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つまり、この人の……もしかしたら、動物以外にも……地球上のあらゆる生命に組み込まれている(植物なども含めて)組み込まれている、この戦略という特殊性を応用すれば、人にとって、上手く固定化した考えを自らの中に植え付けることが可能だと私は考えているの。
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……それは、単純な話、先ほどの話を読んで下さった方ならなんとなくイメージして頂けると思うのですが、思考を固定し、決めつけることは、何も悪い結果を生む話でもないわ。……そもそも、それを人は自然と生活の中に応用して生きているのだもの。
……例えば、一番解りやすいのは、『罪に対しての意識』人以外の動物が罪という一つの概念を共有する例など、とても知能が高く、人に近いとされる絶滅危惧種の「森の人」オランウータンでも、一個体以外の集団で共有するなど難しいのではないかと思う。狼のような主従関係が大事そうな社会でも罪の意識がきちんと概念として共有されているのかは解らない。愛猫を見ていると、猫社会も新参者は、先の猫よりも食事が後だったり(食べたら威嚇される)ルールがあるようだけれど、個体によってはそのルールすら理解しない個体もいたりして、全ての個体がそれを守るかというとそうでもないみたいに見える。人のように固定されたルールを全ての個体が、それは『罪だと確信するレベルで信じ込むことなんて、他の動物では見られない現象だと思う』
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それは、人として、花たちの生存戦略の例と同じレベルでの固定化された破れないルールに近いものなのではないかと』私は感じているの。
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だから、人は、実現可能の近くなればなるほど、その概念が破綻るような思考を同時に出来なくなってしまう。……具体的に私が思うことを説明するなら、思考することが不可能レベルで、『本能的にブロックしてしまう』のよ。生存戦略は全く違うでしょうけれど、本能の部分で、『生存戦略ような思考として疑似化してしまうではないかしら』?だから、『概念が固定化されてしまえばされるほど、その固定化された思考から離れるのには耐えがたい苦痛を思うの』よ。
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……そう、私が身近に思っているのは、『宗教戦争』が、よい例ね。それはそれは苦痛だと思うわ。信じてきたものを覆される苦痛は。まるで、自らに刃をあてるのと同レベルの苦痛ではないかしらと想像するの。
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ね?面白くありませんか……?不思議に思われませんか?私は、これ以上ないほど、不思議に面白く思えるの。