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暗闇に灯されたいくつもの蝋燭。
黒い壁の前に整然と並び、薄明かりに照らされた大小の影。そこから時折、キュウキュウと小さく鳴く声や、グルルル、という低い唸り声が聞こえてくる。
クラリスは目の前の光景に唖然となった。
応接間では、十数匹──いや、数十匹もの魔獣が大集合し、中央のテーブルで青褪めている、ミカエルとルミナを取り囲んでいたのだ。
王宮からの来客とはこのふたりの事だったのか。
(言ってくれたら良かったのに)
膨れっ面でジェイクを睨む。だが当の本人は涼しい顔で、クラリスを抱きかかえたまま、薄暗い応接間へと足を踏み入れた。
「あっ、兄上! こ、これは一体何の真似なんだ? なんで魔獣が城の中に」
「城の中にいて何が悪い。こいつらは僕の大事なペットだぞ」
「ペットって……う、唸っているじゃないか!」
「招かれざる客が来たものだから、興奮してるんだろう。──お前こそ、こちらに連絡もなしに突然来て、一体何の用なんだ?」
ジェイクは奥のソファにクラリスを下ろして隣に座ると、ぐいっと肩を抱き寄せた。
長い足を組み、頬杖をついてミカエルをちらりと見る。
「……クラリスを返してもらいに来た」
「返す? おかしな事を言うな。もうお前とクラリスは婚約を破棄したはずだが」
「陛下とも相談して、第二妃にしてやろうって事になったんだよ! そ、それを兄上が邪魔するから、わざわざ僕が出迎えに──」
「じゃあその女は何だ」
ジェイクの鋭い声に、ミカエルの背後に立つ桃色頭がびくりと跳ねた。
「わ、わたしルミナ・セントローズです」
「僕の新しい婚約者だよ。バルドル様からの祝福を受けた剣の聖女で、聖剣の乙女だ」
「初めまして。ジェイク様」
頰を赤らめながら顔をひょこっと出し、上目遣いでジェイクを見る。
クラリスは今すぐにでもルミナの首根っこを捕まえ、窓から放り出してやりたくなった。
しかし、ルミナが一歩足を踏み出したとたん周囲で魔獣がざわめき始め、クラリスの怒りの炎は冷や汗とともに鎮火した。
ギラギラと輝く獰猛な目線。──これは、明らかな敵意だ。
(す、すごく唸ってるわ。でも……)
ルミナには動じる様子が全くない。まるで人形のような美しい笑顔に、クラリスは何か薄ら寒いものを感じた。
「初めまして……か。確かに僕は、面と向かって君と会うのは初めてだな」
「お会いできて光栄です、ジェイク様。今度の隣国との対戦では、聖剣の乙女として一生懸命頑張りますから……よ、よろしくお願いします」
「聞いただろ、兄上。ルミナは国のために聖女として尽力すると誓ってくれたんだ。それなのにクラリスは──」
「何匹だ?」
「……え?」
ジェイクの唐突な質問に、ミカエルが眉根を寄せる。だが、ルミナはそれにも全くの無反応。
淑女の笑みのまま、まっすぐにジェイクを見つめている。
「……。何のお話でしょうか? ジェイク様」
「聞こえなかったか? なら今度は単刀直入に聞こう。お前はその聖剣とやらで何匹の魔獣を殺した?」
「な、何を言うんだ兄上! ルミナがそんな事をするはずがない。一体何の証拠があって」
「証人はここにいる魔獣たちだ。彼らはこの女の体に染み付いた、仲間の血の匂いに反応し、激昂している」
「それの何がいけないの?」
クラリスは耳を疑った。そして、それはミカエルも同様だったのだろう。ポカンと口を開け、隣で愛らしく微笑む、婚約者を見つめている。
「聖剣の試し斬りよ。だって、わたしは今度の対戦で絶対にサーヴェに勝ちたいんだもの。愛するミカエル様のために」
「ル……ルミナ? 一体何を」
「聞いた通りだ。この女は、聖剣の乙女に覚醒した翌日からほぼ毎晩、僕の管理下にあるモノリス森林地帯で魔獣狩りをしていた。それも、まだ魔力の弱い子どもの魔獣ばかりを狙ってな」
「……子どもを⁉︎」
「だから身代わりが必要なのよ。だってもし、親の爪や牙で切り裂かれたら、死んじゃうかもしれないじゃない」
──狂っている。ケロリと言うルミナに、クラリスはゾッとした。
だが、それと同時に違和感も感じる。
矛盾してるようだが、クラリスはルミナを避け続けるため、彼女の行動を逐一観察していた。
(ルミナは、害虫を殺す事すら嫌がっていた。真の聖女に目覚めたからって、性格まで急に変わったりはしないはず)
何かがおかしい。こんな疑問を、以前にも感じた事があった。
二年前──サーヴェとの対戦中、物資テントでイファルナ侯爵に襲われた時に。
(でも、このふたりに共通点なんかないし……勘繰り過ぎかしら)
気のせいか。と、思考停止した頭に──突然、何かがサクッと突き刺さった。
「痛っ!!」
「! どうした? クラリス」
「だ、大丈夫です。ちょっと頭痛がしただけで」
「ここで休んでいるといい。あいつらとは僕がひとりで話をつけてくる」
心配げに顔を覗き込む、ジェイクにそう言われたとたん、頭にドン、と衝撃が走った。
今度はあんまり痛くない。が、少し重いし生暖かい。
まさか魔獣? 一瞬青褪めたが、ジェイクは何も言わずに立ち上がり、ミカエルたちのテーブルへと歩いて行く。
(気のせいか。やっぱり、相当疲れてるんだわ)
やれやれ、と痛む頭に手を伸ばす。──と、やけに髪の感触がふわふわしている。それに、なんだかとっても柔らかい……。
《きゃはははは! や、やめて。くすぐったい!》
「……ひよこ?」
捕まえた小さな黄色い毛玉を見て、クラリスがぼそりと呟く。
すると手のひらの上で身悶えていた毛玉が、突然ぴょん、と飛び跳ねた。
《ひよこちゃうわ! このアタシこそが、バルドル神様の唯一の聖霊、ルッカ様なのよ。ジェイクとアンタの魂の系譜を繋いだのも、このア・タ・シなんだから。ちゃんと敬いなさいよね!》
胸を張って言われても、くちばしも羽根もあるし、ひよこっぽさは変わらない。
違うところと言えば、毛がもっさり付いた足と、どうやらクラリスにしか見えてないらしい──と、いう事くらいだ。
(いやこれ、結構重要か。そ、それじゃあ本当にこのひよ──いや、聖霊はバルドル様の)
《その通り! あ、話は思念伝達でするから、声は出しちゃダメよ。頭がおかしい女に思われちゃうから》
はい、と言いかけた口をあわあわと押さえる。
それを見たルッカが頭を横に振り、ため息をついた。
《しっかりしなさい。あんた、精神年齢は結構ババアなはずでしょう?》
(えっ?)
ギクリとして息を呑む。──そんな事まで分かるのか。
《魂が十七歳にしちゃ古いもの。人生経験豊富なんだから、もっと早く気付きなさいよね》
(ふっ、古いだなんて失礼でしょう! そ、それに……気付けって何を)
《さっき自分で言ってたでしょ。あの桃色頭の態度、普通じゃないわ》
ハッとして顔を上げると、ジェイクが剣を手にしている。
ルミナを見下ろす金と銀の瞳が、怒りに燃えていた。
《第二王子と真の聖女を、ペットの魔獣の敵討ちで斬りつけ──万一、死なせたりすれば、王太子だろうとさすがにただでは済まないでしょうね》
(! 大変だわ、止めなくちゃ)
放っておけば、待っているのは最悪な未来だ。
クラリスはソファから立ち上がると、飛び立ったルッカとともに駆け出した。




