16 移民船の中へ
トルジ・ソルと名乗った青年の案内で、わたしはフロイナとともに緩やかな坂道を登っていった。
先頭をゆくトルジは始終振り返り、後続する二人の女性を気遣うようなそぶりを見せたが、その視線の大半はフロイナに集まっていることに、わたしは気付いた。わたしは意図してトルジの眼の動きを観察し、彼がフロイナに対し特別な好意の感情を抱いていることを確信した。それが恋愛感情なのか、単なる保護者的な好意なのか。あるいは若い男性らしい性的関心の域を出るものではないのか。まあ、遠からずそれは判明するだろう。いずれにせよトルジは、その物腰と穏やかな顔立ちから、女性としては好感を持たざるを得ないようなタイプの青年であった。
坂道は丘の斜面を切削して作られたもので、雑草一本足りとも生えていないところからして、ごく最近完成したものと思われた。赤茶けた土が剥き出しの路面には、何本もの深い轍が刻まれており、かなり重量のある馬車や荷車が盛んに通行した証拠が歴然としていた。この緩やかな傾斜も、重量物運搬に利用されることを計算してつけられたに違いない。つまりは、工事用道路というわけだ。
「さあ、着きました」
トルジが立ち止まった。
坂道は、丘の中腹にあるちょっとした広さの平坦地で終わっていた。そこは建築工事用の資材置き場の趣があった。いや、実際にそうなのだろう。寝かせた三角柱の形にきっちりと積み上げられた、太さも長さもさまざまな丸太の数々。マッチ箱の中身を撒けたかのように見える、乱雑に積み上げられた角材の山。大きさ別に分けられた玉石の円錐がいくつか。何箇所かにまとめて置かれている、土工用具の数々。黄土色の防水布にきっちりと包まれ、右端の方に置かれている一辺がわたしの背丈よりも大きな三つの直方体は、さながら巨大な高級角砂糖といったところだ。
わたしの視線は、当然のごとく平坦地の奥にある二つの穴に吸い寄せられた。双方とも二頭立て馬車がそのまま入ってゆけるほど大きな穴であり、外縁部は丸太で補強してあるところなど、一見したところでは鉱山の坑道入り口にしか見えない。
「あそこが入り口です」
にこやかに、トルジが言う。
「移民船って、地中に埋まってるの?」
「そうとも言えるし、そうと言えないかもしれません」
笑みを浮かべたまま、トルジが答える。
「実を言えば、この丘そのものが移民船なんですよ。大災厄のせいで大量の土砂に埋もれてしまい、丘になっただけの話で。もちろん掘り出すだけの時間も技術もないから、穴を掘って移民船にたどり着いたわけです。大丈夫、内部は空洞ですよ」
坑道内部はすべて板と丸太で補強されていた。
「土が柔らかいんです」
トルジが説明してくれる。この丘が〈大災厄〉のときに形成されたのであれば、当然だろう。
驚くべきは、その内部の明るさであった。壁面の両側に等間隔に灯火が取り付けてあるのだが、その明るさが半端ではないのだ。光源自体は手の中にすっぽりと収まってしまいそうなくらい小さいのだが、ランプよりもはるかに明るく、太陽にも似た色合いの光を放っている。
「ぼくにもよくわからないんです」
トルジに仕組みを問うと、はにかんだ笑みが返ってきた。
「クロエによれば、再起動した反応炉からの余剰エネルギーを使ってるそうです。意味はわかりませんけどね」
ともかくも、そのおかげでわたしたちは手に明かりを持つことなく、坑道を歩むことができた。もっとも、床面は厚板を隙間なく敷き詰めてあったので、仮に蝋燭一本しか照明がなくとも、転ぶ気遣いはなかったろう。
傾斜もほとんどなく、分岐点もなく、それどころか坑道が曲がることもないまま、わたしたちは真っ直ぐに進みつづけた。ほどなく、前方から物音が聞こえてきた。金属同士が打ち合わされる独特の高い音。ごろごろという、石をすり合わせるような音。虫の羽音のような、妙な音も聞こえる。やがてそれらに人声が混じり始めたころ、坑道が尽き、わたしたちは金属で形作られた通路に足を踏み入れていた。
「こっちです」
トルジが、先へ進むようにわたしを促す。わたしはかすかに不安感を覚えながら、彼のあとに続いた。奇妙な通路だった。床と左右の壁面、それに天井それぞれの色が違うのだ。その上、左の壁面と天井には用途不明の細い溝が何本も走っている。
「フロイナ。あなたは来たことあるの?」
「いやになるくらい」
わたしの問いに答えたフロイナが、ため息をついた。
進むにつれ、聞こえていた物音がより大きく聞こえるようになった。トルジが四つ角を右に曲がる。そこから十数歩のところで通路は大きな空間につながっていた。
わたしたちは飾り気のない金属棒が組み合わされた手すりがついたバルコニーのようなところに立っていた。眼前には、巨大な空間が広がっている。移民船の中だと聞かされていなかったら、外に出た、と勘違いしたことだろう。
わたしは手すりに近づき、下方を覗いた。床面には、大小さまざまな大きさの……小さなものは犬小屋程度……の用途不明な機械とおぼしき物体が散らばっていた。だが、その中で注目に値するのはほぼ中央に置かれたひときわ大きな機械だった。中規模な邸宅ほどもある、灰白色のおおよそ直方体で、不規則に膨らみや突起があり、さらには帆布みたいなものが絡み付いているさまは、さながら沈船から引き上げられたバラスト用の石材にも見えた。その機械にのみ十数名の人々が取り付き、何らかの補修とおぼしき作業に従事しているのが見て取れた。
「あれが……軌道連絡船?」
「軌道連絡船二号です。詳しくは、クロエから説明してもらいましょう」
そう言いながら、トルジが壁面に描かれていたいくつかの記号に指を触れた。
その直後、わたしはいままで経験したことのない感覚に襲われた。その感覚はすぐ弱まったが、続いてわたしはわが目を疑った。……眼下にあったはずの床面が、せり上がってきているのだ!
落ちている! わたしは本能的に手すりを握り締めた。だが、落下しているにしては、床面の近づき方が遅い。振り返ったわたしは、落ち着いて立っているフロイナとトルジの姿を見て、事の次第を悟った。なんらかのからくりで、バルコニー自体がゆっくりと降りているだけなのだ。
やがて、バルコニーの床と広場の床面が同じ高さになった。トルジが手すりに手をかけると、その一部が音もなく引き戸のようにずれる。わたしとフロイナを従えてすたすたと歩みだしたトルジは、機械のひとつに向かっていた。大きさはカウンターテーブルほどだが、一端がある種の猫の尾のように、鉤型に曲がっている。トルジはそこから、一枚の銀色の板を取り出した。……メスタが持参してクロエを出したものとそっくりだ。
「はい。また会ったわね」
クロエの声がした。わたしはぎくりとして音源を捜した。クロエは、なんとわたしの右肩にちょこんと座っていた。
「あ、どうも」
相変わらず間が抜けていると思いながら、わたしは挨拶を返した。
「……でも、どうやってここまで来たの?」
当然の疑問が口を突いて出る。
「説明したのに、やっぱりわかってくれなかったのね」
ため息混じりに、クロエ。
「いい? わたし自体はこの移民船の中にいるの。端末さえあれば、どこにでも登場できるのよ」
よく理解できなかったが、ともかくわたしは納得した。
「クロエ。軌道連絡船について、解説してやってくれ」
トルジが頼む。
「お安い御用よ。本来これは移民船に標準装備されていた救難艇なの。推力は最低だし、大気圏内侵入能力もない、たんなる長期ライフサポートシステムと生体機能低減設備を備えただけの、むしろ脱出カプセルに近い存在よ。でもとりあえず反応炉搭載だし、当然機密性もあるから、これを改造して軌道まで上がろうと考えたわけ。主な改造ポイントは離昇時の推力と摩擦に耐えられるだけの構造の強化と外殻の新設、推進剤用の水タンクの設置、ノズルと反応室の改造ね。あ、ちなみに推力は水蒸気噴射よ」
「はあ」
まったく理解できないまま、わたしは相槌をうった。
「目の前にあるのが二号ね。一号はもう完成してるわ。でも、軌道投入失敗の可能性が三パーセントほどあるから、念のために二号も改造してるの。搭乗人員は各機五名。トルジ君は二号機の機長、フロイナちゃんは一号機搭乗員なの」
「あなたも乗るの?」
「ええ」
トルジが、ちょっとだけ誇らしげな笑みを見せた。
「魔術は使えませんが、機械工学の素養があったんで、機長に選ばれました。剣も扱えますしね」
「剣? ねえ。その……〈ツォーベル〉に行って、何をやらかすつもりなの?」
わたしはそうクロエに訊いた。
「最初から説明してあげるわ。まず軌道に上がるのが、第一段階。次に、〈ツォーベル〉に接近する。これは簡単ね。〈ツォーベル〉の航法関係はこちらが掌握しているから、トランスポンダーを利用して自動接近すれば問題ないわ。心配なのは兵装が任務派のコントロールにあること。センシングシステムは握っているから、任務派が打ち上げ自体に気付かないはずだけど、もし悟られたら近接防御システムに喰われる可能性は否定できないわ。だからこそ、二機打ち上げるんだけどね」
「……その、近接防御システムとかに喰われたら……」
「まず生き延びることは不可能ね」
クロエが断言する。
わたしはフロイナを見た。フロイナが、静かに微笑み返す。
「この計画には、イタノス住民三千万の命がかかってるんです。それに、クロエによれば成功確率は八割以上だそうですし。いい賭け率じゃないですか」
トルジが言う。静かな微笑は、自信の表れか、あるいは若者らしい冒険嗜好を上品に隠すレースのカーテンなのか。
「人類は二百億を超える数まで膨れ上がっていたのよ。おそらくは、この三千万人が、最後の人類ということになる」
クロエが、しみじみとした口調で言う。
「皮肉なものよ。人類が恒星間移民を開始するきっかけになったのは、二十一世紀後半に発生した火星への彗星衝突だったの。そのときの死者は事前警告のおかげでわずかに六人で済んだけど、もし地球に同規模の彗星衝突が起これば、最悪の場合死者行方不明が二十億を越えるという試算が出て、みんな慌てちゃったのね。まるで地球が沈みかけた船でもあるかのように、人々は積極的に外宇宙へと進出し、生活圏の拡大に努めたの。よく言う『卵をひとつのバスケットにいれておかない』ためにね。ところが……」
クロエが言葉を切り、物憂げに髪をかきあげた。妙に色気のある仕草だった。
「その拡大が裏目に出て、人類の種としての同族意識が希薄化し、戦争に発展してしまった。二十世紀の半ば以降から全人類を巻き込むような大戦争は起こらなかったし、二十一世紀は有史以来もっとも戦争の少ない世紀だった。二十二世紀に入り、移民惑星間で小規模な紛争が勃発するようになり……世紀末についに全面戦争が発生し、イタノス以外の人類は事実上全滅してしまった。皮肉と言う他にないわ。人類の絶滅を恐れてあちこちに卵を分散保管したら、自ら落下して割れてしまったのだから」
「イタノスが、最後の卵というわけね」
重々しく、フロイナが言う。
「もうひびが入ってるけどね」
冷笑しつつ、クロエが応じる。
わたしもこの例えならば理解できた。唯一残った卵。守らねばならぬ卵。
「話を元に戻すと……」
口調を改めたクロエが、説明を再開した。
「〈ツォーベル〉に充分接近してしまえば、もう近接防御システムの攻撃は受けないわ。そこで、魔術の出番よ。〈ツォーベル〉の装甲外殻を破るの。外殻エアロックはすべて任務派のコントロール下にあるから、これしか方法はないわ。電磁兵器を自作しても、たいした出力は得られないだろうし、化学反応弾頭製作も危険だしね。充分に破口ができたら、機体ごと内部に突入。船内ライフサポートシステムはこちらが握ってるから、船内活動に問題はないわ。侵入し、数ヶ所で基幹光学ケーブルを切断してくれるだけで、任務派の演算能力は大幅に低下するわ。コンピューターシステム自体が、ダメージコントロール能力の向上を目的に分散処理型システムを採用して、メインフレームを艦内各所に設けているからね。そうなれば、ものの数分で、人類派が〈ツォーベル〉を掌握できる」
「剣の腕は、その基幹何とかを切るために?」
「違うわ」
ころころと、クロエが笑う。
「艦内には、まだ数体だけどダメージコントロールロボットがいるの。まあ、自立行動できる機械だと思ってくれればいいわ。おそらく、任務派はこちらの計画を妨害するためにそれらを使ってくるでしょう。戦う必要が生じるのよ」
「魔術を使えばいいじゃない」
「艦内で、魔術は使えないのよ。……まあ、これも説明しておいた方がいいでしょうね。あなた方が魔術と称しているのは、プレ移民船が持ち込んだナノマシンプラントが製造しているナノマシンを流用した技術なのよ。本来の任務は惑星環境の改造と整備が目的よ。詳しい調査をしてみなければ正確なところはわからないけど、対消滅弾頭の影響でプラントが暴走したらしく、あなたがたはコマンドワードだけで本来ならば絶対にありえないような用途にナノマシンを使えるようになってしまったのよ。たとえば、他人を攻撃し、殺傷するとかね。……それはともかく、通常ではナノマシンの広範な利用は『モルデハイ=クラタ法』で制限されているし、軍用ナノマシンも条約で禁止されたから、軍艦内ではナノマシンの存在が許されていないのよ。そういうわけで、連合評議会軍艦艇たる〈ツォーベル〉にも、対ナノマシン防御システムが装備されているの。これは残念ながら、任務派の制御下にあるわ。だから、ナノマシン……魔術に頼らずに戦う必要があるの」
「ナノマシン……って?」
「小さい、とっても小さい機械よ。目に見えないくらいね」
わたしはしばし黙考した。クロエの話はわたしの理解の範囲を超え、言葉の大半はわたしの記憶力の桶から半ば溢れ出し、判らない単語の多くはわたしの意識の中で、飽和水溶液の中でいくらかき回しても溶けることなく残っている薬品粒のように底の方でぐるぐると回っていたが、それでもひとつだけ疑問点が浮かんできた。
「なんだっけ……ダメージなんとかというからくりを任務派が握っているのなら、それらを使って人類派を攻撃できるんじゃないの?」
「それは無理なの。ダメージコントロールロボットの機能は制限が加えられているから、基幹光学ケーブルに近づくことさえできないわ。それどころか、基幹設備は廃艦になるまで外部からいじられることはないのよ。定期オーバーホールの時でさえね。人工知能のバージョンアップも、新たに設置したメインフレームを接続させるだけなの」
「ねえ、クロエ」
「なあに?」
「お願いがあるんだけど?」
「なんなりと」
「わたしの肩から退いてくれない? ずっと右向いてるのに疲れたわ」
次の見学コースは、二号機だった。わたしはトルジとその肩に乗ったクロエの案内で、機内も見せてもらった。後部にある大きな部屋はがらんとしており、床や壁には取り付けてあったであろう何らかの機器を取り外した跡が歴然としていた。代わりにいくつもの薄手のクッションが床面に置かれ、ベルト状の布が何本も取り付けられていた。クロエによれば、乗員が身体を固定するための設備だという。中央部にある通路を抜けると、わたしたちは最前部にある小さな部屋に出た。そこには妙な形のソファのような椅子が二つ並んでおり、その周りをいくつかのテーブル状のものが取り囲んでいた。ここに座るんです、と告げたトルジの頬には、抑えきれない誇らしげな笑みが浮かんでいた。
トルジとクロエ……フロイナは用事があるそうで村に戻って行った……は、なおも移民船内部の案内を続けてくれた。クロエの説明の言葉は、わたしの脳内を素通りしていったが、眼は眼前の驚異の光景を焼き付けていた。まさしく、我々の祖先は星界を渡ってやってきたのだ。このような巨大な船に乗って。
ふたたび坑道入り口から外に出たときには、すでに日は傾き、山々の陰に隠れようとしていた。トルジは例の銀色の板を移民船に置いてきたので、いまやわたしたちは二人きりだった。
沈黙しながら、わたしたちは坂道を下った。まだ日は完全に没していなかったが、昼間のように明るい移民船内部に慣れた眼には、さしもの太陽もずいぶんと暗く思えた。
わたしは空に動きを認め、顔を上げた。
速い月だった。オレンジ色に輝く点が、音もなく空をよぎってゆく。
わたしは思わず足を止めた。トルジも歩みを止め、空を見上げる。
「あそこまで行くのね、あなたとフロイナは」
「ええ。三千万の命を救うためにね」
三千万。想像するだけでめまいがする数字である。三千万個、小石を集めたとしても小さな広場いっぱいになってしまうだろう。その小石ひとつずつに、それなりの人生が、歴史が、喜怒哀楽が、自我が、生活が、そして、愛するものがいるのだ。クロエは、すでに二百億の人命が失われたと見ている。二百億。二百億。三千万の、六百数十倍。二百億の、六百数十分の一たる、三千万。星界にただひとつ残った人類の卵。すでにひび割れた、もろい卵。
助けねばなるまい。なんとしても。
「明日早朝に発ちます。馬を用意していただきたい」
メスタに会うなり、わたしはそう告げた。この計画の責任者は、一足先に移民船から引き上げたフロイナと一緒に、自宅でくつろいでいるところだった。
「納得してくれたかね?」
「十二分に。必ず駐ヤミール公使を説得し、連れて来ます。これは、デフレセルの安全保障上重大な危機といえますから。公使も、移民船を見て、クロエに会えば納得するでしょう。直ちにヤミール政府首脳に対し、圧力をかけてくれるはずです」
「では、わたくしがクロエとともにお供します」
フロイナが、立ち上がる。
「そうしてもらえれば、助かるわ」
公使がどんな人物か詳しくは知らないが、クロエを見ればことの重大さを悟り、わたしの説得にも応じてくれ易くなるだろう。とどめに移民船見学をさせてやれば、間違いなくヤミール当局に太い楔を打ち込んでくれるはずだ。
「よかろう。頼むぞ、フロイナ。ハンともしっかり連絡をとってくれ。ジョレスさん、くれぐれも頼みますぞ」
メスタが手を差し出す。わたしはしっかりと握り返した。
夕食はわたしとフロイナ、メスタ、それに、彼の護衛の若者三人と一緒だった。給仕してくれたのは、さきほどお茶を入れてくれた少女だった。おそらく、この家のメイドなのだろう。食事が終わると、わたしは早々に宛がわれた部屋に引っ込んだ。
第十六話をお届けします。そろそろ本作も終盤です。