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「黒の聖騎士……」 


 そう敵兵が呟きを漏らしたのは、二年前の隣国との対戦中──昼間のように明るく輝く夜空を、クラリスが見上げている時だった。


 それはまるで天の裁き。

 雲間から降り注いだ数十──いや、数百もの光の矢が、宣戦布告も無く領空を侵攻してきた隣国、サーヴェ帝国の空戦部隊を一斉に貫いたのだ。

 敵軍の主戦力である青眼の竜騎兵は、翼ごと風穴を空けられ、なすすべもなく墜落していく。


「ああ、全部殺しちゃった。一匹くらい持ち帰ってペットにしたかったのに」


 美しくも残酷な光の中で、黒髪の聖騎士が漆黒のマントを翻す。


「ジェイク様。地上部隊がサーヴェの司令官と内通者のイファルナ侯爵を発見、結界石ともども確保したようです」

「司令官は全員殺せ。イファルナのほうは神聖域結界を解除し、竜騎兵を領空に誘導した罪がある。本人だけでなく一族郎党、牢にぶち込んで皆殺しにしろ。下手に情けなどかけて見逃せば、やがてこちらに牙を剥く。──それも、脆くか弱いものを狙ってな」

「しかし、尋問は?」

「尋問? そんなものいらないよ。正直者の魔物と違って、人間はどうせ平気で嘘をつく」


 躊躇いも迷いもない。

 一切の感情を削ぎ落とした、熱も何もこもらない冷淡な声が響く。


「いいか、逆らう者には決して容赦するな。──心臓を剣で貫き、四肢を斬り落とし、槍で串刺しにして火山口へでも放り込め。命を乞う者には慈悲をもって速やかなる死を。我がディアルクト王国に刃向かった事を、冥府で後悔させてやれ!」


 ジェイクの酷薄な指令に従い、ディアルクト王国屈指の飛行部隊は散り散りに飛び去った。

 月もなく、我が物顔で飛び回っていた竜騎兵の姿もすべて消えた夜空に、流れ星のような軌跡がいくつも煌めく。


(イファルナ侯爵って確か王城の侍従長の……そんな人がどうして、サーヴェの内通者なんかに)


 温和で人当たりが良く、王妃殿下を亡くした後のジェイクの世話係をしていた。だからこそ、彼の無慈悲な報復を誰よりもよく知っているはずなのに。


 確かに、王城と東西南北の教会のマスターキーを管理している彼なら、礼拝堂に安置されていた結界石を持ち出す事は容易だろう。

 しかし彼はディアルクト王国の国教であり、魔物と魔女を完全なる悪とみなし排除する、バルドル神教の敬虔な信者。


(魔族が人間を支配しているサーヴェ帝国に、味方するなどあり得ない)


 何か事情があるはずだ。だがそれを彼から聞き出すという選択肢は、ジェイクの中には無いのだろう。

 ダメ元で彼の弟であるミカエルに話し、進言してもらう手も考えた。が──よくよく考えたらミカエルはついさっき、キスをするのしないので婚約者のクラリスと揉め、医療テントを飛び出して行ったばかりだった。


(そういえばわたし、それを追いかけて出て来たんだったわ。すっかり忘れてた)


 もっとも、捕まえて話したところで彼の要望に応えられない以上、どうせ堂々巡りになるだけなのだが。

 城への隠し通路がある洞窟に続く森の小道、テントの裏にある小川の周りも一応ぐるりと探してみる。するとやはりと言うか、当然どこにも婚約者の姿はない。


「いつまでも外で何してるんだ、クラリス! 早く戻れ!」

「! はっ、はい!」


 医師の怒鳴り声に、慌ててテントへ向かって駆け出す。


 気にはなる。でも今は、癒しの聖女としての使命が優先だ。

 医療テントの中は負傷した兵で溢れ、治癒魔法を使う医師や、手伝いの白衣の令嬢たちが慌ただしく働いている。


「い、痛え。もしかして骨折れたかも……」

「こいつの右腕だ。折れちゃいないが結構裂傷が深くて、魔法だと完治できない」

「分かりました。では、先に包帯を巻いておきますわ」


 薬箱から出した包帯の端を噛み、自身の腕に片手で器用に巻きつけていく。きつすぎず緩すぎず、きれいに巻きつけられた真っ白な包帯は、痛々しくも美しい。

 癒しの聖女として開眼したクラリスの能力は、祈りを捧げた相手の傷や病を我が身に移し、身代わりになる──と、いうものだった。


 つまり、死にかけの兵を救えばもれなくクラリスも死にかける。


 もちろん聖なる力で自己治癒するため、コロっと死んだりはしないものの、あまり連続で癒すと体の回復に少々時間がかかる。

 おかげで開戦してからここ三日間はずっと、全身をぐるぐると包帯で巻きっぱなしだ。


「クラリス様、手が血で汚れてますわ。川で洗ってらして。片付けはこちらでやっておきますから」

「ええ、そうするわ。ありがとう」


 顔見知りの伯爵令嬢に促され、テントの裏手に回ると、赤い鎧の兵がうつ伏せで転がっていた。

 赤はサーヴェの国色。恐らくは敵兵の亡骸だろう。


 クラリスは跪くと、胸の前で両手を組んだ。


「せめて、神の救いがありますように。どうぞ安らかにお眠りください」

「……ずいぶんと慈悲深い聖女だな」

「! イファルナ侯爵」


 牢から脱獄して来たのか──そうクラリスが気付いた時には、素早く起き上がったイファルナに腕を掴まれ、物資用の人気のないテントに魔法で転移させられていた。

 窓もない真っ暗闇の中、積み上げられた箱と箱との狭い隙間で、太い腕に力尽くで組み敷かれる。


「クラリス・ブランフォードだな。第二王子のミカエルの、婚約者だったか。──見せしめにするにはちょうどいい」

「何をするの? 貴方の事はきっと聖騎士達が探している。逃げたってどうせすぐに捕まるわ。無駄な悪あがきはおやめなさい!」

「ああ、そうさ。だから最後にせめて、聖女様に慰めてもらおうと思ってな」


 馬乗りになったイファルナが、クラリスの頰を平手で殴る。激しい耳鳴りに顔をしかめたとたん、もう片方の頰も殴られた。

 口の中にじわりと血の味が広がる。


「ははは! ──ほら、どうした? 愛しい婚約者の名前を呼んでみろ!」


(狂ってる……!) 


 逃げようにも、イファルナはそれなりの魔法の使い手。ここで下手に抵抗すれば、きっと一瞬で殺されてしまうだろう。


 クラリスは体の力を抜くと、覚悟を決めて目を閉じた。


「お坊ちゃまのミカエルに、俺たちが楽しんでる姿をたっぷりと拝ませてやる……! 二度とお前を抱きたいと思えなくなるようにな!」


「その前に死ね」


 耳をかすめたのは、背筋がぞくりとするほど、甘い声。


 目を開けると、もうすべてが終わっていた。

 悲鳴ひとつ上げる間もなく、心臓をジェイクの剣に貫かれたイファルナが、積まれた箱の上に倒れる。


「ジェイク……様」

「ああ、ごめんねクラリス。すぐ手当てしてあげるから、これ被って少し待ってて。……今夜はとても寒いからね」


 血しぶきも断末魔も、体を包むあたたかな漆黒のマントに遮られた。

 親代わりだった裏切り者を罵る事もなく、塵さえ残さず消滅させても涙一つ流さない──ジェイクの、後ろ姿でさえも。


「人間はやっぱり嘘つきだな。……イファルナ、君とミカエルには幸せになって欲しいって言ってたのに」

「……その時は、本心だったのかも知れませんわ」


 イファルナを庇ったわけじゃない。

 クラリスはただ、ジェイクにそう信じて欲しかった。


「分かった。クラリスがそう言うなら信じてみるよ」

「……本当に?」

「うん。本当の本当に」


 暗闇の中で、きりっとした顔の王太子が薄笑いを浮かべたような気が──いや、きっと間違いない。

 湧き上がる怒りに任せ、お気に入りのマントをくしゃくしゃにし、べしっとジェイクに投げつけてやる。


 どうせ今回も、ひとの話をまともに聞いてやしないのだ。

 ジェイクがクラリスに過剰なまでの礼をするのも、嫌いな人間に少しでも借りを残しておくのが我慢ならないからなのだろう。


 それとも、油断させて殺すつもりだった?


 シャンパンか料理に毒でも仕込んでたのかもしれない。


 頭がガンガンと痛むし、何かひどい吐き気もする……。


(気持ち悪い)


 カッと目を開け、掛けてあった毛布を跳ね除けると寝台から転がり落ちるようにして下り、バタバタと浴室へ駆け込む。

 こみ上げたものをすべて出し切り、クラリスがぐったりと項垂れていると、背中を優しくさする手があった。


「あ、ありがとう……」

「どういたしまして。……気持ちいい?」

「ええ、とても」


 つい素直にこくんと頷き──一瞬で目覚めたクラリスがバッと後ろを振り返る。


「おはよう、クラリス」


 頬を撫でた邪神が金銀の双眸を細め、毒みたいな甘ったるい声で囁いた。


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