な、ァ…………!?」


 まさか本当に飛ぶとは思ってもいなかったのだろう。ハイエナの驚愕した声が漏れ、すぐに俺と揉み合うようにして汚水に満ちた沈殿池へと落下していく。内臓がぶわりと浮く感覚に、やがてこの冬の地下水の冷気が全身を包み込んだ気がした。


 ――直後、チルドレンが大量にいる沈殿池にふたつの巨大な水柱が立った。



               ***



「オーナー?」


 ステラは目の前に迫ってきていたゴアドッグの頭部を斬り飛ばすと、そのまま胸部のコアに刃を突き刺すことでトドメを刺した。すぐに機械刀を払うことで、刃に付着した体液が焦げ目になるのを阻止する。瓦礫の山で泥だらけの冷蔵庫を踏みつけながら、ステラはオーナーがいるであろう場所を振り返った。


 おかしい。

 さっきから何も通信が入ってこない。オーナーなら数分に一度は必ず、上から俯瞰した視点から見て適切な配置変えを指示するはず。現に、いまもわたしが独断で行動して瓦礫の山を駆けまわっては、独断で敵を斬り伏せている。


 ステラは照明弾の白光を浴びながらも、次々と手当たり次第にチルドレンの頭部や四肢を斬り飛ばしていく。暴走ナノマシンの話は本当らしく、いかにチルドレンが不死身とはいえど、体の一部が濃硫酸で溶かされて動きが鈍い個体がほとんどだった。これなら、チルドレンに深手を負うことなく完勝することも可能かもしれない。そんなことを思っていた、そのときだった。


 視界の端で――暴走したナノマシンに皮膚でも喰われたのか――肋骨や筋繊維が剥き出しになったオペラキャットが水面にひとりの少年を引きずり込んでいくのが分かった。少年は悲鳴を上げているようだったが、飛び交う怒号と銃声でそれもほとんどかき消されてしまっている。


(オーナー、オーナー?)


 オーナーに簡易通信を繋げようとするも、なぜか殻に閉じこもったままらしく繋がらない。おそらくは


 携帯型の照明弾は消えかけのロウソクのように、徐々にその高度を落としつつある。あと一分もしないうちに照明は消え、このあたりは再び真っ暗闇に包まれるだろう。下層のデジタル公共便所ならぬ、公共のサーバーに接続できないことからも、下層の大部分で停電が起こっているのは間違いない。


「そいつ、あとやっといて!」

「……えっ、……ちょっ、まっ……」


 近くで対人用の銃を撃っていた少年Dにその場を任せると、ステラはその少年の方へと走りだした。加熱式はバッテリーの消耗も早い。ステラの義体の炉心のエネルギーを喰っている以上、短期決戦でチルドレンの群れを消化できなければこちらが追い詰められていく。

 弾薬も燃料もバッテリーも使えば使うほど、持久戦ではこちらが不利なのだ。おそらく、このままのペースではあと一時間と持たないだろう。


「――――ッ」


 やっぱりこんな依頼を受けてはいけないと、オーナーに助言すべきだったのだ。

 ステラは遅まきながらに、人工シリコンの唇を噛みしめた。


 ――そのときだった。


 突如、上から大きな物体が揉みあうようにして最終沈殿池へと落下したのが見えた。ステラの秒間一万コマを捉える義眼が、今しがた見た映像をスロー再生で解析をはじめる。あれは、ニンゲンだ。ひとりはスカベンジャーのような仮面をつけており、もうひとりはQTEMバンドをつけた傭兵のようで――


(QTEMバンド、ビビットカラー「♯60ff60」!? まさか――)


「オーナ――ッ!!」


 ステラは加熱式機械刀を握りしめながら、沈殿池に上がる水柱に向かって叫んだ。声が聞こえるとは思わないが、それでも白い光線のように飛び交う銃弾のなか、ステラは飛び込むか否かを判断しかねていた。


 オーナーならばこんな状況でも、何か考えがあるのではないか。

 そんなことを思ったからだ。


 自分のオーナーを信頼すべきか、それとも自身の心配を優先すべきか。それは精神年齢が齢16才にも満たないステラにとっては、あまりにも重い選択肢だった。


 気づけば、最初に助けようとしていた少年は沈殿池へと引きずり込まれていき、やがて助けを求めるような手がどぷりと水面に消えていくのに気がついた。それは飢えた肉食魚のいる水槽に、一匹の生餌いきえが投下されたようだった。直後、水面下で生餌に気がついた魚もどきたちの紫色の光が、少年と水柱の方へと群がりはじめる――。



               ***



 俺は沈殿池へと身を投げたとき、何とかハイエナの踏んでいた拳銃を空中で掴むと、ロクに着水体勢にも移れないまま水面へと落下した。衝撃、一瞬で冷水が全身にまとわりつき、さらに下へ下へと引きずり込んでいく。

 たとえ五メートルの高さとはいえ、身につけている装備を含めると八十キロは軽く超えるのだ。そのため予想よりもはるかに強い衝撃に、俺はあやうく水中で空気を求めて喘ぎそうになった。だが、あまりにも冷たい感覚にここが水中であることを思いだし、間一髪のところでそれを阻止する。


 体水は体感で3℃といったところか。

 寒い。いや、痛い――。


 全身の皮膚に無数の針でも刺されているように水は冷たい。鼻の穴や唇のスキマから侵入してこようとする冷水に、俺は全力で抵抗を続ける。もし下水を一滴でも飲もうものなら、今夜は血便パーティ間違いなしだ。幸いにも深呼吸していたこともあってか、息はそれなりに持ちそうだった。


 いかに廃棄物焼却炉の熱があっても、この施設すべての水槽に熱を行き渡らせるのは難しいということか。だが、最終沈殿池は消毒槽の前の最後の浄化水槽だ。そのおかげもあってか、想定していたよりも水質はかなりいい。しかし――


(くそッ、マズいな。このタイミングで照明弾がなくなるのか……)


 その瞬間、頭上で煌々と光を発していた照明弾がふっと消え、代わりに三センチ先も見えないほどの暗闇が訪れる。なぜかやたらと目に染みる水の中で、俺は自らのQTEMバンドの明かりを頼りに瞳孔を限界まで開けていく。


 義体者ならば脳内で思い浮かべた声でも、近くにいる者との簡易通信による会話が可能なのだろうが、俺は残念ながらタンパク質由来のニンゲンなのだ。デジタル腹話術を習っているわけでもなければ、脳内にそんな特殊なデバイスを入れているわけでもない。だが――


「――――ッ」


【CLOSED → OPEN】



 左手の義手の手首にある赤色の小さなスイッチを押すことで、自分の外部ネットとの接続環境を強制的にオープンにする。普段の現実拡張デバイスや網膜認識型ディスプレイとは違い、緊急時用のアナログな手段のひとつだった。


『オーナー、オーナー!?』


 次の瞬間、脳内でぼやけたようなステラの声が聞こえた。水中だからだろう。耳の中に水が入った状態で音を聞いているような感覚がする。こめかみの部分に付けられた金属板、もとい骨伝導式のイヤホンもどきが、水中でもいかんなくステラの声を拾って再生している。――そう、話すことは無理でも、聞くだけならば義体化していない体でも可能なのだ。


 脳内に直接流れてくるステラの声を鑑みるに、どうやら俺が落ちたのを確認していたらしい。――となれば話は早い。


「…………っ」


 俺は自分の左手の義手に装着していた腕時計を右手で触れると、その保護レンズの部分を思いきり押し込んだ。防水加工がされたタクティカルライト。主に目くらましとして使う用に買ったのだが、まさかこんな状況で使うことになるとは。


 腕時計のような形をしたガジェットは、レンズを押されたことで眩い光を放ちはじめ、やがて指向性の強烈な光を放ちはじめた。俺はそれを水面に向けると「SOS」のモールス信号でもするようにして、右手の平で隠したりすることでシャッター開閉の代わりを意識する。この暗闇であれば水面下の明かりは水面まで届くはず。


『オーナー、あっ、見えた! 見えたよ!!』


 誰かが沈殿池に落ちたという情報はいち早く共有されたのか、予想よりもかなり早い段階で携帯型照明弾が追加される。だが、水中でもどちらが水面なのか分かるほどの照明は、幸か不幸かチルドレンまでもを活性化させてしまったようにも感じた。


 そのとき、無数の紫色の光がこちらに近づいてきているのがチラリと見えた気がした。

 水中かつ活性汚泥の舞う視界でうまく分からないが、徐々に光は数を増しながら接近してきているようにも感じる。


(大丈夫、大丈夫だ。自分の体に出血箇所はない。だから、まだ正確な位置はバレていないはず……)


 魚もどき共はおそらく、聴覚や嗅覚、視覚、触覚で獲物を探している。だが、聴覚は水槽内に響きわたるポンプの稼働する轟音で聞こえず、おそらく嗅覚はこの下水の臭いで麻痺している。よほどの重出血でもしていなければ気づかれないだろう。


 視覚に関しては、この活性汚泥の舞う水中ではほとんど視界がゼロに近しいはず。たとえ暗視能力を魚もどきが持っていたとしても、これではほとんど視力は頼りにならない。となれば、やつらが獲物を発見する方法はただひとつ――。


(くそっ、頼むから誤射だけはしてくれるなよ……)


 俺は静かに右手首のQTEMバンドをひねりながら、プリセットしておいたチルドレンの目と同じ紫色のカラーコード「♯ff60ff」にする。これだけで魚もどきから逃げ切れるとは思えないが、それでも付け焼刃のカモフラージュにはなるだろう。


 俺は汚水を飲み込まないように息をすこしだけ吐くと、活性汚泥を吸い取るためのポンプに吸い込まれないようにゆっくりと泳ぎはじめた。


 水流はそれなりに激しいものの、抵抗できないほどではない。それはポンプに本来ついていたチルドレンや瓦礫ごと切断する刃つきのスクリューに、数えきれないほどの粗大ゴミが詰まっているからだろう。一度も整備がされていないせいか、本来の吸引力よりも数段勢いが落ちているらしい。


 ここで無理にポンプから逃げようとしても、おそらく水面に出たところをチルドレンに狙われるだけだ。たとえ、酸素を赤血球よりも保持できるナノマシンが血中にあろうとも、ニンゲンは水中で無限に活動できる生き物ではない。水面で体力が尽きて動けなくなった虫のように、魚もどきは疲弊しきったその瞬間を狙ってくるはず。


『――――ッ! ――――ッ!!』


 ふいに、どこかからか悲鳴のようなものが聞こえてきた。

 水中にいるせいか、声は鈍くどこかでハウリングでもしているようにして反響している。やがてそれは自分とすこし離れた水面でバシャバシャと音を立てながら泳ぐ、ハイエナの悲鳴だということに気がついた。


 瞬間的な筋肉増強剤でも使ったのだろうか。てっきり水槽の底にでも沈んでいるかと思っていたハイエナだが、いつのまにか水面でバシャバシャと瓦礫の中州に向かって猛スピードで泳いでいる。


 どうやら叫び声から助けを呼んでいるらしく、彼のおかげで自分がいま水深4メートルほどにいることが分かった。下をよく見てみると、汚泥の沈殿した床がわずかに見えている。となれば、ここの沈殿池の水深は5メートルほどなのだろう。


「…………」


 俺はじっとハイエナを水中で見上げながら、できるだけ音や波を立てないように彼から離れようと泳ぎだした。魚もどきたちは聴覚や嗅覚、視覚が塞がれた状態で獲物を探すのに、触覚を利用しているはず。

 あんな獲物を引き寄せるような泳ぎ方では、おそらく――


 ハイエナは犬かきのような泳ぎ方で、増強された筋肉にものを言わせて水辺から上がろうと必死に下水をかいでいく。だが、その手が粗大ごみの一部に届きそうになった、次の瞬間――


『――――ッ!? ――ァ、ギッ――!?』


 水中にいた紫色の光が凄まじい速さで音の立つ方へと群がっていくと、一斉にハイエナの体へと魚もどきたちが口を開けた。獲物を捕らえるため、剣山のようにビッシリと生えた牙がハイエナの体にめり込み、一瞬で水中へと引きずり込んでいく。抵抗こそしているようだが、対人用の銃の威力では魚もどきの薄皮一枚すら破れないらしい。


 そこからはもう、ただ生餌に喰らいつく肉食魚を見ているようだった。


 無数の魚もどきたちが、最初は左脚、右腕、右脚、と四肢をもいでいくようにして啄んでいき、あっという間に胴体と首だけになっていく。茶色く濁った沈殿池の中に、ドス黒い血がぶちまけられていく。それは赤色の絵の具が付着した筆を、汚れたバケツの水で洗うような光景だった。


 当然、その光景を下から見ている俺は“ニンゲンの解体ショー”のようなあまりのグロさに、吐き気を催しながらもハイエナの血肉を避けるようにしながら泳ぎ続ける。これで魚もどきたちの嗅覚はさらに麻痺しただろうが、同時にチルドレンを興奮させてしまったに違いない。


(――落ち着け、落ち着け。血中にナノマシンがあればそう窒息したり、溺死することはない。施設での潜水記録だって二十分はいけたんだ。まだまだ潜ってられるはずだ……)


 ただひたすらに祈るようにしながら、俺は自分がどうやって陸地へと上がるかを考える。ときおり自分のすぐ近くを魚もどきらしき影が通過していくたびに、自分の体が吹き飛ばされるほどの水流に翻弄される。


(マズい、酔ってきたな……)


 二日酔いのような軽い頭痛を覚えはじめ、俺は脳や体内にある毛細血管が悲鳴を上げはじめたのを感じた。飛び込む前に吸ったのは、地下にある密閉された空間の空気だけなのだ。たとえ深呼吸したとはいえ、純酸素を吸ったときよりも酸素濃度ははるかに少ない。


 ドクン、と心臓が高鳴る。

 必死に冷静さを保とうとするも、それが焦りとなり、無意識のうちに更なるエアーを消費していく。ひとつでも選択肢を誤れば、次に人肉ハンバーグになるのは自分なのだ。それを再確認し、生唾ではなく空気をごくりと飲み込んだそのとき、俺の腕に何かが引っかかった。


「…………っ」


 まさか魚もどきにバレたのか。あの剣山のような牙で俺も殺されるのか。そんな最悪の結末を予想して慌てて顔をそちらに向けるも、俺の腕に引っかかっていたのはスカベンジャーに雇われた少年のひとりだった。

 左腕の義手のわずかな突起に、ほとんどボロ布のようなスリングベルトが引っかかっている。少年が持っていた銃を肩に担ぐためのベルトらしく、当の少年は水でも飲んだのか意識はないようだった。


(たしか、前にもアトが『下層の孤児たちは、簡単な体調管理のためのナノマシン錠剤すら飲めない』とかぼやいていたな)


 いまは亡きかつての仲間を、左腕に引っかかった少年に投影しながらも、俺はチラリと視界の端に映るデジタル時計の時刻を確認する。


(もう2分は経ってる。……助けられるか……)


 ヒトは溺れると低酸素になり、やがて心臓が止まる。すべての臓器は低酸素によってダメージを負い、窒息した状態が5分以上続くと脳に障害が発生することだってある。

 俺は少年を左わきに抱きかかえると、水中でできるだけ気配を消しながら泳ぎだす。幸いにも、オペラキャットは魚もどきたちがハイエナの肉を貪り食うことによる水流で、どこかへと流されてしまったらしい。少なくとも近くにはいない。


 まずは水面への浮上、そして陸地への避難が最優先事項だ。

 照明弾の白い光源が、茶色い泥のようなものが浮く水面の上で煌々と光っている。ときおり波打つ水面につられて、水中に差し込む光の筋が揺れている。


 よく見ると、どうやら傭兵たちの銃撃によって瀕死になったチルドレンもいるらしく、そいつらは水底で死にかけの魚のようにして浮遊している。回復させるためか銃創をぼこぼこと泡立たせながら、黒々とした眼球の下についている寄生虫が紫色に点滅している。


(よし、この辺なら水流が遅い。スキを見てQTEMバンドを緑色に戻してから、陸地に上がってやる……)


 俺は水流に逆らうことなく静止すると、瀕死の魚もどきと同じくぷかぷかと水中を浮遊し始めた。こうしていれば、魚もどきも水中で揺蕩う水死体のように見えるかもしれないと思ったからだ。本当なら今すぐにでも水面から顔を出して息を吸いたいが、俺は死んでは元も子もないとひたすらに静止し――


「…………?」


 何か、おかしい。

 水底を俯きながら揺蕩っていると、さっきまで傷口から泡をぼこぼこと噴出させて回復していた魚もどきが消えている。それどころか、あれだけ水中に舞っていた汚泥が落ち着いてきている。これではただ黄ばんだだけの水のようではないか。まずい、視界が良すぎる。


 そんなことを思っていると、ふいに背後の水が動いた気がした。嫌な予感がして、ゆっくり、ひっそりと俺は顔を振り向いていく。やがて、視界の端からマグロを正面から見たような魚特有ののっぺりとした顔が現れた。

 まるでこれは獲物か、そうではないのかを黒々とした眼球で見定めているような感情のない顔が、俺の顔をじっと見つめていた。


(……あ、バレt……)


 まずい。そう思ったときには、そいつの黒々とした眼球に明らかな殺意がにじむのが分かった。そいつが目の前の異物を完全に獲物だと理解したと同時に、チルドレンの殺戮本能が剥き出しになるのを俺はひたすらに――


「――――ッ」

(ぐッ、がはッ……!?)


 次の瞬間、俺の左腕に魚もどきが喰らいつくのが分かった。『ガキン!』と左腕に魚もどきの牙が刺さり、衝撃で少年がどこかへと飛んでいく。それが俺の抱える少年を狙っての行動なのは、火を見るよりも明らかだった。肺がぎゅうと圧搾され、口から大量の泡が吐きだされる。


(こいつ、意識のないやつからまずは殺そうとしているのか……ッ)


 俺はかろうじて反対側の手で少年のシャツを掴むと、何とか左手を噛まれた状態のまま魚もどきの顔面にしがみついた。それは猛スピードで爆走する乗用車に、水中で轢かれ続けているようなものだった。凄まじい速度で沈殿池内の水中を爆走していく。やがて視界の端で紫色の光が増えていくたび、俺は戦慄せざるを得なかった。


(増えてるッ!? こいつら無線で思考共有でもしてんのかよ――!?)


 俺はもうバレてしまっては意味ないかと、QTEMバンドを緑色の「♯60ff60」に直すと右手をフリーにすべく、少年のタンクトップの裾を噛んで思いっきり食いしばった。


(クソッたれ――ッ!!)


 俺は右肩に担いでいた突撃銃『ALEPH.45‐A3』を手に取ると、魚もどきのこめかみに銃口を密着させた。そして、水中であるにもかかわらずトリガーを全力で引き絞った。直後、対人用のチャチな威力ではなく、正真正銘、高威力の銃弾が水槽内で銃声を轟かせていく。無数の銃弾が魚もどきの頭蓋に潜り込んでいき、大量の緑色の血が水槽内にぶちまけられていく。


(これでも、まだダメなのか……)


 剣山のように生えた魚もどきの牙が俺の左腕に噛んでおり、ついには義手からメリメリと変な音が立ちはじめる。フレームが壊れかけているのか、左手の指先が痺れるような感覚がする。カカカカンッ――、と突撃銃から放たれる触感が甲高くなっていき、ついには完全に弾切れになったのを直感する。


(脳みそがほとんどぶっとんでるのに、まだ動けるのかよ……)


 そこまでしても、魚もどきは噛みついた俺の左手から歯を外すことはなかった。

 だが、何度か魚もどきの目の下に膝蹴りを入れたとき、水中では威力がかなり減衰したのにもかかわらず、そいつがひるんだのを俺は見逃さなかった。


(そういえば、こいつらは寄生虫に神経系をすべてハックされてるのか。だから脳みそがもげた程度じゃ仮死状態にはならない。となれば――)


 俺は後ろの腰から機械式の短刀を取り出すと、それのスイッチを押した。直後、刃が加熱されたようにして真っ赤に染まっていき、ぼこぼこと刃の周囲の下水を沸騰させはじめる。俺はそれを頭部の八割が銃撃で消失した魚もどきの目の下、紫色に光っている部分へと突き刺した。


 その瞬間、魚もどきが明らかに悶絶したのが分かった。激痛で身をよじり、加熱式のナイフから逃げようと必死に右側へと進路を変更する。この習性を利用すれば脱出できるかもしれない。俺はそう思い、魚もどきのキミの悪い顔を至近距離で眺めながら、ラジコンでも操作するようにしてナイフを下から上へねじりあげていく。


 直後、ガクン――、と凄まじい勢いで体が急上昇する。

 全身にのしかかるGが骨や筋肉を軋ませ、喰いしばった歯の間から汚水が侵入してこようとする。やがて照明弾の白い光源がぼんやりと透けて見える水面がいっきに近づいてきたとき、俺は突入に備えるため、さらに魚もどきの目の下にナイフをねじ込んでいき――


「――――ッ!!」


 次の瞬間、ナイフで操られていた魚もどきが水中からいっきに浮上した。

 俺の左腕に嚙みついたまま、魚もどきは空中のかなりの高度まで跳躍していく。それと同時にタンクトップの裾が破け、窒息していた少年が瓦礫の中州の方へと落下していく。


 俺は噛みちぎった布切れを空中で吐き捨てると、そのまま魚もどきの目の下から顎にかけて斬り降ろした。顎の関節が片方だけだが外れたおかげか、左腕にかかる圧力が弱まるのを感じた。俺は力任せに左腕をひっこ抜くと、加熱されたナイフを貫通させるため柄のかしらの部分を踏みこんだ。俺はさらに高くへと跳躍すると、落下していく少年を助けるために彼女の名前を死ぬ気で呼んだ。


「ステラ、頼むッッ――!!」


【ビビッドカラー】

 明るい緑系の色「♯60ff60」

 明るい紫系の色「♯ff60ff」

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