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 クラリスは運動神経があまりいいほうではない。


 だから、拘束が仮解除される十分以内──厳密に言うと残り八分以内──に、城から抜け出すのは至難の技。

 それでも何とかシーツを縄代わりにしてバルコニーの手摺りにくくり付け、二階の窓から脱出するのに成功した。


(あと少し……)


 地面に靴の底が着けば、拘束の魔法は解除される。クラリスは無事に着地すると、ホッとしながら、先に放り投げておいたトランクを茂みの中から拾い上げた。


(もうすぐ部屋にフェンが来る。ジェイク様に報せがいく前に、出来るだけ遠くに行かなくちゃ)


 しかし魔狼とはいえ彼には親切にしてもらったし、黙って出て行くのは正直ちょっぴり心苦しい。クラリスは漆黒の城に向かってペコリと頭を下げた。

 事故すら起きてないのなら、彼が責任を取る必要なんてない。

 お釣りが出るくらい沢山だった恩返しも、前回で終わった。これで心置きなく、この国を出て行ける。


(……なのに、どうしてなんだろう)


 トランクを引きずりながら歩く足取りが、まるで鉛でも含んだみたいに重たい。

 それでもきゅっと唇を噛み、クラリスは前だけを見て歩き続けた。 


(神様……せめてあと一か月、ジェイク様が幸せに、大好きな絵本を読みながら安穏に過ごせるよう、どうかお見守りください) 


 涙を溢さないように、独り言の『さよなら』だけは口にしないでおく。

 その代わり、たくさんの感謝と『ありがとう』を、彼に届くようにと天に祈った。



 森の一本道に出た途端、目の前を通り過ぎて行った一台の馬車。

 その、白毛に黒いブチ模様の馬に見覚えがある。 


「……お父様⁉︎」

「ああ、やっぱりクラリスだ。夢じゃないだろうね? 一体どうしてこんな森の中に」


 少し先で停車し、馬車から降りて来た父は馭者の服を着ていた。いつも香油で撫でつけている髪も下ろしてある。

 一瞬誰だか分からず、夢かと思ったのはこちらのほうだ。


「こ、国境へ行こうとして迷子になってしまって。お父様こそ、どうしてご自分で馬車を? それにその格好は……」

「わたしの事などどうでもいい。それより、早く馬車に乗りなさい。すぐに国境へ向かう」

「国境へ?」


(家に連れ戻されるのかと思ったのに)


 拍子抜けしながら乗り慣れた馬車に乗り込む。

 ちらりと見た父の横顔は、ほんの少し青褪めて見えた。寒いのかもしれない、と馬車の中にあったストールを取り、父の元へ走る。


「! 何をやってるんだ、早く馬車に──」

「お父様、顔色が悪いんだもの。これを掛けてくださいな」


 ベージュの生地に赤と黒の格子柄。クラリスが気に入って買い、馬車に常備しておいたストール。

 父はそれを無言で受け取ると、ぎゅっと胸に抱き締めた。


「……すまない。クラリス」

「お父様ったら大げさね。これくらい……いつでもやって差し上げますわよ」


 いつの間にか白髪の増えた壮年の父の頭を、伸ばした手の指先で撫でる。

 優しくてあたたかい。この人が、娘一人のために家族全員を不幸になど出来るはずがないのだ。

 きっとこれは、父からクラリスへの最後の思いやりなのだろう。


(ありがとう、お父様……!)


 今にも雪が降り出しそうな灰色の空の下、王都の大通りを走り抜けた馬車は、昼過ぎに国境前の広場に着いた。

 中央に佇むディアルクト王国の守護神、光の神バルドルの巨大な像を仰ぎ見ながら、地面へと降り立つ。


「クラリス、これを持って行きなさい」

「手提げカバン……ですか? で、でもわたくし、このトランクだけでも持って歩くのは大変で」


 クラリスは父から差し出された、革製のカバンを押し戻そうとした。

 すると苦笑いをした父がひょいと引っ込め、おもむろにカバンのがま口を開いた。そこに、クラリスのトランクをぐいっと押し込む。

 その途端──カバンの三倍くらいの大きさがあるトランクが、すうっと中に吸い込まれていった。


「! 消えた……? このカバンってまさか」

「魔道具のカバンだ。物置一つ分くらいなら軽いままですっぽり収まる。──お前が聖女の仕事でもらった給金でわたしが勝手に買ったものだから、遠慮せずに持って行くといい」

「まあ。わたくし、知らない間に随分と高給取りになってたんですのね」


 空間収納の魔法で作ったカバンはかなりの希少品で、馬車一台分より高値がつく。

 少し早い誕生日プレゼントだと微笑む父は、クラリスにとってかけがえのない『七人の小人』だ。

 大切にカバンを受け取り、あたたかな胸に飛び込んでいく。


「体にだけは気をつけるんだぞ。……寒い格好で寝て、風邪なんか引かないように」

「えっ? ……え、ええ。もも、もちろんですわ。下着も寝巻きも、ちゃんとひとりで着て寝ます!」

「ははは。何もそんなに慌てなくとも──」


 頬を染めた一人娘の顔を見て、からかうように笑った父の目が大きく見開き、クラリスの背後に釘付けになる。


「くそっ……! もう手を回してたのか」

「……お父様?」

「そこを動くな。クラリス・ブランフォード」


 剣の切っ先のように鋭く、自分の名を呼ぶ声に振り返る。

 一糸乱れぬ隊列を組み、広場へ入って来たのは純白の鎧の聖騎士団。


 クラリスに呼びかけてきたのは恐らく、真ん中でひとり槍を携えている大男だ。


(ミカエル様の部下のグリーム・サイレス……! どうしてこの男がこんな時に)


 孤児院上がりのグリームはミカエルに引き立てられて聖騎士になり、その縁でルミナと知り合い恋に落ちる──という設定の、ゲームの攻略対象。

 婚約破棄イベントでルミナが罵られると出て来て、悪役令嬢を取り押さえる。

 ヒロインにとって彼は、我が身を盾にし、自分を守ってくれる理想的な騎士(ナイト)。だが、クラリスにとってこのグリームは、紛れもない宿敵だ。


「わたしの娘を呼び捨てにするとは、随分と出世したものだな。グリーム」

「黙れ。ミカエル様からのご命令に反き、娘を国外へ逃亡させようとした反逆者が。偉そうな口をきくんじゃない」

「……反逆者? ミカエル様からの命令っていったい」


 意味が分からない。自分はミカエルから婚約を破棄され、国外追放を言い渡されたはず。

 なのに逃亡、反逆だなんて……まさに寝耳に水である。呆気に取られるクラリスを庇うように、父が両手を広げてグリームの前に立ち塞がる。


「偉そうだと? ──それはこちらの台詞だ。大切な娘を傷付けた男の言うことになど、誰が従ってやるものか」

「貴様……」

「お、お父様……これはいったいどういう事ですの?」


 戸惑いながら伸ばした手を、父がすげなく振り払う。


「お父様?」

「行くんだ。国境の門でレイが待ってる」

「お母様が? でっ、でも、お父様は」

「わたしは大丈夫だ。こう見えても一応、防御魔法が使えるからね。それに、ここにはバルドル様がいらっしゃる。……きっと父様を守ってくださるさ」


 父はクラリスを振り返り、にっこりと微笑んだ。


「幸せになるんだよ、クラリス」


「お父さ……」

「逃がすな。──クラリスを捕まえろ!」

「「「御意!」」」


 力任せに父に押された、背中の古傷がずきずき痛む。

 飛び交う怒号と、周囲から上がる悲鳴。

 そこから何とか抜け出し、鎧の通れない、狭い生垣の間をすり抜けながら走って行く。

 ──早く、助けを呼んで来なくては。

 母なら魔法が使えるし、無力な自分と違い、運動神経が良くて度胸もある。乗馬も得意で──と、そこまで考えて、クラリスは国境手前で足を止めた。


「嘘つき……!」


 ぽつりと呟き、へたり込んだ地面に拳を振り下ろす。──自己嫌悪で、自分を殺したくなった。

 父にまんまと騙されたのだ。

 ブランフォード公爵家が所有してる馬車は、白毛に黒ブチの馬が引く、あの一台だけなのに。

 母が、ここに来れるはずなどなかったのに。


(……何が幸せになれ、よ)


 大切な人を置き去りにして、自分ひとり逃げて。


(幸せになんか、死んだってなれるわけない)


 クラリスはふらつきながら立ち上がると、国境に背を向けた。

 がくがくと震える足をばちんと叩いて自分を叱咤し、カバンを胸に抱えて駆け出す。


 雪がちらつく中を転がるようにして走り、ヒールが折れると靴を脱いで放り投げた。裸足のまま、今通って来たばかりの道を無我夢中で戻って行く。

 生垣の陰から広場に出た途端──神像の前に横たわる人影が目に入り、クラリスの心臓の鼓動が跳ね上がった。


「クラ……リス……」

「──お父様ぁ!!」


 血溜まりに倒れた父に縋ろうとしたクラリスを、待ち構えていた聖騎士が両脇から取り押さえる。


「はっ、離して! ──離しなさい!! 早く治癒しなければお父様が死んでしまう!」

「だ、ダメだ。クラリス……逃げ……」

「ふっ。滑稽なほど美しい親子愛だな。……いいだろう。聖女様の頼みとあらば、解放してやらんこともない。──ただし」


 血の滴る槍を手に、彫りの深い顔立ちを歪めてグリームが嗤う。


「ミカエル様の命令に従い、大人しく登城すると今ここで誓えるのならな」



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