10 ヴィクターと『翠風の爪』3
「なぜだ……なぜ、そこまでこの剣にこだわる」
異様な存在感があるとはいえ、あくまでも無銘の剣だ。
銘がない以上、本当に『翠風の爪』かどうかすら分からない。
トップギルドのエース格がこだわるほどの名剣なのだろうか?
「成り上がるためだ」
デオルスが言った。
「知ってるか? 俺のギルド『覇王竜の翼』では、少し前から他のギルドの冒険者を引き抜こうと熱心なんだ。ビッグ5の『堕天煉獄』や『王獣の牙』なんかにもギルドマスターが直々に声をかけてるってよ」
言いながら、彼の表情が憎々しげに歪んだ。
「舐めてるよな。エースの俺がいるってのに……上層部は『星帝の盾』を超える大陸最強のギルドに成り上がるんだ、って躍起なんだよ。そのためには俺じゃ力不足だと言いたいわけだ」
ぎりぎりと歯を食いしばる音がここまで聞こえてくる。
「で、他の冒険者を入れて、そいつを新しいエースに据えようとしている……こんな屈辱、許せるかよ!」
「だから、さらなる力を欲している、と?」
「そうだ! 俺に必要なのは強力な武器や防具だ。こんな強化付与された程度の剣じゃなく、もっと強い剣だ! そいつで俺はさらに強くなる!」
デオルスは血走った目で叫んだ。
何かに取りつかれているような目だった。
いや、実際に取りつかれているのだろう。
『強さ』や『栄光』といった妄執に……。
「だからといって、仲間を手にかけてまで――」
「お前みたいな雑魚に分かってたまるか!」
デオルスが叫んだ。
「俺たちS級は最強のランクだが、そこがゴールじゃねぇ。S級の中で、さらに誰が一番なのかを競ってるのさ。誇りをかけて、な。雑魚とは住む世界も、懸けているものも、魂そのものも――全部違うんだよ!」
ヴィクターには理解できない話だった。
S級になっただけで十分ではないか、と思う。
ヴィクターから見れば、それだけで雲の上の存在だ。
なぜそこで満足できないのだろう、と不思議だった。
「やっぱり理解できないって顔だな。ははっ、しょせん雑魚は雑魚か」
デオルスが嘲笑する。
「ナンバーワンを目指す気概がない。誇りもない。『俺は二番手以下で満足だ』って人生を諦めている雑魚の思想さ」
言って、デオルスが近づいてきた。
「話は終わりだ。お前を殺して剣をもらう。ギルドには……【トライデントドラゴン】に俺以外は全員殺された、って報告するとしよう」
互いの実力差を考えれば、ヴィクターに勝ち目はないだろう。
「私は」
ヴィクターは『翠風の爪』を構えた。
「まだ死にたくない」
それは人間として当然の感情だろう。
誰だって、死にたくはない。
だが――それを淡々と言ってのける程度に、ヴィクターはどこか気持ちが醒めている自分に気づいていた。
命への執着が薄い自分に――気づいていた。
「命乞いは聞かねぇぜ」
「ならば、戦って生き残るしかないな」
ヴィクターはまっすぐデオルスを見据える。
勝てるだろうか……?
自問し、すぐに答えを得た。
「無理そうだ」
悟った瞬間、先ほどまでの『生きよう』という気持ちさえ消え、諦めの感情が胸の中に広がっていく。
不思議と恐怖は感じなかった。
ああ、ここで私は死ぬのだ――と、どこか他人事のように感じていた。
自然に、流れるままに生きた自分は、ここで自然に殺される。
すべては流れのままに。
淡々と、現実を受け入れてしまっていた。
……それでいいのか?
声が聞こえた気がした。
「なんだ……?」
周囲を見回すが、声の主は見当たらない。
「何をよそ見してやがる! 【フィジカルブースト】!」
と、デオルスが襲い掛かってきた。
身体強化系のスキルを使ったのか、そのスピードは異常なまでに速い。
突進で間合いを詰めたデオルスが強烈な斬撃を放つ。
「くっ……」
C級冒険者のヴィクターがそれを避けられたのは、半ば幸運、半ばデオルスがヴィクターを甘く見ていたからだろう。
「おおおっ……」
ヴィクターはカウンター気味にまっすぐ剣を突き出した。
「――遅い」
ざんっ……!
ヴィクターの突きはあっさり避けられ、カウンターで放たれたデオルスの剣に胸元を切り裂かれた。
「ぐっ……」
「はははははは! 伝説級の剣を持ったところで、しょせんはC級だな! 動きが遅い遅い遅い! 止まって見えるぜ!」
デオルスが哄笑する。
「悲しいなぁ……才能の差ってやつだ」
「まだ……だっ!」
ヴィクターはなおも斬撃を繰り出す。
二撃、三撃――いずれも避けられ、
「だから遅いって。この俺はS級冒険者『紫電の刃』デオルスだぞ? 速さで俺に敵う奴はいねぇ」
デオルスが斬撃を放った。
その二つ名の通り、稲妻のように鋭い一撃。
「あ……ぐっ……」
今度は肩口を切り裂かれる。
がらんっ……。
痛みで剣を取り落としてしまった。
「さあ、終幕だ。お前みたいな凡庸な雑魚冒険者に、その剣はそぐわねぇ。特別な剣は特別な人間が持つべきなんだよ。俺のようなS級冒険者が、な」
デオルスがすぐに次の攻撃を放つ構えを取った。
「【唐竹割り】!」
さすがにS級の実力者だけあり、デオルスは多彩な剣術スキルを身に着けているようだ。
上段から稲妻の鋭さで振り下ろされる剣――。
(駄目だ、避けられない)
ヴィクターは悟った。
あと一秒か、二秒後、自分は真っ二つにされて、絶命するだろうと。
……それでいいのか?
また声が聞こえた気がした。
このまま死ねば、何もなせず、何も遂げず、ただ無為に殺されるだけ。
(私は、別に何かを成し遂げたくて生きてきたわけじゃない)
もちろん死にたいわけではない。
だが、この状況はもう『詰み』である。
仕方がないじゃないか、と思った。
しょせん私は凡庸な人間だ。
S級冒険者が本気で殺しにかかって来ているのだから、抵抗などできるはずがない。
殺される。
無駄な抵抗はやめよう。
もう、諦めよう。
すべてを――。
「……嫌、だ……!」
自分でもほとんど無意識に、喉の奥から振り絞るような声が漏れた。
普段の飄々とした声音とはまるで違う。
軋むような、生々しさを伴った声。
本心の、声――!
「そうだ、私は……」
ヴィクターは目を見開いた。
心が解き放たれた気がした。
いつも――いつでも自分を押し殺してきた。
上手くいかないことはすべて『仕方がない』で通してきた。
それが自然体なのだと思っていた。
だが、違った。
自分はいつも諦めていただけだった。
「私はあなたのような特別な人間ではない。どこまでも凡庸な人間だ。だが、それでいいんだ」
ヴィクターは地面に落ちている剣に手を伸ばした。
「私は私だ。凡庸なヴィクター・ゼオラとして生を謳歌したい。これ以上、私は……私の人生を諦めない!」
……ならば、力を貸そう。
ボウッ……!
『翠風の爪』を手にした瞬間、剣全体が緑色の輝きを放った。
周囲に、風が渦巻く。
「なんだ――?」
その風がヴィクターの四肢にまとわりついた。
さながら風の手甲と足甲を装備したかのようだ。
「体が、軽い……っ!」
ヴィクターは驚く。
軽く地面を蹴ると、一瞬でデオルスの背後に移動できた。
「っ!? な、なんだと!?」
驚愕の表情で振り返るデオルス。
「馬鹿な! この俺の背後を取るとは――」
「信じられないスピードだ」
ヴィクターは淡々とつぶやいた。
「まさか、この剣の力なのか……?」
「てめぇ!」
デオルスがヴィクターに剣を繰り出す。
しゅんっ……。
が、その瞬間にヴィクターは超速で後退し、あっさりとデオルスの斬撃を避けた。
「は、速い……速すぎる! この『紫電の刃』デオルス様に速さ比べで――」
「風をまとい、風のごとき速度を身に付ける……これが『翠風の爪』の力――」
剣が、ヴィクターに語り掛けてくる。
この剣の真の力を。
使い方を。
戦い方を。
「たとえ相手がS級でも、この剣の力を借りれば――負けはしない」
それが一瞬で確信できた。
ぐんっ!
風をまとった疾走は、先ほどよりもさらに速い。
「なっ!? 反応できな――」
デオルスが驚愕の声を上げた。
おそらく彼の目には、ほとんど残像しか見えていないだろう。
ヴィクターの急激なスピードアップによって。
「たかがC級が……くそっ、剣頼みの戦い方で……ぐっ!?」
振るった剣がデオルスの腕を浅く切り裂いた。
「剣と共に戦う。それは私が弱いからだ」
「雑魚がぁぁぁぁぁっ!」
ざんっ!
ヴィクターの剣が超速でひるがえり、デオルスの両脚を切り裂いた。
「ぐあっ……」
たまらず倒れるデオルス。
致命傷には遠いが、しばらくは動けないだろう。
「私はこの弱さと共に生きる。他を頼って生きる。個ではなく、共に戦うことを――私は恥じない」
ヴィクターは淡々と告げ、剣を引いた。
デオルスの目から、既に戦意が失われていることを悟ったから。
殺すことが、目的ではない。
この場を制圧し、ヴィクター自身の安全を確保することこそが目的だ。
それからヴィクターは他のメンバーの手当てをした。
幸い、致命傷を受けた者はおらず、デオルスのパーティメンバーに治癒魔法をかけてもらい、全員回復することができた。
その後、デオルスを捕縛してギルドに突き出した。
後のことは彼らのギルドに任せればいい。
手に入れた『翠風の爪』については依頼主に引き渡し、これで依頼は完了した。
ヴィクターの仲間の冒険者たちは、命こそとりとめたものの、当分は療養が必要ということで、彼は当面ソロ冒険者になった。
そして、また気ままな冒険者生活が続いていく――。
――と思っていた矢先のことだった。
「これは……?」
一か月後、ヴィクターが町の武器屋に寄ったところ、見覚えのある剣が陳列されていることに気づいた。
「『翠風の爪』……?」
確かに依頼主に引き渡したはずだが。
「ああ、それね。どうも持ち主がすぐに売り払ったみたいで、うちに流れてきたのよ」
武器屋の店主が言った。
「聞きかじりの事情だけど、持ち主は冒険者に依頼してダンジョンから伝説級の剣を手に入れたんだと。けれど求めていた剣と違っていたらしくて。なんか伝説の竜を封印した剣が欲しかったのに、情報と違う……とかなんとか」
「伝説の……」
「で、怒った持ち主は二束三文で売ったんだと。要するに伝説級の剣の贋作だな。まあ、そういういわくつきの剣だから、うちもそんなに高い値は付けてないよ」
「なるほど……これなら私でもなんとか買えるな」
言いながら、ヴィクターはこの剣を欲している自分に気づいていた。
なんとなく――この剣があるべき場所は、自分の元のような気がしたのだ。
一度は依頼主に渡した剣が、こうしてすぐに流れ、自分の前に現れたのは――大げさに言えば『運命』のような気がした。
運命論者でもなんでもない彼にしては珍しく、直感的に感じたのだ。
だから、
「店主、この剣をいただきたい」
ヴィクターは自然とそう切り出していた――。
――そして今も、この剣はヴィクターのもとにある。
思い出すと、あらためて感慨を覚えた。
結局は、なるべくしてそうなったのだろう。
「ん? どうしたの、ヴィクターさん?」
「この剣を手に入れたときのことや、それからのことを思い出していた」
「伝説級の剣だよね、それって」
「ああ。ただ、銘が刻まれていないから、これが伝説級の剣かどうかは確定できなかった。
デオルスとの戦いで圧倒的な力を発揮した剣とはいえ、自分がそんなすごい剣を持っていること自体に現実感が湧かなかった。
「とにかく切れ味が鋭くて、普段は荷造りや料理包丁代わりに使っていたのだが……」
そうやって日用品として使うようになってからは、この剣のすごさを徐々に忘れていった。
あの遺跡での戦いも夢だったのではないかと思うほどに――。
だからこそレインと出会い、この剣と『燐光竜帝剣』の共鳴現象によって、やはりこの剣が伝説級の剣『翠風の爪』なのだと確証を持てたときは驚いたものだ。
同時に納得もできた。
やはり、この剣にはそれだけの力があるのだ――と。
「伝説級の剣を使って、そんなことしてたの……?」
ローザが苦笑した。
「まあ、今はもうそういう使い方はしていない……ほとんど」
「たまにしてるってことじゃない」
ヴヴヴヴ……。
と、会話を遮るように剣が震動した。
「やはり『翠風の爪』が呼んでいるようだ……この先にレインがいるかもしれない」
「私の【探知】では感じられないけど……でも、行ってみる?」
「そうだな……あなたのスキルを信用しないわけではないが、ここは未知の場所だ。【探知】が通じない仕掛けがあるかもしれない」
ヴィクターはローザに言った。
「この剣の反応を頼りに行くのもいいかもしれない。さあ、先へ進もう。レインたちと合流したい。この剣の導く方向に――」
『翠風の爪』から光がまっすぐ伸びた。
「行くぞ」
「だから、なんでいきなり反対方向に歩き出すのよ、ヴィクターさん!?」
明日の夜0時(正確には明後日ですが)にマガポケで、明後日の昼12時には月マガ基地、コミックDAYS等でそれぞれチー付与コミカライズの更新がありますので、よろしくお願いします~!