30 王国が滅んだ日2
夕方近くになり、ディータはシリルを伴って王城の庭園内を歩いていた。
執務の合間を縫った気晴らしの散策――を兼ねた、シリルとの相談時間だ。
「まだ御前試合の熱気が残っているな」
「盛り上がりましたからね~」
ディータはシリルと雑談しながら、先日の御前試合のことを回想する。
シリルや他の騎士、魔術師たちが奮戦してくれたおかげで、クリシェ王国の猛者たちは他国の猛者たちに渡り合える――ということを示すことができた。
大会自体も想定よりも盛況で、国内の経済効果も上々のようだ。
「この国が潤うのはいいことだ。もっと国力を上げねばならんな……」
クリシェは数百年の間、周辺の国から何度も侵略を許してきた歴史がある。
国土が豊かなわけでもなければ、人口が特段多いわけでもない。
天然の要害に守られたような地形でもない。
そんな中で、時には国土を失い、時には取り戻し――国境線を無数に引き直してきた歴史があった。
「この国の民が心安らげるように……どこから侵略されても跳ね返せるような、そんな国にしたいものだ」
ディータはため息をつく。
「あたしがいますよ、陛下」
かたわらでシリルが微笑んだ。
いつも彼女はそう言ってくれる。
『あたしがいますよ』――と。
幼いころから、彼女はずっと自分を守ってくれた。
「ありがとう、シリル」
ディータが微笑む。
「君がいるから、私はなんとか女王としてやっていけている」
「そんなことないですよ。陛下は人望も厚いですし、あたしと違って頭もいいじゃないですか」
シリルが笑う。
「あたしなんて考えなしで、良く失敗しますからね」
「はは、君が本当に考えなしなら近衛騎士の隊長職など任せはしないさ」
ディータが悪戯っぽく笑う。
他の誰にも見せない、年頃の少女としての笑顔――。
それをシリルにだけは見せることができた。
彼女と話すときだけは、君主と臣下ではなく友人同士のような気持ちでいられた。
二人は庭園からバルコニーに移動した。
「美しい国だ。そう思わないか、シリル」
ディータがシリルに言った。
二人の眼下には王都が広がっている。
碁盤目状に整理された街並みは整然としている。
この幾何学的な美しさが、ディータは好きだった。
「日が沈む直前の、オレンジ色に染まった街並みが――私は特に好きだな」
「陛下は黄昏の景色がお好きですよね」
シリルが微笑む。
「この風景はすぐに夜の闇に包まれてしまう。美しさを堪能できるのはわずかな時間だ。その儚さに惹かれるのかもしれないな」
ディータは述懐する。
「私も、君も……いや誰もが今のままでとどまることなどできはしない。だからこそ刹那の風景に心惹かれるのだろう」
「陛下って意外と詩的な心をお持ちですよね」
シリルがクスリと笑った。
「『意外と』とはなんだ」
「あたしは即物的な人間ですから……陛下のような感性は素敵だと思います」
「……即物的な人間の方が君主には向いてる気がするよ」
ディータはため息をついた。
「私に女王の座は……不釣り合いだ」
「陛下……?」
「クリシェの国力をもっと上げたい。そう思って、先代から女王の座を継いで、すでに三年……だが現実はままならないよ」
「陛下は立派に国を治めておられますよ」
シリルが真剣な表情になって告げた。
「……いや、弱気な言葉を吐いてしまったな。忘れてくれ」
うつむいていたディータは苦笑交じりに顔を上げる。
――視界に飛び込んできたのは、一面の漆黒だった。
「……えっ」
呆然として思考が一瞬停止した。
なんだ?
なんなのだ、これは?
『漆黒』としか表現しようがない、何物か。
黒い霧やモヤのようにも見えるそれは、突然現れ、爆発的な勢いで広がっていった。
「――陛下!」
シリルがディータの手を引く。
がおんっ!
一瞬前まで彼女たちがいたバルコニーの手すりと床が、まるでバターの切り口のように滑らかにえぐれ、切り裂かれた。
「っ……!」
ディータはゾッとなった。
あの黒い何かに触れたものは、消滅するのか、えぐり取られるのか――とにかく近づいてはならない。
「逃げるぞ!」
「はい!」
ディータとシリルは即座に駆けだした。
厩舎に向かい、馬を選んで駆けだす。
向かう先は魔法師団の詰め所だ。
おそらく剣で太刀打ちできるような存在ではないだろう。
可能性があるとすれば魔術師や僧侶の魔法のみ――。
そう判断し、必死で駆け続けた。
黒いモヤが、王都を飲みこんでいく。
ディータが愛した整然とした街並みは、モヤに触れた端から消滅した。
まるでこの世界自体から削り取られたように――。
建物も地面も、モヤが通った後はすべてが消え去っていく。
後に残るのはなだらかな断面を見せ、えぐられた地面だけ。
その『消滅』はみるみるうちに広がっていった。
人々の悲鳴が遠くから聞こえてくる。
「くっ……」
途中、ディータは何度も振り返った。
「た、助けて……」
「ひ、ひいい……何これ……ぇ」
「いや、死にたくないぃぃぃ……」
すべての悲鳴が途中で消えていくのは、そこでモヤに飲みこまれて消滅したからなのだろう。
民を、助けたい。
けれどディータにはどうしようもなかった。
自分だけが逃げていていいのか、という罪悪感はあるが、かといって立ち止まったところで、ただ無駄死にするだけだ。
「見つけるんだ――奴に対抗する方法を……」
唇を噛みしめ、必死で罪悪感に耐えて。
ディータはシリルとともに馬を走らせる。
幸い黒いモヤの進行速度は遅く、二人はモヤを振り切って、魔法師団の詰め所にたどり着くことができた。
「あ……」
そこでディータとシリルは立ち尽くした。
詰め所は――消滅していた。
「へ、陛下……!」
「お逃げ下さい……!」
魔術師たちがそう言い残して黒いモヤに飲みこまれていく。
「一つじゃなかった……のか」
ディータがうめく。
そう、黒いモヤは逆方向からも進行していたのだ。
すでに詰め所の大半が呑みこまれたらしく、生き残った魔術師は数名のようだった。
「奴には一切の魔法が通じません!」
「足止めも無理です! お逃げ下さい!」
魔術師たちが叫ぶ。
「ならば、君たちも逃げろ!」
ディータが叫び返した。
「我らはここで対処方法を探ります! 陛下は生きて、民を導くのが役目でしょう!」
「近衛騎士隊長! 陛下をお願いします!」
そして――。
「あ……ああ……」
小高い丘の上で、ディータはその場に崩れ落ちた。
眼下に広がる王都はすでに残っていなかった。
王都があった位置は綺麗なお椀状にえぐれていた。
何もかもが、消えてしまった。
「……許せない……すべてを侵食しきったお前を……私は……」
体中が怒りに震える。
「絶対に許さん!」
ディータが叫ぶ。
生まれて初めてだった。
何かに対して、これほどの怒りと憎悪を抱いたのは。
優しく穏やかな彼女は、もういない。
自分の心が砕け、新たな自分に変わるような感覚。
そう、これからの彼女は――戦士だ。
戦い、敵を滅ぼすもの。
敵を破壊するもの。
敵意を持って。
戦意を持って。
害意を持って。
殺意を持って。
「私はお前を――破壊する!」
がおんっ!
その瞬間、王都を覆う黒いモヤの一部が弾け散った。
「えっ……?」
体中から力が湧き上がるような感覚があった。
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