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「ごちそうさまでした」

「パンはもういいのかい? クラリス。いつも必ず二つは食べるのに」

「結構ですわ。この状態でお腹いっぱい食べたりしたら、あっという間にぶくぶく太っちゃいますもの」


(というか、いつものパンの数をどうして……いや、今更か。着替えの服や靴も、まるで誂えたみたいにぴったりなものを魔法で出してくれたんですし)


 誠実というか、もはや偏執狂か束縛男。犯罪者の域だ。

 ため息をつきつつフォークを置いたとたん、テーブルが消えた床から棘のない薔薇の茨が飛び出し、クラリスの腕にぎゅっと巻き付いてくる。

 これで両手と両足すべてが魔法陣に拘束され、完全に結界内に閉じ込められた。


「ジェイク様、わたし……籠の中の鳥になった気分ですわ」

「それいいね。じゃあ、僕の仕事が終わったら一緒に夜空を散歩しよう」


 そういう意味じゃない、と噛みつこうとした瞬間──にっこり笑ったジェイクが転移し、目の前から消え失せた。


「あれ、ジェイク様もう行っちゃったんですか?」

「フェ、フェン。ちょうど良かった。お手洗いに行きたかったんだけど、逃げようとするとこの茨に締め付けられちゃって」


 部屋のドアからひょっこり顔を出したヒゲ顔の魔狼少年を見て、ホッと胸を撫で下ろす。

 もはや正常な感覚が麻痺してしまったのかもしれない。


 しかし、ジェイクは話を聞く前にさっさと消えてしまったし、この際彼の正体などどうでもいい。


(行ってらっしゃいのキスも特にせがまれなかったし……。い、いや別に、期待してた訳じゃないけど!)


 結婚を申し込んできたのも、男女の仲になった責任を取るため。

 嫌いな人間に借りを作らないため、ただそれだけの理由なのだから。


「魔法、十分間だけ仮解除するんで少し待っててくださいね。……ああそうだ。昨夜は風邪ひきませんでしたか? うちの侍女たちが不出来で本当にすいません」

「……侍女?」

「あれ、もしかして忘れちゃいました? 昨夜クラリス様が酒に酔って暴れた後、急にバタンと倒れたんで、ジェイク様が客間に連れて行ったんです。だけどさすがに女性の着替えは出来ないからって、あの双子が一緒に行って、お手伝いしたらしいんですが……」

「えっ⁉︎」


 話が変わった。

 ぽかんと口を開け、サラサラと灰になっていく茨を見つめる。


「何しろあの双子、元はビスクドールじゃないですか。家事は手慣れてるんですけど、着替えとか自分達でまともにした事なんかないんですよ。いつも我がやってるんで」

「じゃ、じゃあ、あの脱ぎ散らかしてた服って」

「はあ、すいません。ジェイク様が目隠しして、ネグリジェだけは頑張って着せたらしいんですけど……寒くなかったかなと思って」


(ネ、ネグリジェを着せただけ? しかも目隠しって)


 そういえば、と拘束が解けた足で駆け出す。

 寝台の毛布をめくって見れば、まだ交換前のベッドのシーツは真っ白。ちらりと見た自分の下着もまっさらだ。

 そして全くいつも通りに動く足、というか下半身。

 クラリスは思わずがっくりと項垂れた。


(完全に未遂……! で、でも。ならどうしてジェイク様は)


「でも良かったです、クラリス様がお嫁に来てくれて。でなきゃ一生結婚なんて不可能でしたよ、ジェイク様。何しろまだ『誕生日の小人』を信じてる人ですからね」

「誕生日の小人って……まさかあの、子ども向けの絵本?」


 クラリスも何度か読んだ事がある。誕生日に煙突から家に入ってきた七人の小人が、子どもの夢を覗き見て、願いを一つだけ叶えてくれる──という、この世界では有名な絵本だ。

 今思えば、前世のサンタクロースの話に少し似ているかもしれない。


「ええ。ジェイク様、昔からとても好きなんですよ。グッズも集めてて……あ、クラリス様。お手洗い大丈夫ですか?」


 フェンから心配げに声を掛けられ、ハッとしたクラリスは慌てて浴室へと駆け込んで行った。







 王城の北側にある聖騎士の訓練場も、少々老朽化が進んできている。


「そろそろ修理なり改築なりしないと、壁ごと崩れてきそうだな」


 鍛錬用に重量を加えてある模造刀を石壁の金具に戻しながらひとり呟く。

 昨夜ほとんど寝てないせいか、今日はあまり調子が良くない。いつもの半分程度の素振りで、もう息が上がってきた。

 少し早いが休憩にしよう。ジェイクは首に掛けてあったタオルで額から伝う汗を拭い、顔に押し当てた。

 そのまま壁際のベンチにすとんと腰を下ろす。


(……っダメだ! 訓練で汗をかいても目を瞑っても、昨晩のクラリスの裸体が脳裏にちらつく)


 覗き見るつもりなんてなかった。決して見えないように、魔法でしっかりと目隠しをしてから着替えに挑んだのに。

 でも……柔らかくて滑らかな肌に触れ、すうすうと気持ち良さげな寝息を聞いているうちに、つい。

 ほんの出来心だったのだ。

 酒のせいか、ところどころ薄紅色に染まっていたクラリスの肢体。

 うつ伏せにして見た背中はまるで、細い木枝のような古傷に花が咲き乱れているようで、夢かと思うほどの美しさ。──思い出すたび胸が高鳴る。


(嫁入り前の女性の裸を、まじまじと見てしまった。男として、きちんと責任をとらねば……!)


 しかし求婚はやんわり流され、子どもは無理だとやたら冷静に諭された。男と言うより、もはや完全なる幼児扱い。

 それでも、日頃の公務で鍛えている鋼の心臓でどうにか立ち直り、とりあえず城に閉じ込めてはきた。しかし──この先、一体どうやってクラリスと向き合っていけばいいのだろう。

 ジェイクは困り果てていた。ここまで困窮したのは、三十人以上の敵兵に丸腰で囲まれた十一歳の時以来だ。


「大丈夫ですか? ジェイク様」

「あ、ああ。戻ってたのかフェルド。……今回は随分早かったな」

「はい。サーヴェの密偵も始めて二年経ちますからね。物売りとして帝都にすっかり定着して顔馴染みも増えましたから、情報が入ってくるのも早いんです」


 歳のわりに笑顔が幼く、両目の下のホクロが特徴のフェルド・ハイドリヒ。ジェイクの一つ年下、十八歳の若輩ながら魔力が強く、見聞きした情報を記憶できる希少な『結印の瞳』を持つ、ディアルクト王国屈指の情報機関員だ。


「そうか。しかし油断はするなよ」

「もちろんです。ジェイク様直属の部下として、身バレして敵の捕虜になるような無様は死んでも晒しませんよ」


 にかっと笑う口元に八重歯が光る。兄弟が五人もいて家族が多いせいか、誰にでも人懐っこいフェルドは飛行部隊のムードメーカー的存在だ。


「報告書も作成してあるんで後で一緒に執務室へ……って、あれ? このタオルってもしかして」

「『誕生日の小人』のグッズだ。もう既に十枚ほど持ってるんだが、なじみの店員に期間限定デザインだと言われてつい買ってしまった。これも十枚あるから、欲しければ何枚かやるぞ」

「あ、ありがとうございます。じゃあ、妹用に一枚だけ」

「遠慮せず兄弟全員分持っていけ。そのかわり、僕の相談に乗ってくれ」


 ジェイクは魔法でポン、と出した五枚のタオルをフェルドに押し付けると、逃げ出さないようにしっかり肩を抱き寄せた。


「ジェ、ジェイク様? 一体何を」

「しっ。誰にも内緒で、お前に相談したい事があるんだ……! いいから静かに聞け。いいな?」


 フェルドは仕事柄口が固く、人嫌いの自分と違って友人も多い。確か年頃の妹もいたはずだし、クラリスとの事を相談するにはうってつけの人材である。


(きっと神様からの思し召し、いや、あの小人が願いを叶えてくれたのかもしれない)


 ジェイクは嬉々として、出会ってから昨晩までのクラリスとのいきさつを、目を白黒させるフェルドの耳元で話して聞かせた。

 すると──何故かみるみるうちにフェルドの表情が曇っていく。


「……つまり話をまとめると、ジェイク様はクラリス様の泣き顔見たさに十年も追いかけ回していた、って事ですか?」

「ああ、その通りだ」

「恩返しというのは……」

「彼女が言ったんだ。いつだったか、転んで泣いてるところへ駆けつけたら、もう恩返しはいいからと」


 何の事かと首を傾げたものの、そう言った彼女の零した涙がとても綺麗で、違うよと否定し損ねた。

 出会った日からずっとずっと、クラリスには肝心な事を言いそびれている気がする。


「彼女が泣いている姿を見ると安心するんだ。なんだか嬉しくなって、ずっと見ていたくなる」

「……ジェイク様はもしや、クラリス様を嫌ってらっしゃるんですか?」

「まさか! 嫌いだったら、子ども欲しさにキスなどしない」

「………」

「それに、裸を見た責任を取って結婚しようなどとは言わないはずだ。だからたぶん僕はクラリスの事が好きで」

「……………」


 いつも生き生きしているフェルドが、無言のまま、死んだ魚のような目で自分をじっと見つめている。

 いくらなんでも不敬じゃないか。ムッとして文句を言ってやろうとしたら、プレゼントしたばかりのタオルを投げつけられた。


「フェ、フェルド! お前、いい加減に──」

「いい加減にしろと言いたいのはこちらのほうです! ジェイク様はとにかく、さっさと家に帰ってこの幼稚なタオルと絵本を全部処分してください!」

「そんな、本棚いっぱいにあるのに」

「本棚ごと燃やせ! そんであんたはもっと大人らしく、クラリス様とイチャイチャしろ!」

「イ、イチャイチャ? ……キス以外にも何かあるのか?」


 剣幕に押されてオロオロしてると、三角の目になったフェルドがギッと睨みつけてくる。


「これ以上、この瞳に黒歴史を刻みたくないんで、とっとと家にお帰りください、王太子殿下」

「………はい」


 人に相談しても男女の問題は解決しない。

 が、普段温和な人間が怒ると怖い、という学習だけはできた。


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