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3 古代遺物

 これはわたしの偏見かもしれないが、女同士の場合、ある程度年齢が離れている方が、親友になりやすいようだ。わたし自身にしても、あるいはわたしの身近な人を見ても、深刻な悩み事を打ち明けられるほどに親しい友人は年下か年上だったように思う。心理学の素人向け解説書によれば、女性のほうが男性よりも表層的な付き合い方……よく言えば自己を確立したまま、悪く言えば外面だけの友達付き合いをするのだという。同年齢だと、かえって相手の考えていることが筒抜けとなり、この芸術的とも言える女性同士の、さながら領土紛争を抱えている国家同士が対外的には外交儀礼の限りを尽くして親密そうに付き合うような態度を取りにくくしているのか、とも思う。

 それはともかく、わたしがフロイナとそこそこ親密になれたな、と感じたのは、任務を始めてから三十六日目のお茶の時間であった。

 その日は、最初からフロイナの様子が変であった。動作に落ち着きがなく、お茶を飲むペースがいつもより速かった。わたしは新聞を読むふりをしながらやや緊張して彼女の様子を観察していたが、やがて意を決したらしいフロイナが発した言葉を聞いて、拍子抜けした。

 書き溜めた原稿を読ませてくれないか、と彼女は遠慮がちに訊いてきたのだ。

 それを聞いたわたしは意地の悪い笑みを浮かべた。

「ふふふ。とうとう言ったわね」

「だめですか?」

 フロイナが、ちょっとおびえたような表情を見せる。

「そう言ってくれるのを、待ってたのよ」

 わたしは立ち上がると、フロイナの手首をつかんで書き物机代わりに使っている古く大きな食卓に引っ張っていった。椅子に座らせ、赤インクの壜を押し付ける。

「な、何なんですか?」

「ふふふ」

 わたしは不気味な笑いを顔に貼り付けたまま、原稿の束を取り出した。

「下書きを読む者は、自動的に校正係を押し付けられるのよ。綴り間違いがあったら、チェックしといてね」


 わたしがまともに原稿に取り組んでいた時間は、一日平均でせいぜい二時間だったが、それでも一ヶ月以上取り組んだおかげで、かなりの量の原稿が溜まっていた。

 原稿のテーマは、古代都市ドロエダに関するものであった。魔術貴族がこの世を支配する以前に起こった『大災厄』によって滅びたとされる古代都市の遺跡は方々で発掘されているが、ドロエダはなかでも最大規模の都市のひとつである。わたしは以前ある任務で、ドロエダで発掘調査を続けるとある大学のチームに調査員助手として加わったことがあった。その時の経験と知識、それに他の研究者の論文、最近の発掘調査の報告書などを使えば、それなりのものは書ける。

 フロイナは真剣かつ丁寧に校正に取り組んでくれたので、作業はその日のうちに終わらなかった。わたしがお礼の意味も込めて準備した夕食を採ったフロイナは、翌朝朝食後に続きを行うと約束して帰っていった。眼には明らかに尊敬の色が浮かんでいた。こちらが気恥ずかしくなるほどに。

 翌朝約束どおりにやってきたフロイナは、布にくるまれた小さな箱を小脇に抱えていた。頬には、抑えきれない笑みが浮かんでいる。

「わたしの宝物です。めったに他人に見せたりはしないんですけど、ジョレスさんになら……」

 わたしは驚きが顔に出ないようにしつつ、興味深げに箱を包む布を取り去るフロイナの手元を見つめた。何回かフロイナの家は家捜ししたが、この箱を眼にするのは始めてである。よほど上手に隠してあったに違いない。

 布の中から現れた木箱の蓋が取り払われる。箱の中はまた布であった。手を差し入れ、そっと中身を取り出したフロイナが、赤ん坊のおむつを初めて付け替える若い父親のような慎重な手つきで、布をほどき広げてゆく。

 出てきたのは、白く大きなマグカップだった。

 一見すると、ただ妙に大きな新品のマグカップに見えたが、わたしはすぐにその正体を見抜いた。いや、わたしでなくともすぐに見破れるだろう。ここまで大事に保管されている品物。……古代遺物だ。

 少なくとも三百年近く前のものであるのに、マグカップはまるで新品のようにぴかぴかに輝いていた。フロイナが、唯一の装飾である絵が描かれた面がよく見えるように、カップの角度をずらしてくれる。そこには、戯画化された動物の絵があった。黒く縁取りされた白い顔と、微笑を意味するであろう弧を描いた閉じられた大きな口。円形の巨大な黒い耳。見覚えのある姿だった。食器や家庭用小物、あるいは玩具などに分類される出土品におよそ百数十例見られる謎の意匠、『紅いパンツの動物』の顔だ。

「これは……貴重品ね」

 わたしはカップに向かって手を伸ばしながら、許可を求めるかのようにフロイナに視線を送った。フロイナが、笑顔でうなずく。わたしは慎重にカップを手にとった。古代遺物の食器の大半はたいへんに丈夫で、床に落としたくらいではひびすら入らないが、どうしても丁寧に扱ってしまう。

 カップはさながら陶器のような手触りだったが、ずっと軽量であった。わたしはカップの内側に指を走らせ、そのすべすべとした手触りを楽しんだ。その滑らかさは『失われた技術』のひとつでもある。油のような粘性の高い液体を普通の陶器のカップにいったん入れてから空けると、かなりの量が内側に付着してしまうが、古代遺物の『超軽量陶器』で同じことを行うと液体は一滴たりとも残らず、すべて流れ出してしまうのである。

「すごいわね。どこの出土品? 壊れていない以上、かなり外縁のものよね」

 わたしはジョレス・スタタムならば当然口にするであろう質問を発した。『大災厄』は、それがどのようなものであったにせよ、グリア湾を起点ないし中心として起こったと推測されている。なぜなら、発掘調査が進む古代都市の被害程度を調べ、それを地図上にプロットし、同程度の被害の都市を線で結んでゆくと、グリア湾を取り囲むような円弧がいくつも描かれるからだ。グリア湾沿岸の古代都市は高熱で溶けたとしか思えない金属や正体不明の物質の塊しか出土しないが、外縁と呼び習わされているより離れた地域では倒壊した建物の中から生活用品や人骨が発見されることも多い。

「出土した場所は知りません。姉がくれたのです。おそらく、出入りの商人から買ったんでしょうね」

 フロイナが言う。各国政府は古代都市の盗掘に対し厳罰をもって禁止してはいるが、いったん市場に出回った古代遺物を売り買いするのは適法であるし、むろん所持も合法である。好事家のあいだでは高値で取引されるし、とくに食器類は人気がある。

 まさに宝物である。売れば相当の価値はあろう。

「ありがとう、フロイナ。いいものを見せてもらったわ」

 わたしは暖かな微笑を浮かべた。演技の必要はなかった。


 それ以来しばらくのあいだ、古代都市や古代遺物、『大災厄』についての話題が新聞を駆逐し、ティータイムの主役に踊り出た。

 『大災厄』以前、この世界は現在よりも、また魔術貴族が栄えていた時代よりもはるかに高度な技術文明を築いていた。そのことは、出土する古代遺物を見れば明白である。現代の技術ではとても作れない数々の品物。用途さえ定かではない機械たち。

 そもそも、大災厄とはなんであったのか? 最近の学会で支持されている二大学説は、火山説と天体衝突説である。グリア湾がとてつもなく巨大な火山の噴火口であり、大災厄はすなわちその『グリア火山』の大規模噴火に伴う溶岩流や地震が古代都市を崩壊させたというのが、旧来の火山説だった。しかしこの説では、ほとんどの古代都市が大量の土砂に埋もれていることの説明がつかない。それに、もしグリア湾が噴火口であり、そこから多量の溶岩なり土砂なりを噴出したならば、それらが火口の周囲に堆積し、小高い地形を生じていなければならない。そこで昨今の火山学の進歩によりこの説は修正され、今では火山説と言えばグリア湾に存在した巨大な火山島が大規模な爆発を起こし自らを破壊、飛び散った大量の岩隗や土砂が古代都市を滅ぼしたと考えられている。

 これに対抗する天体衝突説は、ここ五十年ほどで急速に発展した天文学の立場から唱えられた説である。星界には太陽や『大きな月』、『速い月』、惑星、星々などの他にも普段見えないほど小さな……と言っても、人が住める島くらいの大きさだそうだが……天体が多数存在するらしい。時たま、そのうちのひとつがこの世界とぶつかることが起きても不思議ではない。わたしたちが毎日毎晩眼にしているように、天体は運動しているからだ。天体衝突説ではそれら小天体が地表に落下し、その衝撃で飛び散った表土と砕け散った天体の破片が古代都市を襲い、滅ぼしたと考えている。乾いた砂の上に小石を投げつけると、ほぼ円形のくぼみが生じる。それと同じで、きれいな半円形を描くグリア湾は、小天体の衝突で形成された地形の名残なのだそうだ。

 むろん、二つの説に決め手となる証拠はない。だが、その他に唱えられている弱小学説よりははるかに欠点が少ないことは確かである。

「わたしは天体衝突説をとりますわ。だって、夢がありますもの」

 あるとき、フロイナはそう言った。

「じゃあ、わたしは火山説……。でも、夢があるって、どういうこと?」

「ねえ、ジョレスさん。わたしたちのご先祖様が、もともとこの世界の生まれでない、って説、ご存知ありません?」

 フロイナが言う。わたしはわずかに緊張した。そういう主張は、自由革命以前に魔術貴族が唱えていたものだからだ。彼らの主張によれば、魔術貴族と一般大衆は、それぞれ別な天体からこの世界にやってきたのだという。その父祖の地において、魔術貴族は高貴な存在として君臨しており、一方一般大衆は卑しい身分であった。したがって、この新たなる地でも魔術貴族が魔術を独占し、一般大衆を支配するのは当然の権利であると同時に、はるか以前より決まっていた運命なのだそうだ。

「聞いたことはあるけど……。それって、昔の魔術貴族が言ってたんじゃない?」

 わたしはかまをかけるつもりでそう言った。

「あれは……嘘ですよ。魔術貴族は、魔術独占を正当化するために、そんな嘘を言ってたんだと思いますわ」

「詳しそうね」

「本で読んだだけです」

 きっぱりと、フロイナ。わたしは頭を掻きつつ訊いた。

「でも、それならばその昔の人たちはどうやって他の天体からこの地にやってきたのかしら? 小天体に乗っかってきたの?」

「船みたいなものを持っていたんですわ、きっと」

 フロイナが、言う。

「……星界を渡る船。夜空を見ればわかる通り、星界には無数の天体がある。われわれの父祖は、そのいずれかからやってきたんですわ」

「じゃあ、どこかの星にわたしたちの親戚が住んでるってわけ?」

 わたしはくすくすと笑いながら訊いた。途方もない話である。

「いえ。もう死んでいる……」

 不意に、フロイナが否定の言葉を飲み込んだ。表情が瞬時にして硬くなり、数回瞬きしてから無意味に姿勢を正す。

 わたしはそ知らぬふりをしながらじっくりとフロイナを観察した。彼女の態度は、今の言葉は重大な失言であると告げていた。が、どこが失言なのだろう。星界の天体に人間の先祖が住んでいるか否か、という空想に仮説を重ね着させたような戯れの会話だったのに。

 失言をごまかすためか、急に天候のことに話題を切り替えたフロイナに向かい適当に相槌を返しながら、わたしは思案した。もしわたしの観察と推理が完璧であるとするならば、フロイナは星界の他の天体にわれわれのご先祖様がかつて住んでいたが、現在は死んでいる……死に絶えている? ことを知っていた、ということになる。

 まさか。

 わたしはあまりに無理のある自分の推理を心中で一笑に付した。だが、それ以後フロイナを同様の話題に誘おうと試みても、彼女がのって来ることはなかった。わたしはこの一件をボンパールへの報告書に記載しなかったが、記憶の隅にはしっかりと留め置いた。


「伸びたわね」

「は?」

 芋を剥く手を止めて、フロイナがわたしを見る。

「髪よ、髪。初めて会ったときは、首筋が完全に見えてたもの」

 包丁を振り立てながら、わたしは説明した。

 今日の夕食は合作であった。フロイナお得意のシチューのレシピを教えてもらいながら、一緒に作ろうという計画だ。台所にはすでに、新鮮な根菜を切ったときに生じるかすかな青臭い匂いと、フロイナが準備した香草が発する強い匂いが交じり合ってこもっていた。

「煮てるあいだに、切ってあげようか」

 人参を剥きながら、わたしは提案した。

「包丁じゃ、いやですよ」

 笑いながら、フロイナ。


 ふわりとした感触の髪を、大胆に鋏で切り落とす。極限まで引き伸ばした真鍮線のような色合いの切りくずが、芝草の上にはらはらと降り積もる。

 わたしは作業を急いだ。日の光は急速に落ちてゆく。巣に戻るのか、黒々としたシルエットにしか見えぬ四翼鳥が数羽、あうあうと耳障りな声で鳴き交わしながら、低く飛んでゆく。

「ジョレスさんは、切らないんですか?」

「明日あたり、少し切ってもらおうかな。毛先だけそろえてくれれば、いいから」

 忙しく鋏を動かしながら、わたしはそう頼んだ。

「昔から、伸ばしてるんですか」

「そうね。長い髪、好きだから」

 わたしはそう答えておいた。任務の都合上、髪型を変えねばならぬ場合に備え、なるべく伸ばしているというのが真相である。髪を短くするのならば鋏とわずかな時間があれば終わるが、長くするには何ヶ月もかかる。かつらという手もあるが、地で済ませることができることは地のままがいい、というのはこの業界の常識である。

 わたしは前髪に取り掛かった。ざっと裁ち落としてから、櫛で整え、様子をみながら縦に鋏を入れる。

「『速い月』だわ」

 フロイナが、つぶやく。わたしは作業を続けようとしたが、フロイナが顔を動かしたので鋏を止めた。

「もう。『速い月』なんて見慣れてるでしょ」

 わたしは仕方なく、フロイナとともに『速い月』を眺めた。オレンジ色に輝くちっぽけな月が、空を西から東へと横切ってゆく。

「さあ、もういいでしょ」

 わたしは潮招きのように鋏を振り立てた。本当に急がないと、仕上げは手探りでやるはめになってしまう。

 だが、フロイナは『速い月』が消えてなお、青黒く染まりつつある空を見つめていた。


第三話をお届けします。

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