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7 追跡者

 日暮れまでに稼げた距離は、わずかだった。

 ヴェンドーンの街に近づくより、追って来るかも知れぬ敵を撒くことに努力を傾注したからだ。痕跡を消し、偽の手がかりを残し、わざと遠回りし、進みにくい岩石地や雨裂を選んで歩く。よほど熟練した軍人か猟師でない限り、完全に撒いたとみていいだろう。

 わたしは小さな丘のふもとを、本日の野営地に定めた。ちょっと寒いが、風のない穏やかな晩なので、火の気がなくとも一晩過せるであろう。

 腰を落ち着けたわたしとフロイナは、男から奪った荷物の中にあった干し魚と炒ってあったナッツ、それに古く乾燥しきっているので独得の風味が出ている白パンとで食事を済ませた。デザートは途中でもいだ野性のリンゴ二個。手ごろな枯れ枝を拾ったわたしは、念のために浅い穴を掘り、食事で生じたわずかなごみを埋めた。

「さて」

 牧場から脱出して以来、ふたりともほとんど会話していなかった。フロイナはまったくの無口を貫き通していたし、わたしでさえ『そこ危ないから気をつけて』とか、『休憩しましょう』など必要最小限の事柄しか口にしていなかった。

 わたしとフロイナは、ここ二ヶ月ほどの時間を掛けて女同士の友情と呼べるものを培ってきた……つもりだった。だが、それはお互い身分を詐称するというあやうい基盤に拠ったものであった。ジョレス・スタタムという架空の人物と、フロイナ・モリスという、これまた偽りの人物との関係。それはそれで、うまく行っていた。さながら浮気上手同士の夫婦のように、嘘がばれない範囲においては。いや、むしろ義理で加入した菜食主義サークルで知り合った狐と山猫のようなものか?

 牧場での一件は、いわばお互いの嘘の暴きあいとなってしまった。どうやって友情を再構築するか? それともすべてをぶちまけあって妥協するのか。あるいは対立するのか? すべてはこれからの会話にかかってくる。

「襲ってきた連中は何なの? こんなへんな武器まで持ってるし。あいつらも義兄が雇った、なんて言うんじゃないでしょうね」

 わたしは火噴き棒を取り上げた。休憩したときにざっと調べておいたが、いまだに原理はよく判らない。棒ではなく正確には筒であり、一端が閉じられている。使うときには対象に穴のあいているほうを向けるところからみて、吹き矢のように殺傷能力のある物体を筒から飛び出させる仕組みなのかも知れない。閉じた方には箱状の物が付属しており、そこには石弓の引き金によく似たものが取り付けてある。たぶん、それが発射機構なのだろう。

「あの兵士たちは誰だったんですか」

 わたしの質問を無視し、フロイナ。……このパターン、前にもあった。

「あなたには黙ってたけど、父に相談したのよ」

 この言い訳は、森を歩きながら充分に考え抜いてあった。

「そうしたら昔のコネで、ある傭兵部隊を紹介してくれたの。隊長さんが、昔父の部下だったのよ。格安の上に後払いで雇われてくれるって言ってもらったんで、頼んだのよ」

 フロイナが、疑わしげな視線をわたしに浴びせる。まだ低い位置にある『大きな月』の光が、その横顔を青白く見せていた。

「それともうひとつ。あなた、魔術使ったでしょ。まあ、命を助けてもらったようなもんだから、隠していたことに関してとやかく言うつもりはないけれど……どういうことなの? あなた、何者?」

 わたしはずいと詰め寄った。もっと下手にでてもよいのだが、ジョレス・スタタムならたぶん詰問口調になるであろう。致し方ない。

 フロイナは黙っていた。意志の強さを感じさせるが、やや悲しげな目つきで、瞬きもせずにわたしを見つめている。

「それは……言えません」

 あきれるくらい長い間沈黙を保ったのち、フロイナはぽろりとそう言った。

「ほんとのこと話して」

 わたしはちょっと冷たい口調で告げた。

「あなたが何者で、なぜ襲われ続けるのか。もしかすると、これ以上力になれないかも知れないわ。わたしだって、死にたくはないし。でも、事情がどうであれ、今までの嘘は水に流すし、あなたを軽蔑したりすることはないわ。だって……あなたのことが、好きですもの」

 ……まるで田舎芝居のような、くさい台詞である。だが、月明かりのもと、深い森の中で二人っきり、膝を抱えて向かい合っている状態ならば、それほど違和感はない。

「わたし、父のところから逃げてきたんです」

 フロイナが語り出した。先程よりも、表情はわずかに柔らいでいる。だが、緊張しているのだろう、指先が時折前髪やペンダントチェーンをいじる。ほっそりとした指が月明かりで白っぽく見える髪をひねくりまわす様子を見つめていたわたしは、不意に彼女の髪を切ってやったときのことを鮮やかに思い出した。ことことと煮える野菜の匂い。やかましく鳴きながら飛び去る鳥たち。わずかな風に飛ばされる金色の切りくず。そして、いつまでも空を眺めていたフロイナの瞳。

「父は……ある仕事に、いえ、計画に携わっていました。わたしもそれに参加する予定でした。世のため人のためになる、いい計画だったんですけど、わたしは……人を殺してしまったんです。計画を守るためには、そうするしかなかった」

 言葉を切ったフロイナが、救いを求めるかのようにわたしに手を差し伸べた。わたしは安心させるように、その手を握り返してやる。指先は、妙に冷たかった。

「それで、逃げ出したくなったんです。父のもとを。遠くアーサル村まで逃げたのに、父の部下が追ってきた」

「わたしが倒しちゃった男たちね」

「あとは、知っての通りです。でも、今日襲ってきた人たちのことは、知りません。その妙な武器も初めて見ました。絶対に、父の部下じゃない」

 わたしは思案した。フロイナの語った内容は、おそらく嘘ではあるまい。今までの彼女の嘘は、緻密であった。今回の話はいかにもあいまいである。そこが、かえって真実味を帯びている。それに、ラムサル族がメスタの部下を襲撃しているのは事実だ。

「魔術のことを聞かせて。誰に習ったの?」

「父や……その周辺の人ですわ」

「じゃあ、あなたは魔術貴族の末裔になるのかな?」

「そう思いたくはないけれど、そうなんでしょうね」

 一瞬だけ、フロイナの頬に笑みが走る。痛々しいほどの、冷笑ではあったが。

「その計画って、何なの?」

「それだけは、話せません。おそらく父も、それに関する情報が漏れるのを恐れて、わたしを連れ戻そうと躍起になって部下を送り込んだのでしょうから。でも、悪事じゃないんです。それだけは、信じてください」

「信じましょう」

 仕方なく、わたしはそう応じた。

「それで、これからどうするつもり?」

「……まだ迷ってます」

 フロイナが、かなり高く昇ってきた『大きな月』を見上げた。

「計画には、参加するしかないでしょう。いずれ、父のもとには帰らなければならない。でも……」

「でも?」

「……今日は疲れちゃいました。早いけど、寝ません?」

 わたしの問いかけに答えず、フロイナがそう提案する。わたしは頭を掻いた。どうも、フロイナのペースに乗せられすぎている気がする。

「たしかに疲れたわね」

 言ったとたんに、あくびが出た。せいせいと大きく口を開け、あくびをする。

 つられたのか、フロイナもあくびを始めた。お互い大口を閉じたところで、フロイナと眼があう。二人とも、微笑を浮かべていた。それがいつの間にかくすくすというかみ殺した笑いになり、お互いの顔を指差しての哄笑に発展する。

「静かに! 追っ手に気付かれちゃうわよ」

 笑いを堪えながら、わたしはそう言った。フロイナは、口を両手で抑えながら、涙まで流して笑っている。

 笑いの発作は、程なく収まった。

「嬉しい」

 いまだくすくすと笑いながら、フロイナが言う。

「何が?」

「あくびするところをまともに見せてくれた女性なんて……幼い頃の友達以来ですもの」

「だから笑ったの? わたしはてっきり大口開けたのが可笑しかったのかと思ったわ」

「ジョレスさんは何で笑ったんですか?」

「あなたが笑ったからつられたのよ。笑いって、伝染するじゃない」

「なんだか……実に久しぶりにお腹の底から笑ったような気がしますわ」

「同感ね」

 わたしは心底からそう言った。こういう商売をしていると、完全にくつろいだ状態になれることはめったにないし、笑いにも鈍感になる。作り笑いだけは上達するが。

「笑ったら余計疲れたわ。寝ましょうか?」

「ええ」

 フロイナが同意する。笑みはすでに跡形もなく消えていた。


 気が付いた時には、もう手遅れだった。

 寒さ避けに被っていた落ち葉をはね散らかして、上体を起こした時には、すでに例の火噴き棒の先端が眉間に押し当てられていた。わたしは思わず動きを止めた。伸びてきた手が、置いてあった長剣を取り上げる。

 フロイナも拘束されていた。二人の男が左右から腕をがっちりとつかみ、もう一人が後ろから火噴き棒を突きつけている。

 わたしは目玉だけ動かし、すでに中天に達した『大きな月』の力を借りて、周囲の状況を探った。相手は六人らしい。全員が火噴き棒を持っている。わたしに火噴き棒を突きつけているのが二人、フロイナに突きつけているのが一人。彼女の腕を押さえ込んでいるのが二人。残る一人はリーダーらしい。若いが貫禄があるし、気障なことにマントなんぞ身に着けている。おそらく全員が、ラムサル族であろう。

「呪文を唱えたら、殺す」

 そのリーダーが、手にした火噴き棒をフロイナに向け、言い放った。次いでわたしに向けて、言う。

「あんたも抵抗したら殺す。こいつはたいへん強力な武器なんだからな」

 わたしは黙っていた。口調から、相手が本気だと言うことを悟ったのだ。こういう場合、おとなしくしているのが常道である。

 いったいどうして追いつかれたのか? わたしの疑問は、背後から漂ってきた独特の臭いによって氷解した。犬の臭いがする。まず間違いなく、彼らの能力を借りたのであろう。わたしの推測を裏付けるかのように、きゅんきゅんと鼻を鳴らす声と湿り気のある地面をリズミカルに掘り返すざざっという音が聞こえた。

「さて」

 リーダーがしゃがみ、正座のような格好で拘束されているフロイナと目線を合わせた。

「こちらの質問に正直に答えてくれれば、殺しはしない。『軌道連絡船』の建造場所を、教えてもらいたい」

 フロイナの表情が強張った。

 わたしは頭をひねった。『きどうれんらくせん』とはなんであろうか? 建造という以上、建物かなにかだろうが……。

 フロイナは口もとを引き結んだまま、リーダーを見返している。ややあって、リーダーがふっと微笑んだ。

「簡単には行きそうにないな。では、ちょっと手荒なことをしようか」

 そう言って立ち上がり、てきぱきと命令を出し始める。それを受けて、わたしに火噴き棒を押し付けていた男の一人が、枯れ枝を集め始めた。フロイナを抑えていた男の一人も、背負っていた荷物を降ろし、中からロープを取り出した。縛ろうというのだろう。

 まずい。

 わたしは思案した。腰を据えて尋問するとなると、かえって脱出のチャンスがなくなる。焚き火を焚かれれば闇にまぎれるわけには行かなくなるし、縛られればそれこそ手も足も出なくなる。なんとかこのままでいなければ……。それに、わたしはフロイナが拷問されるシーンなど見たくなかった。

「フロイナ」

 わたしは火噴き棒を突きつけている奴を刺激しないように、そっと呼びかけた。

「『きどうれんらくせん』だかなんだか知らないけど、正直に言っちゃいなさいよ」

 火噴き棒の先端が、わたしの胸にぐっと押し付けられた。だが、リーダーがわずかに首を振ったので、先端はすぐに胸から離れた。……わたしは利用できると踏んだのだろう。

「お願いだから、言って。ね、フロイナ」

「知らないんです」

 済まなそうな表情で、フロイナ。

「嘘はいけないな、お嬢さん」

 リーダーが、火噴き棒の先端をフロイナに向ける。

 枯れ枝を集めていた奴も、ロープを準備していた奴も、手を止めてなりゆきを見守っている。ひとまず、時間を稼ぐというわたしの目論みは成功である。せいぜい数分であろうが。

 わたしはフロイナにしゃべるように懇願しながら、口を動かす作業に参加していない残余の脳味噌を総動員して打開策を探った。火噴き棒を突きつけられているものの、両手両足は自由である。ツキに恵まれれば、無傷のまま闇の中へと飛び込むことは可能だろう。いや、それよりもフロイナの呪文に期待したほうがいい。わずかでいい、フロイナが呪文を唱える時間を稼げれば、形勢逆転できる。

 ラムサル族の弱点は? 決して戦士の伝統があるわけではない。独特の宗教観を持っている、特異な部族というだけだ。宗教的タブーを利用するか? そんなものあったっけ?

 フロイナはしゃべらない。業を煮やしたのか、リーダーが顎をしゃくった。枯れ枝集めの男が作業を再開し、ロープ係の男もフロイナを縛ろうと近づく。手にしたロープの端が、歩くたびにくねった。まるで、生き物のように。その動きと形状は、わたしにある動物を連想させた。

 ……これだ。たしか、ラムサル族の宗教観では、この生き物は悪役であり、忌むべき存在であり、ある意味畏怖されているはずだ。

 わたしは急いで枯れ葉の中を探った。指先が、硬いものに触れる。

「きゃ! 蛇よ!」

 小さくさけびながら、手にした枯れ枝をリーダーに向け放る。

「ぎゃーっ!」

 意図したものか、あるいは単なる蛇嫌いだったのか、フロイナが絶叫した。これが、ラムサル族のパニックを倍化させた。フロイナを抑えていた奴が、火噴き棒を放られた枯れ枝に向けて放つ。ばしんという音と、吹き出た火が、全員の耳と眼を瞬時無力化した。

 わたしはすでに動いていた。突きつけられていた火噴き棒をかわすために後ろへと倒れつつ、右足の爪先を男の鼠蹊部に叩き込む。そのまま後転したわたしは、立ち上がりざま左へと跳んだ。火噴き棒に射られるのを避けるためだ。だが、それは杞憂に終わった。

 ブーツの中に隠してあったナイフを抜いたわたしが体勢を立て直した頃には、すでに決着がついていた。わたしが股間を潰した奴を含め、全員が顔面をかきむしりつつ、地面を転げまわっていた。


第七話をお届けします。ようやくSFらしくなってきました。

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