第18話 53+1発の攻防戦②
完全に崩落したコンサートホール内に火花が散る。
舞い上がる煙を薙ぐほどの勢いで複数の衝撃波が発生する。すぐに抗菌性のリノリウムの床や壁に斬撃の跡を走らせ、強化ガラスを歪めるほどの烈火が迸る。瓦礫の生き埋めにならないよう、両者ともに揉みあうようにして病棟の廊下へと飛び出すと、すぐさま銃弾と機械刀が交差して数度――金属音を響きわたらせる。
病棟の廊下で小火がちろちろと体を揺らすなか、結末をただ見守るように病室の扉はロック中を示す赤ランプだけが点灯している。それがずらりと並び、反対側の窓の外では非常用電源で何とか持たせているのか、ビル群の屋上で赤い航空障害灯が整列しながら点滅している。
そして、それに呼応するようにして黒鉄のシガーソケットのような単眼もまた、爆炎の中から敵を探すようにパチパチと瞬きでもするようにして赤く点滅するのだった。
赤、赤、赤……。
すべての赤はわずかに色調こそ違えど、そのどれもが危険信号を発している。
……煙が晴れる。
その中にいた黒鉄の下顎が螳螂のように開き、緊急排熱孔からバシュウ――と蒸気が発せられる。だが、すでに義体の装甲板には無数の弾痕がついており、内部の神経回路が傷ついて行動不能になるのは時間の問題だった。しかし――
「いやァ~、ここまでやるとは思ってなかった。予想よりも遥かに強いねェ」
ジョーカー。
義腕砲から同じく多量の煙を漂わせながら、仮面の男は冷静に間合いを取ったまま、隙なくその砲口を黒鉄へと向ける。だが、その仮面にも亀裂が走っており、機械刀との打ち合いでさすがに無傷とはいかなかったことが垣間見える。
先の攻防で義腕砲の52発の弾のうち、すでに48発が消費されており、残すは『スペードの1』『ダイヤの13』『クラブの8』『ハートの2』のみ。
黒鉄の機械刀は刃こぼれこそしているが実害があるほどではない。それに対し、ジョーカーは弾切れになれば手持ちの獲物は意味を成さなくなり、勝ち筋がいっきに黒鉄へと転がり込む。
義体の構造上、外から見てもこれ以上の弾を隠し持っているとも思えない。……耐え切った。そう考えそうになるが、それが早計な判断なのは火を見るよりも明らかだった。
「こっちの弾はもうあと四発だけだ。サンスーは得意な方だったが、弾の使う配分を間違えたか?」
『…………』
「そう構えるなよ。オレは他のやつらと違って、そこまで月庵のやつに忠誠があるわけじゃない。いざってときはお前を行かせるさ」
割れかけた仮面を調整しながらジョーカーは義腕砲の排莢を済ませ、戦闘続行を意思表示するようにしてその砲口を黒鉄へと向ける。
「だが、それまでは遊んでもらう。幸い、まだまだ楽しみがいがありそうだしな。期待してるぜ、お前の底力ってやつ」
黒鉄は困惑するでもなく、ただただジョーカーという男の目的が分からなかった。ここで足止めをするという目的こそ理解すれど、それを成すだけの意志がないように見えてならない。忠誠、金、社会的主義、仲間意識すら薄いこの男にとって、戦闘狂と呼ぶには些か理性が残りすぎているように思えてならない。
……何か別の目的があるのか。
黒鉄がそう訝しんだ……そのとき、窓ガラスが焼夷弾による内気の熱と外気による冷気との差でヒビが入り、盛大に割れると同時に廊下に突風が吹き荒れる。
ちろちろと燃えていた火が一瞬で消え、中にいた者が外へと放り出されそうになる。黒鉄はすぐに機械刀を床へと突き立てると、反重力装置をオフにして外に吸引されないよう腰と重心を下げる。コンパスの針のような両足が床に突き刺さる。
ジョーカーもまた歩行補助用の手すりに掴まりながら、なおも体勢を整えて黒鉄にその砲口を向けようとする。だが、もしこの高さから落ちればただでは済まない。黒鉄には反重力装置こそあれどジョーカーにはそれがない。
直後、ジョーカーは手すりから手を離したと同時に、不安定な姿勢で放った『ダイヤの13』のスラッグ弾を放つ。……が、やはり黒鉄の装甲板の表面を滑っただけで直撃には至らない。
その反動で吸引エリアからの脱出に成功したジョーカーは間髪入れずに排莢とコッキングを済ませ、いまだ耐えている黒鉄に向けて次弾を放とうとする。しかし――
「ちぇッ、焼夷弾か。だが――!」
瞬間、爆発的に膨れ上がる熱波が黒鉄の義体ごと廊下を埋め尽くし、ガラス窓を近いもの順に喰い破るようにして黒い炎が噴出する。
明らかに今までとは一線を画すその火力に、天井や床の建材はどろどろに溶け、鉄筋の基礎は折れ曲がりそうなほどに歪んでいく。
そのとき、中心温度の高い箇所でその炎が棒か何かでいっきに薙ぎ払われる。……黒鉄だ。だが、義体の塗装が耐えきれなかったのか、真っ赤な三度笠など見る影もなくタングステンの原色が出てしまっている。
加えて、何を思ったのか機械刀は鞘に納められており、黒鉄はそれを地面と平行になるよう左肩に乗せ、左手を柄にかけるようにして静止する。
居合、抜刀――。
しかし、腰にぶら下げた鞘から横一閃もしくは斜めに斬り上げる通常の抜刀術ではない。まるで刀を振り下ろすための格好は、対銃火器を想定した特有のもの。熱が廊下全体に飽和するなか……圧力が膨張する。
『くだらねェ』
爆発の中心地で、黒鉄の両脚の反重力装置の出力が限界点までいっきに上がり、熱量過多寸前を知らせる赤い警告ランプがポーンという電子音とともに点灯する。
やがてバネのように圧縮され、凝縮された反発力は引き伸ばされた弦のように地面へと伝わり、ミシミシと針状の脚を中心にリノリウムの床がひび割れていく。
「――――っ、来るかッ!!」
ついに、黒鉄のコンパスの針のような足先にも亀裂が入る。
次で最後の攻防になる。
そんな予感に感化されたジョーカーが迎撃のため義腕砲を前へと突き出した、その直後……黒鉄の義体が残像すらかき消えるほどの速度で前方へと射出される。両脚を犠牲にしての一回限りの無限の間合いは――左右に避けることのできない通路では必殺の一撃へと変わる。
迎撃のための徹甲弾(スペードの1)がジョーカーから放たれる。……が、黒鉄は寸でのところで身を捩り、最低限の回避だけするとそのまま懐へと飛び込んでいく。
瞬間、鞘の射出機能によって加速された刀身が火花を散らしながら姿を現す。左肩から射出された柄を握りながら、黒鉄は姿勢を後ろに倒しながら退こうとするジョーカーに対し、そのまま胴体を斬り降ろそうと――
ギィィィイイン――――。
直前、最後の弾が放たれることを悟った黒鉄は刃の軌道をずらし、狙いを胴体から義腕砲の口へと変える。その瞬間、射出されたばかりのホローポイント弾と刃が直撃し、甲高い音が響き渡る。だが、中央が窪んだすり鉢状の弾は斬られることを想定していなかったのか、真っ二つになると同時に左右に別れた弾は後方へと消えていく。
「ち、ィ――!!」
そのとき、初めてジョーカーの口から焦ったような舌打ちが出る。……弾切れ。射撃手にとっては死刑宣告にも近しいその状況に、さらに後ろへと跳んで距離を取ろうとする。
しかし、振り切った刃が地面に当たると同時に跳ね上がり、再びジョーカーの胸元へと迫る。間違いなく首を刎ねるコース。一秒後には頸椎にめり込んだ刃が速やかに仮面のついた頭部を切除する。
――獲った。
そんな呟きが漏れそうになった直後、黒鉄の視界にあるものが映り込む。同時に、脳核にわずかながら電圧が過剰にかかるような違和感を覚える。……黒い球体。義腕砲から出たそう呼ぶほかない何かを黒鉄は知っていた。
既視感。
ちょっとしたコインほどの大きさのそれは、義体者が大破したときもしくは自壊を選んだときに炉心溶融した際に生まれる擬似特異点。命の価値がただの人間よりも遥かに軽い義体者にとって自爆は常に選択肢のひとつとしてあるため、この現象を見るのは一度ではない。だが、これは――
――グポ。
直後、ジョーカーと黒鉄との間で漂っていた黒い球体が膨張し、周囲の景色がぐにゃりと歪みはじめる。一番近かった黒鉄の右腕が、指先と肩との重力差によってスパゲッティ状に捻じれていき、やがて半身すら呑み込むようにして虚空が膨らんでいく。
「重力弾だ」
ジョーカーがそう呟きながら義腕砲を付け根から分離すると、自分だけはその反動で高重力場から脱出し、隻腕のまま通路の反対側まで退避する。瞬間、破裂した擬似特異点が黒鉄の半身を抉り飛ばし、もう半身を自動車に撥ねられたような挙動でぶっ飛ばされる。
超精密な重力場の調整による攻撃。
切り札とも呼べる重力弾はジョーカーが複数と持たない最後の武器だった。
「が、は――」
ジョーカーは立ち上がると自分の頸動脈のあたりに鋭い痛みが走ったのを感じた。見ると、機械刀の折れた先端が刺さっており、どくどくと赤い液体が漏れている。その液体を触りながら、ジョーカーは腹から絞り出すように笑った。
「はは、ただでは殺させてくれない、か……」
幸い、声帯は切れていない。すぐさま、刺さった刃の切っ先を抜き捨てると、止血剤スプレーのトリガーを絞り、もこもこと白い泡を傷口にあてがう。赤い液体に反応した泡がセメントのように固まり、出血を抑える。
『……その血、オマエ、義体者じゃなかったのか……』
「…………」
遠くで右半身が完全に蒸発した黒鉄が、天井を見ながらぽつりとそう言った。
「ああ、そうだ。……残念だが、今回はオレの勝ちだな。黒鉄――」
『…………』
勝敗。
両者の間での言葉の重みは違う。かたや黒鉄は相手の殺害を、かたやジョーカーは相手の足止め。それが勝つための条件であった以上、黒鉄は義体が大破した次点で負けていた。これでは宮内に応援として駆けつけることなど夢のまた夢だろう。
だが、そもそも首がもげたところで死ねない義体者同士の戦いにおいて、義体の損耗率はさほど重要ではない。重要なのは脳核に保護された人格モデルであって、ハードウェアではなくソフトウェア同士の殺し合いでなければ決着がつくことは稀だ。
「あんたの勝つ条件はオレを殺すこと。オレの勝つ条件はあんたを足止めすること。それに、最後の最後で勝敗を分けたのは……装備の差だな。オレの義腕砲は常に最新バージョンにアップデートされた設備でメンテナンスを受けていたが、お前のその機械刀は正規品でもなければ企業の正式なメンテナンスを受けたわけでもない」
『…………』
「高望みし過ぎたな。……たしかに、あんたは今いる義体者の中でも最高齢で経験も一番あるんだろうが、一企業に太刀打ちできるほどの力はもうない。それともなんだ。あんたがやるってんなら、こんなただのじゃれ合いじゃなく電脳戦で真に殺し合ってみるか?」
『………………』
「まぁいい。半身もげてるところ悪いが、これ以上動かないように強制停止させてもらうぞ」
高所の突風が吹きこむ病棟の通路で、ジョーカーはもげた義腕砲からの出血部位をスプレーで止血すると、割れたガラス片を踏みながら黒鉄へと近づいていく。
そのときだった。
全損した窓の外できらりと何かが煌めいた。
赤い航空障害灯が並ぶ中、唯一の異物だった純白の閃光に同じく気づいたらしいジョーカーがそちらを向くのと、その顔が何かに撃ち抜かれたようにして仰け反るのはほぼ同時だった。
仮面の額に20mm口径の銃弾が突き刺さったのだ。
黒鉄はその瞬間の映像を脳核処理により、スロー再生で何度も精査して確認する。
(援護射撃……? 撃ったのは、誰だ……)
黒鉄は仰向けになりながらも、単眼のカメラだけを閃光があった方へと向ける。閃光の瞬いた方向には、月庵と同じ高さを誇るS.S本社ビルが遠くで聳え立っていた。
***
『あっちゃー、マジで当たっちまった……』
男がいた。
フードをかぶった男は、ドレッドヘアのような何十本ものコードを束にし、持っていた狙撃銃にそれを接続しながらスコープを覗いていた。その頭部も人間のものではなく、箱型のブラウン管テレビのような筐体をしていた。
S.S本社ビルの屋上ヘリポート……警察車両のサイレンがかすかに聞こえる高所で、フードの男は顔面のモニター画面にニヤケ面の絵文字を表示させながらフードを脱いだ。
『まったく、都市政府からの監視もあるってのに……』
やがて上空を旋回していた白いフクロウが男の肩に止まると、ホホゥ、と鳴きながら首を傾げる。どうやらいまの狙撃の音で近くの警備兵が向かってきているらしい。
『こりゃ、早々に退散した方が良さそうだな』
フードの男は狙撃銃を担ぐと、颯爽とS.S本社ビルの屋上から飛び降りるのだった。
***
(S.S本社ビルの方向……だが、ここから三キロは離れているはず)
黒鉄は半壊した義体を何とか動かしながら、次の狙撃があるかどうか確認しようとする。単眼の光学レンズの倍率を調節し、狙撃手の顔を見ようと目を凝らす。しかしーー
『…………』
その瞬間、黒鉄の単眼にひびが入り、視界に大きな亀裂が発生する。やはり先の一撃は相当な痛手だったのか、景色にノイズが何度も発生する。
何とか立ち上がって移動しようにも、反重力装置が破損しているためろくに動くこともできない。
倒れたままのジョーカーの仮面にはヒビが入っており、脳震盪で意識を失っているのかぴくりとも動かない。
黒鉄は静かに折れた機械刀の切っ先を見つめる。義体者でないのならば息の根の止めようもある。だがーー
「待てよ、黒鉄ェ……」
直後、黒鉄の後頭部の接続ポートに有線ケーブルが刺さる。何とかそれを抜こうにも電子錠付きなのかできず、ケーブルを切ろうにも出力が足りない。
(肉弾戦を好むと言っていたのはブラフ――。こいつにとっての本当の武器は、他人の深層意識を喰い潰す『ダイバー』としての電脳戦か――)
殻に閉じ籠もったヤドカリを引き摺りだすには、物理的に殻を壊すか、有線ケーブルを脳核に直挿しするしかない。
直後、黒鉄の視界に強烈なノイズが走る。脳核内に侵入された旨の警告文が表示される。
やがて、黒鉄の意識はジョーカーのそれと揉み合うようにして虚構空間へと落ちていくのだった。