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2 お茶と新聞

 引越しした際に隣人とどうやって知り合うか?

 民俗学者や文化人類学者に言わせれば、これには二つの種類があるらしい。定住農耕民族型と、非定住狩猟/牧畜民族型である。

 農耕民族であれば、隣人はすなわち農業共同体の構成員である。したがって、引越ししてきた者はその時点から組織に組み込まれることとなる。派手な地域では村や街区をあげての歓迎パーティが催されるし、地味なところでも引越しした者が隣近所に手土産をもって挨拶に回ることになる。

 非定住狩猟/牧畜民族を出自とする人々が多く居住する地域では、そのような儀式めいたことは行わないのが常だ。地縁よりも、血縁が重視されるからである。引越しから数日たち、庭先や道端で偶然顔を合わせたところで挨拶を交わし、『近いうちにささやかなパーティを予定しているんだが、来ないか』とでも言って誘うのが普通である。学者に言わせると、このような行為は『狩猟/牧畜民族の一団が、出会った血縁でない別の一団とお互い敵でないことを示すために食料を分け合う行為』の延長線上にあるのだという。つまりは、じっくりと焼き上げた極上のステーキを銀のナイフで皿に取り分ける行為も、焚き火で焼いた鹿の腿肉を一口ずつ『回し齧り』するのとなんら変わることはないのだ。

 我がデフレセル王国も祖先は狩猟民族であるとされており、当然引越しに際して儀式めいた行為をする習慣がない。トランク二つという軽装でアーサル村にやってきたわたし……残りの荷物は後日運ばせる手はずを整えてある……は、ちょっと汚い手を使ってフロイナと顔合わせしようとした。いきなり彼女が借りている家の扉を叩いたのである。

「どなた?」

 扉の向こうから、少女の声が聞こえた。スケッチを見たときに想像した通りの、大人でもなく、といって子供とも言い切れぬ、未成熟な女性らしいちょっと甲高く、それでいて少し甘い、なんとなく頼りなげな声だった。そのほんの少し前に、そばの窓のカーテンがわずかに揺れたことを、わたしは見逃さなかった。まず最初に、こちらの様子を眼で確認したのだろう。……なかなか慎重な娘である。

「ちょっと道をお尋ねしたいんですけど……」

「はい?」

 こちらが無害な人物だと判断したのだろう、扉が半分ほど開いた。フロイナが顔を出す。頭に叩き込んだ通りの風貌。髪は、ちょっと濃い色合いの金髪だ。化粧はまったくしておらず、装飾品も首に掛けたペンダントチェーンらしい控えめな銀色の輝き以外皆無だ。着込んでいるのは、シンプルなデザインの膝丈のドレスで、色は白。わたしはにこりと微笑むと、静かに訊いた。

「この近所に、カプリアって方が貸している家があるんですが……ご存知ですか?」

 フロイナのやや太目の、だが淡い金茶色なのであまり目立たぬ眉が、ぴくりと動く。

「この家も、カプリアさんが貸している家ですけど……」

「あら、そうなの!」

 わたしはぐるりと周囲を見渡しながら続けた。首都よりも高地にあるので、すでに鮮やかな黄色に色づいた広葉樹のあいだに、質素だが頑丈なつくりの木造平屋建て家屋がぽつんぽつんと突っ立っている。都会ではまず望めぬほどの、そこそこの広さの庭が付属した、小家族ならばゆとりを持って住める程度の一軒家だ。

 空気は冷たく澄んでおり、深く吸い込むと秋特有の湿った枯葉のような匂いがした。首都近辺と違い雨も少ないので、陰鬱な感じは微塵もない。

「じゃあ、きっとすぐ近くね。ええと、村から見て一番東側だって言ってたから……」

「家を借りたんですの?」

「そうなの!」

 わたしはフロイナを見据えると、破顔した。

「ちゃんと道順を聞いてきたんだけど、方向音痴なもので。学校じゃ地理を教えたりしていたのに、可笑しいわね」

「そこだと思いますわ」

 フロイナが、一歩前に出て隣の家を指差す。

「いま、空いているのはそこだけですから」

「あらあらそうなの。どうもありがとう、お嬢さん」

 わたしは笑顔のまま小さく一礼すると、そそくさとフロイナが指し示してくれた家へと急いだ。初接触であまりしつこくして、嫌われたら元も子もない。

 錠前を開け、部屋の中にトランクを放り込んだわたしは、すぐにフロイナの家が見える窓へとにじり寄った。地味で厚ぼったい生成りのカーテンの隙間から、そっと覗く。案の定、こちらをこっそりとうかがっているフロイナの姿が見えた。警戒しているのか、関心を引いたのか……。どちらにせよ、第一段階は成功と言えよう。わたしは窓から離れると、トランクを開けた。荷物の整理を始めねばならない。


 二回目の接触は引越し翌日に行った。

 事前の調査によれば、フロイナには散歩の習慣があった。村の西側、丘のふもとにある牧草地まで伸びる小道を往復する、かなり長時間の散歩である。降雨の際はさすがに取りやめるようだが、家を出る時間も毎日ほぼ同じ、歩くペースも同じであり、当然帰宅する時間も同じである。

 これを利用しない手はない。

 わたしは村のメインストリートに出向くと、一軒しかないがかなりの品揃えを誇る商店で食料を中心に大量の買い物を済ませた。タイミングを見計らって、借りた家へと歩み始める。

 そのあとの展開は、ほぼ予想通りにうまく行った。散歩の途中、すでに帰路に入っているフロイナと偶然を装って出会い、ごく自然に挨拶を交わす。彼女はわたしの大荷物を見て、運ぶのを手伝おうと申し出てくれた。わたしは内心でほくそえみながら、あらかじめ渡すと決めてあった袋を手渡した。袋の中、一番取り出しやすいところには、買ったばかりの茶葉とコーヒー豆が入れてある。

「どうもありがとう」

 家までたどり着いたわたしは、錠前を開錠しつつそう言った。扉を開けると、ごく自然な口調で続ける。

「そこのテーブルの上に置いてくれない?」

 ……否応なしに室内へ招じ入れることのできるテクニックである。

「お茶かコーヒーを飲もうと思うんだけど……どっちがいい?」

 フロイナが袋を置いたと同時に、わたしはそう訊いた。戸惑いの表情を浮かべる彼女の鼻先に、その袋から引っ張り出した茶葉とコーヒー豆の小袋を突きつける。

 必殺の二者択一攻撃である。どちらを選ぼうとも、こちらの目的に合致するのだ。彼女の運んだ袋から茶葉とコーヒーを取り出したのも、労働の報酬としてフロイナには飲む権利があることを強調するためである。

「ええと……」

 フロイナがちょっと迷惑そうな顔で言い淀む。遠慮して断られる危険性を恐れたわたしは、コーヒーの袋を放り出した。

「お茶でいいかしら」

 そう早口で言いつつ、強引に茶葉の袋を引き開ける。これもある意味では必殺技である。『あなたのために開けたんだから断れるはずないでしょ』というやり方だ。それに、コーヒーだと豆を挽く手間がかかる。ここは彼女が逡巡しているうちに、一気に飲食に持ち込んだほうがいい。

 わたしはフロイナに考える暇を与えないために、こまごまとした用事を頼んだ。カップやスプーンの用意などだ。これもまあ、作戦のひとつである。共同作業というものは、どんなに些細なことであっても、それなりに仲間意識を芽生えさせるものだ。

 手早く湯を沸かし、フロイナに椅子を勧める。いったん座らせたら、こっちのものである。わたしは時間をかけて本格的にお茶を淹れた。事前に湯で暖めたカップに濃いお茶を注ぎ、好みの濃度になるよう湯を差すやり方だ。わたしはちょっと濃い目にして、砂糖を少し入れた。フロイナも同様にして、わたしよりも気持ち多めに砂糖を入れた。用意してやった新鮮なミルクは使わなかった。……資料には、ミルクティーを好むらしいと書いてあったのだが。

「そういえば、まだ名前も聞いてなかったっけ」

 買ってきたばかりのビスケットの小さな包みを皿にあけながら、わたしはそう言った。

「ジョレス・スタタムよ。よろしくね、お隣のお嬢さん」

「フロイナ・モリスです」

 短く、フロイナが答える。モリス。ありふれた姓である。もちろん、偽名だ。

 わたしは、不自然にならない程度に自分のこと……つまりジョレス・スタタムという偽装身分のことを物語った。首都で教師をしていたが、叔母の遺産が少し入ったので、教師を一年だけ休職したこと。歴史の研究が趣味で、静かなここで一冊本を書こうと思って来たこと、などなど。自慢げではないが、好きなことに没頭できる長い休暇が始まったばかりの女性らしく、すこしうきうきとした口調で。

「あなたは、どなたと住んでるの?」

「……一人です」

 ちょっと間を置いて、フロイナ。

 わたしはお茶を飲みながら、フロイナがとつとつと語る彼女の偽装身分についての話に耳を傾けた。両親は早くに亡くしたものの、資産家のところに嫁いだ姉の援助で暮らしている。すこし肺を病んでいるので、都会で生活するのを避け、しばらくここで静養している、等々。

 ……なかなか達者な嘘である。

「へえ。そうなの」

 わたしは二杯目のお茶を注いでやりながら、感心したようにうなずいた。フロイナは先ほどからわたしの目を盗むようにして、部屋の内部をじっくりと観察していた。わたしは気付かないふりをして放っておいた。見られて困るような物品はすべて隠したし、目に付くものはすべてジョレス・スタタムのパーソナリティを補強するようなものばかりである。歴史の本。使い古した辞書。書き込みだらけの地図帳。書きかけの手紙。まだ片付けていない衣類などなど。……ジョレス・スタタムにはちょっとずぼらなところがあるのだ。知性ある人物を装った場合には、多少気質的にルーズなところを強調した方がいい。知的で潔癖症で厳格な人物など、誰も友人にしたいと思わないだろう。


 その次の日から、わたしはフロイナの行動を監視しつつ原稿を書き散らし始めた。本を書くと言った手前、草稿の一束くらい置いていないと不自然である。引っ越してから四日目に、わたしは彼女を手作りの夕食に誘った。香草をたっぷりと使った子羊のローストは大好評であった。それはそうだろう。実は以前にある任務で、旧首都の高級レストランで調理見習として三ヶ月ほど働いていたことがあるのだ。これはその時に本職の料理人から学んだ一皿なのである。

 その翌日、フロイナは返礼としてわたしを夕食に招待してくれた。出されたシチューは素朴ながらお世辞抜きに美味かった。わたしの絶賛に、フロイナはわずかに頬を染めつつ礼の言葉をつぶやいただけだったが、真っ白なエプロンを指先でこねくり回す動作が、彼女の誇らしく思う気持ちを雄弁に物語っていた。それ以来、わたしたちはほぼ三日おきに夕食をともにする仲となった。

 一ヶ月が過ぎた。


 わたしはお茶を飲みながら新聞を読んでいた。首都から郵送されてくる、三日遅れの新聞である。ジョレス・スタタムには新聞購読の習慣があるという設定だったし、暇つぶしにはもってこいなので、わたしはこのところ隅々まで読んでいた。

 テーブルの向かい側には、同じように新聞を読みふけるフロイナの姿があった。二週間ほど前から、午後のお茶の時間をともに過す習慣が出来上がっていた。まあ、正確に言えばわたしがそうなるように誘導したのだが。

「ひっ」

 フロイナが悲鳴ともとれる声をいきなり漏らした。

 わたしは反射的にわずかに腰を浮かした。カップと新聞を手にしたまま、周囲の気配を探る。脳裏には、すでに一番近い武器の隠し場所が浮かんでいた。

 他者の気配はなかった。わたしはフロイナを見据えた。

「どうしたの?」

「いえ、なんでもありません」

 フロイナが首を振った。だが、表情が硬い。左手に持った新聞を胸に引き寄せているのは、無意識のうちに隠そうとしているからだろう。おそらく、新聞記事を目にして驚いたに違いない。

 わたしはフロイナがどのあたりを読んでいたか見当をつけてから、視線を自分の手の中の新聞へと戻した。ちなみに、彼女が読んでいたのは四日前の新聞であった。

 お茶の時間が終わり、フロイナが帰ると、さっそくわたしは四日前の新聞を精査した。

 該当すると思われる記事は、六つあった。そのうち五つは普通の犯罪記事で、新聞には活字を組替えていないんじゃないかと思えるほど、毎日いくつも掲載されているようなありふれた内容だった。強盗事件が二つ、傷害事件が一つ、殺人事件が二つ。

 最後のひとつはいささか奇妙な事件と言えた。わたしは読んだ記憶があるその記事を丹念に読み返してみた。


 ラムサル族による殺人?


 十一日深夜、ファイザ市イタイン通りで乱闘騒ぎが発生し、一人が死亡した。警察当局の発表および目撃者の証言を総合すると、短剣などで武装した十人ほどの男女が、歩行中の三人の男性にいきなり襲い掛かったのが発端である。双方は警察が駆けつけるまでの短い時間に激しい攻防を繰り広げたが、人数で勝る襲撃側が終始優勢であった。警察の到着によって乱闘は集結し、加わっていた者は死体をひとつ残して全員が逃走した。そのうちの複数が負傷していると見られるが、いまだ捕縛されてはいない。

 警察当局によれば、死亡したのは所持していた旅券からヤミール共和国市民、シュレット・レッテンマイアー氏と見られている。氏に対する襲撃の理由、氏の連れと見られる二人の男性の所在なども、警察は捜査中である。

 なお、複数の目撃者が、襲撃者たちがラムサル族であったと証言している。ラムサル族は派手な衣装と刺青で有名だが、目撃者たちはその特徴ある刺青を見たと証言しているのだ。警察でもこの情報に注目し、ファイザ市警察署長デイド・ウチムラ氏はラムサル族の居住するクーガン王国の警察当局へ問い合わせ中だと言明した。今後の捜査の進展が待たれる。


 ラムサル族?

 辺境の小国であるクーガン王国の、そのまた辺境域に住む一部族である。独特の世界観に基づくユニークな宗教を信仰する排他的な連中だが、別段凶暴なわけではない。他国まで出張って襲撃事件を起こすなど、考えにくい。

 シュレット・レッテンマイアー。こちらの名前にも聞き覚えはない。だが、フロイナの父親はヤミール共和国に居住していた。フロイナもヤミール出身である。となれば、ヤミール旅券を所持していたレッテンマイアーと面識があった可能性がある。

 洗ってみる価値はあるだろう。

 この任務を始めて一ヶ月ほど経ったが、フロイナの行動意図はまったくつかめていなかった。父親に命じられて我が国で何らかの工作を行うための事前情報収集に送り込まれたような形跡は見られなかったし、外部からの接触も皆無だった。わたしは折に触れ彼女の家や所持品を調べてみたが、これまでに不審な物品は紙切れ一枚たりとも発見できていない。一度、フロイナが入浴中の時を狙い、脱ぎ捨てた下着まで丹念に調べたこともあったが、いつも首に掛けているチェーンの先に飾り気のない銀色の四角いペンダントと、かなり高価と思われる貴石が十数個入った小袋が下がっていたことを発見しただけにとどまった。

 彼女が休眠工作員として送り込まれた可能性もないではないが、それにしては十四歳という年齢が引っ掛かる。このくらいの歳の女性の一人暮らしというのは、はっきり言って目立ちすぎる。このシュレット・レッテンマイアーという人物が、突破口になるかもしれない。

 わたしは単純だが解読しにくい換字暗号で報告書をまとめると、封筒に突っ込んで村の郵便員の処へと持って行った。多くの農村と同様、ここの郵便員は銀行の外交員と保険屋を兼職している。二日に一度、もよりの街であるヨースの郵便局へ出向き、集めた郵便物を渡し、代わりに村人宛の郵便が詰まった袋を受け取ってくるのである。

「よろしく」

 わたしは封筒と切手相当代金を郵便員に差し出した。受け取りにサインする郵便員の手つきは、ぎこちなかった。まだ、新米なのだ。長年アーサル村で働いていた郵便員は、つい一ヶ月ほど前に集金した預金目当てと思われる複数の武装強盗に襲われ、脚部に重い障害を負って退職するはめに陥っていた。地元の警察は捜査を続けてはいるが、犯人が捕まることはないであろう。なにしろ、襲ったのはアデヤントの部下なのだから。

 その郵便員は、今回の任務の障害になると判断され、いわば処分されたのである。他人の手紙を盗み読むという郵便員にふさわしからぬ悪癖をもった報いと言えようか。


第二話をお届けします。……ジャンルがSFのせいか、アクセス数が驚くほど伸びておりません(笑) 読んでいただいている貴重な読者の皆様、本当にありがとうございます。

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