第19話 ノイズ②
強さ。
それは寿命、人間性、記憶を対価に行使できる刹那の灯火。
傭兵にもSランクはある。……が、そこに到達する者は義体者か、故人にしかなり得ない。強さを求めることは、自らの肉体や精神を切り売りすることと等しい。肉体を捨てる義体者に、精神を削るテック、そして人間性を削る激痛を支払ってその領域へと至る。ナイフで指の爪を、脚を、神経を自ら削ぎ落とすのとは訳が違う。
だからこそ、一時的であってもその領域へと立ち入った者は長く生きることができない。
……そう永らえることなどないのだ。
***
半壊していた。
皮膚は焼け焦げ、機械内蔵はこぼれ落ち、あたりは炉心溶融の余波による爆発跡だけがぶすぶすと煙を上げている。幸か不幸か、Q粒子崩壊炉は燃料をすべて使い切ったらしく停止しており、暴走による擬似特異点は発生しなかった。
『ふぅ、まったく……やれやれだな』
三面六臂の奇形義体者、阿修羅は服についた炭を手で払うと、動かなくなった女の残骸に向かって歩きだす。
ノイズ。
騒音の銘を有する技術は指向性エネルギー兵器を使い、電磁波の一種ミリ波を集束して射出することで……脳核を含む義体を外から内部破壊することができる唯一のテックである。
元は非致死性の鎮圧用の治安兵器だったのだが、その出力を対義体者用に改造したことで殺傷兵器に。言うなれば、電子レンジの数十倍の威力の電磁波を放つことで、卵が爆発し、アルミホイルが発火するように、それに晒された義体者もまた甚大な被害を受ける。マルウェアによる攻撃ではないのだから、脳核を外部との通信網に接続しているかどうかは関係ないのだ。
『兄者、兄者! 念のため脳核をスクラップにしよう! それから、それから――』
『まぁ、落ち着け。決着はついた。そう急ぐこともないだろう』
だが、本来であれば間隔60秒の負荷がかかるところを、人格モデルと脳核を三つに併設することで処理負担を20秒まで短縮することに成功している。結果、女の両脚の義足は破裂し、回路は熱でどろどろに溶けていた。
爆発の衝撃波であたり一帯のガラス窓がふきとび、通路に焦げ臭さが漂うなか、阿修羅は六本もの腕を格納するようにして折り畳もうとする。しかし、そのうちの中段の両腕だけがいまだ警戒するようにして機械刀を構えたままだった。
「……待て。なんだ、この反応は――」
Q粒子濃度計測器の針がカリカリと反応している。Q粒子は完全崩壊させれば消失するはずなのに、周囲の汚染濃度は高まっていることに阿修羅は訝しんだ。ノイズが狙ったのは脳核と心臓炉心、腎臓バッテリーのみで、Q粒子を貯蔵する『肝臓』はターゲットしていない。緊急閉弁すれば本人の意思に関係なく発電は不可能になり、バッテリーがなければ強制停止を余儀なくされる。だが――
「外部刺激による反射……? いや、これは……」
爆発で脳核が外から見えるほど頭が削れ、片目がとれて視神経ケーブルがひらひらと風で揺れ、至る箇所で金属フレームの骨格が剥き出しになっている。それほどの重傷だというのに女はなおも大破した義体で起き上がろうとする。
違法カセットによる安全装置の消去は、彼女を屍人同然の操り人形にさせていた。
「バカが……義体を半壊させ、炉心が溶け、自我を失ってもなお最期まで抗うつもりか」
これではまるで徘徊者だ。
悪魔に死後の死体を売り渡すようなもの。奇しくもラボの被験体と同じ挙動のそれに、阿修羅は内心鼻で笑った。
人間の獣性でのみ保てる意識などたかが知れている。
自我を保ちながら人ならざる存在に至る道筋を探り続けた結果、副次的に生み出されたのがあの黒い寄生虫を宿した兵士であって、命令すら聞けない暴走などそれにすら劣る。
ぱくぱくと溺れた魚のように口を開き、シリコンの瞼が溶けているにも関わらず、光彩が瞬きをするように点滅する。阿修羅は害獣と対峙しながらも、確実に脳核を全壊させるべく再び『ノイズ』を放とうとする。だが――
「――っ」
……速い。
そう呟く暇もなく、阿修羅は機械刀を目の前で交差させると瞬間、甲高い衝撃音が響きわたる。女が飛びかかったのだ。手首が溶けて本来は前腕の骨だった二対の剥き出しの金属フレームと高周波を纏う刃とがぶつかり合い、火花がはじけ、しばらく鍔迫り合いの時間が続く。しかし、すぐに純粋な膂力で振り払われると女は蹴られた犬のように転がっていく。
『あ、兄者……』
『先ので死んでおけばいいものを。どうやら、本気で苦しみ……』
直後、瀕死の重体とは思えないほどの勢いで害獣の義体が跳ね、電光石火のスピードで噛みついてくる。明らかに、大破した義体の動きではない。なおも刃に手足を振って抗う様は滑稽に過ぎる。……が、それを嘲笑えるほど今の阿修羅に余裕はなかった。
いま、女の義体を動かしているのはその所有者ではない。
脳核が半分も消し飛んでいるのだ。意識などあるはずもない。それなのに――
「オマエ、誰だ……?」
『…………』
阿修羅は思いきり女の腹を蹴り飛ばすと、そう呟いた。
いま、目の前にいるのは都市政府ネットのブラックリスト登録されている爆弾魔『カーラ・キャンベル』ではない。阿修羅は腹を抱えて蹲る女と対峙しながら、隙なく六つもの武器を構える。そのときだった。
『ああ、バレちゃった……?』
分厚く重なっていた暗雲がすこしだけ晴れ、上層に月明かりがスポットライトのように射し込む。
淡く、青白いそれが女の背後から後光のように照らしだす。女は笑っていた。何より、阿修羅にはカーラのものではない女の声に覚えがあった。
「その声、……お前、月の魔女か!」
アヌビス。
月面サーバーの管理システム。
ひとりの少女の魂と人格リソースを基に作られたそれが、現在進行形でマイナスカセットを中継にカーラ・キャンベルの義体を動かしているのだ。
『アヌビス、貴様……』
『女風情が……!!』
阿修羅の左右の顔が怒りを露わにするなか、大破した義体を駆るアヌビスは飄々とした表情でぬるりと立ち上がる。
『でも、この体はもう限界みたい。もうすこし手伝ってあげたかったけど、私はここまでかな』
「……ただの管理システム風情が、何を……」
最後に中央の顔が苦々しい表情をすると、アヌビスはもげた表情筋を動かしてにこりと笑った。
『もうじき、二つ目の分岐点が来る』
「…………なに?」
分岐点という言葉に聞き覚えがなかったのか、それとも忠告の裏を気にしてか、阿修羅は眉をひそめるような仕草をする。
『特異点同士のぶつかり合いよ。時間は曲がり、空間は歪み、互いの重力に引かれ合うようにして混ざり合う。その戦いに私の出番はないわ』
「…………」
『だけど、この子を中継点にすればもうすこし暴れられる。……そうね。たしか、あなた面白いテックを使っていたわよね』
アヌビスはそう言うと、落ちていたガラス片を自らの心臓に穿ち、ドロドロに溶けた炉心に穴を開けていく。
嫌な予感がした。
中途半端に崩壊したQ粒子からは、有害な電磁波が発せられることもある。それにこの立ち位置。風が吹き込む風下に阿修羅はいた。炉心に穴が開くことで電磁波に一方通行の流れが生まれる。
それは指鉄砲を模したポーズ。鏡合わせのようにまったくの同じ構え。アヌビスがもげていない方の手でゆっくりとその照準を阿修羅へと向け――
「……っ、いや、お前まさか!!」
『ノイズ』
そっくりそのまま返す。
そう言わんばかりに、直後、カーラの指を伝って放たれるは致死量の電磁波。しかし、阿修羅も何とか不可視の波を避けようと体を後ろへと倒し、機械刀を前へと突き出す。
だが、やはり奇形義体なだけあってかすぐに体勢を整えると、腕が破裂するのも厭わずに機械刀を前へと突き出す。
アヌビスが電磁波を追う形で追撃しに迫ってきていたからだ。
瞬間、波に触れた阿修羅の義体が指先から沸騰し、四本もの銃は使い物にならなくなる。
しかし、肉を切らせて骨を断つ要領で阿修羅は機械刀を振ると、直後、カーラの義体の下半身がふきとび、機械内蔵がバラけ、気づけば上半身に機械刀が深々と突き刺さっているのだった。
普通であればそこで終わっていたであろう攻防。だが、そのときカーラの指先が閃光のようにしなり、自らの首筋のカセット経由に有線ケーブルが引き伸ばされ、阿修羅の接続ポートへと捩じ込まれる。
やられた。そう思うよりも早く、『侵入された』との警告文が表示され、視界に強烈なノイズが走り始める。平衡感覚がなくなり、立っているのもままならなくなる。
「有線での電子戦。こいつ、最初からこの私を道連れに――」
『第二ラウンドよ。幾千万ものウイルスのスープ、存分に味わってちょうだい』
その言葉を最後に、阿修羅の意識はマルウェアの濁流に押し流されるようにして消えていった。