18 侵入
古典的な、詐欺の手口がある。
被害者は銀行で現金を引き出したばかりの顧客。詐欺師は銀行の雇員を装い、顧客のあとを追い、適当なところで声をかける。出納係りのミスで、紙幣を少なくお渡しした可能性がございますので、お手数ですが払い戻した現金を確認させていただきます、と告げるのである。顧客は損はしたくないから素直に受け取った現金を渡す。詐欺師は見事な手付きで札束を数え、やはり足りませんので不足分をお渡しいたします、もう一度当行までおいでくださいと言い、札束を返さぬまま歩みだす。顧客はそのあとを追うが、詐欺師は隙を見て人ごみに紛れて消えてしまう。顧客は不信に思いつつも銀行に行き、先程の雇員はどこだと頭取に詰め寄ることになる。
今では顧客も用心深くなり、こんな初歩的な詐欺に引っかかる人はいなくなったが、最近この詐欺のニューバージョンが現れた。詐欺師の役どころは同一で、顧客に現金を渡すように告げるが、用心深くなった顧客は疑い、容易に現金を渡そうとはしない。そこで登場するのが、制服警官である。むろん、詐欺師の仲間だ。事情を聞いた偽警官は、ならば本官が現金を預かって一緒に銀行まで行こうと提案する。安心した顧客はあっさりと現金を偽警官に委ね……そして全額を失うのである。雇員が本物か偽者か判断に迷っているところへ、警察官という第三者的権威をさながら救世主的に持ち込むことによって、全幅の信頼を置かせてしまうという、人間の心理のあやを見事に、かつ簡潔に衝いた犯罪といえよう。決断できずに苦しんでいる人は、普段ならば無視するようなささいな事柄も、タイミングよく差し出されると、さながら天啓のように受け入れてしまうものだ。恋に悩む乙女は年上の友人の言葉に素直に従うし、道に迷った人は朽ちかけた道標を信じて進路を定めるし、苦しい経営を強いられている企業家は、ちょっと適確なアドバイスをしてくれただけの似非宗教家あたりにころりと騙されてしまう。
わたしは堂々と歩を進めた。右腕には、民間人の服装をしたマッケイン国際傭兵から奪った黄色い布を巻いてある。背後には、後ろ手に縛られたフロイナと、ヤミール兵の軍服を着たトルジが続く。
生きたまま捕らえたマッケイン傭兵に対して行われたきわめて短時間の尋問と、身分証明書の記載内容を検討した結果、わたしたちの知識は大幅に増加していた。移民船内部に侵入したのは、ヤミール国軍第三旅団第一大隊および第二大隊の総計七百四十名と、マッケイン国際傭兵部隊ゾロディン中隊を中核とする百三十五名。軍服の男は傭兵派遣部隊本部下級参謀のひとりで、階級は中尉。民間人の方は事前に潜入した工作員で、傭兵派遣部隊本部直属の大尉だった。マッケイン側とヤミール国軍側とは作戦のすりあわせを直前に行っただけで、一般の兵士はお互いの指揮官の名前すら知らぬという。そしてもうひとつ重要なのは、マッケインには女性兵士が多いことだ。当然、女性士官もかなりの数にのぼる。
「何者だ!」
坂を登りきったところで、ヤミール兵の誰何の声が掛かった。槍を構えた兵士が、二人ばかり近づいてくる。
「派遣部隊本部のシェ大尉だ。ゾロディン中隊本部に連絡がある」
わたしは高飛車に言うと、ずんずんと歩を進めた。わたしの腕の黄色い布と、後続するヤミール兵姿のトルジに納得したのか、兵士が槍の穂先を下げた。
わたしは広場へと足を踏み入れた。居並ぶ兵士たちの注目が集まるのを意識しながら、指揮官であるヤミール士官のもとへと向かう。捕虜に聞いたところでは、彼の階級は少佐らしい。部下を引き連れ、やや警戒気味にわたしたち三人を迎えた少佐に、わたしは教本どおりの完璧な敬礼をしてやった。
「派遣部隊本部のシェ大尉です。内部に詳しい捕虜を捕らえましたので、ゾロディン中佐のもとへ護送します」
「ご苦労……シェ大尉といったかな?」
「はい」
「……作戦会議では見かけなかったが?」
「本部直属の、事前潜入要員でしたから」
わたしは、民間人の服装を見せつけるように答えた。
「この女は?」
「内部に詳しい捕虜です」
わたしはあいまいにそう答えた。うっかりして、移民船のことをヤミール軍やマッケイン側がどう呼称しているかを捕虜に訊くのを忘れていたのだ。
少佐が、フロイナをじっくりと眺めた。その表情と物腰から見て、あやしい三人だ、と思っているのは確実だった。
「失礼だが大尉、一応身分を検めさせてもらう」
「急いでいるのですが」
「作戦会議で、交戦規則その他についてはすりあわせを行ったはずだ。国軍と傭兵部隊、お互い身分がつまびらかでないときは、身分証の提示を求めよ、と」
少佐が薄く笑う。わたしは一枚目の切り札を切った。懐から、懐中時計を引っ張り出す。案の定、居並ぶ下士官や兵士の視線がわたしに集まった。
「フォス大佐から、時間厳守を厳命されているのですがね」
マッケイン側の派遣軍司令官の名を出したわたしは、懐中時計の蓋をぱちんと開けると、芝居がかった仕草で文字盤を覗き込んだ。
「身分証を検めるだけだ。手間は取らせん」
「今後内部で国軍と出会うたびに、身分証の提示を求められるのですか?」
わたしは少佐を睨んだ。
「シェ大尉!」
二枚目の切り札が、わたしの偽名を呼んだ。
マッケイン国際傭兵部隊中尉の軍服を着込んだアターバックだった。その後ろに、ヤミール国軍兵士の軍服を着けたオーリャが続いている。
「まだこんなところに居られたのですか? 早く行きましょう。ぐずぐずしていたら、フォス大佐殿に首をへし折られますよ!」
手早く少佐に敬礼したアターバックが早口で告げ、わたしの腕を取った。有無を言わさぬ調子で、坑道の方へと引っ張ってゆく。
「待て、中尉。身分証明書を……」
「待ってられませんよ、少佐殿! 作戦行動の最中なんですよ! のんびりしてられますか!」
アターバックは歩みを止めない。わたしは肩をすくめると、懐から身分証明書を引っ張り出し、少佐に向けて振って見せた。松明の明かり程度とこの距離では、それがまったく別人の、しかも男性のものであることには気付かれまい。
「悪いわね、少佐!」
わたしはそう捨て台詞を残した。少佐は憮然としたまま視線を部下に向け……向けられた古参下士官らしい中年男が、肩をすくめる。
アターバックの勢いに押されるように、坑道入り口を固めていた小隊が道をあけた。相変わらず縛られたままのフロイナと、トルジとオーリャも、わたしたちに次いで坑道へと足を踏み入れる。
「いや、うまくいきましたな」
アターバックが、微笑む。
「そうでもないみたいですよ」
ささやいたのは、トルジだった。
坑道前方から、数名の兵士が近づきつつあった。
黄色い布切れ。マッケイン国際傭兵だ。
わたしはとっさにアターバックの陰に隠れると、腕の布切れを解いた。いくらマッケインでも、女性士官の絶対数は限られているだろう。ヤミール国軍の連中は騙せても、マッケインの連中は騙せまい。
アターバックはどうしようもなかった。軍服がマッケインのものだし、大勢いる中尉の中の一人だとごまかすしかない。
マッケインの連中は、負傷者を運び出すところであった。急造の担架に乗せられた男が一人。その運び手が二人。足を負傷し、同僚に肩を貸してもらっている男が二人、肩を貸しているのが二人。腕を押さえながら、自力で歩いている下士官が一人。
両者の相対位置が、急速に近づいてくる。マッケインの連中の目が、痛いほどこちらに注がれてくる。それはそうだろう。民間人の服装をした若い女性二人など、ここには一番似つかわしくない存在だ。
アターバックは、わたしの期待通りの演技を続けてくれた。マッケインの連中など眼中にない、といった感じで歩みつづける。
マッケインの連中が、立ち止まった。担架係りは両手がふさがっているために直立不動の姿勢を取り、残りの五人はその腕の動き具合に応じ、敬礼をしてくる。
アターバックが、軽く答礼した。
ミスを犯したのは、わたしだった。首尾よく移民船内部に侵入できたことでわずかに気が抜けていたのだろう。いや、もともと単独行動が主なので、四人も仲間がいる状態での行動に戸惑いがあったのだろうか。いずれにせよ、致命的なミスであった。
気付いたときには、手が上がっていた。
わたしは今現在民間人を、それもフロイナと同様捕らえられた女性を装っているにも関わらず、マッケイン国際傭兵の敬礼に対し、完璧な士官式の答礼を返してしまったのだ。
「中尉殿。その女性は?」
腕を負傷している下士官が、当然の質問を口にする。
「いや、その……」
アターバックが、立ち止まって、言い訳を考え始めた。
わたしは舌打ちした。自分の失敗と、アターバックの間抜けさに対する舌打ちだった。偽士官だとばれていない以上、無視していれば済んだものを。
「ヤミール内務省の者です」
わたしはとっさに浮かんだ身分を名乗った。
「行きましょう、中尉」
わたしはアターバックを促した。だが、アマチュアの悲しさか、アターバックは完全に動揺していた。先程までの堂々たる傭兵中尉ぶりは微塵もなく、乗り気でない軍人役を押し付けられた素人芝居の端役にしか見えなかった。
「中尉殿。この縛られた女性は?」
疑惑を強めたのであろう、下士官が再び質問を放つ。
「捕虜です。内部に詳しいので、ゾロディン中佐のもとに連行します」
アターバックに口を開かせないために、わたしは早口でそう答えた。
「行きましょう、中尉。これ以上中佐殿を待たせるわけには行きませんわ」
「そうだな。彼を待たせるわけにはいかない」
アターバックが言い、歩みだそうとした。
「あぶない!」
フロイナの叫びがなければ、わたしはまず間違いなく負傷していただろう。
マッケインの連中が、一斉に得物を抜き放っていた。わたしに向かってきたのは、負傷した仲間に肩を貸していたうちの一人だった。危うく飛び退いたわたしからわずか指三本ぶんくらいのところを、長剣の切っ先がかすめる。
わたしは慌てて隠し持っていた短剣を抜いた。兵士の第二撃は、再び飛び退いてかわす。だが、次の一撃にその手は通用しないだろう。わたしの背中は、すでに坑道の壁面に触れていた。
アターバックは、下士官が抜いた長剣に深々と貫かれていた。オーリャも、すでに倒れ伏している。抜剣し、フロイナを守るように立ちはだかったトルジに、担架を置いた二人の担ぎ手が切りかかっている。
わたしは短剣でなんとか兵士の第三撃を受け止めた。態勢が崩れ、倒れこんだ拍子に懐中時計が床に放り出されてしまう。視界の端に、アターバックを仕留めた下士官が回りこむのが見えた。その足が、懐中時計を踏み潰しながら、わたしに迫る。短剣一本では、二本の長剣にかなうわけがない。
「ひええっ!」
兵士の悲鳴が聞こえた。フロイナが、魔術を使ったのだ。
続いて、わたしに斬り込む隙をうかがっていた兵士と、下士官も顔面を抑えてのた打ち回り始めた。わたしはすぐに、フロイナとトルジの様子を確かめた。フロイナは、無傷だった。いまだ後ろ手に縛られたまま、床にへたり込んでいる。その無害な様子が、彼女の命を救ったのだろう。脅威ではないと判断されて、斬り付けられずに済んだのだ。この中で、もっとも危険な人物であるにも関わらず。
トルジは、倒れているオーリャの様子を見ていた。顔を上げ、わたしに向かい首を振ってみせる。
わたしはアターバックの傍らにひざまずいた。こちらには、まだ息があった。だが、紅に染まった床の面積から見て、助からないことは明白だった。
「行け」
アターバックが、声を絞り出した。
「行って、軌道連絡船を守ってくれ。あれが、唯一の希望なんだ」
「任せて」
わたしは、つい半時間ほど前に知り合ったばかりの中年男の頬に手を添えた。無精髭のちくちくとした感触が、やけに痛く感じられる。
「行きましょう。外の連中が感付いた」
トルジが、わたしの肩に手を置いた。
「あれじゃあ、ばれるわけね」
フロイナが、悔しげにつぶやく。
わたしたち三人は、床に這いつくばるようにして、眼下の情景を眺めていた。
だだっ広い空間に据えられた軌道連絡船二号機は、ヤミール兵に完全に占拠されていた。周囲には、数体の死体が転がっている。ほとんどが、改造作業員のものだ。
二号機の右側には、臨時の指揮所とおぼしき施設が設営されていた。そこでは、中佐の徽章を付けたマッケイン軍服姿の人物が、数名の部下と何事かを話し合っている。ゾロディン中佐であろう。
長い栗色の髪と、涼やかな目元。中佐は、どう見ても女性であった。
不十分な短時間の尋問の結果が、これであった。マッケインに女性士官が多いことを承知し、それをうまく利用したつもりだったが、逆に足元をすくわれる羽目に陥ったとは。わたしはあらためて充分な事前準備なしに現場に潜り込まざるを得なくなった自分の運命を呪った。
「ひどいものだ。一号機が見つかっていないことを祈るしかないですね」
トルジがささやく。
「クロエに相談しましょう。道案内になってくれるわ」
フロイナが言い、手すりの前からそろそろと引っ込むと、身を起こした。例の銀色ペンダントを引っ張り出し、クロエを呼び出す。
「たぶん大丈夫ね。移民船自体の船内モニタリングシステムがそうとう傷んでいるから、完璧とは行かないけれど」
道案内を頼まれたクロエが、そう答える。
わたしたちは迷路のように入り組んだ移民船内部を、クロエの指示に従って移動した、急ぐべきなのだが、わたしは目の前に次々と現れる驚嘆すべき光景にしばしば目を奪われ、歩みを緩めてしまった。とある部屋は壁一面に絵画が飾られており、その中にはおなじみの静物画や肖像画に混じって、単に異なる色彩の幾何学的図形を並べた作品や、異形の植物が繁茂するさまを描いた風景画などが掲げられていた。その隣の部屋は彫刻の展示スペースらしく、数十の作品が展示されていた。なかでもわたしの目を引いたのは、女性の裸像だった。どういうわけか右腕のひじの上あたりから先がなく、左腕に至っては付け根から先がない。先天的な欠損があった女性がモデルなのか、それとも新しい芸術表現なのだろうか。
「止まって」
クロエが指示する。
わたしたちは、一号機が置かれている広間の手前まで来ていた。通路の角からそっと覗くと、そこにはマッケイン国際傭兵の姿があった。十名前後だろうか。たぶん、一個分隊だろう。
「倒せない相手じゃないな」
フロイナを見やりながら、トルジが言う。
「もう少し近づかないと、魔術は無理だわ」
わたしたちは戦術を打ち合わせ始めた。
「あらあら、たいへん」
クロエが、慌てる。
「どうしたの?」
「〈ツォーベル〉のセンシングシステムが、電磁波放射を捉えたの。微弱だけどUHFのパルス波だから、人工的なものよ。座標は、このすぐ近く」
「どういうことだ?」
トルジが、眉をひそめる。
「まともな推論はひとつ。イタノスに、独自でそれだけの送信機を作り出せる技術はありえない。しかしながら最近、特定の集団に見境なく技術情報を与えているものがいる。それはすなわち任務派である」
「じゃあ、ラムサル族?」
フロイナが、息を呑む。
「ねえ、その電磁何とかってのは、何をするものなの?」
話についてゆけなくなったわたしは、すぐに口を挟んだ。
「つまり、この近くにいるラムサル族が、任務派に連絡を取ったということです」
「いいえ。一方的なパルス放射だから、むしろ位置を通報したと言った方がいいわね」
トルジがしてくれた説明を、クロエが即座に訂正する。
「……ってことは」
トルジが、息を呑む。フロイナの顔からも、さっと血の気が引いた。
クロエが、ややためらいがちに口を開く。
「そう。おそらくは、軌道連絡船の位置が任務派に知られたのよ」
第十八話をお届けします。本作は第二十話が最終話となりますが、同話はエピローグ的な内容であり、話としても短いので、実質的最終話である次回第十九話と同時投稿し、本作の連載を終了させたいと思います。