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13 〈速い月〉の正体

 訓練生時代に、目隠しの訓練を受けたことがある。

 対象となる訓練生は、遮光性の黒い布で目隠しをされ、他の訓練生数名によってあちこち連れまわされる。彼ないし彼女は、視覚以外の感覚を総動員して周囲を探り、最終的に訓練施設内のどこにつれてこられたかを、引き回されたルートと共にあとで担当教官に対し詳細に述べなければならない。

 多少の訓練を受けた記憶力に優れた人物であれば、この訓練においてかなり優秀な成績を収めることができる。それでは『面白く』ないので、訓練生仲間ではかなり巧妙かつ悪辣なトリックを採用し、被験者を惑わせることを常とした。わざといくつもの部屋に臭いのきつい料理を一皿ずつ置いてみたり、バケツとパイプを使って排水設備の音響を再現してみたり、あるときは物まねのうまい訓練生を起用し、講堂から漏れ聞こえてくる名物教官の講義を再現して誤誘導したこともあった。なかでも傑作かつ大掛かりだったのは、拾ってきた廃材を組み合わせた階段を半日がかりで作ったケースだった。あわれ犠牲者となった訓練生は、何度も偽の階段を昇降させられ、すっかり感覚を狂わされてしまった。

 そんなことを思い出しながら、わたしは暗黒の中で馬車に揺られていた。むろん、目隠しをされているのである。メスタはジェネハルー市における彼らの活動拠点の住所をわたしに明かすつもりはないらしい。

 馬車は相当長く一定の速度で走りつづけていた。振動からすると、地面は石畳らしい。となれば、馬車はジェネハルー市街地を抜け出してはいないはずだが、わたしの時間感覚が狂っていなければ、すでに市街地を縦断してもおつりが来るくらいの時間、走り続けている。おそらく、回り道をしているのだろう。古典的だが、有効な欺瞞のテクニックである。

 やがて、馬車が停止した。

 わたしは、フロイナに支えられて馬車を降りた。どこか近いところで、犬が激しく吠え出す。

「こっちです」

 フロイナが、盲人を導くようにわたしの肘をそっと持った。押されるままに歩むと、じきに靴底が硬く踏みしめられた土を踏んだ。……路地に入ったらしい。背後からは、おそらく乗ってきた馬車が動き出したのであろう、からからと車輪が石畳を打つ音が聞こえ、さらにそれが遠ざかってゆく。

 石炭の燃える臭いと、油をけちってキャベツを炒めて焦がしてしまったときのような臭いに混じって、嗅ぎなれない芳香がわたしの鼻を襲った。どうみても花の匂いだが、今までに嗅いだことはない。かすかに甘い、果樹の花を連想させるような香りだった。

「戸口だ。気をつけて」

 蝶番のきしむいやな音とともに、メスタが言う。わたしはフロイナに導かれるまま、戸口をくぐった。身体の周囲が、暖気に包まれる。どこかで薪が燃えているらしく、特有のぱちぱちという音が聞こえる。

「待っていたまえ」

 メスタが言い、その気配が遠退いてゆく。ぱたんと軽い音がしたのは、彼が他の部屋へと通じる扉を開閉したのだろう。背後でした蝶番のきしむ音は、フロイナが出入り口の扉を閉めた音だ。

 わたしは部屋の様子を思い描いてみた。広さはたいしたことはない。板張りの床と、隅の暖炉。調度はあっても椅子とテーブルくらいだろう。

 ふたたび、ぱたんと軽い音がした。

「フロイナ」

 顔を覗かせたであろうメスタが口にしたのは、娘の名前だけだったが、フロイナがすぐにわたしの肘をつかんで歩き出したところをみると、彼女の父は手招きかそれ以上の意味合いを含んだジェスチュアをしたに違いなかった。わたしは素直に歩を進め、戸口をくぐって奥の部屋に入った。

 そこは待たされていた部屋よりはるかに暖かく、そして様々な臭いに満ちていた。はっきりとしたコーヒーの臭い、よく乾燥した材木が放つ独特の芳香、脂身の多い肉を焼いたときに出る油っぽい臭い、革が湿ったときに発する不快な臭い。それに、男の体臭。

 わたしは気配を探ったが、捉えられたのはメスタのものだけだった。たぶん、何人かいた男を、メスタが追い払ったのだろう。

 不意に、フロイナがわたしの目隠しを解いた。いや、おそらくはメスタから何らかの合図があったのだろう。わたしは眼を細め、眼球が明るさに慣れるのを待った。

「座ってくれ」

 自ら腰掛けつつ、メスタが椅子を勧める。わたしは眼を細めたまま、部屋の中央に据えられたテーブルの周りに並ぶ一脚を引き、腰を下ろした。フロイナも、となりに座る。

 わたしが予想した通り、テーブルの上には人のいたあとが歴然としていた。焼いた薄切り肉が数枚残り、油と肉汁がべっとりと付着した楕円形の大皿が中央に置かれ、それを取り巻くように五つのマグカップが並んでいる。金属製のポットには、卵の黄身がわずかにへばりついた保温用のカバーが掛けられ、取っ手のところには火傷しないように小汚いタオルが巻きつけられている。パン籠に残るパンの塊は質のよい白パンだったが、男たちの指に略奪し尽くされて、さながら犬の玩具にされたぬいぐるみのような惨状を呈している。

「さて、どこから話すべきかな……」

 そうつぶやきつつ、メスタがサイドテーブルから水差しを持ち上げた。伏せてあったグラスを起こし、化学実験のような慎重な手付きで半ばまで水を注ぐ。

「そう、三つの島を想像してもらえるかな。便宜上、北の島、南の島、新しい島と名付けようか」

 わたしに向かって語り掛けながら、メスタがポケットから茶色い小壜を取り出した。コルクの蓋を取り、中の丸薬を三つ取り出して、口に放り込む。壜には、我が国で製造しているよく知られた心臓病の薬の商標が描かれていた。


 北の島と南の島には同じ民族が住んでいたが、それぞれ別の国家であった。一方、新しい島はその名の通り新たに発見された島嶼であり、したがって無人であった。

 あるとき北の島は、新しい島に移民団を送り込んだ。帆船で到着したわずかな数の移民団は、小さな村を作り、新しい島の一角で自給自足の生活を始めた。

 その直後、北の島と南の島のあいだで戦争が勃発する。双方の軍隊はそれぞれ敵側の島に大挙上陸し、守備隊を蹴散らし、抵抗する住民をも無慈悲に殺戮した。すべての住民を巻き込んだ激しい戦いは、わずかな時間で南北双方の住民の大多数が命を失うという悲惨な結果となった。

「ここで登場するのが、一隻の軍艦だ。まあ、陸戦要員百人くらいの、大型の軍艦を想像してほしい。南の島の海軍に所属している船だ」

 メスタが、続けた。

「その軍艦は、本国と北の島が開戦したことを知った直後に嵐に巻き込まれ、自力航行が不可能になってしまった。その後、方法は定かではないが戦争に関するいくつかの情報を得て、本国の住民が多数犠牲となったことを知った。そして、その船は短期間の漂泊ののち、新しい島の沖合に流れ着いた」

 言葉を切ったメスタが、衝動的とも取れる急な動きで、テーブルの上に放置されていたフォークをつかんだ。柄の端のほうを指先でつまみ、食欲のない子供が遊ぶかのようにぶらぶらと揺らし始める。

「軍艦では、乗組員が二派に分かれて論争を始めていた。本国が甚大な被害を受けたことに対する報復として、もともとが北の島の住民である新しい島の住民を虐殺するべきだと主張する、艦長に率いられた一派と、得られた情報からするとすでに北の島も南の島も住民がほぼ全滅している可能性が高く、ここで新しい島の住民を殺すのは民族的自殺に等しいと考える、副長に率いられた一派だ。対立は議論から口論に発展し、このままでは殺し合いに発展しかねない状況となった。両者の勢力は拮抗しており、船内で戦闘が始まれば、両者共倒れとなる公算が大きい。そこで、副長が一計を案じた。新しい島の住民に事情を話し、味方に引き入れようとしたのだ。水兵の一人が泳いで島へ上陸し、住民を説得して、小船を作らせた。武装した有志数十人が完成したその小船で軍艦に漕ぎ寄せ、一挙に拮抗状態を打破するべく試みようというわけだ。……まあ、むりやりたとえ話にしようとしたら、こんな感じになるかな」

 メスタがフォークをぽいと放り投げた。金属が硬い木に当たる鈍い音が、静かな室内に響く。

「新しい島の住人があなた方、漕ぎ寄せる小船が、〈きどうれんらくせん〉ってことなのね?」

 わたしは訊いた。メスタが、無言でうなずく。

「じゃあ、北の島と南の島は? 軍艦は?」

「我々の祖先が、星界を渡ってきたことは知っているかね?」

 わたしの質問に答えず、メスタが訊いてくる。

「ええ。フロイナから聞いたわ」

「ならば判るだろう。北の島は〈ニュー・ヒベルニア〉と呼ばれていた惑星だ。南の島は、太陽系。人類発祥の地だな。軍艦は、連邦評議会常備艦隊所属汎用フリゲート〈ツォーベル〉。平たく言えば、太陽系軍の所属だ。我々にとってはおなじみの、〈速い月〉の正体だ」

 メスタの口から、聞きなれない単語がぽんぽんと飛び出す。

「たとえ話と違い、〈ツォーベル〉には乗組員はいない。とっくに死亡し、現在艦を制御しているのは機械だ。クロエは人工知能、と言っているがな。我々や高等動物のように、否それ以上に高度な思考機能をもつ機械だ。それが二派にわかれて、合い争っている」

「クロエ?」

「先程のたとえ話で言えば、泳いできた水兵さ」

 わずかに笑みを浮かべながら、メスタ。

「クロエの本体の方です。以前に会ったクロエは、複製の方ですから。本質は同じですが実態は多少異なります」

 フロイナが、説明する。メスタが、彼女を睨んだ。

「なんと、クロエにまで会わせたのか?」

「昨日のことですわ」

 澄まして、フロイナ。メスタはしばらく娘を睨んでいたが、ふっと小さくため息をつくと、気を取り直したように続けた。

「まあ、詳しいことはクロエに聞いてくれれば判る。ともかく、我々が手助けしてやらねば、〈ツォーベル〉は、この地を滅ぼそうと企む人工知能によって支配されてしまう。かの〈大災厄〉は、この邪悪な人工知能が〈ツォーベル〉を操って引き起こしたものなのだ。今は辛うじて我々の味方である人工知能がその蛮行を阻止してはいるがな」

「ですから、あなたのお力添えが必要なんです」

 フロイナが、わたしの手を握った。彼女らしからぬ、力の入った握り方だった。

「このままでは、ヤミール国軍やその周辺国軍隊によって、〈軌道連絡船〉の打ち上げが妨害されてしまいます。デフレセル王国の圧力があれば、時間が稼げる。お願いします」

 わたしはすでにこの父娘の言うことを信じる気になっていた。フロイナはまず間違いなく真実を話しているし、メスタの口ぶりにも嘘の臭いが感じられない。もし騙されていたとしても、土壇場で協力を拒否すればいいだけのことだ。

「どのくらい時間を稼げればいいの?」

「最低でもあと一週間はほしい」

 きっぱりと、メスタ。

「まだ救難艇……〈軌道連絡船〉の改造が終わっていないのだ。今のところ集まった情報を吟味すると、周辺諸国軍が集結するまでにあと五日はかかるだろう。したがって、せいぜい二日か三日、連中の動きを遅らせてくれれば充分だ」

 わたしはすばやく計算した。本国へ直接お伺いを立てている時間はない。ボンパールを説得し、彼が公使を丸め込むしか方法はないだろう。あるいは、わが機関の公使館代表たる駐在武官の一人を。

「説得力のある証拠が必要ね。正直に言うけど、たとえ話のあとはほとんど理解できなかったわ」

「遺跡がある」

 メスタが言った。

「我々の祖先が星界を渡るために使った船……移民船の残骸だ。〈軌道連絡船〉も、そこから回収したんだがな。それを見れば、少なくとも我々の主張が荒唐無稽なものではないことがわかるはずだ」


「問題は、移動だ」

 メスタが言う。

 わたしは再び目隠しをされ、馬車に乗せられていた。右隣にはメスタが、左隣にはフロイナが座っている。親子に挟まれた格好である。

「すでに、我々の本拠地とジェネハルー市を結ぶ主要街道は国軍の監視下にある。わたしの容姿は当局に知れ渡っているし、フロイナも同様だ。むろん変装するつもりだが、できれば娘とは別々に行動したい。協力してくれるかな?」

「それはかまわないけど……」

 わたしはメスタの方に首を回した。むろんその姿は見えないが、しゃべっている相手に顔を向けるのは自然な反応であろう。

「わたしは女性が混じらぬ方が自然なグループに紛れて移動しようと考えている」

 メスタが、あいまいな言い方をした。

「君はフロイナとともに行動してくれるか? その方が、たぶん目立たないだろう」

「国軍の監視はどの程度厳しいの?」

「検問はあると覚悟していたほうがいい。今のところ、姓名居住地の確認と、手配書との照合だけのようだが」

「……出発はいつ? 時間さえあれば、適当な偽装身分をでっち上げられるけど?」

「目立たぬように明日の朝を予定している」

「ちょっと待ってね」

 わたしは視線を落とすと……相変わらず目の前は真っ暗だが、長年の習慣はそうそう変えられないものだ……しばらく黙考した。下手にヤミール人を装わない方がいいだろう。むしろ外国人の方が、検問も甘くなるのではないか? 外国人の若い女性が、ヤミール人少女と移動していても不自然でない状況、といえば……。

「メスタさん、部下の方を一人貸してくれない? 程度のいい、小さな馬車ひとつと一緒に」

「馬車は朝までには準備しよう。部下の方は、いずれにせよ道案内に必要だからな」

 メスタが即断する。

「それと……」

 わたしは、姿の見えない御者にジェネハルー市駐在連絡員の住所からほど近い賑やかな通りの名を告げた。

「そこで降ろして。わたしにも、ちょっと準備があるから」


第十三話をお送りします。

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