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「ま……毎日イチャイチャって」
クラリスにとっては地獄だ。
だが逃げ出したくとも、両手をがっちり繋がれてる上、毒で痺れて動けない。
「僕はあまりに幼稚だった。キスの先があるとは知らなくて」
「キ、キスの先? 一緒にお風呂に入るとか?」
「違うよ。けど、それも悪くないな」
ジェイクがマントを脱ぎ捨てると、ピンクの可愛らしいセーターが、魔法でガウンに早変わり。
クラリスはごくりと喉を鳴らした。──寝た子を起こしてしまったのかもしれない。
「二階の窓から家出したり、お父上の傷を癒やしたり。君もさぞかし疲れただろう」
「い、いえ。……それほどでも」
「遠慮しなくていい。妻の介抱は夫としての重要な任務だからね」
金と銀の瞳を細め、ジェイクが甘く微笑む。
長い指先で、器用にワンピースのボタンを外し始め──クラリスは慌てた。
「まっ、待ってください! わ、わたくし、まだ傷が。毒が」
「脇腹の傷ならもう消えているが」
「毒がものすごく強力なんです! い、今バスタブに浸かったりしたら、血行が良くなり過ぎて──下手をするとわたくし、死んでしまいますわ!」
下手な言い訳だ。だが、そっち方向に目覚めたばかりのジェイクには、何とか通用したらしい。
「クラリスが死ぬ? そ、それは困るな。……分かった。お風呂でのイチャイチャは時期を改めてからにしよう。チケットの有効期限もまだ先だし」
「……チケット?」
訝しむクラリスの目の前でポンと煙が弾け、ハガキサイズの絵が現れる。大きなお城のある夢の国で、カラフルな七人の小人が微笑んでいた。
これで丸い耳のキャラがいたら、紛れもなく前世で見たあのランドである。
「海都メリーランドにある遊戯施設、『小人の国』のチケットだ。絵本の卒業記念も兼ねて、ここへ新婚旅行に行こう。もちろん泊まりがけで」
「し、新婚旅行って。まだ結婚もしてませんのに」
「メリーランドには由緒正しい教会がある。結婚式もついでに済ませてこればいい」
「結婚はついでにするものじゃありませんわ! だ、だいたい、わたくしの返事も聞かずに勝手な事ばかり言って──」
「なら、今すぐ返事をしてくれ」
ふっと真顔になったジェイクが、クラリスの手首を掴み、寝台に押さえつける。
「さあどうする? 僕と結婚して小人の国で楽しく遊ぶか、ミカエルと結婚して正妃の身代わり人形にされるか……君の選択肢は二つに一つだ」
「! どうしてその事を」
「部隊には優秀な情報機関員がいるからね。この国で起きてる事はだいたい全て把握している。総督である僕に死角はない」
偏執狂が持っちゃいけない権力だ。
だが、この権力があれば父も家族も必ず守ってもらえるだろう。
それに──この求婚を断って出て行けば、待っているのは悪夢の初夜。
泥棒猫に利用されるのも腹が立つ。
「分かりました。しましょう、結婚! 今すぐにでも」
「! ほっ、本当に?」
「神に誓って、本当の本当です!」
未確定な一カ月後の危機なんかより、目の前の危機を回避するほうが重要だ。きりっとした顔で宣誓すると──破顔したジェイクに力いっぱい抱き締められた。
「ああ、夢じゃないだろうか……! とても嬉しいよ、クラリス」
額やら頰やら唇やらにさんざんキスを落とされ、もみくちゃにされる。
──やっぱり少し早まったかもしれない。クラリスは、誓って数秒で後悔した。
「じゃあ、君の気が変わらないうちに早速婚約の儀式をしよう」
「……儀式?」
ぜえはあと肩で息をしながら起き上がり、向かいのジェイクを見ると、見覚えのあるネックレスを手にしていた。
「この赤い石は、神の国にのみ存在する『トネリカ』という花の種を封じた宝玉なんだ。ディアルクト王国の国宝だよ」
「とても美しい石だわ。このネックレス……王妃殿下がよく身に付けてらっしゃったものですわね」
七年前に亡くなるまで、王城でのパーティーや式典の折にはいつも、ジェイクとよく似た笑顔の首元に、このネックレスが輝いていた。
綺麗に磨きぬかれた赤い石は、形見として大切にされてる証拠だ。
つい涙ぐむクラリスの左手を取り、ジェイクが赤い石をのせる。そこに自分の手のひらを重ね、指をしっかりと絡めた。
「僕にとっては、君のその涙のほうが美しい」
「そ、そんな、国宝に対して失礼で──」
クラリスの言葉は、ふたりを包む眩しい光に遮られた。声を上げる間もなく、重ねた手から芽がぴょこっと顔を出し、蔓になって薬指にくるりと巻き付く。
それが一瞬のうちに、金色の指輪にかわった。
「これで僕と君とは一心同体。身も心も、光の神の系譜によって繋がれた」
「い、一心同体……」
束縛が上乗せされた。恨めしい思いで煌めく指輪を突っつくも、まるで体の一部にでもなったかのようにびくともしない。
《痛ったいわね!》
時折、幻聴まで聴こえた。疲れてるんだな、とついガッカリ項垂れる。
その肩を、ジェイクに優しく抱き寄せられた。
「婚約祝いの準備をしよう。そろそろ、あいつもここに来るはずだし」
「……あいつ?」
眉根を寄せ、横を向いたジェイクの視線の先を見る。と──漆黒のドアが二回、叩扉された。
「フェンです。お休みのところ申し訳ありません、ジェイク様。実はお客様がいらっしゃって」
「来たか。……応接間で待たせておけ。護衛の連中も一緒にな」
「畏まりました」
ドア越しに簡単なやり取りをしながらガウンを脱ぐと、ジェイクは黒の軍服姿に変わっていた。いつ見ても彼の魔法は目にもとまらぬ早業、いや神業だ。
きちんと髪を撫で付け、ピンと背筋を伸ばして立つ。久しぶりに見る、王太子殿下らしく凛々しいジェイクの姿に、クラリスはつい魅入った。
「そんなに見つめられると照れるな」
「もっ、申し訳ありません。ジロジロと見てしまって……。お客様って、王宮の方ですか?」
「うん。君にも是非同席してほしいんだけど、毒のほうはまだ残ってるかい?」
「毒……は、もうだいたい消えてきましたけれど……」
(ま、まさか。妻だとか言って、紹介するつもりなんじゃ)
「ドレスもありませんし、わたくしは遠慮しておきます」
「それなら大丈夫。そこのクロゼットにちゃんと用意してあるから。靴とアクセサリー類も」
「………」
あっさり退路を断たれ、ため息交じりに浴室へ向かう。
仕方ない。事実を誇張して吹聴されても困るのだし、見張るつもりで付いて行こう。そう決めて、鏡に映る血まみれの自分を見た時──何か違和感があった。
(目が……金色に光ってる?)
父が水晶のようだと褒めてくれた、深い紫色の大きな瞳。
それがまるで、砂金でも混じったかのように、キラキラと輝いている。
思わず両手で顔を覆い、少しずつ開いた指の間から、もう一度改めて鏡を見る。──と、瞳はいつも通りに戻っていた。
(良かった。きっと見間違いだったのね)
ホッとしながら、脱いだ服を籠に放り込む。
「クラリス、大丈夫かい?」
「はっ、はい。もう少々お待ち下さい!」
ジェイクの呼びかけに慌てて返事をすると、クラリスはシャワーのコックをひねった。
「「とってもお綺麗です。お嬢様」」
「あ、あり、ありがとう……」
手を胸の前で組み、ニタリと笑う双子の侍女。
少々不気味ではあるものの、髪結いの手捌きは見事なものだった。クラリスの艶やかな黒髪が、後れ毛一つない夜会巻に仕上げられている。
「君の見立ては正しかったね。その黒と銀のドレス、よく似合ってる」
「ありがとうございます。このドレス、とても素敵なんですもの。宝石が散りばめられたレースの部分が、まるで満天の星空のよう」
「気に入ってくれて嬉しいよ。あと、靴はこの中から一足選んで」
「ええ。じゃあ、これを」
並んでいる五足の靴の中から、シンプルな銀色のハイヒールを勘で選ぶ。どれも素敵なので、さっさと選ばないと迷ってしまう。
身支度を終えると、クラリスはジェイクのエスコートで一階にある応接間に向かった。ヒールが少し高めなので、ツルツルした黒い大理石の階段を、おっかなびっくり降りていく。
ジェイクの腕にしがみつきながら何とか一階まで辿り着き、廊下を歩き始め──ぴたりと足を止める。
ドアの両脇に立つ白い鎧の騎士が、クラリスを凝視していたのだ。
「聖騎士……! どうしてここに」
「中にいる客の護衛だよ。大丈夫。僕がいる限り、君には手を出させない」
兜越しの鋭い視線に、広場での一件を思い出す。
つい肩を小さく窄めると、ジェイクにひょいと抱き上げられた。目を丸くするクラリスの額にキスをし、悪戯っぽく微笑む。
「さあ、新郎新婦の入場だ」
「え? ……きゃあっ!」
制止する聖騎士を魔法で弾くと、ジェイクは漆黒のドアを勢いよく蹴り飛ばした。