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第25話 侵蝕体、乱入者――


 長い間、どこか虚無ヴォイドの中を彷徨さまよっていたような気がする。

 月庵は走馬灯のようにフラッシュバックする記憶のひとつに、藍色の瞳を悲しげに浮かべた青年がこちらを向いていることに気がついた。


『なあ、月庵……』


 青年は黒い眼帯で覆われた右目をこちらに向けながら話しかけてくる。


『本当に、これでよかったのか?』


 月庵は黙っていた。

 記憶の中の人間と話す気にもなれなかったということもあるが、それ以上に、何かすこし喋っただけで自分の心の内が剥き出しになるような気がしたからだ。そんな心情を見抜いたようにして青年はすこし笑うと、慈しむようにして遠くにある景色へと視線を移した。


『……ま、いいさ。いつかお前が道を誤りそうになったら、次のやつが介錯しに行くだろうさ』


 遠くでは建設途中のネオみなとみらいが紅白柄をした無数のクレーンで建材を次々と胎内へ運んでいき、その体をブクブクと太らせているところだった。

 水平線の向こう側へと夕焼けが沈んでいき、白砂の荒野に座る月庵たちさえもを赤く燃やしていた。やがて空が星を降らせ始めたころ、かつての記憶と目の前の景色が溶けあい、消えていく。



        ***



『月庵。お前に一つ、聞きたいことがある』

『…………、なんだ?』


 月庵の命は空前のともしびと言えるほど、既に消えかかっていた。

 胸には拳が一つ通るほどの風穴が開いており、心臓代わりの炉心は潰されていた。腎臓の予備バッテリーに蓄電された分を消費すれば、いかに省電力モードとはいえ仮死状態に入る。


 月庵はクロノと同じく仰向けになっていた。

 電力が復旧したのか、冷たい風が戦闘ヘリの墜落箇所から吹きこむホールに、ぽつ、ぽつと照明がき始める。だが、ホール全体を照らしだすにはあまりにも天井が熱線ビームでズタズタにされているため、これ以上は明るくなりそうにない。



『ゼロバース計画。あれは本当に、お前の本心からの願いだったのか?』

『…………』



 口調が違う。

 月庵は違和感を覚えながらも、クロノの言葉に耳を傾ける。


『色彩の領域。あんなものに頼らなければ、お前は気づけていたはずだ。遠くの未来を見通せば見通すほど、現在いまを見渡すことができなくなる。差し出された選択肢をすべて視ようとして、また、今に生きることをおろそかにしたな。月庵――』


 月庵は心底、苦虫を噛み潰したような顔で天井をあおぎ見た。

 嫌味とも忠告ともとれる言葉に、月庵は薄れゆく意識の中で今しがたの攻防を思い返していた。確かに未来視のために視界が狭まるのは悪手だったと言えよう。しかし、それだけのことで責められる


 一方で、クロノもまた視界から藍色がしだいに抜けていき、ドッと体にのしかかる重りのような疲労感がいっきに戻ってきたのを感じていた。脳内で異常分泌されていた物質も途切れたのか、じわじわと体を酷使したことによる痛みが這い寄ってくる。だが、再び視界は藍色へと染まっていく。


「……っ、なんだ、いまの……」


 吐き気を噛み殺すようにして右手で顔をおさえるクロノは、今しがた自分が言ったことを覚えていないのか、しきりに胃の中のものを戻しそうな表情で歪んでいた。


『幼き情動、千の情景、感情の壊死。――それが、モノリスに魅入みいられた者の定めだ』

「……ぅ……』

『この世界はもう終わっている。だから、理想郷を求めた。体を蝕むだけの世界を捨て、人が人たらんとする新世界。それを肉体と精神の完全分離することで成し遂げようとした。莫大な金と、数多の命と、過去を犠牲にして……』

『…………』

『この体を見れば分かるだろう。今や義体化など珍しくもなく、誰もが機械蟲ナノマシンに頼っている。人間であることをやめた者ほど長生きできる。そんな世界の論理に歯向かう牙を折られ、いつしかそれが当たり前となっていた』


 月庵は穴の開いた胸をすくうようにして手をあてがうも、そこには何もなく、ただQ粒子の原液燃料が気化した粒子がちらちらと風に乗って飛んでいくだけだった。


『『…………』』


 重い沈黙がその場に満ちる。

 双方にとって意味合いの異なる無言は、しばらくの間その場にじっとたたずみ続けた。やがて、クロノは電気ショックでいまだ痙攣する体をさすりながら喋りだす。


『理想が高すぎたんじゃないか』

『……ほぉ?』


 月庵は眉をひそめる。

 クロノの体を治療したとき、声帯は確かにタンパク質による培養で回復させた。それなのに、今喋っているクロノの声はノイズの混じった機械音声にしか聞こえなかったからだ。


『なりふり構わずやっていたのは分かる。焦がれるほどの理想にも共感できる。だからこそ他者の反感を買った。だから、あの三ツ橋の姫もお前の暗殺に乗りだした』

『……なら、どうすればよかった。考えは間違っていない。時期も尚早ではない。充分すぎるほどの時間を費やした。それなのに……』

『どうもしない。ただ、いずれこの計画は同じ考えを持つ者の手に渡り、ゼロバースと同じことをやるだろう。……月庵。お前は未来の彼らの踏み台になるんだ』


 その最後の言葉に、月庵はしばし瞳孔を開いたあと、ゆっくりとまぶたを閉じた。



『そうか……』



 そのとき、月庵がクロノの首筋めがけて何かを投擲とうてきする。

 それは小さな注射のようなもので、中に水銀のような液体が入っていた。トス――と皮膚に針が刺さると同時に中の液体が体内へと注入される。

 その瞬間、ガッ、ガガガガ――――、という不気味な音をクロノは聞きとる。


「ガッ、ガギガガガ、ガガガガガガ――」


 それは自分の声だった。

 首の痙攣けいれんが止まらない。まるで神経に直接電気でも流されているような筋肉の硬直と、システムのエラーサウンドのような声帯のバグがあいまって強烈な不快感が襲ってくる。


『……なんて言うとでも思ったのか!? まだ終わっていない。オレは終わっていないぞ!!』


 それは月庵の最後の足搔あがきだった。

 認めたくない。まだ終わっていないのだと。執念とも呼べるそれは、直後、クロノに視界を脳内チップに違法ハッキングされた旨の警告文で埋め尽くし、同時に頭が割れそうなほどの激痛を走らせる。視界が白黒の点滅を繰り返し、砂嵐のようなノイズが頭のなかで暴れまわる。


(最後の最後で、ウイルス侵蝕――⁉ )


 月庵が最後の電力を振り絞って上体を起こし、口から白く泡だった唾を飛ばしながらまくし立てようとする。


「いいかァ、教えてやる糞ヤロォー! モノリスなんてものはなァ! ただの――――」


 次の瞬間、月庵の顔面に人型の足のようなものがめり込んだ。

 それは月庵の頭部を蹴り飛ばした衝撃で、パン、と一瞬のうちに脳漿の塊をあたりへとまき散らす。数瞬の間だけ、血の雨が降る。きれいに下顎から上がふき飛んだ月庵の義体は、しばらく何が起こったのか分からないとばかりに硬直したあと――人造の舌をべろんと脱力するように出しながら――ゆっくりと倒れ込んだ。


 喉奥から噴出する血だまりは静かに、遠慮がちに、主を殺害したソレの足元へと広がっていく。人のシルエットをした()()は、全体的に赤茶けて錆びついた肌に、尖った鉄片を纏わりつかせたような外見をしていた。全身が殺戮に特化したようなフォルムに、頭部はカブトのような武骨なナニカで覆われている。


 サッカーボールを蹴るかのような緩慢とした動作で右足を引き、それを放つ。たったそれだけの至極単純な動作で、月庵の頭部は弾け飛び、一瞬で肉塊……いや、廃材へと変わった。


 そいつは酷く退屈そうな顔を浮かべ、酷く眠たげな表情でアリでも踏み潰すかのようにして月庵の命をった。いま、目の前で起こったはずの光景に、脳の処理が追い付かない。


 それもそうだろう。

 今尚、目の前にしているというのに、ソレの存在感をまったく感じとれないのだから。目を離せば、そこにいたことさえ分からないほどの気配遮断。()()はすこし上を見上げると咆哮を上げた。遅れてやってきた圧倒的なまでの殺気が、這いつくばるクロノをさらに地面へと押し潰した。



 オオオオオォォォォオオオ――――――――。




「……っ、……ぁ……」


 肺が押しつぶされんばかりに圧縮され、体全体の骨格と関節が軋んでは悲鳴を上げる。

 だが、うめき声すら許されず、生物全てのこうべを垂れさせるほどの威圧感を、クロノは知っていた。かつてのトラウマとほとんど同じレベルの殺気を放つ怪物に、クロノは何度も会敵したことがある。


(……レベル、5……、……なんで、こんな……都市の中枢に……)


 ジリジリと圧し潰されるような焦燥感と危機感に、心臓が早鐘のように脈打っている。

 だが、最後の力を出し尽くした今のクロノの体には、立ち上がるだけの力すら残ってはいなかった。



 ――――カツン、カツン。



 やつが近づいてくる。

 義手は破損して左肘から先がなく、右手も血を流しすぎたせいかピクリとも動かない。


(ここまでか……)


 殺される。

 そう覚悟した、その直後――()()はゆっくりと――俺のそばを通り過ぎた。

 カツン、カツン。と、生物が放つにはあまりにも武骨な足音は、徐々にだが後ろへと遠ざかっていく。圧力もだいぶ緩和されている。見逃された、いや――


(殺す価値すら、ないってことか……)


 敵とすら、認識されなかった。

 彼女は純銀の透き通るような瞳を浮かべ、金色の腰まで伸びた髪は風でたなびいている。


「…………っ」


 その仕草に、その雰囲気に――

 なにより、彼女の背中にバッサリと走る傷跡に見覚えがあった。なぜ、俺はこのとき……目の前の化け物と()()の後ろ姿を重ねてしまったのだろう。



「……リ、リー…………」



 その名前を言った瞬間、侵入者の体が一瞬だけ『ピクリ』と震えた気がした。


「……ど、う、して……」

『…………』


 だが、振り返ることなく侵入者は戦闘ヘリの突っ込んできた亀裂に寄ると、その瓦礫がれきへと手をかけた。赤い航空障害灯がぽつぽつと点滅している。彼女は夜の上層へと跳躍すると、その姿を消すのだった。



 ……風が吹いている。

 高所ゆえの冷たい風が、俺の体から体温を奪おうと吹きこんでくる。

 後には高層ゆえの荒い風が吹き込んでくるフロアだけが周囲に広がっていた。


 これを勝ちと呼ぶには、あまりにも無様な勝利なのかもしれない。

 それでもそれは、クロノがこの時代に来て初めて手にした勝利だった。


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