第4話 メカ・ケロイド
NMM都市=ネオミナトミライ都市
傭兵は、短命な職業だ。
単にチルドレンに殺されたり、敵対する何らかの組織に殺されたり、行方不明になったりで、そもそも老衰で死ぬこともままならない。とはいえ、それでも寿命そのものが短いという意味でも短命なのだ。俺は自分の右手の平をじっと見下ろしながら、そこに刻まれている古傷を観察した。
茶色と紫色に変わった手の平は、ところどころで波打つようにして歪な皮膚膜を形成している。それはすべて、ナノマシンに無理やり修復されたことで刻まれた「メカ・ケロイド」と呼ばれる傷跡だった。
ナノマシンによる緊急治療は、肉体の細胞を強制的に細胞分裂させることで傷の修復をするというものだ。一度、ナノマシンを開発する企業のカタログを見たことがあるのだが、仕組みとしては細胞を意図的に傷つけ爆発的な増殖を人為的に引き起こすことで、止血処置や肉体の損傷を抑えるというものらしい。
その過程で爆発的に生み出された熱が、ヤケドのような痕を皮膚に残すのだという。当然、そんなものを常日頃から体内で行っていれば、あっというまに細胞の分裂回数を使い切り、激戦や修羅場を超えてきた者ほど老いていくことになる。
だから傭兵たちの間では――義体化手術や美容整形でもしない限りは――実際の年齢よりも数十歳年老いて見えるという現象はさして珍しいものではない。傭兵の平均老衰寿命は、五十代前半。どれだけ発展した科学技術も、神様が授けてくれるような万能の道具では決してないということか。
ナノマシンを使い過ぎればメカ・ケロイドが内蔵や脳にまで達し、定期的な人工透析をしなければ「シャットダウン症候群」のように、唐突に意識を失ったり心臓が止まったりすることもある。
よく効く医薬品は基本的に【月庵】がすべて権利を持っており、下層に降りてくるのは成分表記すらない海賊版か、闇市で違法に出回ってる粗悪品……それも何世代も前の古い薬だけだ。
前に人工透析をしたのはいつだったか。
俺は何ヶ月か前の記憶をたぐり寄せるようにして、右手の平を義手である左手でさすった。
一年前、俺の仲間を殺したレベル5の化け物は、何十回にも渡る大規模討伐隊が組まれたにも関わらず、いまだ発見すら至っていないようだった。
というのも、ヤツは一年前に突如として表層領域に出没したのを最後に、目撃情報の一切がなくなったからだ。
本来、レベル5の出現というのは、必然的に大規模スタンピードの発生を示唆している。
だが、一向にスタンピードが発生する気配がなかったことから、レベル5出現は単なる訓練生の機器の故障だったのでは、と当時のマスコミはよく言っていた。
チルドレンの討伐、もしくは運搬車両の護衛が主な経済活動の主軸となっているNMM都市において、レベル5を討伐することは企業勢力の縮図を大きく変えることだってある。
もしスタンピード発生前にレベル5を討伐できたとなれば、ただの傭兵であればランクの二段階昇格と都市政府からの表彰、ならびにあらゆる企業からのパトロン希望が殺到することだろう。
また、企業の軍部における部隊が討伐しただけでも、その企業はレベル5討伐という肩書を得ると同時にちょっとした企業の勢力図を変えることもあるかもしれない。
そんな夢を見てか、多くの傭兵や企業お抱えの殲滅部隊が、表層領域、深層領域、果ては虚構領域にまで足を延ばしたらしい。だが、いまだにやつを発見できたものはいない。
やつと遭遇したであろう訓練生のやつらを除けば、戦闘履歴どころか目撃情報もない。都市の各政府組織は架空の存在なのではないかと疑いつつも、俺が遭遇したレベル5を【ヴァナラ・ミュール】と命名したらしい。
***
【警告、警告――。都市のセクター8の防壁、及び光子障壁が一部破損したことにより、衝撃波が都市内部に到達する可能性があります。衝撃に備えてくだ――】
直後、凄まじい揺れがモノレールの車両を襲い、座席に座っていた俺は思わず前へとつんのめった。ブザー音と同時に、車内の光源が予備電源に変わったことを示す赤いランプに切り変わる。チルドレンの放つ攻撃の一部が、シールドを抜けて都市の防護壁へと直撃したのだろう。
普段ならば、この程度の揺れで体勢を崩すなどというヘマはしないが、物思いにふけっていたせいか、症状が悪化してきたせいか――、予想以上に緩慢な体の動作によって反応が間に合わず、気が付けば目の前に床が迫ってきて――
「オーナー、危ないよ」
瞬間、ステラの声と同時に背中を掴まれる感覚。
そして、その細い腕からは想像もつかないほどの力で、座席へと体を引き戻された。
【現在、都市周辺で大規模な戦闘の発生に伴い、NMM都市外部への『外出禁止令』が発令されています。市民の皆さまは速やかに付近の都市シェルターか、中層へと避難して下さい。繰り返します――】
「……ごめん、助かった」
「今のオーナーは病人だからね。全部私に任せて、オーナーはのんびりしててね」
車内にアナウンスが流れる中、ステラは俺たち以外の人がいないことをいいことに、こてん、と頭を俺の肩に乗せてくる。気のせいか、にへらと口元が緩んでいるような。
三層間の上下の行き来は、地区ごとの外周から外周に対して斜めに沿うように配置されている軌道系交通機関「三層間移動用モノレール」か、もしくは各層の上部空域に侵入許可を許された者のみが使用できる「反重力乗用車」を使用した交通機関しか認可されていない。
下層と中層間のみ、毎年、ロクに点検もせず費用を中抜きしてばかりだと聞いたことはあったが、たかが数キロ離れた場所での衝撃波がここまで伝わってくるとは思わなかった。ワイヤーで宙にぶら下がっているが故の欠陥構造というものか。
下層で地に足をつけて歩いていれば、震度2くらいのものだっただろうに。
俺は緊急停車した車内で渋々といった感じで腕を組んだ。
「本当に、あいつの治療を受けないといけないのか?」
俺は席の一番端に座りながら、思わず愚痴をこぼした。
都市の下層に住む者など、大抵が裏社会の住人か、借金まみれの負債者か、スラムの孤児かのどれかなのだ。そして今回、俺が会いに行くのは前者の「闇医者」といった職業の者である。それもかなり癖の強い。
「正規の医療機関だと、治療費がバカにならないからね。それに、オーナーの遺伝子の提供で割引もしてくれるから、仕方ないよ」
「俺の体を使った趣味の人体実験の間違いだろ。クソ、あんな狂った医者、なんで都市は野放しにしているんだ……」
おぞましいほどの生物の体液や、訳の分からない液体に浸されたチルドレンの死骸、それらに満ちた医療室を想像しただけでタメ息を吐かずにはいられなかった。カプセルに入っているチルドレンの死体など、いったい何に使うのやら。
(そうだ、そういえば……)
俺はこの一年で、自らの半生について何度か考えることがあったのだが、そのすべてに不可解な記憶の穴があったのだ。
ずっとこの世界で生き抜くために必死で過去を振り返る暇などなかったのだが、ここにきて自分が何者でどんな人物だったのか、さほど記憶が残っていないことに冷や汗をかいた。まるで記憶にモザイクでもかけられたようにして、俺がこの時代に来るまでの経緯が消し飛んでいるのだ。
名前は思い出せる。だが、苗字は知らない。
親の顔は、事故でなくなっているから思い出せない。だが、写真立てに映る彼らの顔にまでモヤがかかっているのは、いったいどういうことなのだろうか。
たしかに医者はコールドスリープをする際に、一部の記憶や体の機能が低下することもあるのかもしれないとは言っていた。
だが、だからといって、こんな――
そのとき、ふいに肩を優しく揺すられていることに気が付いた。
「――着いたよ、オーナー」
隣を見ると、ステラが心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
『終点――。下層[セクター3]隣接地下街、西口――』
そのアナウンスで、頭に浮かんでいた情景が一気に霧散し、現実へと引き戻された。窓の外には、いつの間にか下層駅特有の薄暗いホームが広がっている。どうやら考え込むあまり、列車が停車したことにすら無関心だったらしい。
「悪い、考え事をしてた」
「…………、……気を付けてね」
その様子を、ステラは痛ましげな目で見てくる。
胸に残り続ける異物感を押し殺し平然と振る舞うことで、心配をかけたくない、という考えをどうやらステラは見抜いているらしい。
『非常時のため通路を一部閉鎖しております。お降りの際は二番目の改札口から、三番ブロック行きの通路をご利用ください――』
無機質なアナウンスの声が、車内で繰り返し流れている。
俺はそれに背を向け、俺は下層へと足を踏み出したのだった。
下層の駅は、三層の中でも特に異質な雰囲気を持っていた。
焼却場が近くにあり、それを冷却するために汲み上げた地下水を大量に使っているせいか、下層全体にはいつも靄がかかっている。それは、駅のホームも例外ではない。
全体的にコンクリートで覆われた簡素な壁には、至る所にスプレー缶で描かれた落書きが書かれてあり、壁際で等間隔に配置された無機質な蛍光灯が、ぼんやりと辺りを照らしていた。
俺たち以外のヒトがいない駅構内はシンと静まり返ってはいるものの、改札口付近からは人々の喧騒が微かに漏れている。
「――急ごう」
それに向かって歩き出すと、ステラが慌てて俺の後ろについてくる。すこし歩くと、案の定というべきか、すぐに下層への入り口に着いた。改札口には、既に改札機などというものはなく、天井に張り付けられたコードリーダーが脳内に埋め込まれたチップを認証するだけになっている。
【 中層から下層への移動を確認しました 1245(BG)】
「……やっぱり高いな」
『BG』は、この都市でとくに普及している代替通貨の一つだ。既存の暗号資産 (仮想通貨)とは違い、それらのシステムを間借りする形で存在する通貨で、【S.S】という企業が独自に発行しているポイントに近いものである。
また、ガネットは【S.S】の初代創設者の名前でもあるらしい。噂によるととうの昔に死んでいるのだとか。
改札口から出ると、突如、むわりと肌に纏わりつくような湿度が顔を襲い、そのあまりの暑さに一瞬、目を細めてしまう。同時に、鼻腔にへばりつくようなツンとした生ごみと汚水による異臭によって、さらに行動を制限されてしまう。
それでも、と、ぼやける景色の中で視界を確保するため、俺は徐々に目をゆっくりと開けていく。
そこにあった光景は良くも悪くも、一年前の俺が訓練生であった頃に見た景色そのものだった。
「ここは、相変わらずだな……」
肥満体型の店主が、白熱電球を括りつけた露店で培養肉を焼いた料理で商いを行い、義足に油を差す廃品回収業者は、ゴミ処理場で発掘した小道具を広げながらアクビをしている。
酒に溺れながらも道行く人に金をねだる者、それを拒否して売女のいるモーテルを目指す者。それを横には、都市の防衛設備点検へと向かう【飛駒N建設】の現場職員率いる点検用ロボットなど、様々な光景が広がっていた。
改めて注視してみると、傭兵らしき格好をした者もかなりいるらしい。彼らはみな、しきりに現実拡張やタブレットでスタンピードの情報を探しているようだった。低ランクの都市外部への出入り禁止のせいで、依頼や仕事が全面的にキャンセルされたのだろう。
上を見上げれば、手を伸ばせば届きそうなほど低い天井に無数の黒いケーブルが張り巡らされており、所々たるんだ部分から火花が散っている。
よく火災でも発生するのか、ほとんどの電線ケーブルの安価な断熱ゴムは溶けて垂れており、天井には何度焦がしたのか分からないほどの煤がこびりついていた。幸いにも天井には蛍光灯などの光源がぶら下がっており、それらが下層の通路を明るく照らしだしている。
ここら一帯の街並みは、例えるならば、地下鉄の改札口近くにそのまま地下街が隣接しているような構造をしていた。無論、こちらは三百年前の俺が生きていた時代とは比べ物にならないほど汚いが、ざっと辺りを見渡してみても中層とは比べ物にならないほどの活気があるのは間違いない。
非常時にも関わらず、狭い空間の中を無数のヒトビトが行き来している。
そんな雑多な地下街を――俺とステラは足元に散乱した生ごみと人ごみの中を避けるようにして、目的地へと歩き出すのだった。
「オーナー、今日は……、裏ブロック地区には行かないんだよね?」
「ああ、スタンピード中だからな。都市内部にチルドレンが侵入する、なんて最悪の事態も考えるとやめておいた方がいい。今日は、あのヤブ医者に定期健診をしてもらった後、いつものジャンク店で俺の予備マガジンと銃弾の補充、ステラの純正品G型ABAとエネルギーパックを正規SHOPで買って……、……それから家に帰ろう」
壁にはときどき錆びついた工業用の巨大なファンが回転しており、ゴウンゴウン、と通気性の悪い空間に新しい空気を送り込もうと音を立てている。その横をやたらと臭い風に煽られながらも、顔を軽く覆いながら進んでいく。
金属板でコンクリートを覆った床には、プラスチック、紙、吐瀉物やらが散乱している。また、この空間を支えようと、それらに覆われた金属柱が至る所に生えている。
ブーツの底がそれらを避けるようにして床を踏みしめ、カツンカツンという音を辺りに響き渡らせる。そのまま地下街からの出口を探していると、緑色の蛍光色で『第三ブロックはこちら↑』と主張する吊り看板に従い、エスカレーターへと乗り込んだ。
途中、壁に埋め込まれるようにして設置してある広告パネルが、斜めに進んでいくうちに俺とステラの横顔を煌びやかに照らしだす。前の段に立つステラの後ろ姿を眺めながらも、俺はふと、ステラに聞きたいことがあったことを思い出した。
「ステラ」
「……どうしたの、オーナー」
出口が近づくにつれ風が強くなっているせいか、ステラは白髪の毛先をたなびかせながら、俺の顔を見ようと振り返る。
「今回のスタンピード、何か変じゃないか」
「…………?」
キョトンとした表情でこちらを見つめてくるステラ。それを俺は正面から見つめ返す。その間もエスカレーターは動き続ける。
「…………」
稀にチルドレン同士が集まり、集団で都市を目指すことがある。そうした事象を「スタンピード」とNMM都市政府直下の『臨界不浄研究機関』は名付け、数年に一度起こる「大皆蝕」としても【都市間協働対策有事】への認定を議決させている。だが、今回のものは――
「……スタンピードっていうのは、普通、数年単位でしか起こることがない。……いや、起こるはずがないんだ」
チルドレンはその単体での完全生物化を果たしているが故に、繁殖活動を行うことがない。卵鞘や出産の跡は確認されてはいるが、雄と雌で遺伝子交配をする必要がないのか、はたまた単一夢精生殖なのか、この三百年という月日を費やしてもいまだに詳しい個体の増え方は明らかに鳴っていない。
「以前、スタンピードが起きたのは三年前……、関西最大の都市【大阪城砦都市】周辺だったはずだ。いくらなんでも早すぎる」
そのため、軍勢を引き連れて都市を襲撃するのは、数十年に一度が限界だと言われている。
だが、スタンピードを迎撃すれどもやつらの核をいくら潰そうとも、いっこうに減る気配がないのだ。
ある仮説によれば、自然界に存在する動植物や菌糸類、ウイルスやバクテリアなどがQ侵蝕を得て、それらがチルドレン化しているのではということらしい。Q粒子のもたらすエネルギーは自然界にあってはならないほど膨大なため、侵蝕された動植物は必ず人間と同じかそれよりも大きいサイズのチルドレンとなる。
「いくら科学が発展したからといって、ぜんぶ人間様の言う通りにはならないってことか……」
元々、この国では大戦直後にも度々スタンピードが発生することが多かったのだとか。とはいえ、その規模も範囲もそこまで多くなかったもので、その周期自体もしだいに計算されていき、やがてスタンピートの発生時期を予測して備えることは簡単だったらしい。
事前にチルドレンの間引きをしたり、そのために討伐隊が組まれていたのが今の傭兵の起源とも言われている。そうして、人類は三百年弱もの間、繁殖を繰り返すだけの安寧を手に入れることできた――と錯覚したのだった。
――あの地獄までは。
二十年前、のちにレート「アポカリプス」に初めて認定された、史上最大規模のスタンピードが発生した。無数の新生物が大地を埋め尽くし、大海はやつらの体で黒く染まり、地平線の彼方までひとつの生き物のように蠢動するチルドレンと、各都市は長期間に渡る決戦へと入った。
今までのスタンピードとはあまりにも桁の違う未曽有の事態に、都市外部で暮らしていた都市難民のほとんどがチルドレンたちに喰い殺され、また、防衛にあたった傭兵の死傷者の数も最大となった。
一度あったことは二度起こる可能性がある。
そんな戒めとしての意味も込めて、NMM都市政府および都市連合国家はそれを【第一次東京決戦】と呼んだ。
「――――」
そこで、俺は白い髪をたなびかせるステラを眺めていると、ふと、彼女の面影が脳裏をよぎった気がした。首からかかるペンダントを無意識に握り締め、同時にやつの姿もまぶたの裏にちらつきはじめる。
忘れるはずがない。忘れるわけがない。あの紅の鬣、殺意と深紅に満ちた四つの眼光、鎧のように覆われた漆黒の外皮、そして熊のようなあのシルエット。初めての仲間、初めての殺し合い、そして初めての――
「ヴッ――」
無意識の内にフラッシュバックした光景が脳裏に瞬き、思わず手で口を押える。
「オーナ――ッ!」
ステラが俺の様子を見るや否や、エスカレーターを下りて俺と同じ段に来て、優しく背中をさすってくれる。
(まさか、やつが関わっているなんてことはないよな……)
今回の早すぎるスタンピードの発生。それとアレの存在を紐づけようとしたところで、脳が無理やりその思考を精神破綻の恐れがある危険なものだとして、肉体の微痙攣を引き起こした。関係のない雑念ばかりが頭の中を渦巻いていく。
「もうすぐで着くから、それまで頑張って――」
ステラに半ば介護のような形で支えられながらも、やがて近づく出口に向かって無気力な状態で登っていくのだった。
【造語】
「メカ・ケロイド」
ナノマシンにおける傷の修復過程において、爆発的な細胞分裂によって発生した熱が、皮膚の表面に歪なヤケド痕を残すこと。冷却材の併用もしくは医療用ナノマシンによる定期治療は必須である。
「シャットダウン症候群」
メカ・ケロイドやQ粒子侵蝕が脳や脊髄などの神経網に現れると、唐突に失神や呼吸困難を引き起こす症状。ネット深部に急速に潜ることで発症する「電子減圧症」とは、また別のもの。