13
「きゃあああっ!!」
宙に放り出され、死んだ──と思った次の瞬間、体がふわりと抱き留められる。
神業の魔法と、力強い腕。
目を開けなくても、クラリスにはそれが誰なのか分かった。
「ジェイク……様?」
「うん」
聞き慣れた声に心底安堵する。偏執狂だとか束縛男だとか、内心罵っていたことを深く反省した。
思わずじわりと涙ぐむ。
「わ、わたくしを連れ戻しに来てくださったの? こんな遠くまで」
「うん。──いっ、いや違う! ちょ、ちょっと……準備運動してて」
「準備運動?」
「……君の声が聞こえたのに、魔法で探知出来なかったんだ。それで慌ててたら、ますます分からなくなって。客間はがらんとしてるし、フェルドたちは腹の立つ事ばかりする。僕は……。僕は、きっと苛々してたんだ。気付いたら神聖域結界を超え、やみくもに飛び回ってた」
何の話かと思い、涙目でジェイクを見上げる。
すると艶やかな黒髪が乱れ、端正な顔立ちからは血の気が失せていた。出会ってから十年あまり、こんなに憔悴し切ったジェイクの姿は見た事がない。
──心配、してくれたのだろうか? 胸がぐっと詰まり、ぽろりと頰に涙が伝う。
その雫を、黒い皮手袋の親指が優しく拭った。
「ごめん……なさい。わ、わたくし、うっかりバルコニーに出てしまって……それで」
「簡単には許さないよ。二度も家出した妻には、何かお仕置きが必要だな」
「お、お仕置き?」
「当然だろう? 君がいなくなったせいで、僕はむっ、むしゃくしゃして、自分の立場も仕事も、頭から綺麗さっぱり消え失せちゃったんだから!」
ジェイクはクラリスにそう言い放つと、膨れっ面でそっぽを向いてしまった。
肩に留まっているルッカも、まるで幽霊でも見るかのように目を見開き、ポカンとしたままだし。
クラリスは狼狽した。命が助かりホッとはしたが、なんとも微妙な空気である。
──だがその沈黙は、追って来た赤竜の咆哮によって切り裂かれた。
青竜の竜騎兵より魔力が強いらしく、連続で炎を吐いてくる。それに加えて血の気も多い。振り下ろした爪がジェイクの魔法障壁に勢いよく弾かれても、怯む事なく襲ってくる。
「できれば僕が倒したかったけど……仕方ないな。他国の領空内であまり暴れるわけにもいかないし、そろそろ地上に退くか」
「で、でも。追いかけて来たら」
《それなら大丈夫よ》
「ああ、もうすぐ頼もしい援軍が到着するからね」
ひよこモドキの聖霊に、ジェイクがこくりと相槌を打つ。
そのまま何事もなかったかのようにマントを翻し、飛び立とうとして──ぴたりと動きが止まった。
金銀の目をぱちぱちさせ、クラリスを見下ろす。
「……ひよこ?」
「! ジェイク様、ルッカ様が見えるんですか?」
「う、うん。……すっごく目付きが悪くて、ガン見してきてる。僕好みのふわふわなのに、何かあんまり触りたくない……! てっ、手を出したとたん、激しく突っつかれそうで」
《……。アンタたち、揃いも揃って失礼ねえ。──だけどまあ、嬉しい誤算もあったことだし、今回だけは大目に見てあげるわ》
やさぐれた顔が、一瞬くしゃりと笑ったような。けれど太陽みたいな眩しい光に阻まれ、それを確かめる事が出来ない。
これはもしや、話に聞いた『成長』だろうか? クラリスは目を丸くした。
(甘い言葉を囁かれたわけでも、キスされたわけでもないし……。む、むしろ、険悪な雰囲気だったと思うのに、一体どこに愛があったって言うのかしら?)
判断基準が謎すぎる。
だがこの光がもし、ルッカから聞いていた、全部で七つあるうちの一つ目の成長だとしたら、確か五分くらいはこのままのはずだ。
その間に──といっても、追いかけてくる赤竜の炎攻撃をかわして飛び回りながらだが──ルッカとの出会いから今までの経緯をざっくりジェイクに伝えておく。
するとジェイクは、自分だけが見えてなかったという事実に、かなりの衝撃を受けたらしい。
飛行速度が鈍ったせいで、赤竜の炎が頭上をかすめ、一瞬ヒヤリとする。
「なっ、なぜだ? 僕はちゃんと君とキスだってしたし、絵本を捨ててまで求婚に挑んだっていうのに……!」
「……」
言いたい事は分かる。が、かける言葉が見あたらない。
愛うんぬん以前の、前の前の前あたりに、問題があるような気がしてきた。
《第一段階、突破ー! あと残り六段階ね。頑張りなさーい》
ひとまわり大きくなったひよこ──もとい聖霊が、元気よくふたりの頭上で旋回し、クラリスの頭に乗っかってくる。
とりあえず一歩前進。だが肝心のジェイクは、愛ってなんだろう、とかひとりでぶつぶつ呟いてるし。前途多難には変わりない。
クラリスが深いため息をついたところで、大きな黒い犬が、前方の上空から降りて来た。
赤い目を爛々と輝かせながら、いきり立つ赤竜へ向かって天翔ける。
《《ゴアアアア!!》》
《うるさぁい! 五百年ぶりの出番を無くした、魔狼の恨み辛みを思い知れ!!》
そう叫ぶなり口から雷球を吐き、赤竜に攻撃を始める。赤竜の吐く炎と雷が激しくぶつかり合い、赤や金の光線が月のない夜空を明るく照らし出した。
「……もしかしてあれが『援軍』ですか?」
「そう。魔狼本来の姿に変化したフェンだ。シュバルツア城の執事兼世話係のね」
あの三角耳の少年か。
意味のよく分からない人語を発してはいるが、赤竜に雷をガンガン落とす様は確かに頼もしい。
しかし、ここで気になるのは地上への影響だ。雲間にじっと目を凝らして見てみると──真っ暗闇で人家の明かりもなく、鬱蒼とした森が広がっている。
(ずいぶん大きな森だけれど、ここはどこの国なのかしら?)
分からないが、これなら上空で少しくらい暴れても平気そうだ。
赤竜の討伐はこのままフェンに任せ、ディアルクト王国に転移──するのかと思いきや、ジェイクはずっと沈黙している。
怪訝に思いちらりと見上げてみれば、半眼でこっくりこっくり船を漕いでいた。
「……ジェイク様?」
「……」
反応がない。──嫌な予感がした。
《あーあ。どうやら、アンタを探し回るのにだいぶ魔力を消耗しちゃったみたいね》
「は? って事は……ど、どうなっちゃうんですの? わたくしたち」
《やあねぇ。そんなの、落っこちるに決まってるじゃないの》
ええええええーーー!!?
絶叫するクラリスと、完全に気絶したジェイク。そして、したり顔のひよこモドキが、地上に向かって一直線、まっしぐらに墜落して行く。
《やれやれ。天に定められた運命ってヤツは、ちょこっと未来を塗り替えたくらいじゃ、なかなか変わんないらしいわねえ》
「そ、それってどういう──きゃああああ!!」
《アタシが見た未来じゃ、今夜ジェイクは地上で待機していた。アンタを探し出し、赤竜から奪還するのはさっきのフェンって魔狼だったの。……まあそれでも結局、途中でアンタを落っことしちゃうんだけどね》
良くも悪くも未来が変わり、それでも、齎される運命は同じ、ということか。
(だったらきっと、わたくしはまだ死なない……!)
森の木々が眼下に迫った時──クラリスは、離れそうになるジェイクの体をぎゅっと抱き寄せ、目を閉じた。
一瞬風が強く吹き、フワッと体が宙に浮く。木の枝やら網目状の蔓やらに引っかかりつつ、落っこちていくこと数秒。
最後に柔らかい何かの上で、ボヨヨヨヨン、と跳ね返された。
「──きゃっ!」
《おっとっと。……えらいえらい。着地するまで、よくぞジェイクを離さずにいたわね。さすがは聖妃》
「せ、聖妃?」
《そ。アンタは聖妃、ジェイクは聖王になるの。聖霊であるこのアタシが、縁を繋いだんだもの》
ふたりが落ちたやたらとデカいキノコの上で、ひよこモドキが胸を張る。ジェイクはまだ気を失っているが、奇跡的に、お互いほとんど無傷のようだ。
だが今は──助かった喜びに浸ってる場合じゃない。
「「「お前ら、一体何者だ!」」」
鋭く尖った槍に、周りをぐるりと取り囲まれていた。




