1 【侵食】
魔王の、腰から下だけがその場にたたずんでいた。
上半身は消失している。
血の一滴も出ず、まるで絵画の一部を削り取ったかのように、上半身だけが綺麗に消えてしまっているのだ。
「なんだ、こいつは――?」
先ほど魔王の上半身を飲みこんだ存在は、俺たちから数十メートルくらい上空に漂っていた。
姿は不定形で、黒いモヤのようにも見える。
と、そのモヤが急降下してきた。
「っ……!」
俺は反射的に燐光竜帝剣を構える。
もし俺の方に迫ってきたら、とりあえず衝撃波を放って迎撃するしかない。
俺は何重にも防護アイテムを身に着けているけど、果たしてさっきの『消失攻撃』を防げるんだろうか。
だが、そんな心配をよそに『黒い何か』は俺ではなく別の方向に向かっていく。
魔王の下半身へと――。
がおんっ!
下半身が『黒い何か』に飲みこまれ、一瞬にして消失する。
「馬鹿な……!?」
ゴルドレッドがうめいた。
「不可侵に近い魔法防御を備えている『黒の魔王』が……俺が読んだ三十七冊の関係文献によれば、当時の七大魔王の中で最強とされ、歴代魔王でも屈指の力を誇るとされているグランディリスが、たった二撃で消滅しただと……!?」
慌てているときでも豆知識を台詞に挟む余裕くらいはあるらしい。
……まあ、それはともかく。
こいつが作り出した魔王が不完全で、本物より格段に弱かった……というわけではないだろう、たぶん。
現に閃鳳王はあの光竜王と同格の強さを感じる。
ならば――魔王を屠った、この『黒い何か』の力が圧倒的だということか。
るおおおおおおおおおおんっ。
「これが――【侵食】の力か。いや、その欠片か……? ここまで圧倒的とは……」
ゴルドレッドがうめく。
「【侵食】……?」
「撃て、閃鳳王!」
俺の問いを遮るようにゴルドレッドが叫んだ。
きゅいいいいいいいいいいいいいんっ。
閃鳳王が音圧の衝撃波を放つ。
無形の一撃が『黒い何か』――ゴルドレッドは【侵食】と呼んでいた――を直撃し、
「……通じないか」
ふたたびゴルドレッドがうめく。
【侵食】は攻撃を受けて一瞬、体の一部が凹んだがすぐに元に戻っていた。
見た感じだとノーダメージだ。
「ここまでとは――」
「あれは、なんなんだ……?」
俺はゴルドレッドにたずねた。
「【侵食】と呼ばれている。種族も出自もすべてが正体不明の怪物だ」
説明するゴルドレッド。
「俺が調べた文献によれば、奴は太古の昔から存在したらしい。『天の遺産』が存在したころと同じ時期に。そして、この世界を食い尽くそうとしている」
「えっ……?」
「奴は――すべてを食らい、消滅させる最悪の怪物だ」
ゴルドレッドが苦々しい表情で告げた。
「見ての通り、閃鳳王のような伝説級のモンスターの攻撃でさえ、ものともしない」
その顔は青ざめていた。
「――もう少し準備をしてから対処したかったが、まさかこんな場所に現れるとは。このままでは俺たちも奴の餌食だろう」
「黙って飲み込まれるわけにはいかない。何か策はないのか?」
俺はゴルドレッドにたずねた。
「レイン……」
「さっきまで敵対してたし、これからも敵対するかもしれないけど――今は共闘するしかないと思う」
そう、先日異空間に閉じこめられた際、ジグたちと協力したように。
「お前の方があの【侵食】って奴のことに詳しいだろ? 戦いの参考になりそうな情報を教えてくれ、ゴルドレッド」
「共闘――か」
ゴルドレッドがうなった。
「お断りだ」
「えっ」
「現時点で奴を倒すことは難しい。だが生き残ることならできる。俺一人なら――な」
ゴルドレッドがニヤリと笑う。
「君はここで【侵食】に飲み込まれて消えるがいい」