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第2話 記憶①


「――クロノさん。……残念ですが、あなたは『■■■■■■■■(*セキュリティコード[06]によって閲覧制限が実行されています)』という症状を患っています。現代の医学では治すことができず、やがて、あなたも完全に分離してしまうでしょう。症状を遅らせることはできるかもしれませんが、どちらにせよ半年もてば良い方でしょう」


(――ああ、あのときの医者か……)


 自分の向かいに座っている医師を見て、ふとそう思った。

 この世界に来るきっかけとなった、あの日の回想――プレイバック。

 しかし夢とは残酷なもので、これを夢だと認識できていたのは最初だけだった。夢の中にいるときは「これは夢だ」という自覚は基本的にないことが多い。自分の場合もまた然りで、先のような疑問はすぐにどこかへと飛んで行ってしまった。突然、難病であることを告げられた自分は、現実を受け入れられない複雑な感情に襲われた。


 ――疑問、焦燥、恐怖、絶望。


 だが、医師はそんなことは知らないとばかりに淡々と説明を続ける。


「クロノさんの場合はすこし特異体質なようで、彼らの侵蝕スピードは相当に早く、いずれあなたは実質的に死ぬことになるでしょう。もう少し発見が早ければ、症状を遅らせて、普通に生活して暮らせる可能性もあったのですが……」


 結果、乾いた口から出たのは――


「……あ、そうですか…………」


 ――という、あまりにも自分に無関心な言葉だけだった。

 救いを求めるように医師の映したデスクトップ画面を見るも、貼られた白黒のレントゲン写真は身体を輪切りに撮影された無機質なものばかりだ。どこが問題なのか、素人目には全く分からなかった。


「治るんですか?」


 無理だろう。余命が残り半年しかないのに助かる見込みなど普通はない。

 壁に掛けてあったカレンダーを見る。西暦2046年12月24日、クリスマス・イブ。

 半年後に、俺はこの世にはいない。

 だけど、死ぬと分かっていても、もしかしたらに縋ってしまう……縋るしかなかった。


「エビデンスのある治療法はなく、現代の医療では厳しいです」


 そんな淡い希望は、即座に切り捨てられ――


「……ですが、一つだけ方法があります」


 絶望に打ちひしがれる前に、医師はこんなことを言った。


「クロノさん……《コールドスリープ》を、受ける気はありませんか?」



《コールドスリープ》

 それは、現代の医学では治せない難病患者を治るであろう医学が発展する未来まで仮死冷凍させ、未来の医師が十分に治せると判断した時代で解凍・治療するという近年本格的に実施が開始された医療技術だ。


 しかし、その技術の安全性や法整備の未熟さを疑問視する声も多く、日本ではまだ某国に比べて実施回数が多くない。そして、同時にデメリットもある。それは『次に生きる時代が何年後の未来なのか分からないこと』、『現代を生きる肉親や友人と、永遠の別れをしなければならないこと』の二つ。だが、俺の場合は――


「すこし、考えさせてください……」


 そう言って、俺はのろのろと扉をスライドさせ、診察室から出るのだった。



 ――場面が変わる。



 気がつくと、俺はいつの間にか自宅の前に立っていた。

 そのことを何の疑問を持たずに玄関を開けると、元々は捨て猫だった黒猫が出迎えてくれる。「にゃあ」と足元にすり寄ってくるそいつを撫でてやりながら、俺は普段と変わらない光景にほっとした。


 だが同時に、その光景もいつもとは何かが違うという漠然とした違和感に襲われる。


 自分だけがそのままで、世界が別の世界と入れ替わったような、そんな感覚。だが、その違和感に苛まれながらも原因が分からず、そのままリビングへと向かう。テーブルの上には、幼少期、交通事故で死んだ両親の仏壇が、小さめながらも置いてある。それに手を合わせながら、洗濯物を中に入れるべくそそくさとベランダへと出る。


 すでに日は暮れており、紫色の空では星が瞬きはじめていた。

 夢だからか、景色はどこか曖昧でぼやけている。


 そのとき、俺は夕暮れの空に一本の黒い線が縦方向に走っていることに気がついた。黒い線には、ところどころ一定間隔で設置された航空障害灯の赤い光が点滅している。また、ひとつは空へ、ひとつは地面へと移動する白い光の点がある。2035年7月14日に着工して、ついこの前に完成したとか言っていたあれは、たしか――



「――あ」



【■■■■■■、□□□□――】



 瞬間、なぜか自分の周りの空気があおく染まった。

 ――痛い。頭が痛い。



【■■■■■■、□□□□――】



 全身に激痛が走り、体から力が抜けていくような感覚。そして、何より吐きそうなほどの気分の悪さに、俺は思わず崩れ落ちそうになった。

 なんとか壁に手をつきながら耐えるも、その感覚が抜けることはない。

 絶えず視界が深海へと沈み込むように青から藍へと変わっていき、やがて完全な真っ暗闇へと落ちていく。


「あ」


 やがて世界は暗転し、辺りが漆黒に包まれた何もない世界へと豹変する。

 何が起きたのか分からず、しばらく放心していたが、ふと、後ろに目をやると……。


 ――ぞくり。


 その瞬間、震え上がるほどの凄まじい悪寒に襲われる。顔は引きつり、呼吸は荒く乱れていく。そして何かに追われているような、漠然とした「逃げなければいけない」という衝動に駆られ、慌てて走り始めた。

 何から逃げているんだ。――そんな疑問は浮かんでこない。


 逃げないと。

 走れ。

 走れ。

 全力で走れ‼


 だが、思ったように前に進めず、脚は空を切るようにしてその場から動くことができない。もう一度後ろを振り向くと、先ほどはなかった地面の裂け目が、クレバスのように徐々に広がっていき、崩壊を始めるのが見えた。

 あれに落ちたら……死ぬ。

 そんな予感が脚に込める力をさらに増やすが、のろのろと亀の如き速度でしか前に進めず、ついにはその裂け目へと落ちていく。


 ――死にたくない‼


 そんな生者の願望が生んだ奇跡なのか、皮膚が裂け、爪が剥がれながらも、なんとか崩れゆく崖の途中にしがみつく。だが、血にまみれたその手では上に登る力が出ず、しがみついたままの俺はさらなる悪寒に襲われた。


 ――何かがいる。


 それは予感だった。死に近づいた人間の生存本能が、この地面の底へとゆっくりと視線を向けさせ、現実であれば絶対に見えることのないであろう「底」を見てしまった。いや、見えてしまったというのが正しい表現か。


 ――死神がいた。


 底の見えぬ暗闇の中、自身の背丈よりも数倍大きい巨大な鎌を肩に担ぎ、黒いボロ雑巾のようなフードの奥に爛々と光る青い目を宿し、俺という獲物を今か今かと待ちかねている死神がいた。すると何を思ったか、その死神はおもむろに虚空をその大鎌で切り裂き、その次元の裂け目からズルリと何かを引きずり出す。


 それを見た瞬間、俺の恐怖は限界を上回った。

 そこには、異形の生物に内臓を生きたまま喰われる自分、銃火器で体を穴だらけにされる自分、爆発に巻き込まれて肉塊となる自分、化け物と化し人間であることをやめた自分、誰もいない場所でただ一人心臓が動かずに死んでいく自分。


 五人もの自分があらゆる死因で消えてゆく光景が、そこには浮かんでいた。

 そして、本能がその空間から意識を切断しようと試みようとした直後、死神はニタリと歪んだ口を開いて、その言葉をゆっくりと発した。



 ――サア、ドレガイイ――


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