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「登城ですって? ……どうして今さら」
「喜ぶがいい。ミカエル様がお前を第二妃として迎えたいそうだ」
第二妃、と繰り返した口がポカンと開けっ放しになる。
「もちろん国外追放も取り消された。ニセ聖女には身に余る光栄だろう?」
にやにやとグリームが笑う。
なんとも薄気味悪い、厭らしい顔だ。確実に何か裏がある。
でなければ、父がここまでして庇う理由がない。
それに、グリームのやり方が手荒過ぎる。
こんな日中の、しかも国境の広場という人通りの多い場所で槍を振り回す。聖なる神を信仰する宗教国家──戦争中、或いは大司教の許可なく人を殺める事は大罪とされる──ディアルクト王国の聖騎士として、あるまじき行為だ。
(王族であるミカエル様が、そんな命令を下すなどあり得ない。彼でなく、あの女が絡んでいると考えるのが妥当だわ)
初めて心から愛した女──ルミナからの頼みとあらば、きっとグリームは命すら投げ出すだろう。
陰で糸を引くのがルミナなら、クラリスを欲しがる理由も容易に思いあたる。近々起こるだろうと噂されている、隣国サーヴェとの再戦だ。
(少しカマをかけてみるか)
「でも……わたくしがミカエル様に会ってもよろしいの? ルミナ様がお怒りになるのではなくて?」
「ルミナはそんな狭量な女ではない。国外追放されたお前を憐れに思い、『第二妃として迎え入れ、今まで通り聖女として働かせてあげてほしい』と、国王陛下に頼み込んでくださったんだ」
「まあ、随分と上から目線──いえ、慈悲深い方なんですのね。ルミナ様は」
「そうだとも。お前がニセ聖女と罵られたままでは可哀想だと、ミカエル様にも涙ながらに訴えていた」
さすがは脳筋。考えるより先に、口がペラペラと動く。
理由はともかくとして、憎むべき敵が誰かは分かった。
(泥棒猫の分際で、わたくしの事を可哀想だと憐れんでたなんて。冗談じゃありませんわ……!)
今すぐぶん殴りたい。クラリスが拳を固めた瞬間、グリームに顎をぐっと掴まれた。
「もう話は分かっただろう。父親の治癒をさっさと済ませろ」
紫色の目が見開き、全身ぶわりと総毛立つ。
「わっ、分かりました! ですから早くわたくしを解放してください!」
「いいだろう。──おい、離してやれ」
「「御意!」」
自由になると、クラリスはホッと胸を撫で下ろした。よろめきながら跪き、気絶している父の手を取る。
中性的とも言える王子様方とは違い、こうもガッツリ男臭まみれだと、自分の中の男嫌いを欺きようがない。
聖騎士に掴まれていた腕もかゆいし。この状況はもはや限界だった。
(さっきの話を聞く限りでは登城しても特に危険はなさそうだし。……多少、釈然とはしないけど)
詳細を聞き出すのは、とりあえず父を癒し、身代わりになった傷が癒えてからにしよう。
脇腹と足。その二ヶ所の傷が見た目以上に深かった。丸めた布で、脇腹の傷を押さえつつ、父の意識が戻るのを待つ。
出血のせいか、下を向くと軽いめまいがした。
思わず、冷たい石畳に手をつく。
「どうした? 癒しの聖女」
「……いえ、別に」
『何でもない』と言いかけた、口が痺れて動かない。
風に流れた黒髪が触れた頰も、グリームに掴まれた手首も。頭のてっぺんから足のつま先まで、徐々に感覚がなくなっていった。
僅かに動く瞳で、まるで人形のようになった体を見下ろす。
いつの間にか光る縄──聖騎士の拘束魔法で、全身ぐるぐる巻にされていた。だがその感覚すらも、今のクラリスには無い。
(槍の刃に……毒が塗ってあったのか)
朦朧とする意識の中、自分の呟きと父の叫ぶ声だけが耳に響いた。
「クラリスに……娘に、手を出すな!」
「ほう。半信半疑だったが、本当に傷も毒もすべて消え失せたようだな。これなら、ルミナの身代わりとして十分使える」
「……み……がわり?」
辛うじて絞り出した声に、グリームが口端を上げる。
「第二妃として登城する花嫁を、ミカエル様が寝所で首を長くしてお待ちかねだ」
「しん……」
花婿のミカエルが、花嫁のクラリスを寝所で待ち受けている。いくら男嫌いでも、それが何を意味するのかくらいは分かった。
悪夢でしかない連想がクラリスの脳裏をよぎった瞬間──視界が、急に変わった。
どうやら魔法で体が宙に浮いたらしい。クラリスはサッと青褪めた。
「い……いやっ」
「傷でも痛むか? ……だが心配するな。お前の夫となるミカエル様が、寝台の上で優しく介抱してくださる」
「クラリスの夫は僕だ」
甘い声が、痺れた耳を震わせる。驚いて、声のしたほうに視線を動かし──さらに驚く。
漆黒のマントを翻して宙に浮く、艶やかな黒髪の聖騎士。その片手に高々と掲げられていたのは──木目を活かした素朴な色合いながらも、凝った彫刻がふんだんに施されている──いかにも重厚そうな、木製本棚。
しかも、カラフルな背表紙の本がぎっしりと詰め込まれているソレを、ジェイクはまるでゴミでも放るかのように、ポイっと投げた。
「うっ、うわああああっ!!?」
「「「グ、グリーム様!」」」
「人の妻に手を出すのは犯罪だ。僕の部隊が連行しに来るまで、お前達も一緒にそこで反省しておけ」
本棚の下でのびた上司に狼狽する聖騎士達を一瞥し、ジェイクは結界の魔法をかけた。
そのまま地面へ降り立つと、クラリスに麗しい笑みで振り返る。
「探したよ、僕のクラリス」
「どう……して……」
「もちろん、家出した妻を連れ戻しに。それと改めて、僕の本気の求婚を伝えたくて」
「……。その、格好で?」
おびただしい返り血を吸っている、と敵味方双方から恐れられている『黒の聖騎士』の漆黒マント。
その下に見え隠れする、可愛らしい小人の図柄入り、ふわっふわなセーターとマフラー。
「こ、これはその。捨てる前にもう一度だけ着ておこうと思ったんだ。去年購入した期間限定品で、あまり着た事がなかったし」
「く……黒の聖騎士が、ピ、ピンクのセーターとマフラーを……?」
「冬の鎧の下はいつもこの格好だよ? あたたかいし、毎日色違いで」
ショックのあまり、口の痺れが一気に消えた。
魚みたいにぱくぱくしながら、魔法が解けた自分をひょい、と横抱きしたジェイクを見る。金と銀の瞳が潤んで輝き、まるで宝石のようだ。
「僕は幼い頃から、寝る前にこの『誕生日の小人』を必ず読んでいるんだ」
「そっ、そうなんですか……ゆ、有名な絵本ですものね」
「この本は、僕の人としての大切なバイブルなんだよ。神と言ってもいい」
「………」
キラキラした目で絵本を神や聖書扱いする、十九歳の邪神。もはや、つっこみどころが分からない。
黙り込むクラリスの前に、またも空から人が降りて来た。
「お待たせしましたジェイク様。ブランフォード公爵を家までお送りして来ます」
黒の軍服に、銀のマント。両目の下にホクロのある少年は、そう言うなり父を抱え上げた。
ショックでまた気を失ったのか、父は目を閉じていた。敬愛している王太子の、普段と違う一面というか姿を見せられず、良かったような残念なような。
「ああ、その方はクラリスの父上だからな。くれぐれも丁重に頼む。ついでに報告書の作成も頼んでいいか? フェルド」
「いいですよ。──あ、クラリス様。お父上の事は我々に任せて、あとはジェイク様とお城でゆっくり過ごしてください」
「……え?」
にこやかな笑みで手を振るフェルドが、一瞬で消えた──と思ったら、あたたかな部屋の中に転移させられていた。
今朝、苦心して脱出したはずの──ジェイクの城の客間の、寝台の上に。
「おかえり、クラリス」
「た、ただいま。おかえりなさい……」
しどろもどろで見上げるクラリスを、四つん這いのジェイクが覗き込み、薄く笑う。
一難去ってまた一難。貞操の危機再び、である。
(おっ、落ち着くのよクラリス。フェンの言葉を信じるなら、ジェイク様の中身は、絵本の小人を信じる無邪気な子ども……! そっち方向にはまだ疎いはず)
何かお伽話でもして寝かせつけようか、と考えこんでいると──突然口づけられた。
「んんっ?」
目をぱちくりさせるクラリスの手を取り、ジェイクが指を絡ませる。
「……僕は、絵本をすべて捨てる決意をした」
「……え?」
「夫のつとめとして、毎晩欠かさず君と大人らしくイチャイチャする。だから是非、僕と結婚してほしい」
危機の倍返しに襲われた気がした。