表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/15

 ジェイクが邪神として覚醒するのは約一か月ほど先の話。

 つまり、彼はまだ人間である。

 それだけが、今のクラリスにとっての唯一の救いだった。

 編み込みがほどけた黒髪と、泣き腫らした紫色の瞳。着替えた覚えのないネグリジェの下は、一糸纏わぬ生まれたままの姿。


 昨晩何があったのかは言わずもがな。


(終わった……何もかも)


 クラリスは浴室の床にへたり込むと、自分のあられもない格好を見下ろし、改めて深く嘆息した。

 ショックのせいか、ガウン姿のジェイクに肩を抱かれても男嫌いが反応せず、鳥肌も立たない。

 それとも慣れ? 免疫が出来た? などと、考えるだけで恐ろしい。


「クラリス」

「……何ですの? わたくし、少しひとりになりたいんですけれど」

「僕と結婚して欲しい」


 クラリスの頭の中に教会の鐘ならぬ、世界の終末を告げる七番目のラッパの音が響き渡り──そのままパタン、と横に倒れた。


「大丈夫かい? 僕のクラリス」


 すぐさま抱き上げられ、つい、ぎゃっと悲鳴を上げる。

 自動で開くドアに驚き──乱れた寝台のシーツ、床に脱ぎ散らかされたワンピースと下着。まだ生々しさが残る痕跡を見て、またまた叫ぶ。


「わ、わたくしは貴方のものじゃありません!」

「昨晩はあんなに可愛く僕に甘えてくれたのに?」

「そっ、それ、それは……!」


 覚えてない、と言いかけて口を噤む。

 下手につっこみ、昨晩の状況を詳しく説明でもされようものなら、この場で卒倒してしまいそうだ。


「可愛いだなんて。婚約破棄されたばかりでジェイク様と……ただの尻軽女ですわ」

「とんでもない。泣き濡れながら、僕に細い腕ですがりついてくる様子は見ていて痛々しかったよ」

「……本当は、ふしだらな女だと呆れてらっしゃるんでしょう? 」

「ふしだらで何が悪い。昨晩、僕の腕の中で乱れる君の姿はとても綺麗だった」


 額に唇を落とされ、ぞわりと鳥肌が復活。ついでに落ち込む。──余計な事を聞くんじゃなかった。


「なぜ、そんな浮かない顔をする? 君はもうミカエルの婚約者じゃないんだし、僕らの結婚には何の問題もないだろう」

「で、でも。わたくしは国外追放を言い渡された身ですし、公爵家令嬢の身分も剥奪されて」

「そんなもの、僕がいくらでも揉み消してやる。君は何も心配しなくていい」


(くっ……! そういえばこの男、無駄に権力も魔力も強いんだった)


 力関係で言えば国王陛下と同等くらいに強い。

 だからこそ、王城とは別に城を構えたり、国教で蔑視されている魔狼を飼ったりできるのだ。


「もう一度改めて言う。僕と結婚してくれ、クラリス」


 一夜を共にした王子様に、お姫様抱っこで甘く求婚される。

 夢のようだ。いや、できれば夢であって欲しい。


「恩返しは昨日で終わったけど、僕は男として、昨晩の責任を取らなくちゃいけない。これから一生をかけ、必ず君を幸せにする」


 余命一か月の花婿が無責任に宣誓する。

 これで喜ぶのは、遺産か保険金目当ての結婚詐欺師ぐらいだろう。

 クラリスは思わず両手を組み、神に祈った。


「嬉しいな。神に感謝するくらい君が喜んでくれるなんて」

「……懺悔してるんですわ。わたくしのこの醜い背中で、ジェイク様のお目汚しをしてしまった事を」


 あくまでもしおらしく、深いため息を漏らしつつ言う。

 ──こうなれば最後の手段だ。


「ディアルクト王国の王太子殿下ともあろうお方の花嫁に、わたくしのような傷ものの令嬢は相応しくありません。どうか考え直してくださいませ、ジェイク様」

「でも君、ミカエルとは婚約したよね?」

「彼は第二王子ですし、立場が違いますわ。それにミカエル様は十年前、わたくしが階段から落ちたのは自分が求婚して驚かせたせいだと、わざわざ家に謝罪しに来てくださったんです」


 一週間ぶりの再会に青褪めるクラリスと、頰を染めるミカエル。

 前世の記憶が戻っていたクラリスは正直、その場から全速力で逃げ出したかった。ミカエルと婚約さえしなければ、破滅エンドを全て回避できるのだから。

 けれど包帯でぐるぐる巻きにされた背中は呼吸するだけで痛むし、絶対安静だからと、魔法で寝台に拘束されていた。

 自力での脱出は不可能、万事休す。


「傷を負わせた責任を取りたい、と両親に深々と頭を下げられて……改めて求婚されてしまっては『はい』と言わざるを得ませんでしたわ」


 その後はまさにお祭り騒ぎ。父母はもちろん、使用人の皆からも盛大に祝福され、もはや後戻りなどできない状況。

 ──それが、クラリスの悪役令嬢としての人生の幕開けだった。

 ゲームでの悪役令嬢は、そのお見舞いの日から調子に乗り、ミカエルや周囲に対して横暴に振る舞うようになる。

 癒しの聖女としての仕事も、ミカエルの婚約者という理由で拒否。少ない給金でも張り切って仕事に励む、現実のクラリスとは全く真逆の性格だ。

 しかし辿って来た道は違えど、嫌気がさしたミカエルに『ニセ聖女』と罵られ、婚約破棄される結末は同じだった。


 それはつまり、ジェイクの邪神化も止められない、という事の証明でもある。


「ジェイク様の(残り少ない)貴重な人生を、これ以上、わたくしなどのために無駄遣いなさらないでください」

「だけど僕だって昨晩、きっ、君を傷ものにしてしまった。きちんと責任を取りたい」


(恩返しの次は『責任』か)


 誠実と言えば聞こえはいいが、こうも連呼されると、なにか押し付けがましく感じてしまう。

 こちらの気も知らないで……! 眉根を寄せたクラリスは、自分を見つめるジェイクから目を逸らした。


「傷ものだなんて、ジェイク様は大げさですわ。こんなもの、酔っ払った勢いで起きた一夜の過ちじゃありませんか」

「過ち……?」


 ジェイクの声が急激に低く、弱々しくなり、クラリスを抱く手がぶるぶると震え出す。


「君は、僕をまったく愛してないと?」


 唐突な質問に、クラリスの大きな瞳が何度もまばたく。


 もしや不敬と受け取られたのか。それとも後になって文句を言うなよ、という念押しだろうか?

 顔を見るのがちょっと怖い。

 とりあえず、俯いたままで弁解しておこう。


「い、いえ。もちろん敬愛はしておりますわ。王太子殿下としてとても立派な方だと存じてますし」

「……敬愛。本当にそれだけなのか」

「もちろんです! 決して男女の愛などではありません!」

「………………」


 長すぎる沈黙が怖い。

 焦ったクラリスは首にかけていた聖女の証、十字架のネックレスを掴み、ジェイクの前に突き出した。


「崇拝するバルドル神様に誓って、絶対に後で恨み言など申しません! で、ですからどうぞ、安心なさってください!」

「バルドル神? そ、そこまできっぱり………」


 消え入りそうな声になったジェイクが、クラリスを寝台の上にそっと下ろす。

 そのまま背を向けてしゃがみ込むと、顔を手で覆い「愛ってなんだろう……」などとぶつぶつ呟き始めた。愛に悩む邪神。気にはなる。が、構ってはいられない。クラリスはその隙にワンピースに着替え、トランクを手に取った。


(今のうちにさっさと出て行こう)


 事故にあったとでも思えばいいのだ。

 嫌なこと、辛いことは全て忘れ、他国で第二の人生を──と、ドアノブに伸ばしかけた手を、横からがっちり掴まれた。


「どこへ行く」


 ジェイクの金と銀の瞳が、獰猛な輝きでクラリスを射抜く。 

 クラリスは頰を引きつらせつつ振り返り、にこりと笑った。


「……ジェ、ジェイク様がその、疲れてらっしゃるんじゃないかと思って。少しお休みになられたほうが」

「昨晩、君と一緒にデザートを食べてなかった事を思い出したんだ。それくらい、付き合ってくれてもいいだろ?」


 顎を持ち上げられ、さする親指がくすぐったい。つい目をぎゅっと閉じると、下唇の膨らみをゆっくりとなぞられる。

 塗り付けられたのは、とろりとした蜜? と思った時には魔法で転移され、寝台の上に落ちていた。


「これは試食の生クリームだよ。……食べてみる? クラリス」

「ジェ……っあ」


 指先のクリームを塗り付けた首すじを舌で舐め上げられ、声を上げるクラリスの口を、ジェイクの甘い唇が塞いだ。

 押さえつけられた手首も、繰り返す口づけも、何もかもが熱くて、とろけてしまいそうだった。


「……美味しい?」

「はい」


 素直に頷く。この独特な試食方法はさておき、クリームのみの感想としてはかなりの絶品だった。

 満足げに微笑んだジェイクが、クラリスの耳に唇を落とし、囁く。


「……早く、君が産んだ僕の子どもを見てみたい」

「こっ、子ども?」


 といえば妊娠から出産まで十月十日。

 残念だが間に合わない。ここは勇気をもってきっぱりと──


「無理です!!!」


 クラリスが叫んだとたん、ジェイクが胸を押さえてよろめき、寝台の上にバタンと倒れた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ