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10 待ち伏せ

 サドラヌの定期船桟橋を見通せる茶店のテーブルに、わたしは座っていた。

 ボッテイル発サドラヌ行きの定期客船の入港は、大幅に遅れていた。船内で急病人が出たことにより、最寄りの港に急遽入港を余儀なくされたためである。伝染病の疑いがあると判定されたせいでさらに船内の消毒に時間を取られ、午後遅くになってやっとその優美な姿を港外に現しつつあった。

 フロイナの乗る船を遅らせる作戦は大掛かりなものであった。ほぼ似たような時刻にボッテイルを出航し、サドラヌおよびその周辺の港に入港する客船と貨客船のすべてに、二人ずつ工作員が送り込まれたのだ。彼ないし彼女らは、船客の中にフロイナ・マークランドに該当する容姿の人物がいる場合に限り、片方が仮病を使うことを命じられていた。もう一人は偶然乗り合わせた医者の役回りであり、船長に対し伝染病の疑いを告げ、緊急寄港を強要する手はずであった。

 わたしはゆっくりと近づいてくる小型客船を眺めながら、静かに紅茶をすすった。何人もの水夫が帆桁に取り付き、縮帆作業にかかっているのがはっきりと見える。

 カップを置いたわたしは、ゆっくりと周囲を眺め渡した。

 桟橋では、三十人ほどの男女が客船の入港を待っていた。海岸沿いの道も結構人通りが多く、子供の手を引いた婦人や急ぎ足の若者、漫然と散策を楽しんでいる老人などがひっきりなしに通り過ぎてゆく。路肩に停まっている乗合馬車は車輪を傷めたらしく、御者が折れたスポークを応急につなぎ合わせようと骨折っている姿を、汚いなりの少年数名がしゃがみこんで眺めている。戸口と窓に板切れをクロスさせて打ち付けてある、はるか以前に閉店した酒場の前では、数名の沖仲士が声高に馬鹿話を続けていた。その隣、見るからにはやっていない食堂の軒下に立つ二人の屈強な水夫は、ときおり通過する若い女性の容姿の採点に余念がない。

 わたしの視界内にいる男女の約三分の一は、一時的ではあるがわたしの指揮下にあった。サドラヌ駐在連絡員が集めた連中と、サドラヌ市警察当局が貸してくれた司法警察官たち、総計十二名である。

 もし、フロイナがわたしの正体に感付いているのならば、この場で逮捕するしかない。『きどうれらくせん』が何であるにしろ、それに乗り込むと言明している人物を、監視なしで放置するわけにはいかないのだ。言うまでもなく、フロイナはかなり高度な魔術の使い手である。不十分な態勢と少ない人数で逮捕しようとすれば、無駄な死人を出すだけに終わるだろう。もちろんわたしはフロイナを肉体的に傷つけたくなかった。となれば、人体拘束の古典的な手法……死角である後方から二人が近づき、左右を挟むようにして両腕を拘束するというやり方を使うしかない。三人目がすばやく彼女の口をふさげば、成功だ。魔術使いの最大の武器は呪文を紡ぎ出すことのできる口である。

 わたしは客船が着岸するのを静かに待った。甲板からロープが投げられ、桟橋に待機していた係船作業員がそれを拾う。すぐに船客の降船が始まった。様々な荷物を手にした人々が、船長の挨拶を受けながら渡り板を下って桟橋へと降り、出迎えの人垣に分け入ってゆく。

 フロイナの姿は、船内で喧嘩でもしたのか、異様なほどむっつりとした表情を浮かべている中年の夫婦連れのあとに続いて現れた。

 どこで手に入れたのか、フロイナはやけに少女趣味な真っ白なつば広の帽子を被っていた。手には、真新しい砂色のトランクを下げている。声を掛ける船長とにこやかに言葉を交わし、おどけたように左手で敬礼してみせた彼女は、さながら不機嫌が伝染しないように用心しているかのように、前を行く中年夫妻と充分に間隔をあけてから、とことこと渡り板を下り始めた。

 わたしはカップを置くと、勘定を済ませた。白い帽子は人垣に隠れてしばらく見えなくなったが、またすぐに現れた。桟橋を弾むような足取りで進むフロイナを、出迎えの人々の中から湧き出した二人の男が追った。さらに一人が、足早に歩き出しながら、首に巻いていた地味なオリーブ色のバンダナを取ると、右手に握り込んだ。

 わたしはタイミングを計った。フロイナは周囲に目もくれずに、海岸通りへと歩んでゆく。待ち伏せに気付いた気配はない。

 いまだ。

「フロイナ!」

 わたしは一声叫ぶと、立ち上がった。手を振りながら、小走りに彼女に近づく。

 立ちすくんだフロイナの眼が、大きく見開かれた。一瞬浮かんだ驚きの表情が、すぐに笑顔に変わる。

「ジョレスさん! どうして、ここに!」

 わたしは半ば衝動的にフロイナをぎゅっと抱きしめた。

「良かった。見つかって」

「どうしたんですか、いったい?」

 なおも笑顔のフロイナだったが、口調には困惑の色があった。

 わたしは身体を離すと、彼女の腰に両手を回したまま、最初の質問を放った。

「それより、どうして船にいなかったの?」

「船?」

 フロイナが笑顔を消し、きょとんとした表情で小首を傾げる。

「わたしも乗り込んだのよ。ヴェンドーンで、あなたと同じ船に。でも、いなかった」

「ああ、乗り遅れちゃった船ですね」

「乗り遅れた?」

 わたしはあんぐりと口をあけた。フロイナが、わずかに赤面する。

「道に迷って、別の桟橋に出ちゃったんです。いつまでたっても船がこないから、おかしいな、と思ったときにはもう手遅れで。仕方なく、港湾事務所で別の便を探したら、ボッテイル行きの速い船が見つかったんで、それに乗ったんです。そこからなら、サドラヌ行きの船も出ているはずですから」

 照れながら説明するフロイナの表情を、わたしはとっくりと観察した。……嘘は言っていないようだ。それにしても、乗り遅れたとは。

「でも、なんでわたしを追っかけたりしたんですか?」

 いぶかしげに、フロイナ。

「長くなるわ。そこでお茶でもしましょう」

 わたしは、右手でフロイナの左手首をつかむと、最前までいた茶店に彼女を引っ張っていった。一見すると単に体側にたらしているだけに思える左手で、『待機』の合図を送りながら。


 わたしは用意した作り話をフロイナに物語った。ヴェンドーンの警察に追われていること。容疑を晴らすためには、フロイナの協力が不可欠なこと。しかし、フロイナの帰郷を邪魔したくはないこと。ジョレス・スタタムとしては、容疑を晴らすこと自体は何ヶ月もあとになっても構わないが、そのあいだは安全のために外国にいるしかないこと。

「すみません、ジョレスさん」

 泣き出しそうな表情で、フロイナが謝る。真新しい帽子は、胸の前で中途半端に組み合わされた手の中で揉まれ、すっかり型崩れしてしまっていた。

「あなたに迷惑をかけるつもりはなかったのに……」

「まあ、むりやり鼻を突っ込んじゃったわたしの責任でもあるわけだから」

 わたしは、なだめるようにフロイナの金色の髪に手を触れた。

「……困っていない、って言ったら嘘になるけど、そんなに気にしないで。ね」

「ありがとう、ジョレスさん」

 か細い声で、フロイナ。わたしは、熱い紅茶を彼女のカップに継ぎ足してやった。こくんとうなずいて謝意を表したフロイナが、静かにお茶をすする。

「で、これからどうなさるおつもりですか?」

 心が落ち着いたのか、ややあってフロイナが訊く。

「できれば、あなたと一緒にいたいわ。逃げられないように、ってのは冗談だけど、一度別れちゃったら、探すの大変でしょ? あなたのお父様の計画は邪魔しないから、そばにいたいの。そして、それが終わったら、一緒にヴェンドーンへ行って、容疑を晴らしてちょうだい」

「それは……困ります」

 暗い表情で、フロイナ。

「なんで? どうして?」

 かなり無理をして、わたしは無邪気な口調を保った。

「部外者がいると困る人もいますし、それに、ジョレスさんは父が送り込んだ人を……その……」

 フロイナが言葉を濁し、わたしを上目使いに見る。

「そうよね」

 フロイナを連れ戻しに来た四人を、わたしは斬っているのだ。

「わ、悪いのはあの人たちですよ。ジョレスさんは、わたしを助けようとしてくれたのだから」

 慌ててフロイナがフォローの言葉を発する。

 わたしは内心でフロイナに謝りつつ、暗い表情で沈黙していた。彼女に負い目を感じさせ、交渉を有利に運ぼうとしたのだ。だが、その作戦は裏目に出た。

 フロイナの表情が、わたしよりも暗くなる。小さな口がわずかに震えつつ、言葉を搾り出した。

「それに、たぶん……危険です」

 フロイナが、やにわにわたしの手をぎゅっと握り締めた。顔を上げ、緑色の瞳でわたしの顔を見つめる。

「わたし、これ以上ジョレスさんを危ない目にあわせたくない」

 聞き取りにくい、か細い声でフロイナが言う。眼は、明らかに潤んでいた。

 わたしは動けなかった。ただ、魅入られたように彼女の眼を見つめ返していた。

 フロイナの大きな眼から、ぽろっと涙がこぼれた。

 慌てて手を離し、彼女はハンカチを取り出した。

「ご、ごめんなさい、わたし……」

「いいのよ」

 わたしはフロイナを安心させようと、右手を伸ばすと左の二の腕をきゅっとつかんでやった。

 しかし、このままではわたしの任務は失敗である。

「じゃあ、せめてヤミール国内で待たせて。計画が終わったら、迎えに来てちょうだい。そうしたら、ヴェンドーンまで行きましょう」

「いえ、その前に父と話し合ってから、ジョレスさんの容疑を晴らせるようにヴェンドーンまで行きます。ジェネハルーで、待っていてください」

 眼元をハンカチで抑えながら、フロイナが言う。ジェネハルー市。ヤミール共和国の首都である。

 わたしは左手をフロイナの死角になるところへ持ってゆくと、『解散』の合図を送った。すぐに、談笑していた若いカップルが勘定を済ませ、立ち上がる。二分ほどして、いまだ粘って道端で女性の品定めをしていた二人の水夫も連れ立って姿を消した。馬鹿話をしていた沖仲士たちも、一人、また一人と去ってゆく。隅のテーブルでコーヒーをちびちびと飲みつつ、オリーブ色のバンダナを神経質そうに何度も折りたたみ直していた男も、コインをテーブルに投げ出すと、せっかくきれいに折りたたんだバンダナを無造作に首に巻きながら、店を出て行った。

 わたしは緊張を解くと、椅子の背に身体を預けた。状況によっては、今眼の前でぐずぐずと鼻を鳴らしている可愛らしい少女を、桟橋の上で殺していたかもしれないのだ。むろん、もしわたしの正体がばれていたとしても、与えられている命令はフロイナの逮捕であり、こちらもそのつもりで待ち構えていた。しかしながら、どんなに緻密な作戦でも齟齬の生じる余地は常にあるものだ。早期拘束に失敗し、フロイナが本気で魔術を使い抵抗したとしたら、こちらに死人を出さないためには殺害もやむを得なかったろう。

 だが、いまはもうフロイナ・モリスとジョレス・スタタムは再び友人となり、旅の仲間となった。わたし自身の手で殺していたかもしれない相手と、同じ部屋で、ベッドを並べて眠るのだ。……なんと因果な商売であろう。

 わたしは紅茶をすすり……その不味さに驚いた。そして、その不味さに今まで気付かないほど神経を張り詰めさせていた自分にも驚いた。……いつものわたしらしくない。今回の任務、いささか私情を挟みすぎているのか。

 わたしはフロイナを見やった。まだ涙目だが、少女は笑みを返してくれる。

 この娘を気に入りすぎてしまったのか? この笑顔を? 邪気の感じられない緑色の瞳を? そして、その心を?


第十話をお届けします。

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