15 人類派と任務派
「ようこそ。ここからは、歩いてもらうよ」
我々を出迎えたのは、一足先に到着したらしいメスタだった。
わたしはわずかな荷物……小さなトランクひとつ……を手にすると、フロイナに促されるまま馬車を降りた。おそらく、この先には見せたくないものがあるのだろう。
「こっちだ」
メスタが先頭に立ち、低木が点在するなだらかな丘に記された小道を登り始めた。わたしは素直にそのあとに続いた。後ろにはフロイナと、メスタの護衛らしい二人の青年が続く。
たいした登りではなかったが、途中二度ばかりメスタが立ち止まって呼吸を整えた。そうとう心臓が弱っているのだろう。まだそれほどの年齢でもないのに。
丘を登り切ったところで、視界が開けた。
「ようこそ、わが村へ」
メスタが指差す方向には、ざっと五十棟ばかりの小屋が立ち並んでいた。いずれも粗雑な造りで、しかも真新しく、さながら開拓村といった雰囲気だ。煙突から幾筋かの薄灰色の煙が立ち昇っている。
「わたしの家でとりあえず一休みしてもらおう。本物のクロエにも会ってほしいしな」
メスタが言い、再び歩き出す。
メスタの声に応えて入室した二人の女性は、いずれも大きなお盆を抱えていた。
一人目のフロイナと同年代くらいの女性の盆には、よく使い込まれているがありふれたお茶のセットが載っていた。伏せられた陶器のカップが三つ。重ねられた木製の受け皿が三つ。磨きの足りない銅製のポットがひとつ。ミルクの入った小壜がひとつ。茶色い陶器の小さな壷は、蜂蜜だろうか。
二人目の中年女性が持つ盆には、紙幣二枚を並べたくらいの大きさの、平べったい金属の箱が載っていた。色は銀色に近いが、わずかに青みがかっている。フロイナのペンダントと似ているが、こちらの方がずっと大きい。
メスタが、差し出された盆から金属の箱を取り上げた。
「これが、クロエだ。正確には、彼女が媒体としている機械だな」
少女の方がお茶を入れてくれる気配を感じながら、わたしは箱をしげしげと眺めた。継ぎ目もねじ穴も、ちょっとしたくぼみさえ見当たらなかった。
「では、クロエに登場してもらおうか」
メスタが言ったとたん、テーブルの上にクロエが現れた。
「はあい、ジョレスさん」
「あ、どうも」
相変わらず間が抜けていると思いつつも、わたしは挨拶を返した。
「クロエ。ジョレスさんに事の顛末を詳しく説明してあげてほしい。一応の予備知識は与えておいたから、それほど噛み砕く必要はないと思う。知性は充分に持ち合わせている人だからな」
メスタの言葉に、クロエがこくんとうなずいた。
『イタノス』というのが、この惑星に与えられた名称だった。
もともと人類は、たったひとつの惑星にしか住んでいなかった。しかし、星界を渡る技術を手に入れた人類は、さらなる居住空間を求め、星々の大海に乗り出していった。すでにこの時代、人類が広範に居住する惑星は……補助呼吸具や環境スーツが必要とされる二級惑星を含め……三十を越え、百年以上前に太陽系を発進した万のオーダーの無人探査機は、続々と有望環境惑星の観測データを送信しつつあった。
イタノス向けの第一次移民は、最寄りの移民惑星であるニュー・ヒベルニアより行われた。移民団は直ちに惑星開拓に従事、地球から発進した第二次以降の移民船の到着に備えた。イタノスの各種環境は優良であり、持ち込まれた地球起源の植物もすぐに自生植物相と馴染んだ。移民計画はしごく順調に進んだ。第二次移民船到着寸前までは。
トラブルは、恐ろしく遠いところで発生した。
戦争であった。人類版図を二分する、容赦ない総力戦だった。地球は片方の陣営の旗頭であり、ニュー・ヒベルニアはその敵の主要惑星のひとつとなった。究極の兵器たる対消滅弾頭が平然と使用された。哲学者から星間政治学者まですべての人々が『強力すぎて実戦には使えない、単なる政治的威嚇兵器』と称していたはずの兵器が、なんのためらいもなく使用されたのだ。星間の深淵が、人の痛みを感じさせなかったのか。それとも、人類の拡散が滅亡の恐怖を薄めてしまったのか。あるいは、宇宙を手にした人類が新たな精神性を獲得したことの証左なのか。単なる魂の退歩か。
第一次移民船の故郷であるニュー・ヒベルニアも、襲来した連邦評議会軍艦隊の攻撃を受け、八千万住民は抵抗の甲斐なく全滅していた。FTL(超光速)通信でこれを知ったイタノスの住民は激昂した。しかし、イタノスに見るべき軍事力はなかった。それどころか、恒星間宇宙船すら存在しなかった。移民船は片道仕様であり、目的地の軌道に乗った後は、一部を通信および観測プラットフォームとして残したまま大気圏に降下し、その構造材や電子機器を移民者がリサイクル使用するというのが常だからだ。
そのような状況下に到着したのが、地球からの第二次移民船だった。第一次移民は、同朋虐殺の報復を名目に第二次移民を迫害した。各種権利を剥奪し、二級市民としての扱いを強いたのだ。すべての技術力と警察力を支配する第一次移民の前に、地球からの移民は逆らうすべを持たなかった。だが、ごく一部の地球系技術者が密かにFTL通信機を製作し、植民政府警察軍が摘発する前に連邦評議会軍に対し救援を請う通信を送るという事件が発生したのが、唯一の例外であった。
その信号をたまたま受信したのが、連邦評議会軍の有人汎用フリゲート〈ツォーベル〉であった。同艦は惑星連合軍無人艦艇との戦闘で損傷し、乗員は全滅していた……たった一人を除いて。
唯一の生き残りである乗員も無傷ではなく、艦内の医療設備では完治不可能なほどの重傷であった。彼女はFTL回線を使い上級司令部に連絡をとろうと試みていたが、いずれのチャンネルも反応なく、沈黙を続けていた。近傍の惑星も、敵味方問わず応答がなかった。〈ツォーベル〉が派遣されていた星系にあったのは、観測施設および恒星間航路の中継基地のみであり、それら施設すべてが惑星連合軍無人艦艇により破壊されていた。〈ツォーベル〉は単艦で孤立し、救援の望みを絶たれた状態にあった。
たった一人生き残った乗員は、熟考の末艦の進路をイタノスに向ける。自動医療機器の奮闘にも関わらず、彼女の容態は日に日に悪化しつつあり、イタノス到着のはるか以前に死を迎えることは確実な状況だった。彼女は救難信号に応えることによって、自らの死を有益なものにしようと考えたのである。彼女は船内コンピューターに対し、軍規が許す限りの自由裁量権を与え、乗員死亡後の艦の指揮権を委ねると、自ら医療統制コンピューターに安楽死処置を命じた。
十数年後、イタノスに〈ツォーベル〉が到着する。減速し、衛星軌道に遷移した〈ツォーベル〉は、自己裁量プログラムに従いイタノス地表の観測を開始した。観測結果に基づき、コンピューターは行動に移ろうとするが、情報不足から確たる決断を下せぬまま、内部分裂を起こしてしまう。任務を第一と考える部分は、イタノスに存在する都市を惑星連合軍施設と認識し、その破壊を企てようとする。しかし、それに反対する部分は、無差別な破壊は地球系市民の殺傷を招くうえ、戦争自体がすでに終結した可能性が高く、現在の優先任務は人類全体の保護だという結論に達していた。
双方は演算領域の確保を巡って激しい電子の攻防を繰り広げる。その最中、〈ツォーベル〉は衛星軌道からのカミカゼ攻撃を受ける。〈ツォーベル〉の存在に気付いた第一次移民政府が、軌道を巡る移民船の一部を使い、攻撃を仕掛けたのだ。この攻撃により、人類派……人類の保護を優先とする部分……は一時的に劣勢となり、火器管制システムを完全掌握した任務派……惑星連合とあくまで戦おうとする部分……は対消滅弾頭をイタノスに向け発射してしまう。都市は破壊され、イタノスの文明は滅びた。
「この対消滅弾頭による破壊が、あなた方の言う『大災厄』の正体よ。おおよそ飲み込めた?」
講義口調で説明を続けていたクロエが言葉を切る。
「まあ……なんとなく」
わたしはそう答えておいた。実際、話してくれたことの八割は理解できなかった。
「では、話を続けましょう。〈ツォーベル〉の船内では、今でも闘争が続いています。任務派と、人類派の。任務派は推進部および機関部、火器管制システムの大部分、艦内防衛システム、ダメージコントロール、通信系の一部などを掌握し、一方の人類派は艦内ライフサポートシステム、航法制御系、センシングシステム、通信系の大部分を支配下に置いています。まあ公平に言って、双方の力は同等であり、常に拮抗状態にあったと言えるでしょう」
いったん言葉を切ったクロエが、若干さびしげな表情を浮かべた。
「しかし、ここ数年で状況に変化が現れました。人類派が抑えているシステムの一部で、経年劣化から反応速度が鈍り始める現象が発生したの。ダメージコントロールを抑えられている以上、メンテナンス能力は任務派の方が優れているしね。このままで行けば、いずれ拮抗状態が崩れ、一部のシステムが任務派に乗っ取られる可能性が高まったわけ」
「はあ」
「もしセンシングシステムの一部なりとも任務派の手に落ちれば、すぐさま地表の都市を発見してしまうでしょう。火器管制システムは任務派の制御下にあるから、やつらは即座に対消滅弾頭を発射することになる。そうなれば、『大災厄』の二の舞です。いえ、それ以上の惨劇になるでしょうね。『大災厄』のときは、人類派が干渉したために、使用された発射体は単弾頭一基だけで済んだ。もしも複数の発射体が射出されたり、多弾頭複合効果タイプが使用されたりした場には、イタノスから人類は消えてしまうでしょう。人類派は、星系外の観測結果からすでにイタノス以外に人類が生存していない可能性が大であるとみているわ。そうなれば、人類という種がこの宇宙から消え去ることになる」
わたしは以前フロイナと交わした会話を思い起こした。そう、彼女は知っていたのだ。人間……人類が他の天体からやってきたことを。そして、他の天体に住む人間がすでに絶滅した可能性があることを。
「焦った人類派のコンピューターは、任務派排除の可能性を探ったの。その結果として得られたプランが、〈ツォーベル〉を外部から物理的に攻撃するプランだった。そこで人類派は過去の移民船に搭載されたコンピューターに対し、軍用侵入プログラムを使ってこれを支配、わたしを転送してメスタさんたちに接触させたわけ」
「最初は驚いたがね」
メスタが、話を引き取った。
「話に聞く妖精が現れたかと思ったよ。彼女の案内で移民船を見つけ、その指示どおりに軌道連絡船の改造を開始したんだ。長い道のりだったよ」
「何かご質問は?」
にこやかに、クロエ。
「……そうだ。ねえ、ラムサル族って、知ってる?」
「知ってるも何も」
クロエが、腐ったキャベツの匂いを嗅いだような表情を見せた。
「推測だけど、彼らは任務派と接触しているようね。おそらく、ここと同じように移民船のコンピューターを通じてでしょう。我々人類派の計画に気付き、それを妨害しようとしているのよ。任務派はセンシング能力を欠いているから、ラムサル族を使って軌道連絡船の位置をつかもうとしているんだと思うわ」
「かなりの数の部下を失ったよ。あの妙な武器を使われてね」
メスタが、憤慨する。
「あの火吹き棒、一体何なのか、わかる?」
わたしの質問に、クロエがからからと笑った。
「恐ろしく原始的な武器よ。ある種のマズルローダー・フリントロック・スムーズボア・ライフルね。まあ、イタノスの工業技術レベルでは妥当な武器だけれど。任務派が、指南して作らせたんでしょう」
「では、肝心の移民船見学と行こうか。……トルジ!」
声を高めたメスタが、男性名をがなった。すぐに扉が開き、二十歳にはまだ届いていないと思しき小柄な青年が姿を見せる。
「彼が案内する。……ちょっと登りがきついのでね。すまんな」
言い訳がましく言ったメスタが、左胸に手のひらを添えて、わたしに向かい軽く会釈した。そのしぐさは、わたしを淑女として遇した証拠のようでもあり、弱っている心臓を庇う仕草にも見えた。おそらく、その両方の意味合いがあったのだろう。
第十五話をお届けします。