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第5.1話 少女の憂懼


 わたしが古ぼけたソファーに腰かけている間、彼は手術台にて麻酔で眠らされていた。医療用ナノマシンが体を再生させているせいで、彼の体はときおり小さく痙攣している。そんな彼の様子を、わたしはあるはずのない心臓が締め付けられる想いでじっと見ていた。


 胸の内では、Q粒子擬似崩壊炉が回転する小さな音だけが響いている。


 人工血液を送るためのポンプは――崩壊炉と比べれば――三つあるにも関わらず、動いているのか不安になるほど静かなものだった。だからこそ、わたしの胸からは何もない虚無感と無力感を投影するかのような音だけがいつまでも鳴っていた。


 一年もの月日を一緒に過ごすうちに、彼の心には大きな穴が空いていることに気がついた。


 何があったのかは知らない。

 それでも、あの写真を見ただけでおおよその過去は予想できた。



『もう戻れない過去を悔やんだって、どちらにしろ何も変わらない。……俺も、キミも、ここで生きていくしかないんだ』



 そのとき、彼の言葉が脳裏をよぎった。

 彼の言葉にはどこか、わたしと過去の自分とを重ね合わせているもののように感じた。だからこそ、わたしには彼がどこか赤の他人とは思えないような気がしてならなかった。


 ハビタブルゾーンにいるみんなは、今ごろ、どこで何をやっているのだろうか。

 いきなり消えたわたしを心配してくれているのだろうか。【ケルベラ】出身の室長代理の子とかは怒っているんだろうなと思いながらも、もう一年前のことかとわたしは頭をふった。


 もう、あそこには戻れない。

 戻れないのなら、ここで頑張っていくしかない。


 そう自分に言い聞かせながら、いつのまにか未処理のデータが脳核に蓄積しているせいか、わたしは睡魔に似た疲労感に襲われてまぶたを閉じていく。義体なのに眠くなるとはおかしな表現だなとは思うけど、それでもわたしにとっては一番ぴったりくる言葉だと思う。


 わたしはゆっくりとホコリの積もったソファーの上で、靴を履いたまま体育座りをすると膝にふにゃりと顔を埋めて、小さな義体を乗っけていく。どこか熱っぽい顔も、やがて義体をスリープ状態に移行させるにつれて温度が下がっていくのだった。



              ***



 体が、重い――。


 最初に感じたのは、進むにつれて息苦しくなるような空気の密度と、全身にのしかかるような負荷だった。白黒の色彩のない廃墟の街並みに、宙に浮かぶ建物とテクスチャーの剥げた路地には、音はあまりないように感じた。


 仮想空間なのだから空気は必要ないはずだ。それなのに、そこは歩くたびに鼓膜に自分の足音や呼吸音がへばりつき、走れば口の中の水分がいっきに蒸発するような感じがした。夢の中だからだろうか。どれだけ足を動かそうとも、さして前に進めていない気がした。


 隣には、わたしと同じ白い制服を着た女の子が走っている。その子もわたしと同じく、必要最低限の装備だけを身に着けていた。意図的にモノクロのフィルターをかけて白黒になった街の中で、少女もまた、白い息を切らしながら足を動かし続ける。


 そうだ、たしか何かに追われていたんだ。


 学園にはもう戻れないと悟って、志願者の何人かと一緒にハビタブルゾーン[*1]から抜け出して、ノイズヘル[*2]のさらに外を目指していた。

 わたしがそれを思い出した瞬間、視界が突然ガクンと下を向いた。


 何かにつまづいた。

 そのことに気がついたときには、わたしはモノクロの地面に突っ伏していた。


 慌てて起きあがろうとするも、ズキンと足に痛みが走ってできなかった。白黒のフィルターで分かりにくいが、わたしの足は関節が変な方向へと曲がってしまっている。何十時間も走り続けたせいで疲労骨折でもしたのか、これではもうまともに走れないだろう。


 隣で走っていた女の子が、倒れたわたしに気がついたようにして立ち止まる。しかし、その目には助けるかどうか迷っているような、戸惑いが見え隠れしている。


 まって……。


 かすかに漏れでた声は小さく、走り続けたせいでうまく呼吸できず、涙がこぼれた。


 そのとき、後ろの路地から大きな咆哮が聞こえた。ビリビリと周囲の空間が痺れ、本能が逃げろと警鐘を鳴らす。


 ホワイトノイズ[*3]にまみれた化け物がやってくる。

 姿は見えないが、大きな肉塊のようなそいつは白黒の砂嵐のノイズを土砂降りの雨音のように漏らしながら、大きな地響きとともにこちらへと近づいてきているのが分かった。


 待って、おいていかないで――。


 恐怖の色が濃くなる少女の目に訴えかけるようにして、わたしはかすれた声でそう言った。だが、その少女は唇を噛みながらわたしから視線を逸らすと、そのまま化け物から逃げるために走り出した。


 後ろを見ると、砂嵐のようなノイズと雑音をまとった怪物が、物理法則を無視した動きでこちらへと迫ってきているのが分かった。


 近くの街灯が、白黒の世界の中でもパチパチと火花を散らしている。

 それはノイズが近づいてくるにつれて激しくなり、……やがて、壊れた。


 ああ、そっか。ここでおわりなんだ。


 わたしは死を覚悟した。

 そう思った直後、ホワイトノイズに覆われた怪物はなぜかわたしには目向きもせずに横を通り過ぎ、走り去っていった女の子を追いかけていく。


 隣を怪物が通り過ぎていく瞬間、頭が割れそうなほどの雑音に襲われたが、それもやがては遠ざかっていく。

 やがて、どこかで先に走っていった女の子の悲鳴が聞こえた。


 白黒の街には再び、異様なほどの静寂が訪れる。どちらにせよ、わたしはもう立ち上がれない。

 ああ、結局はわたしもここで死ぬんだ。

 そう思った、そのときだった。



 ――唐突に、世界が崩壊をはじめた。



 地面が音もなく消失し、ガバリと音も光もない虚空が姿を現した。

 風を切るような落下音とともに、わたしは抵抗することすらできずに暗闇にのみこまれていく。


 上を見上げてみると、そこには凄まじい速度で離れていく廃墟の街があった。底のない地中へと落ちていくような感覚と、光のあった廃墟の街はやがて小さな白い点となり、ついにはそれも暗闇に溶かされて消えてしまった。


 長い長い落下の末に、わたしはやがて気を失った。

 その後どうなったのかなんて、まるで覚えていない。


 気づけば目の前には、黒煙が濛々(もうもう)と研究室に充満していく景色があった。

 わたしは得体の知れない水溶液で満たされたカプセルの中で目が覚めた。数秒後、大きな爆発によってカプセルが割れて、わたしはガラスの散らばるラボの地面へと投げ出されていた。


 その後はダストシュートから落ちたり、スカベンジャーに売られたりもしたけど、紆余曲折あっていまの青年と出会った。そうして一年が経った今でも、たまに一緒に逃げ出した子と仲のよかった子たちのことを思い出す。


 このときからわたしは、誰かにおいていかれることに極度の恐怖を感じるようになった。

 わたしが生きてきた世界が偽物だったなんて、信じたくもなかった。



              ***



 彼らは今ごろ、何をやっているのだろうか。

 そんなことを思っていると、ふいに、ぽんぽんと誰かに肩を叩かれた。


 すこし警戒しながらスリープ状態を解いて顔を上げると、そこには見知った青年の気まずそうな顔があり、わたしはそれを見て無自覚のうちに口角を緩めた。

 青年は申し訳なさそうに、頭をかいてこう言った。


「悪いな、起こしちゃって……」



第9章、ラウンドゼロ編で出てくる単語なので、流していいです。


学園「ヘヴン」

【??????】【ケルベラ】【??????】【??・???】


[*1]生存可能領域「ハビタブルゾーン」

[*2]生存不可能領域「ノイズヘル」


[*3]「ホワイトノイズ」

換気扇やアナログテレビなど、砂嵐のような「サーッ」「シーッ」「ゴーッ」のような雑音を指す。

白黒入り混じった斑点状の砂嵐のような画面、正式名称を「スノーノイズ」という。

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