第2話 記憶③
『お前さん、お前さん。妾はこの鯉に餌をやりたい』
声が聞こえる。幼い声だ。
気づけば俺は、やたらと大きな池の前でひとりの幼女の傍で立ち尽くしていた。
上を見るとやたらと雲が近く、どこか空気が薄い気がした。俺はなぜか黒服のような恰好をしており、幼女は着物姿で池の近くでしゃがんでいる。よほど餌付けでもされているのか、紅白の斑模様の鯉たちは幼女に向かって懸命に餌をねだるようにして口を開閉している。
水面泡立つ大きな池のあるここは、どこか平安貴族が俳句でも詠んでいそうな庭園で、近くには赤い和気橋が架かっていた。四方を壁で囲まれた庭園で、ふと、近くにいた幼女がズボンの裾をひっぱってきては、俺の顔を満面の笑みで見上げてくる。
『お前さん、お前さん。……はよう、はよう!』
急かすようなその子の声に、気づけば俺は懐からビニール袋に入った餌を取り出していた。なぜ、知りもしないのに、自分が餌を持っているのか。なぜ、体に染みついたような自然な動作でそれを取り出せたのか。
着物姿の幼女の顔はぼんやりと靄がかかったようにして、簡単な表情しか把握することができない。分かるのは菫色をした和服を右前にして着ているということだけ。それでも、俺は彼女に餌の入った袋を渡すと、幼女は心の底から嬉しそうに口角を上げるのだった。
場面が変わる。
光は闇へ、視界が暗くなっていく。
気づけばあたりは暗闇で覆われており、俺はなぜか厳重に拘束着をつけられたまま、椅子に座らされていた。そのとき、スポットライトのひとつが点灯し、着物姿の幼女が現れた。光源は幼女の口元から下だけを照らしており、よく見るとその背後に複数の人物が控えているように見えた。
『お前さんはそれでいいのか?』
前の記憶からどれだけ時間が経ったのかは分からない。それでも、幼い少女の声は前の記憶とは打って変わって大人びており、嘲笑するように歪む口元を見て、俺は彼女が外見通りの精神年齢ではないことを悟った。
外見や仕草、声は間違いなく同じなのに、これでは目の前にいる彼女が鯉に餌を与えていたあの幼女とは別人のように見えてしまう。そして、なぜか菫色の和服も右前から左前の死装束の着方へと変わっていた。
『妾は無理にでもとは望まぬ。ただ、お前さんを手に入れたいだけなのじゃ。理解してくれるな』
幼女はひらひらと扇子で口元を隠しながら、近くで控えていた者に何かの指示を出す。瞬間、俺の体はさらに固定され、若干、椅子の角度が斜めに傾いていく。そして鋭利なメスを持った執刀医が、俺の左目の下瞼をゴム手袋をした手で弄りまわす。
俺がこのとき、何て言ったのかは知らない。それでも、俺は彼女に向かって、確かに何かを話した気がする。それが何だったのかは、今ではもう思い出せない。
『では、契約は成立した。お前さんのその瞳、もらい受けるぞ――』
眼球が抉られる。
視神経がメスで切られ、やがて――
訂正箇所
×少女 → ○幼女




